しらない、成長
「いっちゃん、お昼いっしょに食べよ」
昼休みになるなり、莉乃ちゃんが私の席に、てててっ、と駆け寄ってきた。小さくて素敵なランチバッグを胸にかかえてにこにこしている。
私は前の時間の世界史の教科書をしまって、財布を持って購買に行こうとしていたところだった。
「ふひひ、女子たちがみんな『昼休みを一人で過ごそうとしてる東雲さんかわいそう……。一緒に食べない?って誘いたいけど、でもあんな顔面偏差値東大レベルの超絶美人の隣に並んだら、自分の顔面偏差値がFランなことが浮き彫りになっちゃう……』としり込みする中、綿貫氏が誘いましたな」、「まあ、綿貫さんもけっこう可愛いほうだし。つか、俺も東雲さんと食べたかったのに先こされちゃったー」と、前のほうの席にいたパリピとオタクの囁き声を耳が拾った(よくもまあ、自分らの顔のことは棚に上げて女子の容姿をどうこう言えるものだ)。
教室の面々を何気なく観察すると、グループごとに机をくっつけて、それぞれいろんな大きさの孤島をつくったクラスメイト達が、私と莉乃ちゃんの様子をチラチラ窺っている。「やっぱりうちらも誘えばよかったんだよ」と後悔をあらわにひそひそしている女子の声も聞こえた。
余談だが授業中も、皆はこちらをずっと気にしていた。うざくてしかたなかったから、せめて昼休みくらいは誰とも関わらずに一人で本でも読みながら食べたかったんだけどな。前の学校でもそうしてたし。
「……莉乃とお昼ごはん食べるの嫌?」
私が複雑そうに黙っているからか、莉乃ちゃんがランチバッグをキュッと抱きしめて不安げに眉尻を下げてしまう。
「あ、ううん。べつに莉乃ちゃんが嫌とかそういうわけじゃないよ。一緒に食べよ」
せっかくの厚意を無下にするのも何だかしのびない。莉乃ちゃんだって、きっと気遣ってくれてるだけなのだ。
「よかった。もしかしたら、もう一くんと約束してるのかなって思っちゃった」
「え、なんで星廉?」
ほっとしたように表情をゆるめた莉乃ちゃんに、思わず首をかしげた。
「だって幼稚園いっしょだったって言うし、それに英語の授業とかでも仲良くしてたから」
「ああ……ペアワークの時ね」
コミュニケーション英語の授業の時、隣の席の人とペアになってペアワークをするという課題があった。けれど、私の隣席である星廉は優秀すぎて、すぐに課題が終了してしまったのだ。だから、ほとんどの時間は暇つぶしに軽く雑談していた。それを莉乃ちゃんは見ていたのかもしれない。
でも、仲良くしていたと言われるほど親密な会話をしていたわけではない。
学校のそばを、柴犬と散歩してるおじいちゃんがたまたま通りかかったのが窓越しに見えたから、「暑そうですね……。代わってあげたいです」、「秋田犬かわいー」、とかいう一週間後には忘れるような薄い内容の会話をしていただけだ。
しかし、莉乃ちゃんの「一くんと仲良くしてたでしょ」的な発言を聞いていたクラスメイトたちが「え、東雲さんと一が英語の時間なかよくしてたの?」、「自分らのペアワークに夢中で気づかんかった……」とかささやきだし、終いには「許すまじ一星廉……」とかいう恨み節までもが聞こえ始めた。まずい。
「べつにそこまで仲良くはしてないよ。ていうか、早くしないと昼休み終わっちゃうよ」
このままじゃ星廉に風評被害が出るかもしれないと恐れた私は、さりげなく話題を転換した。
「あ、そうだね。いっちゃんはどこでご飯食べたいとかある?」
「……あんまり人目のないところがいいかな」
こちらを見ているクラスメイトたちを一瞥してそう言う。一秒前まで、私に集中していた皆の視線が、サッ!!とあさっての方向に逸れる。うーん。おそい判断。
「あっ、それもそうだね、見られてると落ち着かないもんね」
「うん」
莉乃ちゃんは「行こー」と言って自然に手をつないできた。思わず口角がゆるむ。こういう子のことを甘え上手って言うんだろう。そしてこういう子は人の懐に入ることにも、どこか
廊下に出ると、すれちがう生徒の視線が突き刺さる心地がした。彼らの双眸が驚きに見開かれたり、途端に口元がにやけたりしていた。
「え、なにあの子!?」、「やばやばやば」、「レベル高すぎ」、「画面の中か、紙の上でしか見たことないクオリティの顔面だな????」、「入学して三ヶ月経つけど、初めてこの学校に来てよかったって思った」。
どこからともなく、ほめ言葉が次々に自分に向けられる。あー、うざいうざい。
「いっちゃんと一緒にいると、なんか莉乃まで見られてるみたいで、人気者になった気分」
「慣れたらうっとうしいだけだよ、こういうの」
「そうなの? 美人さんってたいへんだね……。莉乃も可愛いし莉乃の彼氏もかっこいいけど、でもさすがにいっちゃんみたく芸能人レベルの容姿ってわけじゃないから……。たいへんなのわかってあげれなくてごめんね」
【莉乃の彼氏】というパワーワードに、ふと和泉先生の顔が頭をかすめる。
「……そういえば、和泉先生とは一緒に食べなくていいの?」
人垣が二つに割れた廊下を進みながら莉乃ちゃんに尋ねた。
「あ、大丈夫。お弁当はもう渡してきたから。『今日は……、東雲さん、転入初日で心細いと思うし……、東雲さんと、食べてあげてくれない……?』って。優しいよね」
あら、生徒思いだこと。
………………え、待って? お弁当ってなに?
一瞬遅れて違和感の波がやってきた。
「……あの、莉乃ちゃんって、もしかして、毎日和泉先生に手作りのお弁当わたして、一緒に昼休みを過ごしてる?」
「? そうだよ! 莉乃、毎日自分の分と和泉先生の分と二人分つくってるの。先生が『明日は……パンが、いいな……』って昨日リクエストしてくれたから、今日のお弁当はサンドイッチにしてみたんだ~。早起きしてがんばったの」
臆面もなく答える莉乃ちゃん。一瞬、年かさの男の先生とすれ違ったので、聞かれてやしないかと私の方がひやひやした(私の美貌に視線が釘付けになってたから、たぶん聞いてなかったと思うけど)。莉乃ちゃん、もっと危機感もって? 本当に自分らの関係隠す気ある??
「卵のサンドイッチが一番上手に出来たと思うの、和泉先生どれが一番おいしかったって言ってくれるかな~」
これ以上この件に触れたら、いよいよアウトな全容が明らかになりそうな気がして、「仲いいね……」というあたりさわりない返答をするだけに留めておいた。
「えへへ、照れちゃう」
莉乃ちゃんは頬に手を当てる。うん。幸せならOKです。
やがて、一階の購買にたどりつくと、昼休みになって五分と経たないのにすでに列ができていた。
最後尾に並ぶと、前に並んでいたお団子頭の女子が振り向いて、目が合った。上履きのつまさきの色が二年生とちがうし、あどけない雰囲気があるしたぶん一年生だろう。私を一目見た途端、頬を染めて彼女は勢いよく振り向いた。
「あ、あの、よ、よければ先にどうぞ!」
「え、並んでたんじゃないの?」
「滅相もございません! どうぞお先に!」
その女子の目にはハートが浮かんでいる。美形あるある、【稀に同性にも好意を持たれる】。
断ったら、余計めんどくさい事態に発展しそうだったので「ありがとー」と営業スマイルを
「……俺の順番も抜かす?」
彼女の順番を抜かしたら、今度はさらに前に並んでいた知らない男子が真剣なまなざしで振り向いていた。めんどくさ……と思いながらも一応「えー、悪いよー(やや棒読み)」と言っておく。
「いや、ぜんっぜん。いいって。なあ、いいよな?」
一緒に並んでいた連れの男子に確認していて、彼も「どうぞどうぞどうぞどうぞ」と何度も頷いていた。二人とも私に熱い視線を当てていて、頬は微かに染まっていた。
「ありがとー」
「いっちゃんって、ほんとにモテるんだね……! 美人パワーすごい……!」
「あはははは……」
感心している莉乃ちゃんに微苦笑+乾いた笑い声で返す。いちいち疲れるけどね、とは口に出さない。
そして私たちが男子二人を追い越したその先で、並んでおにぎりを買っていたのは――。
「あれ、祈璃ちゃんと莉乃さん」
星廉だった。しかし、その手には財布でもおにぎりでもなく、なぜかペンとメモ帳がある。
「む? 星廉の友達か?」
赤髪の短髪男子が星廉の後ろから顔を出す。
星廉の友達だろうか。星廉より頭一つ分くらい背が低くて、おにぎりを四つほど短い腕に抱えていた。さっきまで制服のままバスケしてました、とでも言わんばかりに、ズボンの裾はひざ下あたりまでまくられていた。
「なにメモとってるのー?」
莉乃ちゃんが、てけてけと星廉のそばまで近寄って手元を覗き込む。
「新しいパンがあったので、原産地とメーカーなどについて訊いてました」
「何でそんなこと訊いてるの……」
私がやや引き気味に尋ねると、三角巾をつけエプロンを着た購買のおばちゃんが、「なんか、日常生活でも気になることがあると質問せずにはいられないんだってさ。本当に勤勉だよ、この子は」と星廉の代わりに答えた。腕を組んで何度も頷き、感心するそぶりを見せている。
そして、星廉は「ぼくが知らなさそうなこと見つけたら教えてくださいね」、と一仕事終えたみたいないい笑顔でメモ帳とペンを制服の胸ポケットに仕舞った。
「それで、俺は『列が混んできてるからそろそろ切り上げような!』って星廉に言っていたところだ!」
赤髪の彼が得意げに言い放ち、胸を張った。
「で、このすごい髪色と声量の男子は誰?」
私が小柄な赤髪を指差すと、星廉は「あ、祈璃ちゃんは知らないですよね」と気が付いて言った。
「ぼくの友達の
「おおっ、そうかそうか! それにしてもすごい美人だな! 俺は隣のクラスの赤羽
赤羽君は、ビッと自分の顔を親指で指してみせる。星廉もにこにこしていて異論はなさそうである。
「ベストフレンド……」
思わず復唱してしまう。軽く衝撃を受けてしまったのだ。星廉にそんな仲良しの友達がいるなんて……、と。
幼稚園の頃の、一匹狼だった星廉。その印象が、私の中に強く根付いているせいだろうか。いくら昔よりも星廉の人当たりがよくなったとはいえ、私は星廉に特別仲の良い友人がいるなんて思っていなかったのだ。昼休みは一人で英字新聞でも眺めながら昼食を摂ってそうなイメージを勝手に持っていた。なのに、実態はそうではなく、ベストフレンドと呼べるような男友達がいて、しかもその友達と一緒にご飯を……!
こんなの感動してしまうに決まってる。
「祈璃ちゃん……? どうしました??」
「星廉、成長してるね」
「えっ」
唐突な私の感想に、星廉がちょっとたじろぐ。
あの頃と大きく変わったとは思ったけど、予想以上だ。勉強第一である点だけは変わっていないけど、それでもけっこう普通の男子高校生に成長を遂げてるっぽい。頭脳派な星廉と落ち着きの無さそうな赤羽君は、ちょっとちぐはぐなコンビに見えなくもないけど、性格が違うからこそ相性がいい場合もあるんだろう。ふいに褒められた星廉は一瞬だけたじろいでいたけれど、そのうち「ありがとうございます」とはにかんだ。
「そうだ、そういえばさっきまで俺たちの後ろには男子が並んでいたと思うんだが?」
「ああ、なんかゆずってくれたの」
赤羽君が首をひねったので、私はそう営業スマイルを浮かべて答えた。
「さすがですね、祈璃ちゃん……」
星廉は私の背後をチラッと見てやや気圧されていた。
おそらく私の後ろには瞳にハートマークを浮かべた生徒が複数人いるのだろう。さっきから後頭部のあたりにめちゃくちゃ視線を感じるし。
「そうか、でも列に並んでる人をあんまり待たせてしまうのも悪い。早いとこ何を買うか決めた方がいいと思うぞ! 星廉も一旦、退くんだ。東雲女史たちが買えないだろう」
「あ、はい。ですね」
星廉たちが端に寄る。
「お嬢さんべっぴんだねぇ。何にする?」
三角巾とエプロンをつけた購買のおばちゃんが微笑みかけてくる。
「えっと……」
「いっちゃん、ここはね、おにぎり弁当が美味しいよ」
莉乃ちゃんが、透明なプラスチックのパックを指で示した。
のりが巻かれたおにぎりが二個入っていて、隙間にからあげや卵焼きやプチトマトが詰められている。三百円だった。
「じゃあこれで」
五百円玉を出して、おつりとお弁当を受けとって会計を終えた。莉乃ちゃんが、「この子、転入生なんだよ!」と言うと、おばちゃんが小さいペットボトルのお茶を一本おまけしてくれた。
私がおにぎり弁当を買うのを見てたのだろう。後ろに並んでいた人たちが「俺もあれにしよ」、「私も」と色めき立つ声が聞こえてげんなりとなる。
「東雲女史と綿貫女史は、二人で昼飯食べるのか? 仲良しなんだな!」
「そうだよ~、莉乃、いっちゃんとなかよしになったの~」
莉乃ちゃんは私とつないだ手を恋人つなぎにして胸くらいの高さに持ち上げた。
いつなかよしになったんだろう……と釈然としないがわざわざ否定するのも違う気がする。どんな反応をしたらいいかわからなかったので、あいまいに笑った。あと、赤羽くん、さっきから思ってたけど何で女子のこと女史って呼ぶの……。何時代の人? もしくは中二病罹患中?
「あ、ついでに訊くんだけどどこか人が来ない場所とか知らない? いっちゃんとごはん食べるんだけど、皆にじろじろ見られてたら落ち着いて食べれないもん」
莉乃ちゃんが声のトーンを抑えて二人に尋ねつつ、背後にそっと視線を遣った。そう、さっきからかなり感じている。私に刺さる視線。
「ああー……、それなら、ぼくらがいつも食べてる場所に来ます? 誰か来たこと一度もないですよ。京先生はいますけど」
「いいよ、それぐらい! 行こう、いっちゃん!」
京先生って誰なのか一人くらい注釈をよこして。
結局みんなで食べる流れになり、私たちは、冷蔵庫の裏から飛び出してきたゴキブリ並みの速さでサササと移動した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます