その2「出会いと再会」




 ニャツキは、故郷のシマネから東へと走った。



 400キロメートルにもなる道のりだが、ネコマタの体力であれば、どうということは無い。



 やがて彼女は、シガ県へと脚を踏み入れた。



 道路の看板などを見れば、ニャツキにも、自分がシガに着いたということは分かった。



(シガ県に入った感じですね。


 たしか『トレまち』はここから……)



 ニャツキは速度を落とした。



 十分に減速し、歩道へと足を踏み入れた。



 そして脚を止め、目的地への道のりを考えた。



 ニャツキの目的地は、シガのリットーに有る『トレまち』だ。



 トレまちとは、トレーニングタウンの略称だ。



 そしてトレーニングタウンとは、ねこホテルが密集する、猫のための町だ。



 シガのリットーと、イバラキのミホ。



 ニャホンでは、その2箇所にだけ存在している。



 ニャツキの前世であるナツキは、リットーのねこホテルに所属していた。



 ニャツキにとって、リットーのトレまちは、己の庭のようなモノのはずなのだが……。



(……どこでしたっけ?


 久しぶりなので、記憶が……。


 荷物に地図は入ってますけど、


 こんな所でにゃん化を解くわけにもいきませんし……)



 ニャツキはシガに来て初めて、記憶が曖昧になっていることに気付いた。



 ニャツキはミカガミ=ナツキに関し、全ての知識を有していると思っていた。



 ナツキが知っているはずのことなら、全てが分かると思っていた。



 だが、ナツキの死から、既に15年以上が経過している。



 そして、ニャツキはシガに来たことは、1度たりとも無い。



 ニャツキがナツキ本人だったとしても、記憶が薄れるのは仕方の無いことだと言えた。



 だがニャツキは、今の今まで、その可能性に気付かなかったらしい。



 ……まさか、ナツキだった自分が、シガで道に迷うとは。



 ニャツキは困り顔になった。



(そうだ。


 シガ県のことは、


 シガ県人に聞くのが一番です。


 あそこに居るおばさんに聞いてみましょう)



 ニャツキはそう考えて、道行くおばさんに声をかけた。



「あの、お姉さん」



「私かい?」



「はい。お姉さん」



「ふふっ。やめとくれよ。


 お姉さんだなんて」



「……おばさん?」



「あ? 何言ってんだコラ」



「結局なんて呼べば良いんですか!?」



「ああごめんね。


 けど、おばさんって年でも無いのよ」



(つまり何?)



「それで、用事ってのは何だい?」



「トレまちの場所を


 教えていただけませんか?」



「何だい? トレまちってのは?」



「……トレまちをご存知無い?」



(シガ県人なのに?)



 シガ県人であれば、みんなトレまちを知っているものではないのか。



 そうでは無いと知り、ニャツキはカルチャーショックを受けた。



「知らないねえ……」



「……そうですか」



「もう行っても良いかしら?」



「はい。どうぞ」



 道を知らないのであれば、これ以上おばさんを留めておく理由は無い。



 ニャツキはおばさんを解放した。



 おばさんは去り、ニャツキは1人になった。



(どうしましょう……)



 ニャツキが今居る場所は、車通りは有るが、人通りは少ない。



 もう少し、人の多い場所に移動するべきか。



 ニャツキがそう考えた、そのとき……。



 車道の脇、ニャツキから3メートルほどの位置に、赤黒いバイクが止まった。



「お前、困ってるのか?」



 ライダーであるフルフェイスヘルメットの男が、ニャツキに声をかけてきた。



 男は上に黒のレザージャケットを来て、下にはジーンズを着用していた。



 身長は、180センチを軽く超える。



 ニャホン人としては、かなりの高身長だった。



「えっ? 分かるのですか?」



「顔を見りゃ分かる」



(猫の表情は、


 人よりも分かりにくい気がしますけど……)



「実は、迷子です」



 ニャツキは素直にそう言った。



「俺もシガ県人じゃ無いから、


 そこまで詳しくは無いが……。


 一応、目的地を言ってみろ。


 俺でも分かるかもしれん」



「トレまちに行きたいのです」



「それなら分かる」



「本当ですか!?」



「ああ。


 ランニャーになるために、


 田舎から出てきたのか?」



「人の故郷を、


 田舎呼ばわりはやめてください」



「悪かった。


 実際はどこから来たんだ?


 ナゴヤ? オーサカ?」



「シマネですけど?」



「ド田舎じゃねえか。


 っていうか、シマネって人住んでたんだな」



「住んでるに決まっているでしょう!?」



「ハハ。わるいわるい。


 案内してやるから、ついてこいよ」



「はい!」



 男はバイクを発進させた。



 ニャツキは車道に出て、バイクの後ろに続いた。



 男は迷い無く、道を進んでいった。



 やがて、大型ねこホテルが立ち並ぶ町並みが見えてきた。



 男はバイクを止め、ニャツキに声をかけた。



「あれがトレまちだ」



「懐かしいですね」



「前に来たこと有るのか?」



「はい。


 こうして見ると、感慨深いものが有ります。


 ……最初に目に映るのが、


 ホテルヨコヤマだっていうのは、


 気に入りませんが」



 ホテルヨコヤマは、国内有数の一流ねこホテルだ。



 ホテルの立地も外観も、そこいらのホテルより優れている。



 そのホテルの威容は、どうしても目を引くものがあった。



 ニャツキがただの猫なら、それに見惚れても良かっただろう。



 だがニャツキは、ホテルヨコヤマとは因縁が有る。



 ホテルヨコヤマの健在を見ると、ニャツキは心に棘が刺さったような気持ちになった。



「お前、アンチヨコヤマか」



 顔をしかめているニャツキを見て、バイクの男が尋ねた。



「いけませんか?」



 ニャツキは不機嫌そうに答えた。



「いや。


 すると、あの人も嫌いなのか?


 キタカゼ=マニャ」



「だいっきらいです」



 元から渋かったニャツキの顔が、さらに渋くなった。



「くっくっく。


 そうか。大嫌いか」



 男は愉快そうに笑った。



 ニャツキは正反対の気分だった。



 それで男を睨みつけた。



「何がおかしいんですか」



「お前らくらいの年のネコマタは、


 皆キタカゼ=マニャに


 憧れるもんかと思ってたからな」



「あいにくですが、俺様は違います」



「ま、好きにすりゃ良いさ。


 ところでお前、


 良い走りしてるな?」



 男は唐突に、ニャツキのことを褒めた。



「お世辞ですか?


 ぜんっぜん本気では走っていなかったのですけど?」



 ニャツキたちは、法定速度を守って走っていた。



 その程度では、猫のトップスピードの半分にも満たない。



 それを褒められても、ニャツキは嬉しくもなんとも無かった。



「分かってるさ。


 もし本気なら、


 中型二輪くらい、


 ぶっちぎってもらわなきゃ困る」



「中型?」



「バイク詳しく無いのか。


 ま、女の子だもんな」



「悪かったですね……」



(前世は男ですけど?


 猫に一途だっただけですけど?)



 ニャツキは前世の頃、猫以外のことにあまり興味が無かった。



 同世代の男子たちは、なぜか皆、車やバイクが好きだった。



 ナツキにはそれが理解できず、疎外感を抱いた。



 周囲とのギャップは、ナツキをさらに、競ニャへとのめりこませた。



 男らしくない変わり者。



 ナツキは周囲から、そんな目で見られることになった。



 ナツキはそのことを、後悔はしていない。



 だが、多少のコンプレックスが有ることも事実だった。



「バイクにも色々有るのさ。


 コイツはホ○ダのバイクだ。


 良いだろ?」



「ホン○くらい知ってますけど」



「何にせよ、


 加減して走ってようが、


 分かるもんは分かるもんだ」



「あなた、ひょっとしてトレーニャーですか?」



 ニャツキは男にそう尋ねた。



 バイクの男は、トレまちの位置に詳しく、猫にも詳しい。



 男が競ニャ関係者なのは、ほぼ間違いないだろうと思えた。



「いいや」



「それじゃ、ホテルニャン?」



「違う」



「…………?」



 ニャツキの頭上に疑問符が浮かんだ。



 トレーニャーでもホテルニャンでも無いというのなら、いったい……。



 だが、絶対に答えを知りたいと思うほど、ニャツキは男に関心が無かった。



 ニャツキは男のバイクよりも前に出た。



「……それでは。親切な人。


 どうもありがとうございました」



 ニャツキは礼を言うと、走り去っていった。



「あっ……」



 男はニャツキに右手を伸ばした。



 そのときには、ニャツキと男の間には、大きな距離ができていた。



 男の視界から、ニャツキの姿が消えた。



「せっかちな猫だな。


 口説き損ねた」



 男はそう呟くと、バイクを再発進させた。




 ……。




 ニャツキはトレーニングタウン、トレまちを走った。



 トレまちに来る前と違い、ニャツキの足取りに、迷いは無かった。



 トレまちの道に迷わない程度には、ナツキとしての記憶が残っているようだ。



 ニャツキは小さなホテルの前で、足を止めた。



 小さいと言っても、ホテルの中ではという話なので、高さ7階は有る。



 ニャツキはホテルを見上げた。



(有った……。


 変わってない……ことも無いですが)



 そこは、かつてナツキが、トレーニャーとして雇われていたホテル。



 ホテルヤニャギだった。



 ニャツキの記憶に有るよりも、外装が古びていた。



 だがそれ以外は、以前と変わりないように見えた。



 ニャツキはホテル正面の自動ドアを抜けた。



 猫の姿のまま、ホテルヤニャギに足を踏み入れた。



 ニャツキはホテルのロビーへと入っていった。



「あれ……?」



 ロビーに立ったニャツキは、疑問の声を上げた。



「誰も居ない……?」



 ロビーは無人だった。



 普通なら、ホテルニャンが待機していて、猫の案内などをしてくれるものだが……?



「あのー。


 誰か居ませんかー?」



 ニャツキはホールに響く声で、周囲に呼びかけた。



 すると、カウンターの奥の扉が開いた。



 そこから1人のネコマタが現れた。



 背が高い、オレンジ髪のネコマタだった。



 カウンターテーブルの向こう側から、ネコマタが、ニャツキを見た。



 彼女は穏やかそうな物腰で言った。



「あなたがハヤテ=ニャツキさん?」



「はい。またお世話になります。


 アキコさん」



 そのネコマタの名は、ヤニャギ=アキコ。



 ホテルヤニャギのオーナーで、ミカガミ=ナツキのかつての雇い主だった。



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