まさかの、再会

 すさまじい物音が室内に響いて埃が舞う。ドアの上方に嵌められた小さなガラスが、床に倒れた衝撃で盛大な音を立てて砕け散る。

「きゃーーーーっ!!」

 ずっと大人しく和泉先生を見つめていた莉乃ちゃんが、悲鳴を上げて席から立ちあがった。私の隣にいた和泉先生を盾にするようにしがみつく。こらこら。

「うわ、マジ!? マジやば! マジえぐ!」

「ふひひ、武装組織が乗り込んできたのやも」

「さすがにそんなわけなくないかい……?」

 教壇を向いて私の容姿をほめちぎっていた皆が、後ろを振り向いた。

 ドアが床に倒れ、ドアにはめられた小さなガラスがヒビが入りまくって真っ白になっていた。

 そして、そのドアの入口付近には、武装したテロリストではなく、顔面蒼白で立ち尽くす丸腰の男子生徒がいた。

「マジ何だよ、にのまえか! ビビらせんなよ、マジ!」

 にのまえ。

 朝、昇降口のところでも和泉先生が口にしていた名前だった。

「すいません……。ぼくもびっくりしてます、今……」

 一くんはおろおろしながら言った。きちんと結んだネクタイ、腰で穿いたりしてないズボン。この暑いのに、校則順守派なのか、ベストまできちんと着込んでいる。センターパートの黒髪に金縁の丸眼鏡がよく映えていた。

「ふひひ、どうしたらそんなことになってしまうのですかな?」

「ほんとに、普通に教室入ろうとしてドアに触ったらこうなりました……」

 一くんは、倒れたドアを前に当惑していた。やっちゃったよ……という表情で、ドアに嵌ったガラスが砕けているのを見ている。

「でも、そこのドア、前からガタついてたじゃんー。あちこち古いんだし弁償とかにはなんないっしょ」

「ミスター一、けがはないかい?」

「あ、ぼくは平気です! ドア片づけます……!」

 え、どうやって?

「……いいよ。一くんは、やらなくても……。あとで、俺が……片づけとく……から……」

 のんびりとした口調で和泉先生が教壇から声を掛ける。

「びっくりしたぁ……! 莉乃、まだドキドキしてるもん。一くん、ちょうど今いっちゃんに自己紹介してもらってるから、一くんも、席、着いてね」

 和泉先生を盾にするようにしていた莉乃ちゃんが、顔だけ出してにこやかにそう言った。

「あ、転入生の人ですか? 初めまして」

「はじめましてー」

 一くんのおずおずとした挨拶に言葉を返す。

 それで、その段になって、ようやく彼とパチッと目が合った。

 その瞬間、一くんの双眸が見開かれる。

 えっ? と思ったらそのまま、机の間を縫ってずんずんこちらへ近づいて来る。

 え? なに?? まさか一目惚れされた?? 猪突猛進告白パターン??

 クラスメイトは「なに? どうしたの?」とさざめいていた。

 彼は、こちらをまっすぐ見つめたまま教壇へたどりつくと、私の一歩手前で止まった。

 まじまじと見つめられたので、私も見つめ返す。

 陽光を反射するメガネの金縁。コームで梳いても、引っ掛からなさそうなストレートの黒髪。肩幅は狭めで、男子にしてはちょっと華奢。顔立ちは特段整っているわけでも、崩れているわけでもないけど、髪型とメガネのおかげで雰囲気イケメンだ。

 そんな彼は近くで見れば意外と背があって、女子の平均身長をゆるやかに下回る私は、ちょっと顔を上げていないといけなかった。

「あの、一くん?? なに……?」

「あの時のいのりちゃんじゃないですか!?」

 パアッと彼は顔を輝かせた。

 てっきり、一目惚れしました的なことを言われて告白されるものだと思っていたので、その突拍子のない台詞にはほうけた。

 え、私を知ってるの? まず、黒板に書いた名前、みんな読めなかったのになんで読めてるの? ていうか「あの時のいのりちゃん」、って……?

 疑問だらけの私をよそに、彼は言った。

「ぼくです! 幼稚園いっしょだった『にのまえ せいれん』です! 覚えてませんか!?」

 せいれん、って……。

 幼稚園のころ、一人で問題集に向かってた小さな男の子の姿が、瞬時に頭に浮かんだ。

「えっ、せいれんッ!?」

 大音声が喉を突く。きっと、私の頓狂な声は教室の壁を突き破って廊下にまで轟いたことだろう。

 うそでしょ、全然気づかなかった……。

 クラスメイトは「ガチ? 二人知り合い? 運命?」、「ふひひ、少女漫画の第一話」などとひそひそと会話している。

「やっぱり! 久しぶりですね。元気でしたか?」

 目の前で星廉はふわふわ、にこにこ笑っている。人を寄せ付けない雰囲気を纏っていた幼稚園時代と比べると、同一人物だなんて信じられない。

 そういえばあの頃、園児は皆フルネームの名札を着けていた。私は星廉のそばによくいたんだし、星廉の胸元に付けられた『にのまえ せいれん』という名札だって、何十回何百回と見ていたはずだ。だから、和泉先生の口から「にのまえ」と聞いた時にどこかで引っかかりを覚えたのだ。でも……。

「な、どうして星廉がここにいるの……!?」

 卒園後、せいれんは東億大附属高校の初等部に進学したはずだ。だったらいまごろは、そこの高等部に在籍しているはず。

「ま、まさか授業のレベルについていけなくなって、落第して、それで前の学校退学して地元の高校にやってきたとか……?」

「ちがいますよ!? いや確かに中等部卒業を機に自主退学しましたけど、理由は授業のレベルじゃなくて校風が合わなかったからです!」

 あわてて彼は言った。へえ……そういうことだったのか。

 でも、納得しかけたそのとき、新たな疑問が浮かんだ。

 だけど、外部進学するにしたって、なんでわざわざこんな山奥にある偏差値も普通の高校を選んだんだろう? ここよりアクセスが良くて、偏差値の高い高校なんていくらでもあるはずだ。ほかにもっとやりようがあったんじゃ……。今ひとつ腑に落ちないが、こちらが何か言う暇もなく。

「ね、ねえ、一くん、いっちゃんと知り合いなの??」

 声のしたほうをみると、莉乃ちゃんが私と星廉の顔を交互に見ながら訊ねてきた。

「あ、はい。幼稚園が同じでした」

「えーっ、すごーい! 運命みたーい!」

 星屑をかきあつめて瞳にコピペしたかのごとく、目が輝いていた。

「はー? クソ羨ましすぎるんだけどー。てか、幼稚園のころの東雲さんってどんな感じだったん?」

「優しい子でしたよ。いつも一人でいたぼくを気遣って一緒にいてくれてましたし」

「え、マジやさしいじゃん! マジ女神!!」

 脳筋が叫びに近い声を上げた。

 あ、星廉にとってはそんな印象なんだ。

 「毎日毎日、勉強してる時に隣にいて話しかけてきて、集中力の妨げでした!」、とかじゃないんだ……。まあ皆の前だからお世辞かもしれないけど、でも何でもズバズバ言ってた幼稚園のころと比べてお世辞を言えるまでに成長して……。感慨深い。

「ていうか、よく私だってわかったね。十年も前なのに」

 私は、せいれんこと星廉がどんな顔だったかも覚えていなかったのに。

「ちゃんと覚えてましたよ。面影ありますし、シノノメイノリっていう名前の子、そうそういないと思いますし」

「名字まで覚えてたんだ……。私、星廉の名字が何だったかとか全然覚えてなかった……」

「こう書くんですよ」と、白いチョークを取って手慣れた動作で黒板にサラサラと字を書きだす(恐らく、授業の時みんなの前で問題を解くのに慣れているせい)。

 「東雲祈璃」の隣に「一星廉」という字が書かれた。

 やたら止めとはらいが強調されている筆圧が濃い字だ。線が細い男子なのに意外と書く字は男らしい。

「ふひひ、前々から思っておりましたが一氏、チョークとかペンの持ち方おかしいですぞ」

「え? あっ」

「……小学校入ったら直すって言ってたのに。持ち方……」

「あはは……」

 星廉はバツが悪そうに笑って、チョークを持った左手を右手で隠した。

 性格は矯正できたのに、えんぴつの持ち方は矯正できなかったようだ。

「マジでやめろ! なに二人の世界つくってるんだ!?」

「いいじゃん、久々の再会なんでしょ? 懐かしくなって当たり前だよ! 一くんもいっちゃんに何か質問しなよ!」

 莉乃ちゃんはチークを散布した頬をゆるめて余計なことを言う。私と星廉がワンチャン恋愛関係に発展するんじゃないかと期待しちゃってる目をしていた。

「え、うーん、祈璃ちゃんに質問ですか……」

 対する星廉は、顎に指を添えて私をジッと見つめた。

 たっぷり十秒は黙ったあと、なにか閃いたらしく「じゃあ、」と口を開く。

「将来、就きたい企業とか決まってますか?」

 どこの面接官だよ、おのれは。

「そうゆうのじゃないやつにしてあげて! いっちゃん困ってる!」と莉乃ちゃんがたしなめた。

「え、えっと、じゃあ直近の模試結果とか見たいです」

「模試? なんで?」

「偏差値と正答率を割り出して、得意分野と苦手分野を解析して、弱点強化に特化した対策法を編み出します……!」

「……それ、何が楽しいの?」

 私は星廉から一歩退いた。

 生き生きしてる星廉を見て、ちょっと本気で心配になってくる。私レベルの美形女子を前にしてそんな特殊な質問してくる男子、今までいなかった。

 初対面だと大概の男子は「好きなタイプは?」とか、「彼氏いる?」とか下心だらけの質問をしてくる。それ以外だと、さっきの「ご趣味は?」みたいなオーソドックスなやつが多い。普通はまずそんな引かれそうなことは言ってこない。

「おい、一!? さっきからマジでトンチンカンなことばっか訊くのやめろ!? 普通は恋愛系とかだろ!?」

「つーか、こんなに可愛い女子が転入してきたらー、普通は、彼氏はいるのか~とか好きなタイプはどういう奴なんだろう~とかそういうことの方が自然と気になるもんじゃねーの?」

「いや、一くんは……、普通じゃない……から……。いい意味で……」

 悪い意味で普通じゃない英語教師から、ナイスなフォローが入った。

「でも、『この人は二次関数弱いからここの分野がんばったら全体の偏差値ガッと上がるんじゃないかな~』とか考えるのも楽しいんですよ」

「絶対、前世、敏腕塾講師だったろ」

 パリピのそのツッコミに、クラス中が笑いに包まれる。

 星廉は「そ、そうだったんですかね……?」とか考えこんでいて、変なところでピュアだ。ていうかノリも良くなってるな。

 幼稚園のころだったら「……べつに」とかそっけなく返すくらいだっただろうに、こんなに皆と打ち解けれるようになって……。なんか感慨深いような、あのころの一匹狼だったせいれんがどこにもいなくなってしまったようでちょっぴり寂しいような。

 じっと見てたら目があって、気の抜けるような笑顔で笑いかけられた。

 最初に「愛想良くなってるな」、と思ったけど撤回しよう。格段に良くなっている。

「なんか見つめ合ってね??」

「えっ、いや別にそういうのでは」

 パリピからの指摘に戸惑う星廉。

「だるいからやめてそういうの」

 そしてキッパリ言う私。

 皆が「ごめんごめんごめんごめん!! 我らを見放さないで女神!!」と声をそろえて謝ってきた。

「じゃあ……、東雲さんの、席……どこ、にしよう、か…………」

「え、俺の隣にしない? ちょーやさしくするし~」

「ワタクシなんかはいかがですかな」

 ほかにも何人かが「俺が」、「いや私が」と挙手をする。目がギラギラしていて怖い。超必死な皆。

「あ、もうこのさい席替えしたらどうですか? そしたら、確率的には公平ということに……」

「だめぇえええ!」

 一くんの提案に莉乃ちゃんが吠えるように叫ぶ。星廉が肩を揺らす。

「まだ、席替えして一か月しか経ってないもん! ここ、和泉先生の顔を間近で見れる特等席なのに……。席替えするのはやだっ!」

 教卓の真ん前の席である莉乃ちゃんは、机をかばうように華奢な腕で覆っていて、頑なだった。和泉先生が「……じゃあ、空いてる席……とか?」と言って首を傾げた。

「ぼく、窓際の一番後ろですけど隣あいてますよ」

「あっ、そうだね。うちのクラス、二十一人なのに机の並びが横四列縦五列だから、いま一番後ろの列の席には一くん一人だけだったもんね。いっちゃんが隣の席に来たら、さみしくないじゃん!」

「いや、マジそんなこと許してたまるか! 幼稚園も同じだったくせにマジずるいぞ!」

「それな~、俺も東雲さんの隣がいい~」

「ここはやはり席替えをしてもいいんじゃないかい?」

「やだー! 莉乃ここがいいの! 席替えしたくない!」

「俺も……莉乃には……、そこの席にいてほしいから……、席替えは嫌かな……」

 つぶやくような声量だったけど、横にいた私にはハッキリと聞こえた。和泉先生を二度見する。教壇の真ん前の席で笑みを浮かべる莉乃ちゃんに、微笑み返す和泉先生。

 やっぱりこの二人って結ばれてるの……? 私の予想通りなの??

 莉乃ちゃんが全く譲らないので、やがて教室にも諦念が漂い始めた。クラスの皆も、担任と莉乃ちゃんが癒着してることはとてもよくわかっているのだろう。

 やがてオタクが「東雲氏、今回は一氏の隣でがまんしてはいかがですかな」と言いだして、「そんな言い方あります!?」と星廉がツッコミを入れた(どこまでノリが良いんだ)。

「じゃあ……、隣の、空き教室から……誰か、一限目が……始まる前に……東雲さんの、机と椅子、もってきて……、あげて……」

「俺が! マジで持ってくる!」

「やれやれ、仕方がないね、綺麗な机と椅子をよりすぐって持ってこようじゃないか」

 男子たちが、誰が持ってくるかとさわいでる中、「モテモテですね」と、星廉だけは死語を使って呑気だった。私の隣の席になったというのに、手放しで喜んだりはしない。幼稚園のころみたいに、露骨に勉強以外のことには見向きもしないということはなくなったようだが、成長しても星廉は私に恋愛感情や異性としての関心がないことに変わりはないらしい。

 普通の男子高校生と比べると異常だし、ある意味不健全だとも思うが、とても星廉らしいとも感じる。あの頃と比べて垢ぬけたし、上手く人とコミュニケーションがとれるようになってはいるけど、根本のところは変わってない。そのことに何だかちょっと安心して、わいわい盛り上がっている皆を微笑ましく見守る星廉の横顔を、私は眺めていた。

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