いらない、父親
「祈璃、今日は遅かったんだな」
家に帰ると、時刻は十九時半を過ぎていて、東雲篤貴はとっくに帰宅していた。
「友達と遊びにでも行ってたのか? いいな、青春って感じで……」
「うるさい。邪魔」
玄関を開けるなり出迎えてきた東雲篤貴を押しのけ、廊下を進む。けれど、彼はへらへら笑いながら私の背に声を投げ掛けてくる。
「今日はな、チャーハンを作ったんだ。どうだ? 夕飯まだだったら一緒に食べないか?」
「一人で食べてれば?」
私の言葉に彼は足を止めた。私はそのままスタスタと廊下を進んで、自分の部屋に引きこもった。これでも前よりは、東雲篤貴にはキツく当たらなくなったと思う。
天使に両親の離婚を叶えてもらったら、私はもちろんお母さんの方についていく。どうせ、もうすぐ顔を合わせることもなくなる相手なのだ。せいぜい今のうちに娘と同じ家に住んでいられるありがたみを噛み締めてればいい。そんな考えに至ったからかもしれない。
カーテンを閉めて、制服を脱いで部屋着に着替え、部屋の冷房を入れた。
――友達と遊びにでも行ってたのか?
机の前の椅子に腰を下ろすと、ふと東雲篤貴の言葉を思い出した。
そういえば、星廉とデートに行くとき、行き先はどこがいいんだろう。
どうせ行くなら、私も星廉も楽しめるところがいいかもしれない。あとで候補を考えておこう。
勉強会で頭が疲れてしまった私は、すぐに明日の予習や、今日の授業の復習に取り掛かる気になれず、このごろあまり読めていなかった文庫本をリュックから取り出した。
「登下校の際に手をつなぐこと」、という課題のせいで、バスに乗っている間は、常に片手がふさがっている。よほど器用な人ならともかく、普通の人は右手一本じゃ本は読めないものだ。
勉強机の前の椅子に腰かけ、机上に肘をついて、夢と理想とリアリティの詰まった恋愛小説を読みはじめる。
ヒロインが、初めてヒーローに抱きしめられるシーンで、『心臓が破れて死んでしまうのではないかと思うほど、胸が高鳴った』という描写がされていた。
疑わしい気持ちでその文面を見つめる。
果たして、抱きしめられたら本当にそこまで胸がドキドキするものなのだろうか。少女漫画の瞳が現実のそれとは比べようにならないくらい大きく描かれているように、この文章だって誇張表現なんじゃないんだろうか。
私は星廉と初めて課題で手をつないだとき、全くどきどきなんてしなかったし。だからきっと、ハグをしたって、ときめいたりなんてしないだろう。ぬいぐるみを抱きしめるのに似たような感じに違いない。
ぼんやりと小説を読んでいると、ふと子宮のあたりに鈍い痛みが走った。もしかして、と思い、トイレに立つ。けれど、今月の生理はまだ来ていなかった。先月はきていないし、今月も予定日から大幅に遅れている。ストレスのせいに違いない。
早く来ればいい、と思いながらトイレから出ると、キッチンからチャーハンの香りがした。
……毎日自炊していれば、いつか私に許してもらえる日がくるとでも思ってるのだろうか。
キッチンの方向に背を向けて、自分の部屋へと戻った。
私は一生、東雲篤貴を憎む。
あんな父親、いらない。
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