あいたい、相手
「……莉乃ちゃん、デート中か」
しかも県外って……。
暗くなったスマホの画面を見てうなだれた。
コンビニのゴミ箱の前で、しゃがみこんだまま通話していた私。
衝動的に家を飛び出したところまではよかった。でも、バスの最終便まではだいぶ時間があったから、電車のほうが速いと判断して駅まで走ったところも英断だった。けど乗った電車のなかでうっかり寝過ごしてしまい、終点の秋田市まで運ばれてしまった。ここがよくなかった。
その結果、私は一度も足を運んだことない秋田駅近くのコンビニの前で途方に暮れている。辺りには雲を割る高さのビルや、月極駐車場やら、有名チェーンの牛丼屋さんやらが土地を奪い合ったかのようにして立ち並んでいる。
引っ越す前に住んでた市に行こうと思って電車に乗ったのに、寝過ごしたせいでこんな栄えたところまでやって来てしまうとは。賑やかだし、ここにはスタバもファミレスも駅ビルもあるけど、お金はほとんど持ってないから何もできない。終点まで来てしまったせいで片道一時間半という時間と、2100円の運賃を持っていかれた。さっき財布の中を見たら帰りの電車賃にも満たない額しか残ってなかったから、もし近くにいるようであれば唯一の女友達である莉乃ちゃんの家にでも泊めてもらおうかと思ったけど……それも失敗に終わった。
もう、どうしたらいいのか分からず、大きなため息がでる。
とりあえず、こころもとない額の残金を使って、コンビニで夕飯でも買おうかな……。
そう思った時、持っていたスマホが振動し始める。
お母さんから「いまどこにいるの?」というメッセージが止まらない。電話も何回か掛けられているが、出る気になれない。
スマホのロック画面に「早く帰っておいで」、「何で帰ってこないの?」という母からのLIMEの通知が表示されたのが見えた。
帰りたくなかった。
なんで帰りたくないかって、今までは浮気者の父がいる家になんて嫌だと思っていたけど、今は、お母さんが東雲篤貴と仲良くしているところを見たくないから、帰りたくない。
ずっと、両親を離婚させるという願いを叶えるために頑張ってきたのに、お母さんが東雲篤貴をいかに愛しているかを見せつけられたら、願いを叶えてもいいのかと疑問が浮かんできてしまう。
「どうしよ……」
頭をかかえた。
まさかこの段階まできて、迷いが生じるなんて。もう一度、整理してみよう。まずお母さんは、あんな最低な夫のことを許して、もう一度やり直そうと決意してた。長年献身的に支えてきた夫に裏切られて、悲嘆に暮れなかったはずがない。ずいぶん痩せていたようだったし、本当にきっとたくさん考えたんだと思う。それで出した答えが離婚ではなく再構築だったということは、それだけ東雲篤貴を愛していて、家族のことが大事だったのだ。冷静になってみれば、夫がクズだということにも気づくだろうとか思ってたけど、私のとんでもない勘違いだった。お母さんは、東雲篤貴がなにをしようと、きっと彼のことを愛し続ける。
だったら、私がしようとしてることって、なに?
お母さんから愛してやまない夫を奪うってこと?
だけど東雲篤貴だって、今は一時的に反省したふりを見せてるだけで、本心では反省なんてしてないかもしれないじゃないか。私が良心の呵責に苛まれて、もし今、両親の離婚という願いを破棄したとしても。この先、両親二人が夫婦でいつづけたら、東雲篤貴はほとぼりが冷めたころを見計らってまたいつか浮気して……お母さんを傷つけるかもしれない。
かといって、このまま私が願いを破棄せず、天使に願いを叶えてもらって、無理やりお母さんと東雲篤貴を引き離したとしても、離婚を切り出されたお母さんはショックを受けてまた心労で倒れてしまうかもしれない。
願いを叶えるのをやめたとしても、この先、お母さんがずっと幸せでい続けられる保証はない……。
……私は、家族に隠れてこそこそよその女と会ってたような男と、同じ家に暮らしたくないけど。私の一存で決めるとしたら課題をこなして二人を離婚させてしまいたいけど……。
――ごめんね。祈璃は優しいね。
少し前のやりとりを思い出して、ぐっと胸が詰まった。
……どうしたら、どうしたらいいんだろう。お母さんのことを傷つけず、東雲篤貴を家から追い出すためには。なにか、ほかにいい方法はないんだろうか。
考え込んでいるうちに、コンビニの看板の光が眩しい時間帯になってきた。しゃがみこんだまま思考をめぐらせてみたけど、そんな都合のいい解決策は思い当たらなかった。ほとんどうつむいていたのに、顔を見られてしまったのか、知らないスーツ姿の女性が声をかけてきた。案の定「芸能事務所のスカウトなんですけど」と切り出されたので、「事務所もう所属してます」と嘘をついたら、「あっ、やっぱりですか?」と苦笑してどこかへと去っていった。
ため息がでる。お腹が鳴った。
頭も体も心もつかれているな、と他人事のように思った。
こんなとき、私がいつも読んでる恋愛小説だったら、絶対ヒロインの元へヒーローが駆けつけてきてくれる。まるで見計らってたみたいなタイミングで、でもぜんぜんわざとらしくなくて、自然にやってきて、絶対いてほしいときにそばにいてくれる――……。
そのときだった。いきなりスマホから軽快な音楽が流れだしたのは。またお母さんか、それとも東雲篤貴からの着信かと思いきや、画面には「一 星廉」の三文字。
思わず二度見してしまう。
応答のボタンをタップして、そっと画面を耳に当てる。
「……もしもし」
「あっ、もしもし? 祈璃ちゃ――」
ここ最近ですっかり耳に馴染んだ聞き慣れた声。ちょうど私が電話に出た時、コンビニから出てきて、立ち止まった影があった。振り向く。
よれたシャツに、適当なジャージのズボン。いつものお洒落メガネじゃなくてセルフレームの黒縁。いつも前髪を綺麗に割って額を見せてるくせに、セットが崩れたのか、白いおでこは暗幕で覆われたようにほとんど見えなくなっていた。学校にいるときと違ってちょっと地味。
だけど、それは間違いなく星廉だった。
星廉も、円柱形の灰皿近くにある人影を視界の端にとらえたらしく、こちらを見た。ばっちり私と目が合う。
画面の奥と目の前から同時に、「……えっ!?」と驚く声が飛んできた。私は、驚きを通り越してほうけてしまう。星廉が動揺を隠し切れない様子で、アイスの箱が入ったビニール袋をかさかさ揺らしながら駆け寄ってきた。
「な、なんで祈璃ちゃんがこんなところにいるんですか……!?」
「いや、そっちこそ何で……?」
「あっ、ぼくは、ここの近くに住んでるんですよ」
「えっ!?」
驚いてしまったけど、でも言われてみれば、毎朝私がバスに乗り込むときには既に星廉が先にバスに乗っていた。私よりも遠いところから通っているんだろうなということは何となく見当がついてはいたけど、でもまさかこんなに学校から離れた栄えた土地に住んでいたとは……。
「それで家で勉強してたら、親にアイス買ってこいって言われて……。ここでアイス買ってたんです」
「え、まって、私二十分くらい前からここにいるけど」
星廉がコンビニに入店していくのが見えたら、さすがに気づいたはずだ。
「ぼくは、三十分くらい前から中にいました……」
「どんだけアイス吟味してんの!?」
結局アイスこれ買いました、と星廉は苦笑して袋を軽く持ち上げてみせる。ビニール袋に入れられたアイスの四角い箱。ハーゲンダッヅのロゴが透けていた。味が三種類。バニラ、ストロベリー、クッキー&クリーム。人間は悩みすぎると、だいたい王道に縋りつくものである。
「それよりも大丈夫ですか? さっき会計してるとき、莉乃さんから『いっちゃんがなんか困ってそうだったから助けてあげて』って通話があって……。どうかしたのかなと思って、コンビニ出て、祈璃ちゃんに電話をかけたら、ちょうどここに祈璃ちゃんがいて……。どうしたんですか本当に」
「えっと……」
「祈璃ちゃんがいつも降りるバス停からけっこう離れてますよね? もう十九時になっちゃいますし、早く帰らないと親御さんが心配しますよ」
「……帰りたくない」
咄嗟に出てきたのは、そんな情けない一言だった。星廉がやや驚いたように目を瞬いて、すぐに「……やっぱり、なにかあったんですか?」と心底心配している声音で尋ねてくれる。
いろいろ嫌になって家出して、見切り発車で電車に乗ってこんなところまで逃げてきて、挙句、文無し&宿なし。
そんなこと、星廉に言いたくなかった。
コンビニの前で、どこか深刻チックなムードを漂わせる私たちのことを、「なにあれカップル?」、「痴話喧嘩?」とか大学生くらいのラフな格好のカップルがひそひそと通りすがりにつぶやいて、自動ドアに吸い込まれるようにして消えた。
「……あの、とりあえず、場所を変えませんか? ここで話すのも何ですし……」
「……どこに行くの?」
「ファミレスは夕飯時で混んでますし。うーん……。あ、カフェとか、いや、もう十八時ですし閉まっちゃってますかね? 祈璃ちゃんはどこがいいですか?」
「泊まれる場所……」
私の返答を聞いて、星廉は瞬きをした。
しまった、と思ったけど遅かった。
家に帰りたくないと言ったうえに、泊まれる場所を探しているなんて言えば、実質「家出してきた」と言っているようなものだった。
「……ごめん、なんでもない」
私は立ち上がる。星廉は、眉を八の字にしたままこちらを見つめていた。
私は彼に嘘をついて、彼のことを都合よく利用しているひどい女だ。こんな私が、星廉のその親切を受け取るような真似はできない。
「私は、一人で平気だから。大丈夫」
営業スマイルを星廉に向けたのは、初めてのような気がする。
大丈夫と言ったけど、本当はなにも大丈夫なことなんてない。それでも、星廉に一目会えて、大丈夫と口にしたら、本当になにもかも大丈夫になるような気がした。
そのまま背を向けて歩きだそうとしたそのとき、後ろから「あの!」と引き留められた。振り向く。
「ぼくの家でよければ来ませんか」
下心ゼロで言うようなセリフじゃないのに、星廉はそのセリフを下心皆無といった感じで口にした。びっくりした私は、星廉を見つめ返す。
「もうすぐ暗くなります。女子が夜に一人でいたら危ないですし。よく考えたら場所うつそうにも、ぼく、今から家に帰ってアイス冷凍庫に入れないと溶けちゃいますし。あっ、お腹すいてませんか? 今日の夕飯ハヤシライスなんですけど、ご飯まだだったら家で食べてってください」
「いや、そんな……悪いよ」
「でも祈璃ちゃん、困ってるんですよね? なら助けます」
どこまでもやさしい星廉に、胸が痛む。
「なんで……。私、星廉のこと利用してたのに、そんなに良くしてくれるの」
「え?」
口に出してから、しまったと思った。恋人ごっこを頼んだのは両親を離婚させるためだったってことは伝えていないのに……。でも、星廉は別の意味に解釈したようで、笑った。
「利用だなんて、そんな。恋愛小説を書く参考にしたいから恋人ごっこしてって言われたときは、たしかにちょっとびっくりしましたけど……。でも、手つないだりデートしたり、恋人ごっこするのはぼくも楽しかったですよ。だから、そんなに気にしないでください」
「いや、でも……。私、そこまで優しくしてもらう資格なんかないよ……」
私が嘘をついていることを何も知らないから、星廉はそんな優しいことを言ってくれるのだ。
ただでさえ、無茶苦茶な恋人ごっこに協力してもらってる身なのに、それ以外でもいろいろ優しくもらった。もうこれ以上、最後の課題以外のことで星廉を頼るなんてダメだ。
「いいんですよ。優しくされるのに資格とかは要らないんです。それに、ぼくが、祈璃ちゃんに優しくしたいだけですから」
純度の高すぎるその言葉に、うっかり涙を滲ませてしまいそうになる。コンビニの明かりが目に痛かった。
行きましょう、と星廉が柔和な笑みを浮かべてみせる。
いかんせん私は、その笑顔に弱い。
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