あやしい、人物
「は? なにこれ?」
私のLIMEアカウントは、知らない人には勝手に友達追加されないように設定していたはずだ。QRコードを読み取らせた相手にしか、友達登録することは不可能なはずなのに。アプリのバグだろうか。
薄気味悪く思いながら、顔認証でロック解除し、緑色のLIMEアプリのアイコンをタップした。
スクロールしていくと、たしかに【友達】の項目に見たことのないアイコンが表示されていた。
白の背景に金色の羽が二個描かれた丸いアイコンだ。まるで、天使の羽みたいな――。
ちょうど天使のことを考えていた矢先だったので、思わぬ偶然に心臓がどきりとなる。
すると、また通知音がした。その天使っぽいアカウントからメッセージが届いたのだ。
それを見て、私は思わず息を呑んだ。
【願い事はありますか?】
「願い、事……って」
ふと、礼拝堂の聖書で読んだ索引の天使の項目に書かれていた一文を思い出す。
『人間の目に見えないが、特定の人間に現れる』
……いや、だからってこんなことある? いくら姿を見せたくないからって……、時代が令和だからって……。ていうか、天使なんかいるわけないし、誰かのいたずらに決まってる。きっと天使の噂を知る学校の誰かが、私のLIMEアカウント割り出して、からかってるんだ。
でも、頭ではそう思っているのに、本物だったらどうしようという期待がぬぐえない。
「………………べつに、先にお金振り込めとか言われたら、ブロックすればいいんだし」
誰に言うでもなく言い訳して、結局、誘惑に負けた。天使のアイコンをタップしてトークルームを開いた。
タタタタ、とフリック入力でメッセージを打ち、送信した。
〈あなたはだれ?〉
一瞬で既読がついて、肩がこわばる。数秒と経たずに返信が来た。
【私は天使です。あなたの味方です。】
案の定な内容に、心臓がどくりと音を立てた。
「…………いやいやいや」
苦笑してスマホの画面から顔を遠ざける。
本当にいるわけない。どうせ嘘でしょ。そういうのは紙とか画面の中にしか存在しない。漫画やアニメの中にしか。こんなのやっぱり、いたずらに決まってる。なにか特殊な詐欺かもしれないし、ブロックしたほうが無難だ。顔も名前も年齢も知らない相手なのに、天使ですって言われて簡単に信じるとか、ありえない。
しかしトークルームを閉じようとしたところで、さらにメッセージが送信されてきた。
【願い事はありますか? 私の課す「
課題。
そういえば莉乃ちゃんが言っていた。天使の出す少し意地悪な交換条件のことをそう呼ぶのだと……。
天使は美女の願いだけを叶えてくれる。
でもただでは叶えてくれなくて、天使の出した意地悪な課題をすべてこなすと、願いを叶えてくれる……。
莉乃ちゃんから聞いた噂とも今のところ全て一致する。妙に信憑性を感じさせる……。
そこまで考えてハッとして私はかぶりをふった。
でも、本物かどうかなんてまだわからない。
詐欺やいたずらの可能性だって残っている。ここは慎重にならなければ。
願い事をするのは、この天使が本物かどうか、見極めてからにしなくては。でも、どうしたら偽物か本物かの区別がつくんだろう?
まずは手ごろな願いごとを述べて、それを叶えることが出来たら本物……ということになるかもしれない。確か、莉乃ちゃんの話だと願い事の回数に上限はなかったはず。
一度、冷静になってそう思い直した。
〈明日の数学の授業が無くなりますように〉
そのメッセージを紙飛行機のマークを押して送信する。画面の上で軽い送信音が鳴った。
小手試しには、いい願い事だ。私自身数学は難しくて嫌いだし。それに、クラスメイトや、赤の他人がいたずらでやっていることなら、この願いを叶えることはできない。
【承知しました。次に提示する課題をこなし次第願いを叶えます】
送られてきたメッセージを読んで、ごくりと唾を飲み込んだ。かたずを飲んで画面を見守る。
いったいどんな課題なんだろう……。意地悪だと言っていたけど……。
【異性とお互いの長所を十個言い合ってください。期限は今日中です】
「へっ」
思わず変な声がでた。
え? 異性? なんで??
しばらく画面をみつめるが、内容は変わらないし、それ以上メッセージが送られてくることもなかった。
「えっ、これが、課題……?」
ぱちぱちと瞬きを繰り出す。
なんか思ってたのと、ちょっとちがった。
でも長所十個言い合えって、気軽にそんなこと頼める人いないし、ていうか、期限が今日中って……! 今日はあと六時間しかないのに? 課題には期限があるって莉乃ちゃんから聞いてはいたけどちょっと短くない!? え、簡単な願いだから?
急いでLIMEの友達登録している項目を開いた。
課題は「互いの長所を十個言い合う」とのことだった。なにもわざわざ直接異性と会わなくても電話で解決できるのだ、令和だもの。
しかし、スクロールして、すぐにLIMEでつながっている人の数が極端に少ないことに気づく。
そうだ。前の学校の人の連絡先は全部消したんだった。
私の父が浮気したということがなぜか学校中に広まって、LIMEを交換してた男子たちから変なメッセージが届くようになったから。
最初に送られてきたメッセージは「大丈夫?」などと私の身を案じる内容だったから、てっきり心配してくれてるのかと思っていた。でも、そのうち「東雲さんのお父さんっていい年して欲求不満だったん?ww」、「もしかして娘の東雲さんも欲求不満だったりするの? 俺が解消してあげようか?」とかなんとか不快なメッセージが送られてくるようになったのだ。
そのメッセージは無視するようにしたが、それでも私はクラスで浮いた。女子からは「超きもいよねー」、と聞こえるような声量で言われたり、廊下ですれちがうときにわざとぶつかってきて「やだ、ビッチがうつっちゃうー」と馬鹿げたことを言われたりした。ふだん、私がモテるのをよく思ってなかった女子も少数派ながらいたんだろう。ずっと鬱憤を晴らしたいと思っていたから、ここぞとばかりに私の父の浮気を利用した、という感じだった。
その間も男子たちにはきわどい目で見られることが多くて気持ち悪くなり、それでも休んだら負けのような気がして、私は東雲篤貴を心のなかで呪いながら学校に通い続けた。いっぽう、東雲篤貴も浮気が会社にバレそうになったからか、自主退職ののち、転職していた。
私は転校を機にLIMEグループを全て退会し、前の学校の生徒の連絡先は全てブロックして削除した。だから、今LIMEには両手で数えられるくらいの人数の連絡先しか入ってないのだ。
しかも、その全てが親戚やいとこ。
異性と呼べるのは叔父さんくらいだ。なにかあったときのために、と連絡先を渡されたけど、それから一度もやり取りしていない。
それに、一年に数回しか会わない叔父のいいところなんて失礼かもしれないけど十個も思いつかない。いとこは女の子だし……。
困った。
こんなことならあのキャラ濃い四人組とLIME交換くらいしとけばよかった、と今更ながら思った。
もう夕方だし、今から誰かに会いに行くのは厳しいだろう。第一、そんな気軽に会えるような男友達は私にはいない。
あれ? これ、もしかして詰んだ?? ていうかもしかして、天使はこのことを知っていてこんな意地悪な課題を? だとしたら本当に性格が歪んでいる……。
辟易としたが、この課題をこなさないと天使が本物かどうかの判断材料につながらない……。
途方にくれかけていたら、〈最近、友達登録した人〉という項目に、コアラのアーチのアイコンがあるのが目に留まった。【一 星廉】という名前のアカウントだ。
脳内に一筋の光が差す。
そういえば、バスで交換した。数学の解説をしてもらっていたのだが、時間が足りないし途中で飽きてきて、それで残りの解説はあとでLIMEで送ってと言って交換して、その後は雑談して帰ってきたのだ。
「……星廉、まだバスに乗ってるかな」
私は、一星廉のアイコンをタップしてプロフィール欄を開いた。背景画像は夏らしく花火の写真が設定されていて、「ニノマエです。イチじゃないです。」という簡素なステータスメッセージの下に「トーク」、「通話」、「ブロック」の三つの選択肢がある。迷いなく通話をタップした。
iPhoneの画面を耳に押し当てながら軽快なコール音を聞いていた。なかなか繋がらない。
あとで掛け直そうかな……と思ったとき、コールが途切れた。
『……もしもし?』
バスを降りて帰宅途中なのか、歩行者信号がカッコウと鳴く声や、車の走行音、人の話し声などがうっすらと聞こえてくる。
星廉は、突然の通話にちょっと狼狽していた。
「あっ、もしもし星廉?」
「星廉です。祈璃ちゃん、どうしたんですか? なぜ急に通話を……?」
「いや、えっと……、……ぶ、無事に帰れたかなーって……」
不意を突かれてうまい言い訳ができず、咄嗟に紳士な彼氏みたいなことを口走ってしまった。
「そんなに心配してもらわなくても、高校生なんだし一人で帰れますよ……」
画面の奥から聞こえてくる声がちょっと笑っていて、バツが悪くなる。早く長所十個言い合って切りたい……、と軽く悶絶してたら、「祈璃ちゃんは無事に帰れましたか」と訊かれた。
ほんと星廉まるくなったなぁ……とちょっと感動してしまう。幼稚園のころの星廉だったら「もう切っていい? ぼく早く帰って勉強したいんだけど」とか冷たく突っぱねられてたに違いない。
「あ、うん、大丈夫。ちゃんと帰れたよ」
「それならよかったです。バス停から家近いんですか?」
「うん、歩いて五分くらいかなー……。……あのさ、星廉お願いがあるんだけど」
「え? 何ですか? 数Bの解説なら夜に送りますけど……」
「そうじゃないんだ。あの、私とえっと、……ゲームしてくれないかな?」
「え! ど、どんなゲームですか? ぼくの知らないやつですか?」
「えっと、そんなわくわくされるようなものじゃないんだけど……。知りあって間もない人と互いの長所を十個言い合うゲーム」
「え……????」
わけが分からないのだろう。当然だ。私が逆の立場でもそうなる。
きっといきなり通話をかけてきて突拍子もないゲームに誘ってきた変な女子と思われてるに違いない。電話越しでも星廉が目を白黒させてる光景が鮮明に頭に浮かんだ。
「ど、どう? やってみない?」
「え、いま? いまですか? いや、でもそれとぼくとやるより、明日学校とかで莉乃さんとかとやったほうが楽しいんじゃないですか……?」
「だめ。星廉じゃないと絶対だめなの」
我ながら、思いのほか迫真に迫った声になってしまう。星廉はそれに
「じゃあ私からね。頭いい、センターパートが死ぬほど似合う、メガネも似合う、親切、声がクリア、下まつげ意外とある、肌がきれい、フツメンだけど愛嬌のある顔立ち、体脂肪少なそう、誠実そう」
指を折りながら言い終える。今日一日けっこう星廉のそばにいたし、十年も前のこととはいえ一応、初恋相手だからかスルスルと褒め言葉が出てきた。
画面の奥から「このゲーム、すごく楽しいかもしれないです」と星廉の声が聞こえてくる。褒められてうれしかったんだね。なんにせよ、乗り気になってくれて何よりだ。
「ほらはやく、星廉も私の長所十個言って」
「えっと、肌が白い……、目が大きい、二重がくっきりしている……、脚が綺麗にほそい、小柄なフォルム、小食そう、制服がよく似合う、笑うとえくぼができる、……あとは」
「あと一個、あと一個!」
「んー……あ、あとは、心根が優しいですよね」
あやうく、iPhoneを落っことすところだった。
え、いま優しいって言った?
「え。どういう意味?」
十個目まで出たけど、私はお礼を言うのも忘れてそう訊いてしまった。
「あ、えっとですね」
「いや……、うんまあいいや、ゲームにつきあってくれてありがと。じゃ、気を付けて帰ってね~」
「あ、はい」
そのまま通話を切った。スマホを握りしめたまま、床に座り込んでゆっくりと長く息をつく。
天使からの課題が終わった。
これで、明日の数学の授業がなくなれば、この天使は本物だということになる。もし、もしも本物だったら、私の本当の願いごとを叶えてもらえるかもしれない。
いつしか、本物であることを願っている自分に気づいた。
キッチンで電子レンジの音が鳴り、エビピラフの完成を報せた。
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