その6「調整と対立」
ニャツキは器具の微調整を繰り返した。
少しでも狂いが有れば、トレーニャーとしてランニャーに申し訳が立たない。
妥協を許さずに、気が済むまで調整を続けた。
アキコは自分の仕事をこなすため、ジムから出て行った。
作業を続けるニャツキを、ミヤが見守っていた。
(……良さそうですね)
納得の行く仕上がりになると、ニャツキは調整用の道具を用具入れにしまった。
それを見て、ミヤがニャツキに声をかけてきた。
「終わった?」
「はい。
さっそく使わせてもらおうと思います」
「私も」
「はい。がんばりましょう」
2人でウェイトトレーニングをすることになった。
トレーニングの多くは、1人でもこなすことが出来る。
だが、1人でやるには危険なトレーニングも有った。
お互いの補助を挟みながら、2人はトレーニングをこなした。
ウェイトトレーニングを行いながら、ニャツキは考えた。
(やっぱり、
このホテルにして良かったですね。
俺様がこのホテルを選んだのは、
義理だけの問題ではありません。
トレーニングには、
使い慣れた器具を使うのが1番ですから。
それにどうやら、
他のホテルでは
ウェイトトレーニングは普及していないようですしね)
30分後、ニャツキはトレーニングを切り上げることに決めた。
「このへんにしておきましょう」
ニャツキがそう言うと、ミヤは頷いてみせた。
「うん」
「ところでミヤさん」
「うん?」
「左右の脚のバランスが、
崩れているように思えます。
もしよろしければ、
調整用のトレーニングメニューを
作っておきますが」
「べつに、
そこまでタイムに飢えてるわけでは無いけど……」
「そうですか。
それでは……」
余計なお世話だったかと思い、ニャツキは話を切り上げようとしたが……。
「だけど。
せっかく走るなら、
速い方が気持ち良い。
お願いしようかな」
ミヤにそう言われ、ニャツキは微笑んだ。
「メニューが完成したらお知らせしますね」
「よろしく」
(……本当にナツキみたい)
ミヤは内心で、ニャツキにそんな印象を抱いた。
ニャツキはエレベーターの方へと向かった。
そのとき、ミヤがニャツキを呼び止めた。
「シャワーは使わないの?」
3階には、シャワールームが設けられている。
ミヤはそれを使うつもりだった。
それでニャツキも一緒にどうかと尋ねたのだった。
「はい。どうせ部屋に戻るので、
部屋のシャワーを使おうと思います」
ニャツキはジムに着替えを持ってきてはいなかった。
シャワーの後に、汗の染みた服を着たくはない。
それに、シャワールームを使いたくない理由は、他にも有った。
(ミヤさんと一緒にシャワーだなんて、
恥ずかしいですし)
ニャツキは女子だ。
他人から見ればそうだし、本人も、いまさら自分が男だなどと言うつもりは無い。
だが、彼女の中には、男としての常識が残っていた。
母親以外の女性とシャワールームに入るのは、どうしても抵抗が有った。
中学校の身体測定ですら、居心地の悪さを覚えていたくらいだ。
ナツキだった頃の知り合いと一緒というのは、さらに気まずいものがあった。
「そう。残念」
「えっ?」
「今日はもう部屋で休むの?」
「外に出る予定ですが」
「観光?
それともねこセンターに行くの?」
「いえ。ダンジョンに行く予定です」
「えっ?」
「それでは」
「待って待って待って」
去ろうとするニャツキを、ミヤは強く呼び止めた。
「ミヤさん?」
「本気で言ってるの? 高度な冗談?」
「本気ですけど」
「絶対ダメ。
ダンジョンは危ない所。
怪我をする。
レースを控えたランニャーが
行くような所じゃない」
「リスクは承知の上です。
それでも、
それが1番の方法だと分かっているなら、
それをしなくてはなりません。
そうでしょう?」
「違う……」
「?」
「ナツキは絶対に、
ランニャーをダンジョンに行かせたりはしなかった。
そういうことをさせるのは、
酷いホテルだって言って。
ランニャーは、
体を大事にしなきゃダメだって言って。
私たちのために、
命がけで魔石を集めてきてくれた。
なのに、ナツキのやり方を信じてるあなたが、
どうしてそんな事を言うの?」
「他人を信用したくないからです。
俺様は、
俺様の力で速くなる。
そう決めています。
それにですね。ミヤさん。
理論というものは、改められるものですよ。
特に、出来たばかりの新しい理論はね。
俺様は、ミカガミ=ナツキの理論を、
先に進めたのですよ」
「それはナツキの道の先じゃない。
あなたは道から外れてる。
ナツキが生きてたら、
きっとそう言うはず。
他人を信用しない?
トレーニャーを信頼できないランニャーが、
上に行けるはずが無い」
「信頼していますよ」
「え?」
「俺様は、俺様というトレーニャーを、
信頼しています。
その俺様が言うのです。
『ダンジョンに行け。そして強くなれ』と。
俺様は、その声に従っているだけです」
……猫や人は、『EXP』という力を得ることで強くなることが出来る。
EXPを得る手段は、主に2つ。
1つはダンジョンで魔獣を倒すこと。
もう1つは、魔獣を倒して得られた魔石を、砕くことだ。
吸収効率が良いので、魔石を砕くときは、口の中で噛み砕くのが主流だ。
優良なホテルであれば、将来有望な猫を、ダンジョンに行かせることは無い。
ホテルニャンがダンジョンに行き、魔石を確保してくれるものだ。
だが、今のホテルヤニャギには、ダンジョン担当のホテルニャンは居ない。
それに、ニャツキが目指すのは、ランニャーの頂点だ。
欲しいのは、最高級の魔石だ。
並みのホテルニャンが持ってくるような魔石では、もはや物足りなかった。
強い魔獣を狩り、魔石を食らう。
豊潤なEXPを手に入れる。
ニャツキはそれを欲していた。
そのためには、自分でダンジョンに潜るべきだ。
他人など信用ができない。
ニャツキはそう考えていた。
「ムチャをしていると、
いつか怪我をするよ。ニャツキ」
「リスクは承知の上です。
必要なリターンを得るためのリスクです。
飛行機が落ちるのを怖がっていては、
海外旅行は楽しめない。
それと同じことですよ」
「それは本当に
必要なリスクなの?」
「ではこのホテルは、
トップランニャーが摂取するのと同様の魔石を
毎日用意することができますか?」
「それは……」
ミヤは言葉に詰まった。
最高級の魔石を得るためには、最高級の人材が必要だ。
すなわち、ニャホン最高級の冒険者が。
そんな人材を雇う余裕など、ホテルヤニャギには無かった。
魔石は業者から買うことも出来るが、ホテルニャンを雇うよりも割高になる。
緊急時でも無い限り、そちらの選択肢を取るのは論外だと言えた。
「それが現実です。
ダンジョンに潜るというのは
俺様にとって、
現実に立ち向かう手段なのです。
うわべだけの理想論で、
邪魔をしないでください」
ニャツキはそう言って、エレベーターに去っていった。
「ニャツキ……」
……。
ニャツキは自室のシャワーで軽く汗を流した。
それから猫用の服に着替え、ねこリュックを背負った。
そして猫化した。
ニャツキは猫の姿で部屋を出て、エレベーターで1階に移動した。
「あら。走りに行くの?」
1階で、ニャツキはアキコに出くわした。
「いえ。ちょっとダンジョンに」
「えっ? いけないわ。
ニャツキちゃんみたいな可愛い子が、
ダンジョンだなんて」
(可愛さ関係有ります?)
「すいません。必要なことなので」
「必要なら仕方が無いわね」
「はい。仕方が無いのです」
「けど、もう4時よ?
明日にしちゃダメなの?」
「ちょっと下見をするだけですから」
「……そう?
行ってらっしゃい。
夕食までには帰って来るわよね?」
「はい。行ってきます」
ニャツキはホテルを出た。
「行かせたんだ?」
カウンターの後ろのドアから、ミヤが出てきて言った。
「止める権利なんて、私には無いもの」
「……そうだけど」
ホテルニャンとランニャーは、しょせんは他人だ。
最終的には、ランニャーの意思が優先される。
理屈ではそう分かっていても、ミヤは納得がいかない様子だった。
「私たちは、
私たちに出来ることをしましょう」
「何?」
「夕ご飯の用意よ」
「……………………」
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