その18「評価と評価」




「はああああああぁぁ!?」



 ニャツキは怒声を上げた。



 ニャツキにとって、最速であることが、自身の存在意義だ。



 最強で無ければ、自分がここに居る意味は無い。



 そう思ってしまっている。



 自分より速い猫の存在など、認められるわけが無かった。



「どこのどいつですか!?


 俺様が勝てない猫っていうのは!


 そいつをここに連れて来てください!


 白黒つけてさしあげますよ!」



 平静さを失ったニャツキは、そうまくし立てた。



 対するヒナタは、平静そのものだった。



 ニャツキのプライドなど、どうでも良い。



 そう思っているようだった。



「そいつは無理だ」



 ヒナタは落ち着いた声で言った。



「どうしてですか?


 俺様の走りに怖気づいたのですか?」



「あの人は、


 もうコースには立たないから」



 そう言ったヒナタは、さきほどと同様に、どこか遠くを見ているようだった。



「なんだ。引退した猫ですか。


 おばあちゃんを虐める趣味は


 ありませんからね。


 見逃してさしあげましょう。


 それにどうせ、


 俺様より速かったというのも、


 あなたの思い違いでは無いですか?


 思い出補正というやつです。


 思い出の中のモノというのは、


 なんでも良く見えるものですからね」



「思い出補正なんかじゃねえさ。


 あの時の走りに、


 おまえは勝てねー」



「む……。


 口でなら何とでも言えます。


 そいつが俺様と


 勝負をしないというのであれば、


 俺様の不戦勝です」



「勝手にそう思っとけよ」



「思うもなにも、真実ですから」



「はいはい」



 ヒナタはニャツキを相手にしなかった。



 彼女が何を言おうが、自分の中の真実は揺るぎ無い。



 そう思っている様子だった。



 そしてそれは、ニャツキにとっては、気に食わないことだった。



「ぐぬ……。


 おまえは俺様が、


 遅い猫だと言うのですか?


 レースで勝てない猫だと」



「そうは言ってねーよ。


 おまえは速いよ。


 今すぐ上に行っても、


 それなりに勝ちはするだろうさ」



 ニャツキの脚の非凡さは、競ニャ関係者であれば、誰もが認めるところだろう。



 ヒナタもそれを否定することは無かった。



「でしょう?」



 ヒナタの言葉を受けて、ニャツキは調子を取り戻したらしかった。



 彼女は勝ち誇ったように言った。



「ふふん。


 分かれば良いのです。分かれば。


 おまえを勝たせてあげますよ。


 多少の恩は有りますからね。


 道案内のことですよ?


 なので、実績をプレゼントします」



「そいつはどうも」



「もう上がりませんか?


 俺様が、


 新ニャ戦で負けるような猫では無いと


 分かっていただけたと思いますから」



「そうだな」



 ハヤテ=ニャツキは速い。



 よほどの事でも無い限り、地方レースくらいなら余裕で勝つだろう。



 ヒナタにも、それを疑うそぶりは見えなかった。



 ふつう人は、負けるのを嫌うものだ。



 勝ちたいと願うものだ。



 速い猫に乗れば、勝てる。



 実力の有る猫との出会いは、ジョッキーにとって、喜ぶべきモノのはずだ。



 だが、ヒナタの表情からは、負けないことに対する安堵すら、読み取ることはできなかった。



 ヒナタは内心で、こう考えていた。



(おまえは速い猫だ。


 だけど……。


 もしおまえが三冠を取るような猫だったとしても、


 おまえの走りの先に、


 俺が見たい風景は無い)



「にゃふふ」



 ニャツキはヒナタが目指す風景を知らない。



 ヒナタが自分の実力を認めた。



 ただその事だけに気分を良くし、にゃこにゃこと微笑んでいた。



「俺の方はどうだった?」



 ヒナタがニャツキに尋ねた。



「どうとは?」



「走ってて、


 何か問題とかは感じなかったか?」



「べつに。


 操猫を抜きにして


 おまえを採点すれば、


 80点といったところでしょうか」



 前を見て走るランニャーは、どうしても視野が狭くなる。



 ランニャーに代わって周囲を見て、ペース配分をしながら、最適なルートを選び出す。



 その観察眼が、ジョッキーの重要な資質の1つだ。



 だが、今回のルート選びは、ニャツキの意志で行われていた。



 ヒナタがやったことと言えば、ただ呪文を唱えただけだ。



 それに今回は、競い合う猫など居なかった。



 そんな状況では、高度なレース勘などは必要とされない。



 ただ最短ルートを走っていれば、それで足りてしまう。



 そして、ペース配分が必要なほど、ニャツキは全力を出してはいない。



 たとえヒナタが操猫しても、この状況でジョッキーとしての真価を測るのは、難しかった。



 とはいえ、ただ走るだけでも、分かることは有る。



 ニャツキは自分に判断できた範囲で、ヒナタを評価してみせた。



「それって高いのか? 低いのか?」



「低いですよ」



 ニャツキは断言した。



 お世辞などを言うつもりは、微塵も無いらしい。



「魔力量は多いようですが、


 やはり身長がネックになっていますね。


 風除けのバリアに、


 人より多くの魔力を


 消費しているようです。


 そのせいか、身体強化が十分ではありませんね。


 とはいえ、恥じるような事でも


 無いと思いますよ。


 最上位のジョッキーに勝つのは難しくとも、


 A級レースまでなら


 十二分に通用するでしょう。


 背が低いだけの有象無象よりも、


 おまえは優れていると言えます。


 きちんと力を見せることが出来れば、


 ジョッキーとして食べていくことは


 可能だと思いました」



「……そうか」



 話を終えると、ニャツキはリリスの方へと向かった。



「リリスさん。


 もう上がることにします」



「お疲れ様でした。


 ニャツキさん」



「どうでしたか?


 はたから見ていて


 俺様の走りは」



「凄かったです。


 けど……」



「けど? 何ですか?」



「いえ……」



(物凄く速かったのに、


 なんだか物足りなさを感じたのは……


 いったいどうしてなのでしょうか……?)



 リリスがその疑問を、表に出すことは無かった。



「なんでもありません。


 ホテルに戻りますか」



「はい。そうしましょう」



 そのとき、ヒナタがニャツキから下りた。



 ニャツキの背中から、ずっしりとした重みが消えた。



 ヒナタはニャツキに背を向けて言った。



「俺はスカウトに行く。


 じゃあな」



「ご自由に。


 レースの日を忘れないでくださいよ」



「分かってる」



 ニャツキはヒナタと別れ、女子更衣室に向かった。



 そして、リリスに鞍を外してもらい、人状態に戻った。



 着替えを済ませたニャツキは、更衣室から出た。



 そのときニャツキは、男子更衣室の方をちらりと見た。



 そこにヒナタの姿は無かった。



 ジョッキーの着替えは、猫よりも早い。



 きっともう、先に行ったのだろう。



 ニャツキはリリスと一緒に、練習場の出口に向かった。



 途中、駐車場が有ったが、そこにはやはり、ヒナタのバイクは無かった。



 2人は練習場の敷地を出た。



 そして車道を走り、ホテルヤニャギに帰った。



「2人とも、お帰りなさい」



 ホテルに入った2人を、アキコが出迎えた。



「はい」



「ただいま帰りました」



「ジョッキーさんとの合わせはどうだった?」



「バッチリでしたよ」



 ニャツキはそう答えた。



 実際は、とても円満だとは言えなかった。



 だが、結局はヒナタも、自分の実力を認めたはずだ。



 レースには勝てる。



 あの実績皆無の男を、自分が勝たせてやる。



 それはお互いにとって、得になるはずだ。



 だから、これで良い。



 ニャツキはそう思っていた。



 一拍置いて、リリスが口を開いた。



「…………。


 あの、ヤニャギさん」



「何かしら?」



「ホテルを移籍したので、


 ホテル専属のジョッキーさんと、


 デビュー戦で


 走れなくなったのですが、


 代わりのジョッキーさんを


 紹介していただけませんか?」



「ええ。もちろん」



「ありがとうございます」



 リリスはアキコに礼を言うと、ニャツキに話しかけた。



「ニャツキさん、


 これからどうしましょうか?」



「トレーニングを始めましょう。


 トレーニングウェアに着替えて、


 ここの3階まで来てください」



「人ですか? 猫ですか?」



「人状態でお願いします」



「わかりました」



 リリスは自室に戻り、ジャージ姿に着替えた。



 そして3階へと向かった。



 そこには既に、ニャツキの姿が有った。



「お待たせしました」



「いえ。俺様も今来たところです」



「あの、ここは……?」



 リリスが、広々とした3階を見回して言った。



 そこには、どこかで見たような器具が、ずらりと並べられていた。



「トレーニングルームですが?」



「あの機械たちは……?」



「ウェイトトレーニング用の魔導器です」



「だ……騙されたあああああぁぁぁぁっ!」



 リリスは叫んだ。



 まさか……!



 ウェイトトレーニングだなんて……!?



「騙してませんが!?」



「ウェイトトレーニングと言ったら、


 間違ったトレーニングの代名詞でしょう!?」



「そんなことはありません。


 ウェイトトレーニングこそが、


 正しいトレーニングの代名詞です」



「信じてたのに……」



 リリスは絶望で濁った瞳を、ニャツキへと向けた。



「勝手に人を


 嘘つき呼ばわりして、


 勝手に落ち込まないでください」



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