その36「包囲と思考空間」




 スタートダッシュに成功したリリスは、レースの先頭を走っていた。



(えっ……?


 私が先頭……?)



 リリスは驚きと共に、ちらちらと左右を見た。



(お姉さまの姿が無い……?


 どうして……?)



(余計なことをしないの!


 後ろを見るのは


 ランニャーの仕事じゃないわ!)



 減速の原因を作ったリリスを、念話でシャルロットが叱りつけた。



(っ……! すいません……!)



 リリスはすぐに気持ちを切り替えた。



 リリスの迷いは、ほんの一瞬のものだった。



 だが、レース場での一瞬は、外界の一瞬とは重みが違う。



 2頭の猫が、リリスの左右に並んだ。



「余所見っスか?


 たいした余裕っスね!


 勝たせてもらうっスよ!


 あねさんのためにも!」



「腑抜けてるなら、


 このまま抜き去らせてもらう」



 リリスの左右に並んだ猫は、ムサシとコジロウだった。



 負けられない相手だ。



 サクラにパワーレベリングを受けた成果が出ているのだろう。



 2人の走りは、他の猫たちより鋭かった。



「っ……! 負けません」



 リリスは闘志を燃え上がらせた。




 ……。




 先頭集団が、最初の直線を走り終え、コーナーを右に曲がっていった。



 最初のコーナーは、角度70度ほどだった。



 その次に、20度ほどの緩やかなコーナーが有る。



 さらに進むと140度近い急コーナー。



 次に120度ほどの左カーブを曲がると、ほぼ直線の、緩やかなカーブに出る。



 コーナリングの腕が如実に出る、気の抜けないエリアだった。



 リリスの走りは、シャルロットの操猫のおかげで好調だった。



 無事にトップを維持して、難関エリアを抜けていった。



 ……そんなリリスたちよりも遥か後方。



 ニャツキは、自分を囲んだ猫たちに問いかけた。



「あなたたちは……リリスさんのホテルの関係者なのですか?」



「いいえ。まったくの無関係よ。


 だけど、速く走るには魔石が必要でしょう?


 ねえ?」



「買収されて、


 俺様を潰すためだけに


 走るというのですか……!?


 意図的な集団での妨害は


 ルール違反ですよ……!?」



「あら。


 私は個人的な作戦で、


 優勝候補のあなたを


 マークしているだけよ。


 彼女たちも、きっと同じでしょうね」



「っ……!


 これはあなたのデビュー戦でしょう!?


 それで満足なのですか!?」



 新ニャ戦は、どの猫にとっても、記憶に残るレースになるはずだ。



 そんな大切なレースでの勝利を、捨て去るだなんて。



 ニャツキには、理解ができない価値観だった。



 オモリのジョッキーも、混乱した様子を見せていた。



 それを気にした様子も無く、オモリは言った。



「速くなるためよ。


 それに……。


 良い石をもらっているの?


 それとも才能かしら?


 練習をのぞかせてもらったけど、


 随分と速いのね。あなた。


 …………嫉妬しちゃうわ」



 ニャツキは速い。



 才能が有り、正しいトレーニングを積んでいる。



 誰が見ても、その輝きは明らかだった。



 光は影を作る。



 オモリのどろりとした瞳が、ニャツキに向けられていた。



 先頭集団は、ゆるやかなカーブを抜け、110度のコーナーを、左に曲がっていった。



 レースはもう、その半分が終わろうとしていた。



「~~~~~~~~っ!


 こんな……こんなものはレースでは……!」



 こんな下らないことで、自分は負けてしまうというのか。



 宇宙最強の自分が、新ニャ戦ごときで。



 普通に戦えば、絶対に負けないのに。



 予想外の事態に、ニャツキの心が割れそうになった。



 ニャツキの目から、涙がこぼれようとした、そのとき。



(おい)



 聞きなれた男の声が、ニャツキの頭に響いた。



(え……?)



(このレース、勝ちたいか?)



 ヒナタは魔導手綱を通して、ニャツキにそう問いかけた。



 ニャツキの涙が止まった。



 悲しみを超える苛立ちが、ニャツキの奥底から湧き上がってきていた。



(何を言っているのですか!


 あたりまえでしょう!)



(そうか。


 なら、今から俺のスキルを使うが、


 拒むなよ)



(スキル?)



(ああ。俺のスキルは、


 相手が拒否すると


 効果を発揮できない)



(何でも良いですから……!


 勝てるならやってください!)



 こんなやり取りをしている間にも、時は一秒一秒と過ぎていく。



 ニャツキはイライラとヒナタを急かした。



(そんなに便利なモンでも無いが。


 行くぞ)



 そのとき、ニャツキとヒナタの体が輝いた。



 そして……



「ここは……?」



 何も無い空間に、ニャツキは人の姿で立っていた。



「よう」



 男の声が聞こえた。



 声の方を見ると、ヒナタの姿が有った。



 ヒナタはなぜか全裸だった。



 それに対するニャツキも、布一つ身につけてはいなかった。



「……どうして素っ裸なのですか」



 ニャツキはヒナタにジト目を向けた。



「そういうスキルなんだ。


 仕方がねえだろ」



「それで? 何なのですか?


 この卑猥なスキルは」



 ニャツキは体を隠すことなく、堂々とそう尋ねた。



「卑猥て。


 これは俺のユニークスキル。


 『思考空間』だ」



「思考……?


 レースに勝てるスキルなのですよね?」



「いいや」



「えっ?」



「俺のスキルは、


 普通なら時間がかかるような思考を、


 一瞬で終わらせることができる。


 そして、


 その思考のための空間に、


 触れ合った他人を


 引き込むこともできる。


 便利なスキルだが、それだけだ。


 いくら考えても、


 自分の脳味噌以上のモンは


 出てこねーしな」



「……つまり?」



「勝ち方を考えるだけなら、


 いくらでもできるってことだ」



「そうですか。あの……」



「何だ?」



「何かチクチクするのですが、


 何ですか? コレ」



 普通ではありえない妙な感覚を受けて、ニャツキは疑問を発した。



 ずっと自分の肌に、何かが刺さってくるような感覚が有ったのだった。



「チクチク?」



「ええ。


 おまえの方から飛んできています。


 自覚が無いのですか?」



「ああ……。


 俺の感情かもな。それは」



「感情?」



「今、俺とおまえの心は、


 スキルでつながってる。


 だから、普段は見えない部分が、


 感じられるようにもなるのさ」



「つまり、このチクチクは……」



「何だと思う?」



「……おまえの怒りですか」



「さあな。おまえの方は……」



「俺様?」



 ヒナタの心がニャツキに向かっているのと同様。



 ニャツキの心も、ヒナタに向かっているらしかった。



「この硬い感じ……。


 これは……恐怖か……?


 おまえまさか……俺が怖いのか?」



「はああああああぁぁぁっ!?


 この俺様が!


 おまえなんか怖いわけが無いでしょう!?」



「じゃあ何なんだよ。


 この感じは」



「憐れみでしょうね。


 粗末なモノを持って産まれた


 おまえに対する」



 ニャツキはそう言うと、ヒナタの股間に同情するような視線を向けた。



「粗末じゃねえだろ!?


 ってか、それどころじゃねーだろうが。


 レース中だろ。


 勝つ方法を考えようぜ」



「……勝てませんよ」



「どうして?」



「自分のことくらい分かります。


 自分の限界も。


 連中は、普通に戦えば、


 苦戦するような相手ではありません。


 ですが、カースを受けながら


 4人に囲まれていては、


 抜け出すことは困難でしょう」



「あいつのカースなら、


 なんとかなるかもしれねーぜ?」



「えっ?」



「さっき振り向いたら、


 あいつの目が光ってるのが見えた。


 たぶん、邪眼タイプのカースだ。


 あいつのカースは、


 相手を視界に入れてないと


 発動しないんだと思う」



「なるほど、良く見ていますね。


 ですが……。


 視線をどうにかすることなど


 できますか?」



「呪文を使うとか」



「呪文での直接攻撃は


 反則となりますよ?」



 ねこはカースを使って、他のねこを攻撃することが出来る。



 しっかりと、ルールでそう定められていた。



 カースは猫の個性だ。



 実力の内だ。



 ルールを定めた者たちには、そういう考えが有るらしかった。



 だが、ジョッキーが呪文で猫を攻撃することは、認められてはいない。



 競ニャの主役はねこだ。



 ジョッキーの戦いが、レースの主役になるようなことは、避けたいのだろう。



「攻撃しなきゃ良いんだろ?


 なんとかするさ」



「……そうですか」



「で?


 スキルをなんとかしたら、


 この状況を抜け出せるのか?」



「……どうでしょうか。


 連中は、


 4人でしっかりと


 俺様を包囲しています。


 次のコーナーまで待てば、


 隙ができるかもしれませんが、


 相手のミスに依存することになりますし、


 あまり悠長にしていると


 手遅れになるかもしれません」



「なら、そっちも考えてみようぜ。


 なんかアイデア出せよ。


 そうだ。


 呪文と違って、


 カースの攻撃は許可されてる。


 おまえのカースで


 どうにかならねーか?」



「……俺様のカースは、


 そうたいしたモノではありませんよ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る