その39「Eランクレースと日程」




「電話? 来てないわねえ」



「……そうっスか」



 ホテルヤニャギ。



 早朝の食堂でのやり取りだった。



 ヒナタはアキコに、スカウトの電話がホテルに来ていないかと尋ねた。



 だが、答えはサッパリだった。



「にゃふふ」



 冴えない様子のヒナタを見て、ニャツキが笑い声を漏らした。



「チクショウ……」



「だいじょうぶ。


 ヒナタの良い所は、


 私がちゃんと分かってるから」



 ヒナタの隣に座っていたミヤが、彼をフォローした。



 それを見て、ニャツキはこんなふうに考えた。



(まあ実際、


 ヒナタさんは


 ダメなジョッキーというわけでは無いですからね。


 何かきっかけが有れば、


 騎乗依頼が来ても


 おかしくは無いとは思いますが……。


 しかし、先日のレース。


 あれはまずかったですね。


 レース中にバリアを解くなど


 前代未聞です。


 勝つためだけに、


 猫を危険に巻き込んだ。


 そんなふうに取られても


 おかしくはありません。


 あれは俺様と


 話し合った末の事でしたが、


 外から見ていても


 そんな事はわかりませんからね。


 大事な猫を託す相手としては


 少し疑問符がついてしまうかもしれません。


 セオリー外の呪文を使ったことも


 猫やトレーニャーに


 不安を与えてしまったかもしれません。


 まあしばらくは


 彼の予定が埋まることは無いでしょう)




 ……。




 リリスが所属していたホテル。



 その応接室。



 かつてニャツキに応対したホテルの支配人が、ソファの上で縮こまっていた。



 対面には、キタカゼ=マニャとヨコヤマ=レンが座っていた。



「あの……私なんぞに……


 お二方が何の御用でしょうか……」



 支配人は、へりくだって尋ねた。



 彼の表情は固い。



 この男にとっては、マニャもレンも遥か格上の存在だ。



 天上人だ。



 軽々しく面会できるような相手ではない。



 それがわざわざ、向こうから訪ねて来ている。



 固くなるのも仕方が無いことだと言えた。



 緊張した支配人に、レンは穏やかに微笑んだ。



「そんなに震えることは無い。


 噛み付いたりはしないさ。


 ただし……。


 明日からこの業界に


 おまえの居場所は無いがな」



 その表情とは裏腹に、レンの言葉は冷たかった。



 突然の死刑宣告。



 支配人は、激しい狼狽を見せた。



「っ……!?


 どうしてですか……!?


 私がいったい何を……!?」



 レンは雲の上の相手だ。



 接点が無い。



 だからこそ、機嫌を損ねるような覚えも、存在しなかった。



 慌てる支配人に、マニャが冷ややかに尋ねた。



「覚えが無いの?」



「ありません……!


 何かの間違いではないですか……!?」



「そう?


 ヒョーゴの地方競ニャで


 下らない小細工をしたのは


 あなたでは無いと言うのね?」



「っ……!


 それは……。


 ですが……!


 あんなチンケなレースが……


 お二方にとって何だと言うのですか……!?」



 たしかに小細工はした。



 だが、しょせんは地方の小レースだ。



 ホテルヨコヤマの猫も、出場してはいなかった。



 だというのに、何が二人の逆鱗に触れたというのか。



 支配人には、まるで見当がつかなかった。



「ねえあなた。


 私が世界で一番大切にしているものが、


 何だかわかる?」



「競ニャ……ですか……?」



「違うわよ」



「えっ……? それでは……」



「私が最も愛しているのは、


 弟のヒナタ。


 あなたはあの試合を


 チンケなレースだと言ったわね?


 だけど……。


 私の可愛い弟にとっては、


 大事なデビュー戦だったのよ」



「えっ……」



「あなたが妨害した


 銀色の猫には


 私の弟が乗っていたの。


 あなたはヒナタの、


 たった1度の記念日を穢した。


 万死に値するわ」



「お……お許しを……!


 お許しおおおおおおぉぉぉぉぉっ!」



 男の懇願が、聞き入れられる理由は無かった。



 その日、競ニャ界から、1人の男が消え失せた。




 ……。




 ホテルヤニャギ。



「ヒナタさん」



 食堂から去ろうとしたヒナタに、ニャツキが声をかけた。



「ん?」



「今日はサクラさんとのレースの


 日程を決める日です。


 朝食が終わったら、


 一緒にねこセンターに行きましょう」



「……わかったよ」



 それを見て、リリスが口を開いた。



「あの、お姉さま。


 私も行きます」



「次のレースは、


 俺様とあの女との勝負です。


 リリスさんは


 ホテルに居てもらって構いませんよ」



「いえ。どうせ、


 次のレースの日程を


 決めないといけませんから」



(本当なら、


 またお姉さまといっしょに


 走りたかったんですけど……)



 リリスは内心ではそう考えていた。



 だが、ニャツキと同じレースに出れば、その時点で、リリスの負けが確定する。



 今の2人には、それだけの実力差が有った。



 それに、同じホテルの猫が一緒のレースに出ることは、あまり良い事だとは思われていない。



「では、一緒に行きましょうか」



 ニャツキは朝食を終えると、自室へと戻った。



 そこで身支度を済ませ、ホテルのロビーへと向かった。



 ロビーには、既にヒナタの姿が有った。



 カウンターの所には、アキコの姿も見えた。



 ニャツキから少し遅れて、リリスがロビーに現れた。



「それでは行きましょうか」



 ニャツキがリリスに言った。



「はい」



 ニャツキたちは、ホテルの外へ出ようとした。



 そのとき。



 ホテルの正面口が開いた。



 そして入り口から、4人の猫が入ってきた。



「おや」



 4人の顔に、ニャツキは見覚えが有った。



 先頭に立っているのは、クライシ=オモリ。



 先日ニャツキとヒナタが打ち負かした相手だった。



「あの……。


 私たち……行く所が無くて……」



 オモリは言いづらそうに言った。



 前のレースでの暴走によって、彼女たちは、ホテルでの居場所を失ったのだろう。



「だそうです」



 ニャツキはアキコを見た。



「彼女たちを


 住まわせてあげても構いませんね?」



「ええ。


 いらっしゃい。ホテルヤニャギへ。


 ミヤちゃーん。


 彼女たちのお世話をお願いねー」



「はーい」



 アキコが呼ぶと、どこからか、ミヤが姿を現した。



 4人をアキコとミヤに任せ、ニャツキたちはねこセンターに移動した。



 ねこセンター前には、サクラたち3人の姿が有った。



「……来たか」



 腕を組んだサクラが、ニャツキと視線を合わせた。



「ええ。試合の日程を決めましょうか」



 ニャツキたちは、ねこセンターへと入っていった。



 そして、ねこターミナルの前に立った。



 サクラが口を開いた。



「猫は1度レースに出走すると、


 2週間は


 次のレースに出られない。


 これは知ってるな?」



「ええ。もちろん」



「私は、Eランクのランニャーだ。


 デビュー戦で優勝したおまえも同じだ。


 つまり、EランクかFランク、


 どっちかのレースに出走できるってわけだ」



「はい」



 ランニャーは、レースで好成績をおさめると、『ねこポイント』を得ることができる。



 そして、ねこポイントが一定値に達すると、『ねこランク』が上昇する。



 レースで1位になれば、他とは別格の扱いとなる。



 2位の倍ほどのねこポイントを、入手することができる。



 Fランクランニャーだったニャツキは、1度優勝したことで、ランクを1つ上げていた。



 2位や3位だったムサシやリリスは、まだFランクに留まっている。



 一方で、レース下位になった猫は、ポイントがマイナスされる。



 最下位だったオモリなどは、所持ポイントが、マイナスの値になっているはずだ。



 そこからEランクに這い上がるには、かなりの好成績をおさめる必要が有るだろう。



 ランニャーは、自分と同じか、1つ下のランクのレースに出場することが可能だ。



 サクラは、自分が出場できるレースの一覧を、ターミナルに表示させた。



 そして1つのレースを選び、ニャツキに示した。



「この20日後の


 Eランクレースでどうだ?」



「ええ。構いませんよ。


 ですが、よろしいのですか?」



「何がだよ?」



「あなたは2年目の競争ニャですよね?


 それがまだ、地方に居る。


 つまり、Eランクレースを


 安定して勝つ実力が


 無いということです。


 俺様とあなたの勝負ということですけど、


 Eランクレースの優勝を競うのは、


 あなたには


 まだ荷が重いのでは?」



「おまえ……!」



 コジロウが、ニャツキを睨んだ。



 ニャツキはコジロウを無視して、サクラの言葉を待った。



「勝負の前に


 対戦相手の心配かよ。


 舐めんな。


 おまえなんか、


 私が中央に行くための


 通過点だ。


 おまえを踏み潰して


 1着になる。


 覚悟してやがれ」



「そちらがそう仰るのであれば、


 俺様は構いません。


 登録をしましょうか。


 ヒナタさん。


 オマエもこれで構いませんね?」



「好きにしてくれ」



 ヒナタはニャツキが何のレースを選ぼうが、興味が無いらしかった。



 ニャツキとサクラは、同じレースへの登録を済ませた。



「じゃあな」



「はい」



 サクラたちは、ねこセンターから去っていった。



 ニャツキ、リリス、ヒナタの3人は、ねこターミナル前に留まった。



 ニャツキが口を開いた。



「それではリリスさん。


 あなたが出るレースも


 決めてしまいましょうか」



「はい。あの、


 どのレースにすれば良いでしょうか?」



「好きにすれば良いと思いますよ」



「好きにと言われましても……。


 お姉さまが


 決めていただけませんか?」



「俺様がですか?」



「はい。


 お姉さまは


 私のトレーニャーさんですから」



「まあ、べつに構いませんが……」



(勝ち星だけを狙うなら、


 彼女が得意とするコースを


 分析して選べば良い。


 ですが……。


 彼女はまだまだ


 素質を磨いている最中。


 あまり可能性を狭めるようなことは


 したくないですね)



「俺様と同じ日の


 レースにしましょうか」



「同じ日、同じ会場ですか?」



「ええ。モンベツですね。


 ホッカイドーの。


 ホッカイドーは、


 魚がおいしいですよね」



「おさかにゃ……!


 ぜひ行きましょう!」



「ええ」



 リリスはシャルロットに電話をかけ、予定を確認した。



 シャルロットの予定に問題が無かったので、リリスは出走登録を済ませた。



 用事に一段落つくと、ヒナタが口を開いた。



「話が済んだなら、


 俺はもう行っても良いか?」



「またナンパですか?」



「……スカウトだ」



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