かなしい、現実

 帰りのHRが終わると、教室の皆に「明日から夏休みってことは、もうマジで登校日まで東雲さんに会えないのか……。昼休み二人で何の話してたんだマジで……」、「明日から夏休みだというのに、うれしいようなかなしいような気持ちですな……」とお葬式のようなテンションで見送られた。

「やあ、べっぴんさん! 今日も学校おつかれ様! 明後日ね、娘と沖縄に旅行に行くんだよ~」

 そのうえバスに乗ったら、ドライバーのおじさんはまた意気揚々と話しかけてきたものだから、辟易とする。私は「そうなんですか~」と営業スマイルで答えたが。

「沖縄いいですね……! ぼく行ったことないので行ってみたいです……!」

 星廉は目を輝かせて真剣に羨ましがっている……。何てピュアっ子なんだろう。まあ、自分の知らないことはなんでも知りたいとかいう欲求があったもんね、星廉は。

「沖縄のどこに行くんですか?」

 星廉は興味津々といったふうに尋ねた。

「石垣島だよ。『石垣島鍾乳洞』っていうのを見にいくんだ」

「鍾乳洞! サンゴですか!」

「そうそう、あと三億年前にできたって言われる洞窟なんかもあってね」

「三億!? 洞窟!? なんですか、それ……!?」

 話が弾みそうな気配を察知した私は、「喋ってたらバスが出発できないでしょ」と星廉のシャツを引っ張り、正気に戻してあげる。運転手は笑って、「大人になったら行くといいよ~」と言った。

 どこか名残惜しそうな星廉の手をひいて、バスの奥まった席に腰かけた。扉が閉まり、バスが揺れと共に出発する。

 私は自然に手をつなげたことにホッとしていた。また今朝みたくどぎまぎした態度をとってしまうのは恥ずかしい。

「沖縄……。いいですね」

 まだ隣で恍惚とつぶやいている。

「星廉は、夏休みに家族で旅行とか行かないの?」

「ここ数年は行ってないですね……。それにぼく一人っ子なので、壮年の両親にサンドされて三人で遠出するってなると、何かときどき退屈な瞬間が訪れるんですよね」

「どうゆうこと」

「夜、ホテルとかに泊まるじゃないですか。夕飯食べた後、両親二人はホテルのバーに行って酒盛りしてるのに、ぼくは未成年だから部屋で一人待機とかなんですよ」

 納得した。

「それは退屈だね……」

「せめて、一緒に行動できる兄弟がいたらちょっとは違ったのかもしれないですけどね」

 ふうん、と返事しながら、「星廉の親ってどんな人なんだろう……」と考える。

 主観だけど父母ともにどっちもバリバリ仕事してて、いつも家にいなさそうだ。小さい頃から、星廉は学校から帰ると家政婦さんのつくったおやつとか夕食を食べてたりしたのかも。それで寂しい思いをしていた彼は、親にもっと褒めてほしくて、いつしか勉強にばかり精を出すように……。

「あ、そういえば夏休み会う予定のことなんですけど。祈璃ちゃんはいつがいいとかありますか?」

 勝手な空想を脳内でしていたら、星廉が制服のポケットからスマホを取り出して、画面にカレンダーを表示させた。七月の最終週である来週あたりはほとんどバイトで埋まっている。

「バイトは一週間だけなので、八月はほとんど空いてるんですけど……。八月の三日とかどうですかね? 予定あります?」

「私はその日でも大丈夫。特に予定ないし」

 それに、その日ならまだ天使に出されている課題の期限にも全然間に合う。

「えっ、予定全くないんですか?」

「私、昔から休みの日は一人で静かに過ごしてるんだよ。誰かと一回でも遊ぶと、誘われなかった子が怒るし、皆で遊ぶと私を取り合って喧嘩が始まるし」

 最初から誰とも仲良くならずほどほどの距離感で接していれば、長期休みになっても遊びに誘われることも滅多にない。誰とも遊ばず一人で小説を読んでいる方がとても有意義な休日になることに気づいてからは、ずっとそのスタンスだ。

 しかし、事情を知った星廉は気まずそうになった。

「あ、そうだったんですね……」

「べつに気にしてないし、星廉も気にしないで」

「そうですか……? あっ、でも三日って日曜日ですし、どこに行っても混んでるかもしれませんね。別の日にします? 八月の始めごろだと二日とかも空いてるんですけど、二日は赤羽くんとカブトムシを採りに行く約束をしてるので、四日とか……」

「……星廉、カブトムシ好きなの?」

「普通です。でも、ぼく、カブトムシを直接みたことがないので……。見てみたいなと思って」

 彼はちょっと照れ笑いしてみせた。

「ていうか、赤羽くんカブトムシとか取りに行ってても平気なの? 小テスト大丈夫だったの?」

「あ、それは心配いらないです。ちゃんと赤点免れたって言ってましたし」

「何点だったの?」

「81点だそうです」

 星廉は、「地頭は良いんですよね、赤羽くん。ちゃんと勉強すれば国公立大学とか狙えると思うんですけどね……」と笑っていた。

 私は納得がいかず、口をへの字に曲げる。ふだん、おちゃらけている人が自分よりいい点数をとると何だかあまり面白くないものである。

 ……でも、まあ留年はしなさそうで何よりだ。

 昔の星廉だったら、夏休みは家に引きこもって自習にいそしむだけの期間になっていただろうし、ベストフレンドと遊びに行く機会があるのは結構なことである。健全な男子高生らしくて、とてもいい。

「赤羽くんカブトムシ毎年とりに行ってるから、穴場スポットを知っているらしいんですよ。あの漫画の主人公が毎年カブトムシとってるっていう裏設定があるらしくて」

「ああ、結局あの漫画リスペクトなんだ……。まあ、そこまでフィクションにのめりこめるのもすごいけど」

 夏休み退屈だし、赤羽くんがどハマりしている漫画でも読んでみようかな……。

 気の迷いのようなことを考えていたら、何でもないことみたいに、星廉が尋ねてきた。

「あの、フィクションといえば、祈璃ちゃんが書いてる恋愛小説って、どういう感じのものなんですか?」

「え」

 思わず面食らってしまった。彼が純粋な瞳をしていたから余計に。

 こちらが一瞬、ほうけたのを見て星廉はあわてた。

「あっ、いや、あれから小説のこと話してくれないので何かちょっと気になっただけなので……。言いたくなかったら言わないでいてくれて全然かまわないんですけど」

「……ほんと?」

「……いえ、教えてくれるんなら知りたいです」

 星廉の無垢な言葉。期待している瞳が、こちらを見つめている。綺麗な目で、一点の汚れもない。純真で、純朴な、少年のような目をしていた。

 その目をまともに見ていたら、何だか、自分が心の汚れた人間のように思えた。

 星廉には、あのノートをもう見せていないし、書いている小説の内容についても全く話していない。それでも私が小説を書いていることを1ミリも全く疑っていない。毎朝登下校のときにバスで手を繋ぐということにつきあってくれて、校内デートだって協力してくれた。嫌な顔ひとつせず。文句ひとつ言わずに。それは、きっと私を信用してくれているからだ。信用、してもらっているのに。私は、彼を裏切っている。

「やっぱり、だめですか? あ、べつに無理して話せというわけではないので」

 その気遣いが、余計に私を苦しくさせる。私は、こんなに優しい星廉を裏切っているのだ。

 書いてもいないのに、「小説を書いている」と嘘をついた。本当に書いているのは親をこき下ろすような文章だった。

 「私と恋人ごっこをしてほしい」と頼んだ。本当は「」なのに。

 星廉の目から視線をそらしてしまう。急に、今まで見ないようにしていた現実が襲いかかってきた。

 私は今まで、自分が思っていたよりもずっと酷いことを星廉にし続けていたんじゃないか。

 そんな気がしてきて、申し訳なさで顔を上げられなくなる。

 自分の発言でなにやら不快にさせてしまったのかと思ったのか、彼は黙った。何も悪くない彼を謝らせてしまう前に、唇を開く。

「……星廉」

「なんですか?」

「……ありがとね、いつも協力してくれて」

 自分のローファーに視線を落としながら、言えたのは、そんな、たった一言だった。質問の答えにもなってない。

「いいんですよ」

 でも、柔らかな声音が降ってくる。

「ぼくは創作とかできないので、祈璃ちゃんが小説書いてるって知ったとき、すごいなって思ったんです。だって小説って、登場人物とか、話の構成とか、伏線の張り方とか色々なことをしっかり考えないと書けないものじゃないですか」

「いや……、そんな」

「それに、小説一本書き上げるのにだってきっとそれなりに時間が必要ですよね。その時間があれば、ゲームでもSNSでももっとほかのことだってできるのに、それでも小説を選んだってことは、きっとそれだけ、祈璃ちゃんは書くことがすきなんですよね。尊敬しますよ」

 熱がこもった言葉だったと思う。私は何も言えなかった。だって、全部嘘なのだ。小説なんて書いてない。

 ふいにバスが止まった。

 向こうから対向車が来たようだった。道が狭いので、すれちがうときは一旦停止しなければならないらしい。バスがガードレールすれすれまで寄る。その拍子に、枝が窓をざりざりと撫でた。

「ぼくは祈璃ちゃんがどんな恋愛小説を書いているのかは分かりませんけど……、でも良い作品になるといいなってずっと思ってます」

 その屈託ない笑顔には、参った。

 罪悪感で、胸が炙られる。

 そんなふうに思っていてくれてたなんて、知らなかった。そうだ、星廉はピュアなのだ。そして、私はそんな星廉をだまして、自分の願いを叶えたいからって都合よく利用しているのだということを。

 一体、どういうつもりで、私は星廉にときめいていたのだろうか。こんな打算的で心の汚れた人間が、一星廉のことを好きになる資格なんか、あるわけがないのに。

「……ありがとう」

 たっぷりの間をおいて、それだけ淡々と口にした。星廉がどんな顔をしていたかはわからない。でも何も言われなかった。そっけないのは照れているからとでも思われただろうか。

 つないだ手の温度を感じながら、恋なんて不毛なことをするのはやめよう、と思う。

 誰かに恋愛感情をもったところで、どうせ、浮気されるのがこわくて誰ともつきあえないのだから、私は。そもそも星廉を好きになっても、友達より先の関係に踏み込む勇気は、最初から持ちあわせてなかったし。いくら好きになったところで、意味がない。

 早いとこ課題を全部こなして、天使に願いをかなえてもらったら、星廉とはまたほどほどの距離の友達に戻ろう。この秘密は墓場まで持っていく。そうすれば私も星廉も傷つかなくて、一番お互いのためになる。

 ……私の本当の目的を知ったら、いくら温厚な星廉でも軽蔑するかもしれない。

 いつも私のことを気に掛けてくれてた星廉が、真実を知ったら冷ややかな目をするのではないかと想像すると、ギュッと心臓が縮こまる心地がした。

 すぐ隣に星廉がいて、指と手を絡めているのに、もう、今朝のような気持ちの昂りはほとんどない。

 対向車がバスの横を走り去っていき、それからしばらくして、バスも走り出した。

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