その19「乙女回路と重量あげ」
「でも……」
「俺様は、
あなたよりもずっと速い猫です。
その俺様が、
ウェイトトレーニングは正しいと言っているのですよ?
ちょっとは信じてくれても
良いのではないですかね?」
「ただの才能では?」
ニャツキの説得に対し、リリスはそう言った。
リリスに勝ったニャツキの走りは、凄まじかった。
凡庸な猫が、トレーニングの力だけで、あれほどの次元に到れるものか。
リリスにはそれが疑問だった。
対するニャツキも、才能の存在を否定はしない。
生まれつきの能力の差というものは、どうしても存在する。
努力次第では、才能で劣る者が、天才に勝つことも有る。
だが、努力とは万能の魔法では無い。
輝きを秘めた原石でなければ、磨くこともできない。
石ころが宝石に勝つことは無い。
生まれ持った翼が無ければ、飛ぶことはできない。
ニャツキはドライにそう考えていた。
そしてニャツキは、自身に才能が有ることも自覚していた。
それでこう言った。
「まあ、俺様は天才ですけど」
「やっぱりダメだああぁぁぁ!」
「落ち着きなさい。
本当にダメだったら、
呪っても良いですから」
「……いっぱい呪いますよ?」
リリスは上目遣いで言った。
物騒な言葉を口にしていなければ、じつに可愛らしい。
「好きにしてください」
ニャツキはリリスの言葉を受け流すように言った。
次にリリスが口を開いた。
「……あのですね。
ニャツキさん。
私は実は、ウェイトトレーニングを
試してみたことが有るのです。
……だけどその時は、
全然速くなんてなれなかったのです」
リリスはウェイトトレーニングに対し、無関心だったわけでは無いらしい。
だが、実際に試してみても、望むような結果は得られなかった。
それで不信感を強めてしまったようだった。
(正しいトレーニングをすれば、
まったく効果が出ないということは
無いはずですが……)
どうしてウェイトトレーニングの効果が出なかったのか。
ニャツキには、心当たりが有った。
それでこう尋ねた。
「ひょっとしてですけど……。
その時あなたは、
人間用の器具で
トレーニングをしたのでは無いですかね?」
「えっ? そうですけど。
どうして?」
どうやら正解だったようだ。
事実を言い当てられて、リリスは驚いた様子を見せた。
「お……ミカガミ=ナツキが発明した
魔導ウェイトは、
あまり世の中には
出回っていないようですからね」
「……魔導ウェイトって、
そんなに違うものなんですか?」
「当然です」
ニャツキは断言した。
「あなたはウェイトトレーニングをした時に、
こう感じたのではないですか?
『思ったより軽い』と」
「……はい」
「世間に出回っている
普通のトレーニング器具は、
冒険者ですら無い
生身の人間を
対象にしたものです。
一方、猫というのは生まれつき、
初級冒険者くらいの体力は
有るものですから。
いくら設定をきつくしても、
すぐに体が慣れてしまうのですよ」
「ですが、まったく疲れなかったわけでは無いですよ?」
「それは、
同じトレーニングを
長時間続けた結果ですよね?」
「はい。それが?」
「ウェイトトレーニングというのは、
そんなに長くやるものでは無いのです。
長くやって疲れたなどというのは、
マラソンをやっているのと変わりませんから。
それなら外を走り回っていれば良い。
正しいウェイトトレーニングでは、
強大な負荷を、
短時間でかけなくてはならないのです。
魔導ウェイトであれば、
猫ですら強い負荷を感じるだけの
ウェイトをかけることが可能です」
「するとどうなるんですか?」
「当然、体が強くなります」
「ひょっとして、
ボディビルダーの人みたいに
なってしまうのでしょうか?
あまり見た目が変わるのはちょっと……」
女子の多くは、スラリとしたモデル体型に憧れるものだ。
そのために、無理なダイエットに手を出したりする子も居る。
リリスは筋肉ダルマのような体型を、望んではいないらしかった。
「心配しないでください。
ネコマタは、体を鍛えても、
男の人のように
膨らむことはありません。
これはネコマタが
身体能力の多くを、
魔力によっていることが理由です。
ネコマタが筋力トレーニングをすると、
筋肉よりも
身体強化の魔力が強化されていくのです。
おかげで見た目はそのままで、
強くしなやかな肉体になっていくのですね」
「……本当ですか?」
「はい。俺様を見てください。
俺様は毎日のように、
高負荷のトレーニングをこなしています。
ですが、すらりとしているでしょう?」
「……はい。
とても……お美しいですね」
「えっ? ありがとうございます。
……さて、
それではトレーニングを始めましょうか」
「わかりました。
精一杯、頑張ってみます。
それでダメだったら、
あなたを呪います」
「はいはい」
「『はい』は1回ですよ。先生」
「先生?」
妙な呼び方をされ、ニャツキは疑問符を浮かべた。
「おかしかったですか?
それならトレーニャーさんで」
懐かしい呼び方だ。
ニャツキはそう思って、妙な心地になった。
ナツキをそう呼んでいたのは、キタカゼ=マニャだ。
今ではもう、仇のような相手だ。
だが、彼女と夢に向かっていた時期こそが、ナツキの黄金期だった。
人生で最も楽しい時間だった。
その事実が、ニャツキを複雑な気持ちにさせるのだった。
「まあ何でも良いですけど」
ニャツキは動揺を表に出さないように、無表情で言った。
「はい。トレーニャーさん」
「まずはこちらへどうぞ」
そう言って、ニャツキは器具の1つを指し示した。
「これは……重量あげですか?」
リリスが尋ねた。
その器具は、低い台の上にバーベルが設置されているという、シンプルな形状をしていた。
ただしバーベルのプレートには、魔石が埋め込まれており、ただの鉄の塊では無い。
「はい。
バーベルトレーニングの代名詞、
ベンチプレスですね。
事故が多いトレーニングなので、
かならずトレーニャー同伴でおこなってください。
まあ、あなたのトレーニングメニューは
俺様が管理するので、
1人でトレーニングするということには
ならないと思いますけどね。
それでは、台に寝転がってください」
「はい」
リリスは指示通りに、ベンチプレスの台に寝転がった。
「見てください」
ニャツキの指が、バーベルのプレートに有る、入力用の小型魔石を指差した。
「ここから数値を入力することで、
重量を調整できます。
普通のバーベルの
数十倍の重さにすることが
可能ですよ。
では、実際にやってみますね」
ニャツキは入力用魔石に触れた。
ニャツキが数字を入力すると、空中に、光る文字で、設定重量が表示された。
「これで設定完了です」
「あの、重さはどうやって決めてるんですか?」
「俺様の感覚です」
「えぇ……?」
カガクテキなトレーニングなのではないのか。
雑なニャツキの言葉を受けて、リリスは困惑した。
「相手を見れば、
大体の数字は分かりますね」
「どれくらい重くしたんですか?」
「たいしたことはありませんよ。
あなたはまだ初心者ですからね。
ちゃんと無理の無いように、
軽めに設定してありますよ」
「ちなみに、具体的な数字は」
「923キログラムですね。
ドーピング無し、
クラスの加護無しの
男子の限界の、
ほんの3倍くらいです」
「3倍……」
ニャツキの言葉を聞いて、リリスの表情が渋くなった。
「軽いものでしょう?
手はこの位置。
肩幅より、少しだけ広く。
握り方はこうして。
肩甲骨は締めるようにして、
足はしっかりと地面を踏んでください。
はい。それで良いです
さあ、まずはラックから、
バーを外してみてください」
「う、うーん……」
バーベルを持ったリリスは、重さに苦しむような声を上げた。
わざとらしい声だった。
「リリスさん?」
「ワタシ、
か弱い女の子なので、
あんまり重い物は持てないなーって」
乙女回路を発動させたリリスに、ニャツキは極寒の視線を向けた。
「マジメにやれ」
「アッハイ」
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