みんなで、予想

「いっちゃん、一緒にごはん食べよ。一くんもいっしょでいいから……」

 昼休みになるなり、莉乃ちゃんは私の席へとぼとぼとやって来た。私と星廉は顔を見合わせる。

 朝のHRが終わった直後、莉乃ちゃんに話しかけに行こうかと思ったが、背中から「地の底まで落ち込んでいますオーラ」みたいなものが噴き出ていたので私や星廉ふくめ皆、莉乃ちゃんに近づけずにいた。何か一言でも話しかけたら、泣かれるんじゃないかと思うと声をかけるのがためらわれたのだ。

「ぼくは、ぜんぜん大丈夫ですけど……」

「私も。……でも、和泉先生は? 一緒に食べなくていいの?」

「いいの。莉乃、今日は和泉先生と食べたくないから」

 ハイライトが一ミリも入っていなくて、深海みたいな真っ黒い瞳だった。まるで、幽霊かなにかに体を乗っ取られて、莉乃ちゃんとは別人格の人間が喋っているみたいだ。

 いったい何があったのか怖くて詳しくは訊けないまま、私たちは階段の踊り場に向かった。

 赤羽君はまだ来ていなかった。こういうときこそポジティブ人間にいてほしいのに肝心なときに席を外しているなんて、とんだ役立たずだ。

「さ、先に食べてましょうか」

「そうだね」

「……」

 無言の莉乃ちゃん。

 早く来て、ポジティブ人間。

 めいめい階段に腰かけて食事をとりはじめるが、ローテンションな莉乃ちゃんを前に私も星廉も何の話題を提供したらいいのか分からない。沈黙が続く。気まずい。

「……も、もうすぐ夏休みですね。莉乃さんは何か予定とかないんですか?」

 莉乃ちゃんだったら、きっと予定の一つや二つ(家族旅行とか)入れていてもおかしくないと思ったんだろう。楽しい予定がひかえていることを思い出せば自然と気分も上向くはず――。そういう魂胆(?)が見え隠れする質問である。さすが冗談はわからなくても空気の読める男、星廉。

 莉乃ちゃんは、咀嚼していたハート型の卵焼きをのみこむと、暗い表情のまま口を開いた。

「彼氏と、いっぱいデートに行く予定だった」

「………………すみません」

 星廉が、和泉先生なみに間をとって謝る。

 しかし、「予定だった」と返答が過去形なことから、彼氏との間にトラブルがあって莉乃ちゃんがへこんでいることは確実となった。

 私は何も言えなかった。

 本当なら、莉乃ちゃんに訊きたいことがあったけど。だけど、現在進行形で異性関係で落ち込んでいる人に、「どうやって和泉先生をオトしたの? ていうか、男の人をオトすコツとかある?」って訊くなんて、成績が落ちて愕然としている人に「いい勉強法おしえて」と頼むようなものだ。そこまで無神経になれない。というか、何があったらそこまで落ち込むんだ……怖い……。

 無言で各自お弁当やらパンやらおにぎりやらをもぐもぐする時間が続いた。体感一時間くらいしたころ(実際は五分くらい)だろうか、その人物は階段を駆け上がってきた。

「お! 皆もう来ていたのか! なんだか空気が暗いな!」

 やった。ポジティブ人間の御出おでましだ。

「赤羽君……! 今日はおそかったですね……!」

 そして縋り付くような星廉の声よ。

 移動する前にB組を覗いたが、四限は移動教室だったようで伽藍洞がらんどうだったのである。

「すまん、四限が美術だったんだが、手が油性マジックでべたべたになってしまって一生懸命洗ってたんだ!」

 どんなマジックの使い方をしたらそんなことになるんだ。

「む? どうしたんだ綿貫女史、いつもと髪型がちがうな! 誰かと思ったぞ! イメチェンか? 前のも似合っていたが、今のも可愛いな! 清楚系で!」

「う……っ」

 莉乃ちゃんの目から支えきれなくなった涙がこぼれた。ポジティブ人間のおかげで心が浄化されたんだと思う。

「む!? 何故だ、何故ほめたのに泣くんだ!?」

「たぶん和泉先生と何かあったんだと思う」

「そうか、和泉教諭とモメたのか……。珍しいこともあるんだな」

「うわ、お前らまたいんのか?」

 京先生が煙草を片手に階段を上ってきた。泣いている莉乃ちゃんを見て「あ?」と口を開いた。

「おい綿貫、なに泣いてんだ。ブスに見えるからやめろ」

 私は、思わずキッと京先生を睨みつけた。弱ってる時、一番そばにいてほしくない部類の男だ。

「和泉教諭と何かあったっぽいんだ」と赤羽君がすかさず言う。

「ああ? 何されたんだ。言え。場合によっちゃ、来週から和泉の姿を校内で見かけることは無くなるぞ」

 左遷or懲戒免職といいたいのだろうか。

「い、いず、和泉先生が……」

「落ち着くんだ綿貫女史。和泉教諭がどうした?」

 赤羽君が中腰になって莉乃ちゃんと目線の高さを合わせる。

「いっ、和泉先生が、うっ、うわ、うわ、うわ、わ、わわあ」

「綿貫女史、ゆっくりでいい、ゆっくりでいいから、クロちゃんにならず人間の言葉をしゃべるんだ」

「い、和泉先生が、う、うわ、浮気してるかも、しれなくて……」

 莉乃ちゃんの発した「浮気」という単語が、胸に刺さって一瞬呼吸が途絶した。表情にこそ出さなかったが、どくどくと心臓が激しく脈打ち始める。

「あの和泉教諭が浮気だと!? ありえん!」

 赤羽君が馬鹿みたいに大きな声を上げた。

「ま……、まだ、確定っていうわけじゃないんでしょ? あの和泉先生が浮気なんて……」

 私は心臓が胸の内側で暴れるのを感じながら尋ねた。希望的観測だった。

「でも、家庭ではモラハラ夫なのに、会社では良い人っていうケースとかありますし。当事者間でしか分からないこともありますよ」

「何で和泉が浮気してると思うんだ? あのとろくせェ男が、女二人相手に出来るほど甲斐性があると思ってんのか??」

「それは京教諭が、和泉教諭みたいな平凡な顔立ちの男が、女子高生と関係を持ちつつ、さらにほかの異性とも関係を持ってるなんて、そんなことあってたまるか羨ましいとか考えてるからじゃないのか?」

「黙れ。俺ァ、どっかの英語教師と違って、高校生には興味ねェ」

「もぐごごぐごぐが《息ができないぞ》」

 京先生がサッと赤羽君の口を片手で塞いだ。赤羽君にだけは手が出る京先生。いま令和なのにコンプラ違反とか怖くないのかな。

 莉乃ちゃんは、通常運転の赤羽君たちを見て若干落ち着きを取り戻したのか、目尻の涙を爪の伸びた指で拭い、「あのね……」と切り出した。

「昨日の放課後、莉乃見ちゃったの。和泉先生が、三年生の……、黒髪ロングの女の子にクッキーもらってうれしそうに笑ってるところ。和泉先生、莉乃以外の前では全然笑わないのに」

「単にその三年が美少女だったから、テンション上がったんじゃねェのか。男っつーのは、そうゆう生き物だ。和泉だって男だしな」

 星廉が一瞬だけ呆れた視線を京先生に当てたのを、私は見逃さなかった。そんなので一括りにされたら男やめたくなるよね。

「たしかに普通に可愛い人だったけど……。でも、こんなこと言うのすごく失礼だけど、いっちゃんほど可愛くはなかったよ。いっちゃんを初めて見たときでさえ、和泉先生は無表情だったのに……」

 なるほど。ではその可能性は薄い。

「単にクッキーが大好物だったんじゃねェのか」

「前に和泉先生はクッキーとかおせんべいとか硬くて歯に悪いから、そんなに好きじゃないって言ってた……、柔らかいスポンジのショートケーキとかのほうが好きだって……」

「入れ歯はめてる老人みてェだな」

 京先生に黙っていてほしいと思うのは私だけだろうか。

「でも、そうか……。東雲女史レベルの女子を前にしたときでさえ仏頂面だったのなら、和泉教諭がその女子に微笑みかける理由がパッと思い付かんな。確かに浮気かもしれん」

「あっ、赤羽君……!」

 星廉が慌てて、赤羽君のシャツの裾を引いたが時すでに遅し。正直さが裏目に出るポジティブ人間。莉乃ちゃんは泣きだすかと思いきや、険しい顔になった。

「でしょ? それで何か莉乃もイライラしちゃって。若い女の子なら、莉乃じゃなくても、誰でもよかったのかなって思っちゃって……。それで、莉乃もう、しばらく和泉先生とお話したくないって、お弁当もつくりたくないって言っちゃったの」

「そのときに、不貞行為疑惑のことは訊いたりしなかったんですか?」

「まだ確定じゃないから言ってない……」

 ていうことは、和泉先生は、いきなり莉乃ちゃんの機嫌が悪くなって突然距離をおかれたと困惑してることだろう。

「……距離おきたいっつったら和泉は何て?」

 思案顔の京先生が尋ねた。

「びっくりしてた。でも、『莉乃がそうしたいなら……そうすればいいよ』って」

「キレてるじゃないか、和泉教諭!」

「怒ってはなかった。落ち込んでた」

「わかった。綿貫のつくる弁当がまずいから、久々にまともな味のする食べ物……クッキーにありつけて嬉しくてそれで――」

「ひどいっ!」

「京先生、失礼ですよ……!」

 余計なことを言いだした京先生に憤慨する莉乃ちゃんと、たしなめる星廉。

「というか、綿貫女史の料理の腕前は昨日、写真で見たじゃないか! あれは絶対うまいぞ!」

「……でも実際、見た目と味のレベルは必ずしも一致するようなものじゃねェだろ。味付けが濃すぎたとか」

「莉乃、お料理上手だもん! ママには『莉乃ちゃんは日本で一番のお嫁さんになれるよ』って言われてるし、和泉先生もいつも『俺……こんな美味いもの、食べたことない……』って食べてくれるよ!」

贔屓目ひいきめとリップサービスじゃねェか」

「自分でも味見してるもん! たまにちょっと肉じゃがにお砂糖入れすぎて甘くなりすぎちゃったりしたことはあるけど、そんな気になるレベルじゃないし……。お料理はじめたばっかりのころは、卵焼き焦がしちゃったりしたけど……。でも最初のころだけだし。最近はちゃんと美味しくできてるよ」

「和泉教諭は綿貫女史がつくった失敗した弁当も完食していたのか?」

「うん。どんなに失敗しても『美味しい』って絶対全部たべてくれてた」

「すげぇな和泉。俺だったら、まずかったら一口だけ食って、あとはバレねェように全部捨てる」

「さ、最低っ!」

「それは最悪だと思うぞ、京教諭!」

「ひど……」

「言葉にできません……」

 莉乃ちゃんも赤羽くんも私も、そして星廉までもが軽蔑の眼差しを京先生に当てていて。「ほ、本人の目の前ではさすがに捨てねェし、セーフだろ……」とこれにはさすがに京先生も歯切れ悪く返していた。

「セーフなもんか! アウトだアウト! そんなことされたら、女子はトラウマになって二度と料理ができなくなってしまうと思うぞ!」

「ああ? じゃあ訊くけどな、お前らは女子がまずい弁当つくってきても全部食うのか? それで具合わるくなったとしてもか?」

「ぼくは、おいしいって言って全部食べますよ。自分のためにつくってくれたっていうだけで充分うれしいですし」

「俺も完食するぞ! 仮にそれで食中毒になって死んだとしても、最愛の彼女の手作り弁当を食べられたんだから生涯に悔いなしだ!」

 ここに来て星廉と赤羽君の株が上がった。京先生は納得がいかない様子で黙っていた。

「東雲はどうだ?」

「え?」

 なぜ私まで巻き込むのか。

「彼氏がつくってきた弁当がまずかったらどうすんだ? 料理男子だっていんだろ今どき」

「もちろん完食だろう! なっ、東雲女史!」

「えっと……」

 私が誰かとつきあうことは、恐らく一生ない。もう私は純粋に男女交際を楽しむことはできないからだ。いつ浮気されるんだろうと常に彼氏の動向を気にしながら過ごす自分しか想像できなかった。彼氏のつくったお弁当を楽しく食べている自分さえも上手く思い描けない。

「は、話が脱線してますよ。和泉先生が浮気してるかもしれなくて、そのことが原因で莉乃さんは和泉先生を避けてしまっているということですよね、現状」

 だまっていると、私が困っているように見えたのか星廉が話題を軌道に戻してくれた。答えなくて済んで少しホッとする。

 もしかして星廉、私が困ってるの見て気をつかってくれたのかな。

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