かわした、約束
心の準備もそこそこに、半ば強引に教室に連れてこられ、気づいた時には目の前で莉乃ちゃんが教室に向かってこう叫んでいた。
「一くん! あのね、いっちゃん可愛くなったから見てあげて!」
ザワリとクラス内の空気が揺れ、皆が一斉に私と莉乃ちゃんを振り返った。
そして星廉はというと、食後のデザートなのか自分の席でコアラのアーチを食べていた。完全に気を緩めていたときに声を掛けられ、驚いたのか、「今ですか!?」と言いたげに目を見開いている。
「……あの、ごめん、星廉ちょっと今いい? 話があって……」
「マジ!? マジでなに!? ここでは言えない話!? まさか告白とか!?」
「オーマイガー。ミス祈璃、考え直すんだ」
「そーそー。ちょい落ち着きなって。東雲さんは皆のものっしょ? 誰のものでもないからこそ安心して毎日目の保養にできるんじゃん。それをほかの男のものになるなんて……、俺らモブの気持ち考えたことある?」
「ふひひ、そうですぞ、貴方が彼氏持ちになってしまったら我々はこれから何を生きがいに生きればいいと言うのですかな?」
「もー、うるさいっ。いっちゃんにだって自由に恋愛する権利はあるでしょっ。これからは夕飯のことでも楽しみに生きなよ!」
途端に騒ぎ立てたクラスメイトに、莉乃ちゃんが牙を剥く。
もっともな指摘と何の役にも立たなそうな助言を受けた彼らは、シュンと肩を落とした。「マジか……。夕飯か……、今晩は冷やし中華だったはず、マジで」、「僕の家はそうめんだよ。一昨日、親戚からお中元で送られてきたのさ……」という何もかもを諦めた口振りの会話が聞こえてくる。あいつらのことは放っとこう。
「星廉、あの……あっちで話そう」
「あ、はい」
食べていたお菓子を呑み込んだ星廉が、何度も頷いて椅子から立ち上がった。
多くの視線を集めながらも二人で教室を出る。人気のない廊下まで行くと、「あのさ」と私は話を切り出した。
「夏休みって、暇にしてる日とかある?」
「夏期講習には行く予定ですけど……」
「星廉、塾行くの!? え、でも高校の授業内容は全部復習なんじゃなかったの……?」
「あ、違います。ぼくは教わる側じゃなくて、教える側です。相手は、小学生たちで、近所の学童で勉強教えるバイトを募集してたので……」
「いつも勉強やってるんだから、バイトくらい勉強に無関係なもの選んだらいいのに……」
「え……や、やっぱり勉強やりすぎたら、あんまり体に良くないですかね……?」
「……無理しない程度なら大丈夫なんじゃない?」
星廉がホッとしたように笑った。頭はいいのに、やっぱり所々ピュアだ。
せっかく夏休みなんだから、もっと浮かれた予定を入れてもいいのに。でも、やっぱりこの人は本当に勉強が好きなんだな、と心のどこかで感心もしてしまう。
ふと、星廉がなにかに気づいた様子で私をじっと見つめてきた。
「……祈璃ちゃん、なんか血色が良い感じがしますね……?」
「あ、リップ塗ったから……」
少し近い距離から顔を覗き込まれ、どきりとする。
「へえ。きれいな色ですね。マゼンタですか?」
色の種類に関して尋ねてくる星廉。意外と、こういうとき「可愛いですね」とか「よく似合います」とかいう言葉は出てこないらしい。でも、不思議だ。そんなところでさえ好ましいと思ってしまっている自分が。
「でも、リップの色を差し引いても、転入してきた頃よりだいぶ顔色よくなりましたよ。最近は朝ごはんちゃんと食べてるんですか?」
「うん。また倒れたら嫌だし」
嘘じゃなかった。前に、星廉のおにぎりをもらってしまってからはさすがにちょっと申し訳なくなり、前日に購買でシリアルバーだとか菓子パンだとかを買って、朝でかける前にサッと朝食を済ませるようになったのだ。あまり栄養満点とは言えないけど、それでも朝ごはんをいっさい何も食べていなかった時期に比べるとマシだと思う。
「すごいじゃないですか。ちゃんと自分の身体のことを考えられるようになったんですね」
星廉はにこやかに笑む。なんだか照れくさかった。
「い、いいよそういうこと言わなくて。私、べつに小さい子供とかじゃないんだから」
「あ、ですね。すいません。そういえば、話があるんでしたっけ?」
「……そのことなんだけど」
ただ、夏休みに会って欲しいと言うだけなのに、なんだか緊張する。
周りには今のところ誰もいない。遠くから、生徒の喧騒が聞こえてくるけど、それだけだ。誰に聞かれる心配もない。私は、口を開いた。
「な、夏休み、私と会ってくれないかな」
一瞬沈黙が落ちる。
彼の顔を見れば、輝かしい笑顔だった。
何も知らない星廉は「遊びに行くんですか?」と弾んだ口調になる。拒まれなかったことに安堵して肩の力が少し抜けた。
「そう。ていうか、小説の参考にするために、星廉にしてもらいたいことがあって」
「なにをするんですか?」
「……」
「? 祈璃ちゃん?」
さすがに「キスしてほしい」とは言えない。羞恥の波にのまれかけた私はうつむいた。
そのときだった。
「おい」
声がして振り向くと、京先生が立っていた。
「お前ら、つきあってんのか? わざわざこんな人が来ねェ場所で親密そうに喋りやがって」
「つっ、つきあってはないです」
藪から棒に訊かれたので、私は咄嗟に答える。
「本当か? 昨日は訊くタイミング逃しちまったが、お前らが放課後に手つないで歩いてんの見たぞ」
「え?!」
うそでしょ。
「目撃者が俺一人でよかったじゃねェか。もしあの三年にでも見られてたら、それをネタに強請られてたんじゃねェか?」
どや顔で言われて思い出した。そういえば昨日、京先生が私に絡んできた三年生のこと成敗してくれてたんだっけ。あの後、私と星廉は保健室に行ったからどうなったのかは知らないけど。
「あの人って、どうなったんですか……?」
「もうしませんって泣きながら謝ってた」
「こわいんですけど……」
「なにしたんですか……」
悪い顔で笑む彼から、やや距離をとりながら引き気味に尋ねる私たち。「法に触れるようなことはしてねェ」とさらにほくそ笑んだ。怖ぁ……。
「それはそうとお前ら、どういう関係なんだ? ただの友達ってわけじゃねェだろ? 幼稚園生でもあるまいし、男子高生と女子高生がカップルでもねェのに手つなぐか?」
「いや、それは祈璃ちゃんが恋愛小説を書くときの参考にしたいからって、それで手をつないでたんです。まあ、つなぎませんかって言ったのはぼくですけど……。でも、つきあってません。隠してたのはその、皆に知られたら、ぼくがやっかまれるだろうから内緒にしておいたほうがいいって祈璃ちゃんが気つかってくれてて……」
「本当か?」
「本当べつにつきあってるとかじゃないです。星廉には小説の参考にさせてもらうために協力してもらってるってだけで……」
「はー、なるほど……」
自分の顎に指をあて、私を見る京先生は、どこか揶揄いたそうな口ぶりだった。「お前、一を選ぶとは見る目あるじゃねェか」とでも言いたいのですか、もしかしなくても。
そう尋ねようとしたとき、開け放した廊下の窓から響く蝉の大合唱を予鈴が掻き消した。
「あ、星廉、先に戻ってて。一緒に戻ったら、なんか皆めんどくさいこと訊いてきそうだし」
「あ、ですね……! じゃあ、先に戻ってます。夏休み、空いてる日あるか確認しときますね」
星廉は私の言うことに素直に従い、廊下を進んで教室に入っていった。とりあえず約束はできた。
京先生が、星廉を見送る私の肩をポンと叩いた。
「がんばれよ、夏休み。一みてェな優等生タイプは清楚系が好きだと思うからな、当日は白系の服で行け。髪型と化粧はそれでいい」
顔に熱が集まる。
どうやらこの人、廊下での星廉とのやりとり、最初から全部見てたようだ。南無三。
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