ふしぎな、聖書

 やがて、目の前に現れたのは廃れた洋風な建物だった。高さは一階までしかないだろう。そこまで大きな建築物ではなかった。もとは明るい白色だったのだろうに、屋根も壁もくすんだ色をしていた。窓ガラスは破壊されたのか、単に経年劣化なのかバキバキにヒビが入っている。クリーム色に変色した壁は、何らかの植物のツタが走っているせいで緑に染め上げられていた。

 薄気味悪さをこらえて、ほとんど緑色になった入口の扉を掌で力を込めて押した。柔らかい葉のようなものが指先に当たる。

 両開きの扉は蝶番をギイッときしませながらも容易に開いてくれた。視界に飛び込んできた光景をみて、息をのんだ。

 中は結婚式でつかわれるようなチャペルや教会と似たようなつくりをしていた。バージンロードになりそうな細長い通路が、私の立つ入口から祭壇まで真っすぐに伸びている。絨毯はもともとないのか、撤去されたのか、床は裸。そんな通路の両脇を固めるように、たくさんの座席が前の祭壇の方向を向いて置かれている。

 意外にも、中はそれほど荒れ放題というわけではなかった。

 すごい。莉乃ちゃんが言っていたように、本当に結婚式で使うチャペルみたいだ。

 そっと中へ足を踏み入れて、ゆっくりと礼拝堂の奥へと進んだ。コツコツと自分の靴音が反響する。ちょっと埃臭いけど、ここだったら人もこないだろうし、虫も出なそうだし、落ち着いて時間をつぶせそう。けっこう良い場所をみつけたかもしれない。

 そして、祭壇の真ん前まで進んだ私は、最も祭壇に近い席――一番前の席に、鈍器の域にある文庫本が一冊おかれていることに気づいた。カバーはかかっておらず、本の角もすりへっている。裏表紙が表になっていてタイトルは確認できない。

 ……もしかして、これが聖書?

 それを手に取ってひっくり返す。思った通り、表紙には光沢を失った箔押しされた字で「聖書」と印字されていた。

 祭壇前に聖書が置かれているから、それで天使の登場する箇所を読むと、美女だった場合に限り天使が現れる――という、莉乃ちゃんの言葉を思い出す。

 恐らくだいぶ前に、噂を知る何者かが、ばかな生徒が使えばいいと思って面白がって置いて行ったのだろう。

 何となく、私は聖書を手にしたまま、席に腰を下ろした。薄く積もっている埃を手で払い、スカートのひざに置く。文庫本ほどの大きさではあるが、辞書のように分厚いからずっしりと重たい。表紙の「聖書」という毛筆で書いたようなフォントの二文字がこちらをじっと見つめている。

 いざなわれるように一ページ目を捲った。日焼けてほぼ黄色くなった紙面が私を出迎える。明朝体で『聖書 新旧同訳』と書かれている。私は首をかしげた。

 これは、しんきゅうどうやく……って読むの? 一体、どういう意味なんだろう。

 疑問に思いながら習字紙みたいに薄いページをペラペラと捲る。どのページにもまんべんなく、虫のように細かい字が二段組みになってびっしりと張り付いていた。

 一ページの文字数をこれだけ多くしていても、こんなに分厚くなるなんて……。いったい何を書いたらこんなことになるんだろう……。本は好きだけどここまで長いとさすがにげんなりしてしまう。

 そういえば、聖書って全部で何ページあるんだろう?

 今開いているページの上端を見ると一一六二という四桁の数字があった。せんひゃくろくじゅうに。私が開いてるのはちょうど真ん中あたりのページだ。つまり単純計算で二○○○ページ以上あるということ……。

『礼拝堂に行ってね、聖書から天使さんが出てくるページを探して読んで、お願いすると天使さんに叶えてもらえるんだよ』

 またもや莉乃ちゃんの顔が思い浮かんだ。

 ……無理だ。

 彼女には悪いけど、ハッキリ言って無謀だ。二○○○ページのなかから天使が登場するシーンを探すのは相当な手間と根気がいる。

 そもそも、運よく見つけて読めたとしても、天使なんかいるわけないんだから、読んだところで願いを叶えてもらえるわけもない。

 ため息をついて聖書を閉じる。

 こんなものよりも読みかけのままだった本を読もう、と、聖書を置こうとした。しかし、閉じた聖書を上から見て、かなり後半のページにスピンが挟まっていることに気づいた。

 前の人が挟めたのだろうか。まさかとは思うけど、その人は、ここのページまで読んでたってこと?

 読書好きの習性かもしれない。何となく、気になってその箇所を開いた。

 すると、そこは、文字が横書きでゆったりとした余白があるページだった。

 用語解説の項目のようだった。

 あいうえお順に聖書内に出てくる用語を解説しているらしきそれは、「た行」の終盤にさしかかっているページのようで、『つの』、『罪人』、『天』とどんどん続いている。

 ある解説が目に留まった。


【 天使(てんし)。

 神から派遣される使者。天上で神に仕え、人間の目に見えないが、特定の人間に現れて、神の意志を伝え、あるいは人間を守護し、導く。

(マタ1:20、21。ルカ2:9~15)】


 思いがけず、天使という二文字が現れたので一瞬ドキリとしてしまう。でもここは天使の解説のページであって、天使が登場するページではない。

 私はその天使の解説に目を通して、何だか言いようのない違和感を抱いた。

 天使は『人間の目に見えない』と書かれているのに、『特定の人間に現れる』とも書かれているのだ。

 首をひねる。

 矛盾してない?

 それかもしくは、ふつうの人間には見えないが、特定の人間の目の前に現れたりするという意味だろうか……?

 でも、『特定の人間に現れる』、とはあるが、『特定の人間の現れる』とは書かれていない。

「姿は見えないけど、声だけは聞こえるとか……??」

 どっちの意味だろう。それも気になるが、私にはさらにもう一つ気になることがあった。天使の項目の最後に目を遣る。


【マタ1:20、21。ルカ2:9~15】


 カッコでくくられた意味不明の文章のことだ。

「……また、いち? なにこれ」

 何のことやらさっぱり分からない。暗号?

 ふと、ページの上部を見ると、そこには小さな字で「索引・解説」という文字があるのに気づいた。

 索引? 解説のページだと思ってたけど、索引の項目でもあったんだ。……じゃあ、もしや、このカッコでくくられてるのって天使が登場するページのこと?

 謎解きと似たような雰囲気を嗅ぎとって、私はなにかヒントはないかと目次にもどった。聖書はこんなに分厚いのに目次はたったの三ページしかなかった。『マタイによる福音書』という見出しを目がとらえる。

 マタ1、のマタってまさか『マタイの福音書』の略語なんだろうか。

 つづいて目次全体に目を通す。

 ほかにも『マラキ書』、『マルコによる福音書』とカタカナの「マ」で始まる見出しはあるが、二文字目が「タ」になっているものは『マタイによる福音書』だけだった。半信半疑で、私は『マタイによる福音書』に指定されたページを開く。

 開いたページには、『マタイによる福音書』という太字になった見出し。数行をあけ、第一章であることを表す『一』という数字が大きめに印字されていた。

 なるほど。おそらく、このページが「マタ1」に該当するのだろう。でも天使の索引ページで見たのは、『マタ1:20、21』という記述だったはずだ。『マタ1』の『1』は、たぶん一章のことだから、このページで合ってると思うけど、この『20、21』っていうのは……?

 行数のことやもと思ったが、ページを注視してみてすぐにわかった。一行半ずつの頻度で文字列の上に細かく数字が振られていたのだ。あとから知ったがこれを節と言うらしい。

 現文の教科書に載ってる文豪の小説とかだと、昔の言葉で注釈が振られるとき、特定の用語の上に米粒みたいな大きさで「*1」などと記されている。あれとよく似ていた。

 数行の頻度で振られ、徐々に大きくなっていく小さな数字を順当に目で追っていく。天使なんかいるわけない。願いなんか叶うわけない。だから、天使の登場するシーンを探して読んだって無意味だ。頭ではそうわかっているのに、なんだか数字を追いかけている間、とてもドキドキした。

 まもなく、ページのだいぶ最後のほうで、「20」という数字が振られた行を見つけた。その少しあとに「21」という数字も視界に捉える。

 頭のなかで何かが弾けた気がした。

 推理が当たったような快感にとらわれ、私は、その長い一文を思わず読み上げてしまった。

「――このように考えていると、しゅの天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである、マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』」

 よどみない私の声がすうっと礼拝堂に溶け込んだ。

 ……天使の登場するシーンだ。

 こんな分厚い聖書の中から天使の登場する場面を探すなんて、かなり骨が折れる作業にちがいないと思っていたが、索引をつかえば存外すぐに天使の登場する場面を見つけることができた。『マタ1』のほかに『ルカ2』だなんていう記述もあったが、きっとあれも天使が登場するページを指しているに違いない。

 で、今読んだ箇所からすると、どうやら天使は目の前に現れるのではなく夢に現れるらしい。そしてマリアさんの身にはなにが起こったんだろう……。聖霊のせいで子供を授かったってどういうこと? 聖書って意外と過激な内容なんだろうか……。

 読んだのがたった数行だけなので、話の前後の内容はよくわからない。

 その後、私はぱらぱらと聖書を捲ったりしていたが、バスの時間があることを思い出して聖書を閉じた。一応スピンは索引に挟めたままにしておく。本気で噂を信じている誰かが、年に一人くらいはここに来たりするかもしれない。どうせ迷信に決まってるのに。

 私はリュックを背負ったまま、立ち上がった。そのまま礼拝堂を出ようと思っていたのに、なんだか目の前の祭壇が妙に気になった。

 天使なんかいない。願いなんて叶えてもらえるはずない。そんなこと九十九パーセント分かり切っている。でも、せっかく草藪のなかを歩いて礼拝堂までやって来て、天使が登場するシーンをわざわざ探して読んだのだ。

 神社に参拝するときのような気分だった。

 叶わないと思うけど、万が一本当にいるんだったら叶えてほしいな……という、人間の能力を超越した不可視な存在への薄い期待。

 祭壇へ一歩近づく。

 胸のあたりで祈るように指を組んでうつむいて、目を閉じる。形だけでもそうしたほうが儀式っぽいかな、と思った。瞼を閉ざすと、今まで気に留めていなかったヒグラシの声のボリュームがほんの少し上がり、埃のにおいが強まったような気がした。生まれつき目の不自由な人は、そのぶんほかの五感――聴覚や嗅覚など――が鋭敏になるとか、真実か虚偽かもわからない、どこかで聞きかじった知識が頭のなかを通り過ぎていった。

 口を開く。


「――――――」


 天使が現れてもいないのに、願いごとを口にする、自分のやや大きめな声が少し反響した。ずっと言葉には出せずにいたからだろうか。胸の内にへばりついていたものが剥がれ落ちたような、そんな清々しい心地がした。

 目を開ける。古ぼけた祭壇。差し込み始めた斜陽。足元に濃く落ちる自分の影。ヒグラシの声。

 当然だけど、天使はどこにもいなかった。ひょっとしたら、さっき読んだマタイの福音書みたいに、夢に天使が出てきて助言をくれるのかもしれない、なんて。絶対ありえない。

 現実とフィクションの間には深い溝が横たわっている。私が読んでいる物語では浮気する夫なんて間違っても出てこないのに、三次元の住人である東雲篤貴はあっさり浮気した。それが何よりの証拠だ。この世は小説のようにうまくいったりなんてしない。

 子供じゃないんだから、現実と虚構の分別はきちんとついていなくてはいけない。

 文庫本が入ったリュックの肩ひもを強く握りしめる。祭壇に背を向けると、私は礼拝堂を後にした。

 一度も振り向いたりしなかった。

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