その3「ホテルヤニャギとその現状」
「……また?」
ニャツキの言葉の意味がわからず、アキコは首をかしげた。
「いえ。
言葉の綾というやつです」
ついつい、ナツキの時のような気分で話してしまった。
アキコからすれば、意味不明だっただろう。
それに気付いたニャツキは、軽くごまかしてみせた。
そして、別の話を振ることにした。
「それでですね……。
いったいどうしたんでしょうか?」
ニャツキはそう言って、ロビーを見回した。
2人以外には誰も人が居ない、静かで活気の無いロビーを。
「どうって?」
「ホテルニャンの姿が
見えないようですが……」
「あなた、何も知らないのね」
アキコは気の毒そうな声音で言った。
「えっ?」
「キタカゼ=マニャちゃんのことは知ってるわね?」
「はい。まことに遺憾ですが」
「あの子は昔、このホテルに居たのよ」
「それも知っています」
「だったら、
これも知ってるんじゃないの?
もう10年以上も前、
マニャちゃんと、
彼女を担当していたトレーニャーが、
事件を起こしたの」
「ミカガミ=ナツキ」
ニャツキは、前世の自分の名前を口にした。
「そこまで知ってるのね。
……だったら分かるでしょう?
ミカガミくんが
事件を起こしたことで、
彼を雇っていたこのホテルも、
責任を問われることになったのよ。
……とはいっても、べつに、
刑事罰を受けたりしたわけじゃない。
ただ、評判は失われて、
返っては来なかった。
ウチは元から、弱小のホテルだった。
そこに悪評まで付けば、
ウチと契約したいなんてランニャーは、
居なくなってしまったわ。
当時二冠ニャだったマニャさんのおかげで、
あぶく銭だけは有ったから、
潰れずには済んだ」
ねこホテルは、競争ニャとの契約によって収入を得る。
まず、契約したランニャーから、基本的な宿泊代金などを受け取る。
だがこれは、たいした金額にはならない。
ねこホテルの主な収入源は、他に有った。
特に大きなカネが動くのが、レースの賞金だ。
ねこはレースで入着する、つまり上位に入ることで、賞金を手にすることが出来る。
そして、その賞金の幾割かは、契約料としてホテルに入ることになっている。
ねこが勝てば勝つほど、ホテルも儲かる。
だからホテルは、勝つ見込みの有る猫を、全力でサポートする。
そういう仕組みになっている。
かつてマニャは、出場したレースのほとんどを勝っている。
そして、そのうちの2つは、最高級であるSランクのレースだった。
Sランクレースの賞金は、莫大なものとなる。
その何割かは、ホテルヤニャギの収入となっていた。
マニャがもたらした恩恵は、それだけでは無い。
アイドル的な人気が有ったマニャには、取材やテレビへの出演依頼なども有った。
そのマネジメント料も、ホテルの収入となった。
マニャグッズのロイヤリティもホテルに入った。
また、マニャが所属するホテルということで、ホテルへの直接取材なども有った。
さらに、マニャがヨコヤマに引き抜かれる際に、多額の移籍金が支払われてもいた。
たとえ失墜しても、ホテルヤニャギには、金だけは残っていた。
「だけど、ランニャーが居ないホテルなんて、
寂しいものでしょう?
私はスタッフの皆に、
ロクな仕事をあげられなかった。
外注の仕事が少し有ったけど、
それだけ。
ホテルニャンもトレーニャーも、
皆やめていってしまったわ。
今居るスタッフは、
私を除けば、
ホテルニャンが1人だけ。
それにね……。
本当は、私もやめようって思ってたの」
「え……?」
「さすがに、ここまでお客さんが来ないとね。
畳み時かなって……。
そう思ってる時に、
あなたからの電話が来た。
このホテルと契約させてくださいって。
だから、最後にもう1度だけ、
頑張ろうかなって思ったの。
だけど……。
ここまで酷いとは、思って無かったんでしょう?
あなたは」
「……まあ」
ニャツキが想像していたのは、かつてのホテルヤニャギだった。
小さいが、スタッフたちはやる気に溢れ、活気が有った。
良いホテルだと思っていた。
それがこんなことになっているとは、考えていなかった。
歯切れの悪いニャツキに対し、アキコは話を続けた。
「こんなこと言うなんて、
オーナー失格かもしれないけど、
あなたが本気でランニャーを目指すなら、
別のホテルと契約をした方が良い。
きちんとしたトレーニャーが居て、
ホテルニャンが居て、
専用の設備が有る、
一流のホテルと」
「……どうしましょうかね。
それを決める前に、
1つ聞いても良いですか?」
「何かしら?」
「ミカガミ=ナツキのことを、
恨んでいますか?」
「……そうね。
何も思って無いなんて言ったら、
嘘になってしまうのかもしれないわね。
彼が居なかったら、
このホテルは、もっとうまく行っていたかもしれないんだから」
「…………」
かもしれない……という話では無いだろう。
あの事件が無ければ、ホテルは絶対にうまくいっていた。
ニャツキはそう信じていた。
自分さえ居なければ。
そう思ってしまう。
だが、ニャツキもマニャにはめられた側だ。
被害者だ。
好きでホテルを貶めたわけでは無い。
そう訴えたい気持ちも有った。
「だけど……。
私が知ってるミカガミくんは、
女性を襲うような人じゃなかった。
だから……。
私はミカガミくんから、
本当の話を聞きたかった。
何も言わず、
彼は逝ってしまったから……。
私はそれに、怒ってるのかもしれないわね」
「あ……」
ナツキは事件当時、アキコとは話さなかった。
ライセンスの剥奪が原因で、無気力になっていた。
自己弁護をする元気も無くなってしまっていた。
ナツキは黙ってホテルを去った。
だが、アキコは自分のことを、考えてくれていた。
それを知った瞬間、ニャツキの目が潤んだ。
ニャツキの心が固まった。
「……決めました。
俺様は、このホテルと契約します」
「……どうして?
私に同情してくれてるの?」
「いえ。
俺様も、こう思っているからです。
ミカガミ=ナツキは、
女の子を襲ったりはしてないって」
「……ありがとう。ハヤテさん。
だけど、本当に考え直した方が良いわ。
このホテルには、
トレーニャーも居ないのよ?」
「問題ありません。
競ニャに関しては、
そこいらのトレーニャーより
詳しい自信が有りますよ」
「…………」
アキコは哀れむような目を、ニャツキへと向けた。
「アキコさん?」
(居るのよねぇ。
ちょっとレースを見て、
競ニャ雑誌とか、
有名人の本を読んだだけで、
競ニャを分かったようになっちゃう若い子って。
16歳の女の子に、
競ニャの深い所まで
分かるはずが無いのに。
……いけないわ。
ハヤテさんは、とても良い子よ。
良い子だからこそ、
ウチと心中させるなんてこと、
有ってはいけない。
なんとかして、
こんなオンボロホテルは諦めてもらわないと)
アキコは内心で、そう決意した。
「あのね。ハヤテさん」
「ハヤテだなんて他人行儀な。
ニャツキと呼び捨てにしてください」
ニャツキはニコニコと笑っていた。
その笑顔を見るとなおさら、彼女はここに居てはならないと、アキコは思うのだった。
「ええ。ニャツキちゃん。
それでね……」
アキコがニャツキを突き放そうとした、そのとき。
ロビーのエレベーターの扉が開いた。
エレベーターの中から、1人のネコマタが出てきた。
そのネコマタは、ホテルの制服を着用していた。
彼女はアキコの方を見て、口を開いた。
「アキコさん。
2階の清掃、終わった」
「…………!」
ニャツキの目が、見開かれた。
「ありがとう」
ニャツキの様子に気付かず、アキコはネコマタに礼を言った。
そのネコマタは、ニャツキの存在に気付き、アキコに問いかけた。
「その子?
今日からウチで走ることになるのは。
…………どうかした?」
ニャツキの様子がおかしい。
ネコマタは、それに気付き、彼女に問いかけた。
「キタカゼ=ミヤ……!」
ニャツキは、ネコマタの名前を口にした。
そのネコマタは、キタカゼ=ミヤ。
ニャツキを陥れたキタカゼ=マニャの妹。
そして、かつてニャツキがトレーニャーを務めた相手でもあった。
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