わずかな、変化
「おはようございます」
「お、おはよう……」
一晩明けて朝。いつも通りの時間に、いつも通りのバスに乗ると、いつも通り一番奥の座席に座っていた星廉が声をかけてくれた。
正面から目が合って、胸がどきりとする。私は平静を装って、彼の隣に腰を下ろした。結局、昨日はあまりよく眠れなかった。寝不足気味で肌つやも悪い。
私と星廉だけを乗せたバスが出発する。
そのタイミングで、シートに載せていた私の手に、星廉の小指が軽く触れた。
いきなりだったので肩がびくっと揺れる。驚いて思わず隣の彼を見てしまった。
「あ、ごめんなさい。毎日つなぐって言われてたので……。なんか、だめでした……?」
拍子抜けしたような表情をしていた。
「いや、ううん! つなぐつなぐ……!」
うっかりしていた私は、あわてて差し伸べられたその手をつかんだ。天使からの課題なのだ。ちゃんとしなければ……!
……ていうか、星廉の指ってこんな男子みたいな手だったっけ。いや、男子みたいっていうか星廉はもともと男子なんだけど……。
そう考えて、心音の速度がさらに増す。昨日の朝まではこんな感じではなかったのに。なんか、無性に落ち着かない。どこを見ていいのか、いまいち分からない。そわそわする。
そっと隣を窺い見ると、彼は涼しい顔。iPhoneの画面に表示させたニュースサイトを、親指でスワイプしていた。
星廉は平常時と何ら変わらないようだ。意識してるのは私だけなのかな……。
そう思うと、ただ一度抱きしめられただけでこんなに意識してる自分のほうが変なんじゃないかと思えてくる。……というか、実際そうなのかもしれない。
一回落ち着こうと思い、私は「ふーー……」と長く息をついた。
私は東雲祈璃だ。異常なくらいモテてきた女だ。今までだって、抱きしめられたことの一回や二回あった。あった……はず。
過去を思い返す。
男子に抱きしめられた経験の一度や二度――……。…………。
……一度もない。
すぐにその結論に思い当たった。
思えば私は彼氏や恋人の類をつくったことが一度としてないではないか。
男子に抱きしめられたのは、正真正銘、昨日が初めてだ。初めて――。
自然と、私は隣に座る星廉に目を向けていた。
「? どうしたんですか?」
すぐに視線に気づいたのか、星廉が笑った。
「べっ、べつに!」
一気に顔に血が集まる心地がして、髪を振り乱して首を真反対の方へひねった。
……私、初めて抱きしめてくれたのが星廉でうれしいって思ってない? え、なんでこんなこと考えてるの?
じわじわと頬っぺたが熱くなる。
「気のせいかと思ってましたけど、なんか今日の祈璃ちゃん挙動不審ですよ……?」
心配そうな声音で顔を覗き込まれてしまった。そんなの私が一番よくわかってる……! ていうか、逆に何で星廉はそんなに平然としてられるの!?
それをそのまま言おうとして、「そ」と口に出したところで気づいた。
星廉もちょっと気まずそうだということに。
あれ?
何でそんな顔をするのだろう。
きょとんとしていたら、星廉はやがて口を開いた。
「……あの、もしかして昨日のぼくがあんなことしたからですか? なんか、祈璃ちゃんが泣いてるのを見たら咄嗟に体が動いてしまって……やっぱり嫌でしたか?」
「嫌、ではなかったけど……」
「えっ? 嫌じゃなかったんですか??」
何故そんな驚いたような感じなのか。
「いや、下心とかだったら普通に嫌だけど……、でも星廉はそういうことしないってわかってるし……。気遣ってくれたんでしょ? 正直ほっとしたし、泣いてるの隠してくれたり、見ないでいてくれたりしたのありがたかったし、うれしかったよ」
「そ、そうでしたか」
どちらも無言になった。心なしか、星廉は少しほっとしているように見える。
平然としてるっぽかったけど、実は星廉は星廉でいろんなこと考えてたりもしたのかな……。そう思うと、なんだか、心がじんわりと温かくなった。
「あ、そういえば、つかまれたところはもう痛くないんですか? もう湿布貼ってないみたいですけど」
「え? ああ、平気。もう全然」
つないでいない方の手、自分の白い手首を見ながら答える。痛みもとれたし、患部だったところももう熱をもっていない。指の跡もすっかりとれた。
「星廉の処置が早かったからだと思う。ありがとね」
あのとき、保健室に行き渋った私を連れて行ってくれた。もし、あのとき放っておいたらまだ今日も腕は痛むままだったかもしれない。
「いいんですよ。痕が残らなくてよかったです」
「あはは、そうだね。私が手首に痣とかつくって学校行ったら、皆が犯人割り出してボコしに行っちゃうかもだしね」
「あ、いや、それもそうかもですけど、ぼくが言ったのはそういう意味ではなくて」
「え?」
「ほら祈璃ちゃん、女子ですから。体に傷が残ったら普通に大変じゃないですか」
にっこりと微笑みかけられた。
きっと、これが皆だったから、「こんな可愛い子の体に傷なんて!」とか言ったにちがいないし、何なら「そのきれいな白い肌に痣があるなんて何だかミステリアス!」なんて、褒めてるんだかディスなのかわからないことを口走る輩だっているに違いない。
なのに、星廉はいつだって私のこと「すごい可愛い子」とか、「超絶美人」とかじゃなく、「一人の女子」として扱ってくれる。
「……ありがとう」
そのことが今さらながら、ちょっぴり面映ゆくて、つぶやくような声量になってしまった。
心臓が、ドキドキする。
やっぱり私、変だ。星廉が誰とでも平等に接するのは今にはじまったことじゃないのに……。
とくとくと心臓がいつもとは少し違う速さで脈打つ。何だか、今日は、笑ってる星廉が、いつにもまして眩しく見えた。
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