うるさい、教室
「おはよう……」
本令が鳴った直後、和泉先生が覇気のない挨拶とともに教室に入る。私もそのあとにつづく。教壇に立つと、クラスメイトたちの視線が自分に集中するのがわかった。
「うお、転校生!? マジやべえな! マジすっげえ、マジ超かわいい! マジえっぐ!」
「美しすぎて直視できないな。きみのようなレディに会ったのは初めてだよ」
「ふひひ、これはこれは。銀河太陽★警官シリーズに登場する南たそに似ていますな」
「ヤバ、一瞬、浜辺美波かと思っちった。LIME交換しない? 俺、今フリーだし」
前から二列目の席に横並びに座った
職員室のパーテーションで区切られた応接スペースで、「再来年には廃校になるし、生徒数も少なくて、部活動はまともに機能してない」という実用的なことから、「校舎は設立からかなり年数が経ってるから所々ガタがきてる」だとかいう豆知識まで、和泉先生からわりと細かく説明を受けた。その最後に先生が、「うちのクラス……莉乃ふくめて、キャラ濃い子多いけど……、悪い子は……いないから…………」と謎のフォローで締めくくった理由がちょっとわかった気がした。
さらに、そのキャラ濃い奴のほかにも、有象無象で普遍的なクラスメイト達が十数人いて、「可愛くね? え、可愛くね??」、「顔面偏差値えっぐ……」と私の容姿に関してのコメントを、近くの席の人とひそひそとささやいている。言われ慣れすぎて感覚が麻痺した私は、容姿を褒められても嬉しいとは思わないが。
「自己紹介……、して、あげて……」
和泉先生が覇気のない目で隣に立つ私を見た。前を向くと、クラスの数十人の皆がこちらに期待のまなざしを当てている。
教卓の真ん前の席に座った莉乃ちゃん(一足先にちゃんと一人で教室に行った)が、口パクで「がんばって」と私にエールを送ってくれていた。私は焦った。
やばい。自己紹介なんて何も考えてこなかった……。
とりあえず、黒板をふり返って、白いチョークを手に取った。上履きでつま先立ちになると、やや大きめに、丁寧に、黒板に自分の名前を書いていく。女子の平均身長をゆるやかに下回る私は、腕をピンとのばして自分の頭より高い位置で字を書かないといけない。
ぱらぱらとチョークの粉が顔に落ちてきて目をすがめる。カツカツと乾いた音だけが静かな教室に響いて、大勢の人間に一挙一動注目されているのが、背中越しでも伝わってきた。
書き終わってチョークを置く。私が振り向くと、【東雲祈璃】、の四文字を見て皆は眉を寄せていた。
「え、マジ? マジなんて読むんだ……?!」
「ヒガシグモ……いや、トウウンかな?」
「ふひひひ」
「下の名前がマジわからーん。キラキラネームで草ぁ」
前の席の体育会系(以下脳筋)、自己陶酔系(以下ナルシスト)、虚構中毒系(以下オタク)、異性間積極的交流(以下パリピ)系が釈然としない表情で口々につぶやいている。
別に自分の名前が珍しいなんてことくらい、言われなくてもわかっていた。今まで初対面の人には正確に読まれたためしがない。キラキラネームなのは認めざるをえない事実だから仕方がないと思う反面、自分の名前をそんな風に言われるとやっぱりちょっとむかつく。
しかし、いつまでも無言でいるわけにはいかない。
「えっと……、東雲祈璃です」
しののめいのり。
正答をポンと投げ込んであげると、皆は「へえ」、という表情になった。
「……
ぺこりと会釈する。ぱちぱちと拍手が起こった。でも、「えっ、マジ?! マジそんだけ!?」と脳筋から声が上がって、「は?」と突っかかりたい気分で頭を上げた。
「なんか自己紹介なのに、あんまり自己を紹介してもらってる感じがしないわ~。なんかもっと言うことあるっしょ」
パリピが、額のバンダナの位置を調整しながら言ってくる。
「なあ、家の事情ってマジで何!? お父さんのマジな転勤とか?」
「漫画でよくあるのは、親の仕事の都合。もしくは~……、離婚とかですかな。ふひひ」
「そんなわけないじゃん」
オタクが、指で肉厚な顎をなでながら発した無神経なセリフ。思わず語気が強くなった。
「ちょっと、やめなよ! いっちゃんだって緊張してる中、がんばって自己紹介してくれたんだよ! 揚げ足とるようなこと言うのやめなよ! だいたい、なんで初対面の女の子にそんな失礼なことばっかり言えるの! そんなだからモテないんだよ!」
莉乃ちゃんが抗議の声を上げると、オタクは「ふひひ、事実なので何も言い返せませんな」とにやけて首をすくめた。なぜ叱られてうれしそうなんだ気持ち悪い……。
「すまないね、ミス祈璃。彼に代わって失言を詫びよう」
そばでやりとりを見ていたナルシストが眉を八の字にした。コイツは、このキャラ濃い四人のなかでは比較的話が通じる部類の人間らしい。
「でも、僕らはもう少し詳細に君のことを知っておきたいんだ。今日から同じ教室で勉強する仲間じゃないか。ここはぜひ、自己紹介を詳しくやってほしいな。もちろん、きみの言いたくないことは言わなくても結構だよ」
「詳しくって言われても……。皆、私のなにをそんなに知りたいわけ?」
「あ、じゃあこっちからマジ質問するからさ! 東雲さんはそれに答えてよ! マジ簡単なやつにするし! 質問その一、彼氏はいますか!?」
「いない」
即答すると、教室が沸き立った。だれだ、口笛吹いた奴。
「ふひひ。いたことはあるのですかな?」
「……ないけど」
教室が沸き立つ。さっきの数倍。莉乃ちゃんまで「ないの!?」と大層驚いている。
「ま、マジ?! マジで!? え、じゃあ、マジなスリーサイズは?」
「うわ、だる……」
あまり調子に乗られても困る。視線を斜めにそらしてため息をついてみると、皆は「あっ、ごめんごめんごめん!」と声を綺麗にそろえて謝ってきた。
「あ、じゃあ、マジ得意科目とかは!?」
「一番得意なのは現代文かな」
さっきから脳筋がひっきりなしに質問を重ねてくるなぁ。そして、いちいち「マジ」って言わないと気が済まないのか、お
「えっと、えっと、じゃあマジな趣味は!?」
「読書とか」
「やばい、マジまってくれ、俺、現文も読書もマジ苦手だ! 共通点がマジなにもねえ! マジで気が合わないかもしれない!」
ぶっきらぼうに質問に答えてやっていると、脳筋が悲痛な叫びを上げて坊主頭を両手でかかえた。それとは対照的に、オタクはクセの強い前髪を触りながら、「読書が好きってもしかしてラノベとかですかな? ワタクシもラノベは嗜んでおりましてですな……!」と興奮気味にまくしたてた。でも残念、私が読むのは一般文芸です。まあ、同じジャンルを読んでいたところで何だっていう話なんだけど。
「なにがラノベだ! マジ抜け駆けしようとすんなよ! 俺が質問してるんだぞ! 陰キャはマジで黙ってろ!」
「お言葉ですが、教養もなければ思慮も浅い陽キャこそ黙るべきかと。ふひひひ」
「争いは美しくないよ、やめたまえ」
「つか、得意科目より好みのタイプとか質問したほうが良くねー?」
「言われてみればマジでそうだわ! でも、またマジな地雷踏んだらどうする……?」
教室がざわざわとさざめきだす。
……いい加減ウザったくなってきた。さすがにここまで騒がれると予想していなかった。ド田舎の学校で刺激のない日々を送っていたところに美少女がやって来てテンションがMAXまで上がっているのだろうか。
仮にも担任なんだしちょっと静かにさせてくれないかな、と横の和泉先生にアイコンタクトを送る。しかし、彼は無表情で虚空を眺めていて私を見ようとしなかった。星に帰りたい宇宙人なのかな。
「ミス祈璃は、趣味が読書だと言っていたけど、読書以外だと普段なにをして過ごすのが好きなんだい?」
「えっ?」
唐突に訊かれて思わず面食らう。
「生憎、僕は読書はあまりしないんだ。クラシックを聴いたりなんかはするけれど。音楽は好きかい?」
「いや、べつに……。音楽はそんなに」
「おいマジ待てよナルシスト、せっかくなら好きなタイプを訊こうぜ! マジ何でそんな趣味とか訊いてんの?」
「ミス祈璃は、モテることに飽き飽きしていて恋愛に消極的なタイプだとお見受けしたからさ。君は、今までのミス祈璃の我々への塩対応から予測できなかったのかい? 好みのタイプを無理に聞き出して呆れられるよりも、共通の趣味の話なんかで盛り上がれる友人として少しずつ距離を縮めていったほうが心を開いてくれそうだ」
「マジかーーーー!!!!!!」
「そういう会話は私のいないところでした方がいいんじゃないかな」
間抜けなやりとりに、あきれてツッコミを入れてしまう。「ていうか、私、読書以外の趣味って言われても特にないし……」とも続けて付け加える。
「そんなに深く考える必要はないさ。ただ君が普段していることを答えてくれればいいんだよ」
泣きぼくろのナルシストはウインクすると(キザ野郎って呼んでもいい気がしてきた)、シャツの胸ポケットにさしていた一輪の
浮かれた様子のキザ野郎のみならず、皆も期待に塗れた瞳で私を見つめていた。自分と一つでも共通点があったらお近づきになれるんじゃないかと考えているのが手に取るようにわかった。
そんな目で見られてはしかたない。ここはせめてもう一つくらい趣味を挙げておこう。
でも私、読書以外で趣味とかあったっけ。うーん、ほかの趣味。私が普段していること……。読書以外で……。
思案していると、今朝、引き出しに隠してきたリングノートのことが脳裏をかすめた。
……でも、あれは趣味に入るんだろうか? 好きでやっているわけじゃないけど、でも、普段していることではあるし。趣味の域に入るかも。
口を開いた。
「…………ほかの趣味は、文章を書くこと、とかかな」
そう口にすると、教室が一瞬、水を打ったように静かになった。そして「マジ!?」と脳筋が席を立って叫んだ。
「マジ!? マジ?! 文章を書くのが趣味!? うわ、マジすげえ!」
「それな~。俺、読書感想文も書けないわ~。てか文章って何? もしかして小説とか書いてんの?」
予想外の方向に話が広がって、「えっ」と思った。
美形あるある、【勝手にいいイメージ持たれがち】。小説なんか書いたことない。
「純文学とか書いてそうな感じするわ~。賢そうだし~」
「ふひひ、読書と小説を書くのが趣味って正真正銘の文学少女ですな……!」
キャラ濃い奴らがそう言って騒ぐので、それが有象無象の多勢なクラスメイトたちにも伝播していく。「小説だって」、「ネットとかに投稿してるのかな?」、「え、どんなの書いてるんだろ」、「案外、恋愛小説だったりして?」とか楽しそうに予想を囁き合ってる声が聞こえた。共通の趣味にあてはまる者はいなさそうだが、これはこれで良いらしい。
私が書いてる文章はもちろん【小説】ではない。でも、もう訂正するのもめんどくさかった。それに、「じゃあ何を書いてるの?」という問いを投げられても、本当のことは言えないのでそれはそれで困る。
「ふひひ、もしかしてラノベとか書いてらっしゃるのですかな?」
オタクがそんなことを言いだしたので、私は「さあ、どうだろう?」と曖昧に笑ってごまかした。
ああ、早く終わらないかな。この無益な時間。
盛り上がっているクラスメイトを前に、うんざりとしていたそのとき――。
教室後方のドアが、内側に向かって勢いよく倒れこんできた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます