その1の2
「マニャさん……!」
ナツキは思わず、マニャを睨みつけた。
「おいおい。止めてくれよ」
マニャの隣に立つ男が、ナツキの敵意を遮るように、口を開いた。
「俺の恋人に、そんな目を向けるのは」
「ヨコヤマさん……!?」
そのときナツキははじめて、男が誰であるかに気付いた。
男は背が高く、脚も長い。
金髪の美青年だった。
身にまとうスーツは、海外の高級ブランドだ。
その男の名は、ヨコヤマ=レン。
国内有数のネコホテル経営者、ヨコヤマ=ジンの1人息子だ。
一般にランニャーは、ネコホテルという宿泊施設に所属する。
そこでトレーニャーやホテルニャンのサポートを受け、万全の態勢で、レースに挑む。
そういう仕組みになっている。
ホテルヨコヤマは、多くの三冠ニャを輩出してきた、名門中の名門だ。
ナツキとレンは、一応は面識が有る。
親しく言葉を交わしたことも、1度や2度では無い。
とはいえ、ナツキは零細ホテルのトレーニャーだ。
対等な友人と言うには、立場に差が有った。
「恋人って……どういうことですか……?」
「分からないか?」
「…………」
「こういうことよ。……ちゅっ」
マニャはレンと、唇を合わせた。
深い口づけをして、マニャはレンから顔を離した。
「…………!」
ナツキは、心が揺さぶられるのを感じた。
マニャに対し、恋愛感情は無い。
恋人を作りたいのなら、好きにすれば良い。
だが、こんな状況でキスを見せ付けられるのは、話が違った。
自分を地獄に落としておいて、何をしているというのか。
バカにされているような気分にもなった。
「それは……知りませんでしたけど……。
だからって……。
どうしてボクを……こんな目に……」
「困るんだよなぁ……」
「困る?」
「ウチのような名門以外から、三冠ニャが出るようなことが有っては、困る。
べつに名門ホテルに所属しなくても、三冠ニャにはなれる。
そんな風に思われてしまっては、
実に、困る。
一流ネコホテルのブランドに、傷がつくからな」
「とはいえ……」
「普通はそんなことは、不可能だ。
一流ホテルと三流ホテルでは、設備や待遇に差が有りすぎるからな。
集まる才能にも、絶対的な差が有る」
「だが……」
「お前というトレーニャーは、規格外すぎた。
マニャという才能を見出し、限られた予算で、彼女を磨き上げた。
そして、彼女を二冠ニャにしてしまった。
驚くべきことだ。
恐るべきことだ。
奇跡のように。
次のねこ竜杯も、おそらくはマニャが勝つだろう。
三流ネコホテルから、初の三冠ニャが誕生だ。
実に実に……。
困る。
……だから俺は、お前を潰すことにしたんだ。
マニャと協力してな」
「マニャさん……。
信頼していたのに……」
「ごめんなさい。トレーニャーさん。
……けどね、私が欲しかったのは、信頼なんかじゃ無いの。
……愛なの。
それじゃあさようなら。トレーニャーさん」
マニャは、ナツキに背を向けた。
そしてレンと共に、面会室から去っていった。
「……………………」
ナツキは独り、面会室に残された。
……。
その後、続けて面会が有った。
面会室に、少女が入って来た。
その顔も、ナツキにとっては見慣れた顔だった。
「ナツキ」
少女が口を開いた。
その声は、マニャに良く似ていた。
青髪の、ショートカットの少女が、ナツキの向かいに立っていた。
彼女の名は、キタカゼ=ミヤ。
憎きマニャの妹。
ナツキが担当する、ランニャーの卵でもあった。
「ミヤさん……」
「周りの連中は、ナツキがねえさんに酷いことしたって言ってる。
……けど、そんなの嘘だよね?
……いったい何が有ったの?」
「何が……?」
他人事のようなミヤの言葉に、ナツキは苛立ちを隠せなくなった。
「全部……あなたの姉のせいでしょうが……!」
「どういうこと?」
「あの女が……! ボクを陥れたんですよ……!」
「ねえさんが? そんなはずは……」
「信じないなら、好きにしてください。けど……。
あの女の味方をするなら、出て行ってください」
「ナツキ……」
ミヤは心配そうに、ナツキの名を呟いた。
マニャの仲間の声だ。
そう思えば、それすらが不快だった。
「出てけよっ!」
ナツキは、普段には無い荒々しさで、ミヤを怒鳴りつけた。
「…………。
ねえさんに、話を聞いてくる」
ミヤはそう言って、面会室から去った。
その後、2人が再会することは無かった。
……。
2日後。
ナツキは留置場から、釈放された。
ナツキの容疑は、ちょっとした騒ぎになっていた。
ナツキがマニャに暴行したという記事が、週刊誌に載せられた。
マニャには人気が有った。
無名の弱小ネコホテルからデビューし、競ニャ界のスターへ。
彼女は、そんな偉業を成している。
その影に、ナツキの尽力が有ったことなど、世間の人々は知らない。
マニャというスターには、大勢のファンが居る。
ゴールデンタイムのテレビCMに、出演したことすらある。
そんな彼女に暴行したとなれば、世間が黙ってはいない。
騒ぎは大きくなり、テレビのニュースにまで取り上げられた。
ナツキは悪い意味で、時の人となってしまった。
マスコミに顔をさらされ、道を歩けば後ろ指をさされる。
そんな存在になってしまった。
そして……。
ナツキはNRA、『ニャホン中央競ニャ協会』の、本部に呼び出された。
本部ビルの理事長室で、ナツキは理事長と対面した。
「まったく、困ったことをしてくれたね」
50歳ほどの、スーツ姿の男が、眉をひそめて言った。
男の名は、イザエモン。
NRAの理事長だ。
「我々が、競ニャにクリーンなイメージを持たせるために、
どれだけ苦心していることか……。
そこに担当ニャへの性暴行など……。
前代未聞の不祥事だよ。これは」
「ボクは……やってません……!」
「小悪党は、皆そう言うよ」
「本当にやってないんです……!」
「それを証明できるかね?」
「それは……」
「私はね、警察の方にもコネが有るんだ。
それで聞いたんだがね。
今のままだと、君の有罪は、ほぼ確実らしいよ。
そんな男のことを、誰が無実だなどと思うだろうね?」
「……そして何より」
「こんな醜聞を、もたらすだけの隙を作ったということ自体が、
何よりも罪深い。
……理事長権限によって、君のトレーニャーライセンスを剥奪する」
「っ……!」
ナツキは息をのんだ。
ライセンスがなければ、中央競ニャでネコマタを育てることはできない。
トレーニャーとしてのナツキは、ここで終わりだった。
そしてナツキにとって、それは人生の全てだった。
「ライセンスの再発行は、無い。
君は、中央競ニャ界から、永久追放されるということだ。
……地方のネコマタの世話でもして、余生を過ごすんだね」
……。
なすすべも無く、数日が経過した。
やがて、ニャホン競ニャ最高タイトルである、ねこ竜杯の日が来た。
本来であれば、ナツキは競ニャ場で、レースを見守っているはずだった。
だが、今のナツキには、その資格は無い。
ナツキは場末の安酒場で、テレビ中継で、レースを見ていた。
(勝ってくださいよ……)
ナツキは死んだような目で、酒場のオンボロテレビを見つめていた。
カメラの先で、マニャがコースを走っていた。
すでに、ねこ竜杯の本番は、始まっていた。
共に走るネコマタたちは、いずれも名の知れた強豪たちだ。
だが、先頭を走るマニャの走りは、非常に軽快だ。
ナツキと二人三脚で作り上げた、最高の走りだ。
マニャは勝てる。
ナツキはそう確信した。
(あなたのせいで、ボクは全てを失ったんです。
……せめて……せめてボクに……。
三冠ニャのトレーナーという、最高の栄誉を……)
願いと共に、ナツキはマニャをみつめた。
マニャは先頭を走ったまま、ゴールに近付いていった。
勝てる。
間違いなく勝てる。
ナツキはそれを疑わなかった。
だが……。
「おーっと! 先頭、キタカゼ=マニャが失速!
ゴールを目前にして、脚が尽きてしまったかーっ!?」
突然に、マニャが失速した。
レース終盤でのスタミナ切れは、ネコマタにとっては、よくあることだ。
実にありふれた光景でしかない。
だがナツキには、テレビの中の光景が、信じられなかった。
(そんなバカな……!
マニャさんのスタミナが、こんな程度で尽きるはずが……)
マニャの実力は、この程度では無い。
ナツキは、マニャの復活を信じた。
だが……。
マニャの脚が、蘇ることは無かった。
後続のネコマタが、先頭のマニャに迫った。
そして……。
「カミジョー=ミミの末脚がッ! キタカゼ=マニャを抜き去ったーッ!
1着はカミジョー=ミミ! 二冠ニャのキタカゼ=マニャは2着!
惜しくも、キタカゼ=マニャの三冠はならず!
カミジョー=ミミが、意地を見せてのねこ竜連覇!
ねこ竜の栄冠は、カミジョー=ミミにほほえみました!」
気合のこもった実況の声が、ナツキには、実に寒々しく聞こえた。
キタカゼ=マニャは、ねこ竜杯に破れた。
それだけが、ナツキにとってのドライな現実だった。
「マニャさん……。
あなたは……。
ボクの最後の願いすら……叶えてはくれないんですね」
ナツキの手のひらには本当に、何一つ残らなかった。
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