その12「傲慢と辛辣」





「たった1回だなんて、


 気楽に言ってくれますね」



 ニャツキは冷たく言った。



「デビュー戦は、全ての猫にとって、


 たった1回しか無いんですよ?


 それを軽んじるような事を言うあなたを、


 猫が信頼するとでも思っているのですか?」



「それは……」



 ニャツキの言葉に思うところが有ったのか、男の表情が暗くなった。



「だったら……。


 俺はなんて言えば良かったんだよ……」



「なんて言おうが、


 おまえみたいな怪しいジョッキーに


 背中を預ける猫なんて、


 よほどの物好きしか居ませんよ」



「っ……」



「けどまあ、良いでしょう」



「え……?」



 男は目を見開いた。



「俺様はおまえのことを、


 1ミリも信用してはいません。


 ですが、1回くらいなら、


 お前を乗せてあげても良いですよ」



「本当か? どうしてだ?」



「俺様は、誰を乗せていても勝つからです」



「はあ?」



 ニャツキの言い草に、男の表情が歪んだ。



「俺様は、宇宙最速ですから。


 ちょっとジョッキーが未熟なくらい、


 問題にはならないということです。


 勝たせてあげますよ。


 あなたを」



 ニャツキの表情からは、優越感のようなものが感じられた。



 困っている男に、手をさしのべてやった。



 自分は良い事をしている。



 そんなふうに思っているのだろうか。



 だが……。



「……やめだ」



 男はさきほどまで、期待まじりの表情を、ニャツキに向けていた。



 それが休息に冷めた。



 男の目の色からは、ニャツキへの興味が消えうせたように見えた。



「えっ?」



 そんな男の言葉は、ニャツキにとっては、意外なものだったらしい。



 ニャツキは疑問の声を上げた。



 疑問符を浮かべるニャツキに、男はきつい口調で言った。



「わからねえか?


 おまえには乗らないって言ってんだよ」



「っ! どうしてですか……!?」



 せっかく助け舟を出してあげたのに、どうしてそんなことを言うのか。



 ニャツキにはふしぎでならなかった。



 そんなニャツキに対して、男は怒りのこもった目を向けていた。



「最高の走りを実現するには、


 ジョッキーとランニャーの


 信頼関係が不可欠だ。


 それを、おまえは何だ?


 人をお荷物みたいに言いやがって。


 ジョッキーを見下すような猫と組んで、


 マトモな仕事が出来るかよ。


 俺はジョッキーになるために


 トレまちに来たんだ。


 お荷物になりに来たんじゃねえぞ」



 男はジョッキーとしてのプライドを、傷つけられた様子だった。



 この男が、とくべつ狭量なわけでは無い。



 誰でも良いなどと言われて、平気でいるジョッキーは少ないだろう。



 男の反応は、ジョッキーとして、至極まっとうだと言えた。



 侮辱されたから怒った。



 当然のことだった。



 おごったニャツキの言葉が、男を怒らせていた。



 ニャツキの前世、ミカガミ=ナツキは、ここまで傲慢な人間では無かった。



 だが、ナツキは壊れ、砕けた。



 家族の愛はニャツキを癒やしたが、限界は有った。



 ニャツキにはまだ、欠けた部分が有る。



 ナツキが当然にできていたことが、ニャツキにはできない。



「っ……」



 男の怒りを正面から受けて、ニャツキは気圧された様子を見せた。



 だが、なんとか口を開き、男に言い返した。



「あ……あなたに経験が無いのは


 事実でしょう?」



「それはそうだ」



 男は怒りの感情を残したまま、ニャツキの言葉に同意した。



 そして言葉を続けた。



「けどな、おまえは1度も


 俺を乗せたこともねえ。


 腕を見ず、経歴だけを聞いて、


 俺を下に見やがった。


 そんな奴と、


 組みたいなんて思うかよ」



「う……。


 気に障ったのならすいません。


 ですが……」



 ニャツキは言葉を続けた。



「おとなしく俺様と組んだ方が、


 おまえのためだと思いますけど?


 さっきのようなやり方で、


 うまく行くとも思えませんが」



「うまく行くまでやるさ」



「その根性は買いますけどね。


 あのようなやり方では、


 いつか警察の


 ご厄介になるかもしれませんよ?」



「警察が怖くて


 ジョッキーができるか」



「できますけど!?」



「……うるせえな。


 用が無いならどっか行けよ」



「むぅ……。


 本当に行ってしまって良いのですか?


 最後のチャンスになるかもしれませんよ」



「知るかよ。消えろ」



「後悔しても知りませんからねー!」



 ニャツキはぷんぷんと去っていった。



 男からすれば、ニャツキに乗るという選択肢は、もはやありえない。



 パートニャーに選ぶには、最低の相手だ。



 何の未練も無い。



 呼び止めるポーズすら見せなかった。



 ニャツキはちらりと、男の方へ振り返った。



 彼の視線はニャツキを追わず、どこか別の所を見ていた。



「っ……!」



 行ってしまっても良いのか。



 最高のランニャーである自分を、こうも簡単に手放すのか。



 ニャツキの顔が、苛立ちで真っ赤に染まった。



 ニャツキは地面を強く踏みながら、男から遠ざかっていった。



 ねこセンターの前には、男1人が残された。



 男は険しい表情で、小さく強く呟いた。



「……絶対に見つけてやる。


 俺だけのベストパートニャーを」




 ……。




 男との話が決裂したニャツキは、ホテルヤニャギに帰還した。



 彼女はロビーに入ると、まっすぐにアキコの所へ向かった。



「アキコさん。アキコさん」



 拗ねと焦りが混じったような声で、ニャツキはアキコに話しかけた。



「あら。お帰りなさい。ニャツキちゃん」



「あのあの、ウチのホテルって、


 ジョッキーが居ませんよね?」



「そうね」



「どうしたら良いでしょうか?」



「心配しなくても良いのよ。


 私の知り合いの


 フリーのジョッキーさんが居るから、


 その人たちにお願いすれば良いわ」



 ミカガミ=ナツキの事件によって、ホテルヤニャギの評判は地に落ちた。



 だがアキコ個人には、まだ人脈が残っていたらしい。



「良かった……」



 ニャツキは安堵を見せた。



「それでは、さっそく紹介をお願いできますか?」



「ええ。あさってにでも


 ホテルに来てくれるように連絡しておくから、


 予定を空けておいてちょうだいね」



「はい。


 …………。


 あさって?」



「ええ。


 もう予定が入っちゃってたかしら?」



「そうではなく……!


 今日お会いすることはできませんか……!?」



「どうして?」



「それは……」




 ……。




 ニャツキはアキコに事情を説明した。



 今日中にジョッキーが決まらなければ、土下座をすることになってしまう。



 そう言ったのだが……。



「……ダメよ。ニャツキちゃん。


 フリーでジョッキーをしている人たちというのはね、


 中央で実績を上げた、


 ベテランの方が多いの。


 地方のデビュー戦を


 走って欲しいというだけでも、


 不釣合いなお願いなのよ。


 それを、子供のケンカのために、


 今すぐに来いだなんて、


 そんな失礼なことはできないわ」



「……なんとかまかりませんか」



「まかりませんね」



「このままだと、


 俺様土下座コースなのですが」



「良いじゃない。土下座くらい。


 青春の1ページよ」



「そんな青春は嫌です!?」



「自分がまいた種でしょう?」



「そうですけど。


 被害に遭うのは


 俺様だけでは無いのですよ?


 いたいけな新人ランニャーが


 土下座をするようなことになっても


 良いのですか?」



 自身の土下座回避のため、ニャツキはリリスを引き合いに出した。



 すると、アキコはにこりと微笑んで言った。



「仲間が居て良かったわね」



「意外と辛辣ですねこの人!?」




 ……。




 ねこセンター前。



 銀髪の男が、猫へのスカウトを続けていた。



「どうしてもダメか?」



「ごめんなさい。


 もう決まってることなので……」



 ネコマタはそう言って、男の前から去っていった。



「ダメか……」



 何度目かの失敗に、男は肩を落とした。



 そのとき……。



「まだやっているようですね」



 男の後ろから、ニャツキが声をかけた。



 男はニャツキへと振り返り、うんざりしたような視線を向けた。



「おまえか。


 何しに来た?


 俺を笑いに来たか?」



「そこまで捻くれてませんよ」



「なら良いが。


 ねこセンターに用事か」



「いえ。


 おまえに話が有って来ました」



「話?」



「はい。


 俺様と……一時的に手を組みませんか?」





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