その32「母と電話」




 ニャツキはホテルを出て、1人になった。



 ホテル前の歩道で、ニャツキは携帯を取り出した。



 そして、実家の番号を選び、電話をかけた。



 やがて電話は繋がった。



「もしもしにゃん」



 電話の向こうの誰かに、ニャツキは話しかけた。



「ニャツキ?」



 帰ってきたのは、大人っぽい女性の声だった。



「はい。ニャツキです。


 ママですか?」



 ニャツキの分かりきった問いには答えず、ミイナは問いを返してきた。



「ニャツキ。


 今どうしてるの?」



「ねこフロートのホテルで、


 もう夜なので、


 ゆっくりしているところです」



「……本当に良かったの?


 せっかくのデビュー戦なのに、


 応援に行かなくって」



 ニャツキの家族は、明日の応援には来ない。



 みんな応援には来たがったが、今はミイナが妊娠中だ。



 彼女の安全が優先された。



「はい。


 これから産まれてくる赤ちゃんのことを、


 1番に考えてあげてください」



 ニャツキも家族の選択は、正しいとは思っている。



 寂しさは有るが、1人でがんばるつもりだった。



「ごめんなさいね」



「いえいえ」



「ケンタがね、


 1人でも応援に行くって言ったんだけど、


 ダメだって言ったの。


 まだ子供だし、


 1人で長旅なんて、心配だから」



「仕方無いですね」



「ねえ、ニャツキ」



「何ですか?」



「何かあった?」



「……どうしてですか?」



「ちょっと声が、


 いつもより暗いような気がして」



 ニャツキはいつも通りにふるまったつもりだった。



 だがミイナには、ニャツキの気持ちは伝わってしまうらしかった。



「……まあ、はい」



「どうしたの?」



「俺様は……何か欠けているのでしょうか?」



「誰かがそう言ったの?」



「……………………」



「誰が言ったの? ブン殴ってやるわ」



「やめてくださいよ!?」



 急に過激になった母を、ニャツキは慌てて止めた。



「そう?」



「それで、どうですか?


 産みの親から見て、


 俺様はどうなのですか?」



「そうねぇ……。


 ニャツキは好きなことに夢中になると、


 ブレーキがきかないところが有るわね。


 それにちょっとおっちょこちょいで、


 天然さんなところが有るわね」



「そうですか……。


 俺様は……人として間違っているのでしょうか……?」



「そんなことは無いわ」



「けど……」



「あのね。ニャツキ。


 誰にだって欠点は有るわ。


 欠点が有るからって、


 人として間違っているなんてことにはならない。


 そんなことを言っていたら、


 この世界の全ての人が


 間違っているっていうことに


 なってしまうもの。


 正しいか間違っているかなんて


 おおげさなことよりも、


 もっと身近な幸せの方が


 大切だと思うわ」



「だったら……。


 やっぱり俺様は、


 ダメなのかもしれません」



「どうしたの?」



「身近な人の心を


 傷つけてしまったのです」



「そう。その人には謝ったの?」



「いえ」



「どうして?」



「いま謝っても、


 上っ面だけの謝罪になってしまう気がします。


 だって、俺様という猫は、


 あいつを傷つけた時と、


 なにひとつ変わってはいないのですから」



 ただ頭を下げるのなら簡単だ。



 いや……。



 プライドの高いニャツキには、それですら簡単では無いのだが……。



 何にせよ、根本的な問題は、何も解決してはいない。



 ニャツキはジョッキーに操猫させるのを、嫌だと思っている。



 怖いと思っている。



 ジョッキーは他人だ。



 父や母とは違う。



 無償の愛ではなく、利害で繋がる相手だ。



 他人というものは、いつ裏切るかわからない。



 ジョッキーがパートニャーを裏切るなど、滅多に有ることではないだろう。



 ニャツキにも、理屈ではそれはわかっている。



 だが実際に、ナツキは手酷い裏切りを受けた。



 ランニャーがトレーニャーを裏切るという、世にも稀な裏切りを。



 冤罪まで着せられて、ナツキは地獄に落ちた。



 確率が低いということは、ニャツキの心にとって、なんの慰めにもならない。



 自分1人でこなせることは、全部自分でやりたい。



 その気持ちには、ずっと変化は無かった。



 本音を言えば、強化呪文だって、自分で使えれば良いと思っていた。



 他人の呪文を受けて走るなど、吐き気がする。



 だが、猫は呪文を使えない。



 その部分だけはどうしても、ジョッキーを頼るしかなかった。



 震えを隠し、ニャツキは妥協した。



 ニャツキの本性は、ランニャーを志したあの日から、ずっと変わることは無い。



 変われるとも思えなかった。



 そんな自分の謝罪に価値が有るとは、ニャツキには思えなかった。



「その人は、


 ニャツキにとって大切な人?」



「あんなヤツ、べつに好きでは無いです」



「そう。


 だけどもし、その人を大切に想うなら、


 きちんと話し合った方が


 良いかもしれないわね」



「話して何か変わりますか?


 話したって、


 俺様という人間は


 変わらないと思いますけど」



「それでも、理解することはできるわ」



「理解……?」



「ええ。相手に対する嫌な感情って、


 誤解が原因になってることも有るのよ。


 たとえお互いが変わらなくても、


 知ることで解決することが


 有るかもしれないわ」



「それで逆に


 関係がこじれてしまったら?」



 相手の事情を知れば、共感できることも有るのかもしれない。



 だが逆に、どうしても相容れないと、分かってしまうことも有るのではないか。



 ニャツキはそんなふうに考えてしまった。



「どうしても合わないなら、


 距離を取りなさい。


 全ての人が仲良くするというのは、


 悲しいけど難しいわ」



「あいつと離れる……?」



「それは嫌みたいね。ニャツキは」



「……嫌というか、


 不都合が有るだけです」



 シャルロットが言うには、ヒナタはニャツキに乗ってくれる唯一のジョッキーだ。



 破局を迎えるわけにはいかなかった。



 とはいえ、今のままが良いとも思えなかった。



「……ママ。


 俺様はどうしたら……」



 ニャツキは迷い、愛する母にすがった。



 だが……。



「1番大切なことは、


 自分で決めなさい」



「怖いんです……。


 話すのが……。


 自分の弱い所を、


 家族以外に見せるのが……」



「ニャツキは怖がっていることが


 正解だと思うの?」



「いえ……」



「だったら、


 怖くても勇気を出すしか無いわね」



「どうすれば勇気が出ますか?」



「そうねえ……。


 私がケンイチさんを


 押し……口説いた時は、


 お酒の力に頼ったわね」



「未成年ですけど?」



「あら。そうだったわね」



「ママ……」



「ふふっ。ごめんなさい。


 けど本当に、


 自分の中から勇気が出てこない時は、


 外に有るモノに頼るのも


 手だと思うわよ」



「たとえば何ですか?


 お酒以外で」



「お友だちとか」



「友だち……」



「まさかあなた……ぼっち……」



 ミイナは心配そうに言った。



「違いますけど!?」



「ふふっ。


 ちょっとは元気が出てきた?」



「……多少は」



「そう。それじゃあがんばってね。


 ニャツキ」



「はい。ママもがんばって


 元気な赤ちゃんを産んでくださいね」



「ええ」



「かーちゃん。


 そろそろ代わってくれよー」



 携帯のマイクから、小さくケンタの声が聞こえた。



「そうね。ケンタが話したがってるから


 交代するわね」



「はい」



 少し待つと、ケンタがニャツキに話しかけてきた。



「もしもしねーちゃん?


 ヒョーゴってどうだ?」



「べつに、普通ですけど」



「そんなこと言って、


 シマネよりは都会なんじゃねーの?」



「シマネだって都会ですよ」



「ねーちゃん何言ってんの?」



「えっ?」



「良いなー。


 俺もヒョーゴ行きてー。


 ねこフロート行ってみてー。


 けど、かーちゃんがダメだってさ」



「もう少し大きくなったら、いくらでも行けますよ」




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