その5「ホテルヤニャギとトレーニングジム」




 5分後。



 ニャツキは自身に与えられたスイートルームで、アキコと向き合っていた。



 すでに私服に着替えていて、裸ではなくなっていた。



「人の部屋に無断で入ってくるのは、


 いかがなものかと思いますけど」



 全身を白の衣服で包んだニャツキは、そう言って、たしなめるような表情を作った。



「ごめんなさい。


 普通だったらこんなことはしないのよ?


 ただ、ニャツキちゃんとは、


 初めて会ったような気がしなくって。


 ……このホテルのこと、


 嫌になっちゃった?」



「そんなことは無いですけど」



「ちぇっ」



(確信犯か? この人)



「用が有ったら


 こちらから声をかけますから、


 それまでは放っておいてください」



「はーい」



 アキコは部屋を出て行った。



 ニャツキはテーブル上の荷物へと向き直った。



 さきほど服を出したために、荷物は中途半端に崩されていた。



 ニャツキは崩された荷物の、整理整頓を開始した。



 15分ほどで、荷物は片付いた。



 達成感を感じたニャツキは、窓際に立った。



 そして、窓から外を見た。



 最高の景色……と言えるほど、このホテルは良い位置には無い。



 だがそれでも、高所から街並みを眺めるのは、悪くない気分だった。



(まだ明るいですね。


 夕食までに、


 やれることをやっておきましょうか)



 ニャツキはジャージ姿になり、部屋を出た。



 エレベーターを使い、1階に下りた。



 ロビーに出ると、そこにはアキコの姿が有った。



 ニャツキはアキコに歩み寄り、声をかけた。



「アキコさん」



「何かしら?」



「このホテルって、


 トレーニングジムが有りますよね?」



「ええ。良く知ってるわね」



 ナツキはこのホテルのトレーニャーだった。



 ホテルの設備に詳しいのは、当然だと言えた。



 だが、そのことをアキコに話すつもりは無い。



 適当にごまかすことに決めた。



「テレビで紹介されたことも有ったでしょう?」



 マニャブームの一環で、ホテルが取材を受けたことが有った。



 その時に、トレーニングジムにまでカメラが入ったことが有った。



 ニャツキはそのことを良く覚えていた。



「それって大昔だと思うけど」



 取材が有ったのは、ナツキが生きていた頃の話だ。



 つまり、ニャツキが産まれる前の話ということになる。



 そんな昔のことを、どうしてニャツキが知っているのか。



 アキコはそのことに、違和感を覚えた様子だった。



「使えますか?」



 ニャツキはそのことは気にせずに、話を進めた。



 アキコを言いくるめることよりも、トレーニングの方が重要だ。



 そう考えていた。



「ええ。だいじょうぶだと思うわ」



「機材のメンテナンスは?」



「ミヤちゃんがやってくれてるの。


 私は難しい機械って、


 良くわからなくって」



「ミヤさんが……?」



 ミヤの名前を聞いて、ニャツキは意外そうな顔を見せた。



 ニャツキの記憶の中のミヤは、機械弄りが得意なタイプとも思えなかったが……。



「ちょうど今、


 ジムに居ると思うわ。


 一緒に行きましょうか」



「はい」



 2人はエレベーターを使い、3階へと向かった。



 エレベーターを下りると、すぐにトレーニングジムに出た。



 3階は、その面積の半分以上が、ジムになっていた。



 寝室などは存在しない。



 トレーニングのためだけの階となっていた。



「マニャさん……」



 ジムの一画を見て、ニャツキが呟いた。



 1人の女性が、トレーニング器具で体を鍛えていた。



 ニャツキはそこに、キタカゼ=マニャの姿を見た。



「ニャツキ?」



 女性がニャツキを見た。



(違う……。


 あれはミヤさんだ)



 マニャの幻影が消えた。



 そこに居たのは、マニャの妹であるミヤだった。



「ニャツキもトレーニングに来たの?」



 ミヤはトレーニング器具から離れ、ニャツキに話しかけてきた。



「はい。


 そちらこそ、


 ホテルニャンなのにトレーニングですか?」



 レースに出ないミヤが、地味なトレーニングをしているのが、ニャツキには意外だった。



「レースは嫌いだけど、


 走るのが嫌いになったわけじゃないから」



「なるほど。


 お互いにがんばりましょう。


 ウェイトトレーニングは、


 良い走りをするのに欠かせませんからね」



「その言い方、ナツキみたい」



 ミヤはそう言うと、くすりと笑った。



「そうですか?」



「昔を思い出すわね」



 アキコが口を開いた。



「あの子が、パーティ会場を潰して、


 全部トレーニングジムにしましょうって言ったの。


 マニャさんのために必要だからって。


 ビックリしちゃったわ」



「使い道の無い


 パーティ会場なんかより、


 ランニャーの役に立つ施設が


 有った方が良いでしょう?」



 ミカガミ=ナツキは、当時そう考えていた。



 その考えは、ハヤテ=ニャツキとなった今でも、まったく変わってはいない。



 そんなニャツキを見て、アキコは笑った。



「ふふっ。


 そういう言い方、


 本当にそっくりね。ミカガミくんに」



「そうですか」



 本人だからとは言えず、ニャツキはそっけなく言った。



「それにしても珍しいね」



 ミヤが言った。



「自発的に


 ウェイトトレーニングをしようだなんて。


 ひょっとしてニャツキは、


 ナツキのファン?」



「ファン違います。


 俺様は、あんな負け犬は嫌いです」



「殴るよ?」



 ミヤは真顔で握りこぶしを作った。



 ミヤの顔からは、感情らしきものは感じられない。



 だがその右手は、プルプルと震えていた。



「ナンデ!?」



「ファンじゃないのに、


 どうしてナツキのやり方でやってるの?」



「正しいからですよ。


 正しいことをしない者は、


 ただのバカです。


 ……今の猫たちも、


 ウェイトトレーニングをしないものなのですか?」



 ニャツキは20年近く、業界から離れている。



 今の猫たちのトレーニング事情が気になっていた。



「今の?」



「キタカゼ=マニャは、


 ミカガミ=ナツキからトレーニングを受けて、


 二冠ニャになりました。


 そのトレーニング方法を、


 取り入れようという流れは無かったのでしょうか?」



「アレが二冠を取った頃は、


 そういう流れも有ったみたい。


 だけど、あの事件が有ったから」



「……ああ」



「不祥事を起こしたナツキは、


 クズの烙印を押された。


 結果として、トレーニャーとしての腕も、


 疑われることになってしまった。


 そして、


 ホテルを移籍したアレは、


 このホテルに居た時を超える、


 三冠っていう結果を出して見せた。


 今、ナツキの理論は間違ってたってことになってる。


 だから昔よりも、


 ウェイトトレーニングを重視する猫は、


 少なくなってると思う」



「なるほど。道理で……」



 当時のナツキは、ウェイトトレーニングの重要性を説いていた。



 だが、新しい理論には、反発する者が居るものだ。



 ウェイトトレーニングなど必要が無い。



 そう言ってナツキをバカにする者は、少なくはなかった。



 ナツキはマニャという競争ニャを育てたことで、自身の理論を証明したつもりでいた。



 だが実際は、世間はそうは思っていなかったらしい。



(そういえば、


 前に見たテレビ番組でも、


 俺様は道化扱いでしたね。


 マスコミの偏向報道かとも思っていましたが、


 実際の競ニャ界でも


 俺様の理論は


 そういう扱いなのですか。


 しかし『アレ』って、マニャさんのことですよね?


 あんなに仲の良い姉妹だったのに、


 何が有ったんでしょうか?


 気になりますが、


 今の俺様が立ち入って良い問題では


 無いのでしょうね)



「まあ、周りがどうあろうが、


 自分が正しいと思うことを


 すれば良いだけの話です。


 器具を見させてもらいますね」



 ニャツキはジム内を歩いた。



 そしてそれぞれの器具を、軽く試していった。



「どう?」



 器具の整備を担当しているミヤが、ニャツキに尋ねた。



「それなりに整備はしてありますね。


 たださすがに、いくつかの器具は、


 古くなってきているようです。


 発生する魔導ウェイトと、


 器具が示す数字に


 ズレが有ります。


 調整をした方が良さそうですね」



「……ごめんなさい。


 魔導器のことは詳しくなくて」



 ミヤが申し訳なさそうに言った。



「いえ。


 専門の知識が無いにしては、


 上手くやっている方だと思いますよ」



「明日にでも、


 魔導技師さんを呼んでおくわね」



 アキコが言った。



 それに対し、ニャツキはこう答えた。



「これくらいの調整なら、


 俺様がやっておきますよ」



「そんなこと出来るの?」



「出来るもなにも……。


 いえ。


 ちょっと魔導器をかじっているので」



(俺様が作った機械なんだから、


 整備できて当たり前なんですよね)



「すごいのね」



 アキコはニャツキを称賛したが、次にこう続けた。



「けど、お客様にそんなこと、


 させられないわ」



「たいしたことじゃありませんから。


 特に負担にもなりません。


 任せておいてください」



「……そう?


 それならお願いしようかしら?」



「はい」



 ニャツキが器具を調整することに決まった。



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