その15「ニャツキVSリリス」




「私に才能なんてありませんよ」



 そう言って、リリスは自嘲した。



 ニャツキはリリスの言葉を認めず、こう言った。



「才能というのは、


 磨いてみなくては


 分からないものです」



「分かりますよ。


 タイトルを取るような


 凄い猫たちは、


 デビュー前から


 周囲から抜きん出ていたと聞きます。


 私に本当に才能が有るなら、


 もう表にあらわれているはずです」



「キタカゼ=マニャを知っていますか?」



「え? 


 ニャホン史上最強のランニャー、


 現役の三冠ニャの名前を、


 知らないわけが無いでしょう」



「では、こんな話は知っていますか?


 キタカゼ=マニャは実は、


 デビューした直後の頃は、


 遅い猫だったのですよ」



「そんなまさか……」



「本当のことです。


 彼女の輝かしいキャリアの1戦目は、


 黒星から始まっているのですから。


 誰も隠してはいませんから、


 調べればすぐにデータが出てきます。


 ドキュメンタリー番組なんかでも、


 あのレースを扱っているものは有りますよ」



(俺様の


 トレーニャーとしての腕を


 こきおろすのとセットですが)



 キタカゼ=マニャの才能を、疑う者は居ない。



 そんな彼女が、どうしてデビュー戦で敗れたのか。



 それは彼女が遅咲きの才能だったからだ。



 マニャのトレーニャーだったニャツキには、それがわかっている。



 だが、それを理解しているのは、ごく限られた者たちだけだ。



 多くの者は、こう考える。



 マニャが敗れたのは、彼女をサポートする側に問題が有ったからだ。



 あの犯罪者のせいだ。



 分かりやすい戦犯像に、飛びつく者は多かった。



 ニャツキからすれば、唾棄すべき事態だが……。



 何にせよ、三冠ニャですら、遅かった時期というものは存在する。



 デビュー戦の戦績が、全てでは無い。



 それが事実だった。



「……ちょっと待ってください」



 リリスは携帯を取り出し、画面をみゃんみゃんと押しはじめた。



 ミャフーでググっているのだろう。



 少しすると、リリスは携帯から視線を外した。



 そして、ニャツキの方を見て言った。



「……本当みたいですね」



「わかっていただけましたか。


 デビュー前の能力など、


 絶対的なものでは無いのです。


 正しい努力をすれば、


 眠っていた才能が目覚めるかもしれない。


 あなたにだって、


 速くなれる可能性は有るのです」



「けど、正しい努力って、


 何をすれば……」



「もしよろしければ、俺様を


 あなたのトレーニャーにしてみませんか?


 今あなたがしているよりも、


 ずっと良いトレーニングメニューを


 考えてあげますよ」



「ランニャーのあなたが、


 トレーニャーをすると言うんですか?」



 リリスはニャツキに、疑わしげな視線を向けた。



 16歳の小娘が、トレーニャーなどできるものか。



 そう考えるのが普通だ。



「はい。任せてください」



 ニャツキは堂々と、胸を張って言った。



 それを見て、リリスは少しだけ、心を動かされた様子だった。



 堂々とした態度というものは、人の心を打つものだ。



 一流の詐欺師を見ると良い。



 彼らはいつも、無駄に堂々としている。



「けど、私にはもう、


 ホテルのトレーニャーが居ます」



「今のホテルは抜けてください。


 ウチのホテルに来てください」



「そんなことを


 急に言われましても」



「ランニャーを


 1人でダンジョンに潜らせるなんて、


 ロクなトレーニャーではありません。


 そんな人を信じていたら、


 痛い目に遭いますよ」



「それは……」



「俺様を信じてください」



「きのう会ったばかりの人を、


 信じられるわけが無いでしょう?」



「あなたは


 経営者の人となりを理解してから


 今のホテルを選んだのですか?」



「それは違いますけど」



 リリスが今のホテルを選んだのは、契約料が安かったからだ。



 平凡な猫が、一流のホテルに所属するには、金がかかる。



 リリスの家には、あまりお金が無い。



 無名のホテルから選ぶしかなかった。



 そして、安すぎるサービスには裏が有ることが多い。



 リリスの今の待遇は、まともなモノとは言えない。



 普通なら、猫をダンジョンに行かせるにしても、ホテルニャンを同行させるものだ。



 だというのに、彼女はたった1人でダンジョンに居た。



 まんまと罠にはまったのだろう。



「俺様は、


 あなたのホテルの連中よりも、


 疑わしく見えますか?」



「それは……」



 リリスは、ニャツキと出会った時のことを思い返した。



 ニャツキのおかげで、土下座を賭けてレースをすることになった。



 あまりロクな目に遭っていないような気がする。



 だが……。



 ニャツキの目から薄汚い打算を読み取ることは、リリスにはできなかった。



 金儲けだけを考えている大人たちとは違う。



 ニャツキの目は、もっと別の場所を見ている。



 リリスには、そう思えてならなかったのだった。



「本当に……私を速くしてくださるんですか?」



「はい。


 俺様の次に、


 宇宙で2番目に速くなれますよ」



「2番目って、


 キタカゼ=マニャさんよりもですか?


 そんなの……」



「信じてください」



「……ただでは信じられません」



「では、どうすれば?」



「競争しましょう。


 あなたの走りを見せてください。


 あなたが私を納得させるだけの


 走りができたら、


 あなたの事を信じることにします。


 私が勝ったら、


 私のレベル上げを手伝ってもらいます」



「良いですね。


 わかりやすくって」



 ニャツキは微笑んだ。



 レースでの決着は、彼女の望むところだった。




 ……。




 2人は練習用コースへと移動した。



 試合用のコースとは異なる、シンプルな右回りの、楕円形のコースだ。



 2人は着替えを済ませると、猫の姿で練習用コースに立った。



「2000メートルコースを5周。


 良いですね?」



 コースのスタート地点で、ニャツキはリリスに声をかけた。



「ええ。スタートの合図はどうしますか?」



 そう聞かれ、ニャツキはコースの外側の、大きなアナログ時計を見た。



「あそこの時計の秒針が、12時の所に来たらで良いでしょう」



「大雑把ですね」



「フライングしていただいても構いませんよ?


 どうせ俺様が勝ちますから」



「…………」



 2人はスタート地点で、そのときが来るのを待った。



 秒針が、12を指した。



 2頭の猫が、同時に大地を蹴った。



 どっと土埃が舞った。



 2人は一瞬で加速し、スタート地点から離れていった。



 最初はリリスが先行することになった。



 1ニャ身ほどの差をつけて、リリスがニャツキの前を走った。



(スタートダッシュは私の勝ち……!)



 リリスはそのままリードを保った。



 ニャツキが追い抜いてくる気配は無かった。



(なんだ……。


 大きなことを言って……


 たいしたこと無いんじゃないですか……)



 遅れを取ったニャツキに、リリスは落胆を隠せなかった。



(夢を見させないでくださいよ……)



 そのままリリス先頭のまま、コースを1周した。



 コース5周の勝負だ。



 このままあと4周すれば、リリスの勝利となる。



 だが……。



「そろそろ行きますか」



 ニャツキの声が、リリスの耳に届いた。



 その直後……。



「えっ……!?」



 ぐんと、リリスの左隣から、伸びてくるものが有った。



 それは急加速したニャツキの姿だった。



 リリスがそうと気付いた時には、ニャツキはリリスを、大きく突き放していた。



(速い……!


 いいや……速すぎる……!


 これがレベルの力……?


 本当に……?


 私がレベル100になったとして……


 あんな走りが、本当にできるのですか……?)



 とても追いつけるものではない。



 リリスはすぐにそれを確信した。



 悲しいことに、その見立てには誤りは無かった。



 2人の間にできた差は、どんどんと広がっていった。



(追いつけない……!)



 その差が縮まることは、1度として無かった。



 すぐにリリスの視界から、ニャツキの姿が消えた。



 そして……。



 リリスが4周目に入った頃、後ろから足音が聞こえてきた。



(この足音は……そんな……)



 ちらと後ろを見ると、そこにニャツキの姿が有った。



(周回遅れ……!?)



 後ろからやって来たニャツキが、再びリリスを追い抜いていった。




 ……。




 レースは終了した。



 100ニャ身以上の差をつけられ、リリスは完敗した。



 屈辱的な、絶望的な敗北のはずだった。



 だが、更衣室に向かうリリスの足取りは、なぜか軽かった。



 2人は練習場の更衣室で、人状態に戻った。



 そして、外に出た。



「ご満足いただけましたか?」



 更衣室の外で、ニャツキはリリスに声をかけた。



「……完敗です。


 良いでしょう。


 どうせこのままでも、


 たいしたランニャーにはなれないんです。


 だったらいっそのこと、


 あなたのことを、信じてみることにします」



 リリスはニャツキに手を伸ばした。



 ニャツキは彼女の手を取った。



 がっちりと、握手が交わされた。



 リリスは、晴れ渡った空のような笑みを浮かべた。



「もし嘘だったら、子孫末代まで呪いますから」




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