あぶない、関係

「えっ、私?」と、当惑していると、女子生徒の隣で仏頂面の男性教師が、ス……と右手を上げた。緩慢かんまんな動作。「ここだよ」と言いたげな仕草。

 二人で私を出迎えてくれたのだろうか。

「あれっ、待って!? すごい可愛い! 肌白いし細い!」

 ふたりのそばまで歩み寄ると、女の子が羨望と憧憬に瞳をキラキラさせながら腕をのばしてきた。私の顔を両手で包んでくる。柔らかくてサラサラな掌が頬に触れてくすぐったい。

「いいな~~、すっごく可愛い! 可愛い!」

「ありがと……」

 私、距離の近さに苦笑。

 ていうか「可愛い可愛い」、って連呼しているけど、彼女自身も決して可愛くないわけではない。

 遠目だとギャルっぽい風体ではあったが、近くで見ると、案外可愛らしい童顔の子だ。瞼と涙袋には赤系のアイシャドウが薄く塗られている。たれ目に見えるようにこころもち長めに引かれたアイラインや、ハーフツインという髪型も相まって、どこかウサギを彷彿とさせた。

「無事に……、来れたみたいで……よかった」

 眼前のスキンシップ激しめ女子の後ろに、テンション低空飛行な先生が棒立ちしている。真顔すぎて、アンドロイドか背後霊みたいだ。でもその額には微かに汗が浮かんでいるのでちゃんと人間であることは証明されている。

「こんな暑い中わざわざ外で待っててくれたんですか?」

「そうだよ! 二十分くらい前に、莉乃りのが学校来たらここに和泉いずみ先生がいてね、どうしたのって聞いたら『東雲さんが……、ちゃんと来れるか……心配だから……、ここで待ってる』って言ってて。莉乃も和泉先生と一緒にいたかったし、二人で一緒に待ってたの。ねっ」

 彼女がそう同意を求めると、彼(和泉先生と言うらしい)はゆっくりと首を縦に振った。『このリアクションの薄さが通常運転なのでは?疑惑』が濃厚になってきた。

「あ、暑かったですよね。わざわざどうも」

「…………うん」

 待っててくれるのとか優しいし生徒思いな一面は垣間見えるけど、やっぱり極端に愛想ない……。あと返答がワンテンポ遅れてる。

「あ、そうだ、まだ莉乃のお名前ちゃんと教えてなかったよね! あのね、莉乃はね綿貫わたぬき莉乃って言うの! 名字ながくてあんまり好きじゃないから『莉乃』って呼んでね」

「あ、うん。私は東雲祈璃」

「いのりちゃんって言うの? すごーい! 珍しい名前~、じゃあ、『いっちゃん』って呼んじゃお。なかよくしようね。ギュー」

「さすがに暑苦しいから、抱きつくのはやめてもらえないかな……」

 私がそう言ったら「あっ、ごめんね!」と意外にもあっさり解放してくれた。

 あ、言えばやめてくれるんだ。ぶりっ子だけど悪い子ではないかも。

「あっそうだ、あのね、もう一個伝えておきたいことがあってね。莉乃、いっちゃんと同じクラスなの。二年A組!」

「えっ、そうなの?」

「それで、俺は、そのクラスの、担任の……和泉、学人まなと……」

「和泉先生は英語の先生なんだよ~」

 莉乃ちゃんが爆弾発言をしてきたので、心底驚いて、和泉先生を二度見してしまった。

 英語!? あのスピード命の語学を、この超スローペースな人が……!?

「しゃ、しゃべれるんですか……? 英語」

「あい……きゃん、すぴーく……いたりあん。……あ、ちがった……。いんぐりっしゅ…………」

「どうして英語教師になれたんですか……」

「………………」

 思わず私がそう言ったら、和泉先生はへこんでしまったようだった。視線が下。莉乃ちゃんは「よ、よくできたね~」と手を叩いて元気づけている。

「………………でも、東雲さんが、無事に来れて、よかった……こんな山の中にある学校だし……どこかで迷ってたらどうしようって、俺、心配で……。駅から……学校までの道のりって……ちょっと……入り組んでるし……」

 彼は気まずさに耐えかねたのか、頑張って話題を転換しようとしている。私だって、いつまでも英語の話題を引っ張るほどサドではないので、「私、電車じゃなくてバスで来ましたよ。バス停からは一本道だったからすぐわかりました」と普通に話題に乗っかることにした。

「えっ、バス!? 何でバスで来たの!? 二時間に一本しかないし、定期代とかJRの1.5倍くらいかかるし、山道多くて酔っちゃわない……?? それに、バスだと学校に着くの遅刻ギリギリの時間になっちゃうし、いつ廃便になってもおかしくないって噂だよ。電車のほうが早く着くのに何で……!?」

 今度は莉乃ちゃんが声を上げる。その問いには答えあぐねた。

 あえてバス通学を選んだのは、単純にバス停の方が家から近いからというのもあったけど、家にいる時間を減らしたいという気持ちによるところが大きかった。

 通学時間を長くすれば――毎日少しでも朝早く出かけて、少しでも遅く帰ってくれば、東雲篤貴と二人きりの家にいなくて済む時間が増える。でも、そんなことを馬鹿正直に言うわけにもいかない。私は「まあ、ちょっとね」とお茶をにごすだけにとどめておいた。莉乃ちゃんは「?」という表情。

「バス……。東雲さんの、ほかに……男の子が、乗って……なかった……?」

「え? いえ、私一人でしたけど」

 突如、和泉先生が尋ねてきて面食らった。しかし思い返すまでもなく、乗車時から学校に着くまでずっとバスは貸し切り状態だった。途中でいくつかバス停には停まったけど、ド田舎と早朝のダブルパンチで、利用者はゼロ。誰も乗ってこなかった。

「そう……。じゃあ、遅刻、かな…… にのまえくん……。彼、唯一バス通学……のはずなんだけど……」

 先生が顎に手を添えて呟く。『にのまえ』、という名前が薄い唇から発せられたのを聞いたとき、なんだか違和感を覚えた。

 どうもその名前に聞き覚えがあるような気がしたのだ。しかし、記憶をたどってもどこで耳にしたのかが思い出せない。没個性的な名字というわけでもないし、もしかして現実じゃなくて、小説とかで読んだんだろうか……?

 思い出せずに悶々としていると、ふいに予鈴が響きわたった。私たちは校舎を見上げた。

「あっ、もう朝のS《ショート》H《ホーム》R《ルーム》始まっちゃうね。急がなきゃ、行こ、先生」

「俺は……東雲さんに、学校の説明しなきゃ……、後から行くから、莉乃は先に……、教室行ってて……」

「え……。でも、莉乃も先生と一緒がいい……。いつも一緒に教室行ってるのに……」

 親のそばから離れがたい幼女よろしく、莉乃ちゃんは和泉先生の服の裾を軽くひっぱった。奥行きのある潤んだ瞳で彼を見上げている。

 そういえばさっき、『莉乃も先生と一緒にいたいからここで待ってた』みたいな発言をしていた。莉乃ちゃんはどうやら和泉先生に懐いてるようだ。

「気持ちは、わかる……けど、それは……、ちょっと、皆から……不自然に、思われる……かも……」

 やや申し訳なさそうな和泉先生の言葉に、私は心の中で何度も頷いた。仰る通り。やや遅れて、転入生の私が先生と一緒に教室に登場するのはおかしくない。でも、そこに莉乃ちゃんまでまざるのは妙だ。

 莉乃ちゃんは視線を下げた。

「そっか。そうだよね……。さすがにそこまでしたらもんね。じゃあ、最後にいい子いい子して。そしたらがんばれるから」

 彼女は目を潤ませてそんなお願いをした。

 ん? 何が「バレちゃう」の? ていうか、ただ一人で教室に向かうだけなのに、「そしたら、がんばれる」って大げさでは……?

 もろもろの疑問でいっぱいの私をよそに、和泉先生はためらうことなく、莉乃ちゃんの頭をゆっくり撫でた。私は見逃さなかった。彼が先ほどまでの仏頂面ではなく、穏やかに微笑んでいるのを!

「いい子いい子……」

「えへへ」

「……」

「ふふ」

「……」

「先生、手おおきいね~」

「……それは、男だから…………」

 和泉先生は、まあまあ長い時間(一分くらい?)莉乃ちゃんを撫でていた。

 世界に二人きりだと思ってらっしゃる?

 え、この場に私がいること忘れてない……?

「もー先生、そろそろ良いってば。長いよぉ」

 そんなことを言いつつも莉乃ちゃんはすごくうれしそうにしている。

 ……誰がどう見たって教師と生徒の距離感ではない。ていうか、さっき、莉乃ちゃんも「バレちゃう」とか意味深なこと言ってたし。

「……あの、和泉先生と莉乃ちゃんって、なんですか?」

 衝動をこらえきれず、恐る恐る質問した。

 二人がようやくこちらを見る。

 莉乃ちゃんは赤面して黙り込み、そして、和泉先生もやや照れながら「…………………………べつに」とだけ言った。

 うん。照れ隠しなのは火を見るよりも明らか。

 いっぽうで莉乃ちゃんは、耳まで真っ赤になったまま「バレたら大変なんだから、『ちがう』って言ってもいいのに……」とか呟いてて、でも頬を緩めていた。普段の学校生活をこのテンションで送っているのだとしたら、全校生徒に関係性が筒抜けになっていると思うが。

 でも、私は余計なことは口にせず「そうですか」、と営業スマイルで頷く。実態がどうであれ、二人が幸せならもうこの件に関しては何も言うまい……という決意の表れだった。

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