まぶしい、人柄

「そういえば、京先生から休み時間に聞いたんですけど、『和泉に探り入れてみたけど、仲があまり良くねェから何も教えてもらえなかった』そうです」

「あの二人、年近そうなのに仲良くないんだ……」

「なんか、この間、小さいシカが校舎に紛れ込んできたときあったじゃないですか。そのとき、職員の誰かがさすまたで追い払うとかどうするとかいう話がでたそうで、そのとき京先生が『和泉とあのシカを戦わせたら、高確率でシカのほうが勝つ』とか余計なことを言って喧嘩売ったみたいで……。それが決定打になって口きいてもらえなくなったのかもしれないって言ってました」

「和泉先生を馬鹿にするから……」

 勉強会はつつがなく進行し、私たちは普段より一本遅いバスに乗って帰路をたどっていた。赤羽くんと莉乃ちゃんは電車で帰るらしい。きっと今頃、電車の中で赤羽くんは莉乃ちゃんを励ましているのだろう。でも、たぶん莉乃ちゃんがかかえた根本的な問題が解決しない限り、元通りの彼女に戻る可能性は低い。

「……ていうか何で、和泉先生は浮気したんだろ」

 ポツリと呟きが洩れる。

 隣に座っていた星廉が私を見た。

「……だって、浮気って、酷いことでしょ。自分のことを信用してくれてる相手を裏切って傷つけるんだから。ほかに好きな人ができたんだったら、せめて、別れてから関係もてばいいのに……。最低だよ。莉乃ちゃんこれがトラウマになって、もうこの先、誰ともつきあえなくなっちゃったら、和泉先生どう責任とるつもりなんだろ」

 無意識に言い方が強くなってしまう。星廉から何も反応が返ってこないので、疑問に思って隣を見ると、意外そうな表情を浮かべて私を見つめていた。

「……なに」

「あ、いや、祈璃ちゃんって、友達想いなんですね。転入初日とか、結構さばさばしてるイメージだったので、なんか少し意外というか。もともと心根は優しい子だと思ってましたけど、けっこう情に厚いところもあるんですね」

 柔らかい笑みに、私は思わず微苦笑した。

 莉乃ちゃんを友達として想うがゆえに浮気した和泉先生にイラついているというよりは、どちらかといえば東雲篤貴の一件があったから浮気という行為自体がゆるせない……って感じなんだけど。とは言えない。

「でも、本当に和泉先生って浮気してるんでしょうか?」

「えっ?」

「いえ、祈璃ちゃんの言ってることは分かりますし、当事者間でしか分からないこともあると思います。でも、ぼくは和泉先生が浮気するとは思えないんですよね……」

「なに言ってるの? したに決まってるじゃん。和泉先生が莉乃ちゃん以外に微笑みかけるなんてことなかったんでしょ? 今まで。そんなの浮気以外に説明つかなくない?」

「それは……、確かにそうですけど」

「……それなら、もうそういうことじゃん。莉乃ちゃんだってそう言ってたし」

 何も悪くない星廉に対して責めるみたいな口調になってしまった。イライラする気持ちを抑えることが出来ない。

「莉乃ちゃんも、最初からつきあわなければ、こんな目にあわなくてすんだのに……。中途半端な状態だからツラいんじゃないのかな。いっそもう別れた方が楽になれると思うんだけど……」

 東雲篤貴の浮気で家庭が大変なことになった私にとって、傷ついて悩んでる莉乃ちゃんを見てるのは胸が痛んだ。今になってあんなに悲しむくらいだったら、いっそのこと最初から和泉先生と恋人になったりしなければ……。

「別れなよって、言ってあげた方がいいかな……」

 そこまで口にしたとき、ふいに腿の横に置いていた私の手を星廉がつかんできた。思わず星廉の顔を見てしまう。

「あ、いきなりすいません。手、まだつないでなかったので。たしか、下校のときもつなぐんでしたよね?」

「あ、ああ、うん。そっか……」

 びっくりした……。でも、そうだ。うっかり天使からの課題を忘れて願いを叶えてもらえなくなるところだった。あぶないあぶない。気をつけないと。

「祈璃ちゃんの考えもわからなくはないですけど」、と星廉が続ける。

「でも、つきあうつきあわないは莉乃さんが決める事です。ぼくは恋愛のことはあまりよくわからないですけど……でもたぶん、好きな人とつきあいたいと思うのは自然なことなんじゃないですか?」

「……それは、そうだけど」

「まあ、大事なのは莉乃さんと和泉先生がどうしたいかですし、あんまり外野のぼくらがあれこれ言っちゃうと、余計に混乱させてしまうかもので、今はお互い静かに見守りましょうよ」

「……そう、だね…………」

 もっともな意見に相槌を打つ。

 星廉って大人だ。

 確かに、誰と付き合うかは莉乃ちゃんの自由。だからって担任の先生の彼女になっちゃうのは自由すぎない? とは思うけど、でもそれも本人たちが納得して決めたこと。自分が、浮気されることを恐れていて彼氏をつくれないからって、莉乃ちゃんにまで「誰ともつきあわなければいいのに」と自分の思想を押し付けるのは間違ってる。

 息を吐くと、ヒートアップしていた脳の温度が下がった気がした。

 高校生という年齢にやや不相応なまでに落ち着いた星廉の意見のおかげで、冷静さを取り戻せた。

「あっ、祈璃ちゃん、この動画知ってますか?」

 横から腕が伸びてきて、見せられたスマホの画面には「一年かけて、紙粘土で家つくってみた」というタイトルの動画があった。サムネには、Tシャツ姿の男の人がおどけた表情で工作用の紙粘土を持って映っている。

「なにこれ? ばかみたいな動画……。ていうか、星廉もYouTudeとか観るんだ。意外」

「けっこう観ますよ。知らない情報とかいっぱい流れてきて楽しいですし。この動画はこの間、見つけたんです。面白いのでいま観ましょう。ぼくもうこれ三回くらい観ましたけど何回観ても面白いんです」

「そうなの?」

「はい。建設現場とかで働いてる人とか、設計士の人とかと協力して、紙粘土で一戸建ての家をつくるって企画なんですけど、技巧的な面とか、一つの家ができるまでにどれだけの手が加わっているかってことをとてもよく解説が入っていてわかりやすくて……!」

 マシンガントーク。しかもfunnyじゃなくてinterestingの意味で面白いって言ってるの? サムネのふざけた雰囲気から察するに、たぶん投稿主の意図とちがう楽しみ方してると思うけど。でも、星廉は、こっちまで気が抜ける眩しい笑顔で「本当にためになるんですよ!」と熱弁している。さっきまでの重苦しい気持ちはいつのまにかだいぶ蒸発していた。

 いま私一人だったら、バスが家に着くまでずっとイライラしてたと思う。そう思うと、……なんか、星廉がいてくれてよかったかも。

「でも星廉さ、なにがきっかけでそんな好奇心の権化みたいになったの? 幼稚園のときは、もっと内向的な勉強好きだったじゃん」

 いつも一人で問題集を解いていた姿を思い出す。子供のころは、今みたいな感じではなかったはずだ。もし今みたいな星廉だったら、幼稚園の時に遊びに誘われても、無下に断ったりしないで、「それってどういうルールなの? だれからその遊び教えてもらったの?」とか目を輝かせて尋ねていたと思うし。

「そうですね……。小学校卒業するくらいには、問題集とか……紙の上だけで完結する勉強には飽きてしまっていたんですよね。問いを解いて、採点をして、解説を読んで解き直してまた採点してっていう、そのサイクルがだんだん退屈に思えてきて」

「まず普通はそれを面白いと思わないんだけどね」

「そんなときに、毎朝、必ず通る家の花壇に綺麗な花が咲いているのを見て、何となく、ぼくは毎日この道を通ってるのにあの花の名前も知らないなって思って、調べてみたんです」

 家のパソコンの検索窓に文字を打ち込んで、エンターキーを叩いた瞬間、多くの情報で視界が染まった。花の名前、咲く時期、実が成る季節、花言葉。すべて知らないことだった。

「すごいなって思ったんです。毎日見てるものや、聴いてるものでさえ知らない側面があるってすごくないですか? 知りたいと思いませんか?」

 そう熱をこめた瞳で言い切った星廉に、少し心を動かされた。

 今まで、何でもかんでも知りたがるのは、極度の勉強好きだから、自分の知らない知識をとにかく雑多に頭につめこみたいとかいう変人みたいな欲求があるだけだと思ってた。けど、彼なりにしっかりとした動機があったんだ……。

「まあ、そう考えるとちょっと面白いかもね」

 私が微笑むと、星廉も「そうでしょう」とつられて笑った。

「というわけで、知らない知識を吸収できるのはとても楽しいので、よかったら祈璃ちゃんも動画観ませんか」

 さっきの、紙粘土で家をつくるとかいう難儀そうな動画。そのサムネを表示させたスマホを彼はずいと突き出して見せてきた。

「布教じゃん。まあいいけど」

「え、いいんですか。やった」

 うわついた星廉が、ワイヤレスイヤホンを取り出す。片方かしてくれたので、私はそれを耳に押し込んだ。

「最初のところ、ちょっと叫んでる人でてくるのでうるさいですよ」というアテンションが横から入る。マッチングアプリの広告を眺めながら私は「ええ、やだなあ」って返す。

 少し前まで胸を占めていた重苦しい感情が、やわらいでいた。腿の横でつないだ手が、何だかいつもより落ち着く。

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