こっそり、逢引

「星廉、ちょっとデートしない?」

 帰りのHRが終わった数分後。唐突でストレートな私の提案に、自分の席で帰り支度を進めていた星廉はやや面食らった表情をした。

「えっ、ああ、恋愛小説のためですか?」

 ちょっと星廉が声をひそめた。

 そんなことしなくても、周りは皆、テストが終わったのと夏休みを目前にしているせいで浮足立っていて、だれもこちらの会話など聞いていやしない。この後はカフェに行くだの、テストむずかしかっただの、そういう話に花を咲かせている。

「うん。どうかな」

「ぼくは構いませんけど。特に予定もないですし。でも、この時間からデートってなると、良さそうな場所は……」

「あ、デートって言っても、どっか行きたいってわけじゃなくて。図書室とかで勉強デートするとか、そういうので全然いいの。ここらへん遊ぶところないし」

 思案顔になった星廉に、苦笑してそう答える。

 商業ビルやショッピングモールまで行くとなると、ここからバスで片道一時間半はかかってしまう。さすがにそんな時間まで星廉を拘束するのは申し訳ない。それに万が一、知り合いに目撃されて「あの二人つきあってんじゃないの?」、「一星廉、許さん」とか、誤解や逆恨みが生じてしまったらと思うと心底めんどくさい。

「でも、勉強デートって言っても、昨日も一昨日も勉強会しましたし、祈璃ちゃん疲れてるんじゃないですか?」

「……まあ」

 なんて聡いのだろう。

 正直言って、今日も勉強したら頭がぐったりしそうなのは事実だった。

「あっ、校内デートするのはどうでしょうか?」

「校内デート?」

「前にドラマで観たんです」

 星廉は「ちょっと待っててください」と言い残すと教室をでていって、数分で戻ってきた。その手には鍵束が握られている。

「なにそれ。どこの鍵?」

「職員室から借りてきました。図書室の鍵もありますし、美術室もPC室も、被服室のもあります。順番にまわっていくんです」

 察した。校内デートってそういうことか。

「それに、これなら二人でいるところを目撃されてあらぬ疑いをかけられたとしても、『転校してきて間もない祈璃ちゃんのために、隣の席のぼくが校舎を案内してただけです』って言い逃れができます」

「頭が良すぎて怖い」

 私の率直な感想に、星廉は「つきあってると誤解されて、祈璃ちゃんが色々言われたら大変ですから……」と気遣いの姿勢を見せてくれた。

 あ、自分の身を守るためじゃないんだ……。ちょっと好感度が上がる。

「どこから行きますか?」

「じゃあ、美術室。行ったこと無いから」

「祈璃ちゃん、音楽選択したんでしたっけ」

「うん。前の学校でも音楽だったからね」

 デートらしさ皆無の雰囲気で、私たちは校舎の隅にある美術室へ向かう。

「失礼しますー」

 鍵を開けて入る時、星廉が誰もいない美術室に向かって声をかけた。返事はない。

「誰もいないですね」

「そうだね」

 美術部の人とか使っていても良さそうなのに、と思いつつ入室する。でも、転入初日に和泉先生からうちの学校の部活動はまともに機能してないという旨を聞かされたのを思い出した。けれど、どこかのクラスが授業で使っていたのか、絵の具の匂いが充満している。

「上手ですね」

 壁に飾られた水彩画を見て、ふと星廉がそんな感想をこぼしていた。私も隣に立ってその絵を見てみる。空にさまざまな色の星が煌めき、うさぎやシカといった動物たちがそれを見上げている。柔らかなタッチながら幻想的な作品になっていた。

「ほんとだ。すごいね」

「多分これ、ドリッピング画法つかってますよ」

「なにそれ?」

「紙に絵の具たらす描き方です。確か最初に発明したのは画家のジャクソン・ポロックだったと思うんですけど……。違ったかもしれません」

 妙に詳しい星廉。単に博識なだけかもしれないけど、星廉って絵うまいのかな? 絵に熱い視線を向けているものだから余計気になる。

「星廉、何か書いてみてよ」

 私が棚からマジックを取り出して、星廉の背中に声をかけると「えっ」と勢いよく振り向いた。こちらに近づいてきた星廉にマジックを一本手渡す。

 彼が絵に見惚れてる隙に、黒板前の教壇に、どうでもよさそうに放置されたコピー用紙の束を見つけた。それを数枚引き抜いて、机に広げる。

「ぼく、絵とか描けないですよ」

「そう言いつつ、描いてみたら上手いパターンでしょ」

「本当にそんなことないんですけど……」

 言いながら、星廉は紙にマジックのペン先を押し付け始めていた。それから十秒ほどで出来上がった絵は驚くものだった。

 藁人形のようなものの頭部に、左右不均一の大きさの目玉がついていて、両手両足の関節は、曲がったらアウトな方向に折れている。

「……ごめん」

「な、なんで謝るんですか?」

 絵を描かせたことを詫びたくなるくらい下手くそだった。

「ちなみにそれは何を描いたの?」

 好奇心を抑えられず。怖いもの見たさに似た心情で訊いた。星廉はにっこりと笑んで言った。

「祈璃ちゃんです」

「爆弾発言してる自覚ある?」

 きょとんとしている星廉から、紙をそっと取り上げる。捨てるのも悪いし、しかしこの不吉極まりない絵を放置していくわけにもいかない。繊細な子が見たらトラウマになってしまうかもしれない。迷った挙句、星廉画伯の作品はコンパクトに折りたたんでスカートのポケットに滑り込ませた。

「祈璃ちゃんも何か描いてください」

「ええ? 下手だよ」

「ぼくよりは上手いでしょう」

「ああ、まあね……」

 星廉にだけ画力を晒させていじって、自分は描かないと言うのもどこかアンフェアな気がした。私もカラーペンを手に取った。茶色いペンで平たいだ円を描いて、その下には台形を書いて黄色で塗りつぶす。

「プリン」

「可愛いです!」

「そう? フツーじゃない? べつに上手くないし」

「いやいや、ぼくよりよっぽど上手ですよ! 女子が描いたイラストって感じで可愛いです」

「それ褒めてる?」

「褒めてます! 写真撮っても良いですか?」

「やめて」

 何だか照れくさいし。

 じゃあもらいます、と言って星廉は私の描いた絵を折りたたんでいた。よっぽどお気に召したらしい。あ、でも星廉が私を描いてくれたんだから、私も星廉のことを描いたらよかったかな、と後で思った。

「ていうか、そろそろもう出よう。ほかのところ行こう。まだ美術室しか来てないじゃん」

「あっ、そうですね」

 マジックを片付けて、私たちは美術室を出た。

 そこからの時間はあっという間だった。

 PC室のパソコンをつけて、ネットニュースの片隅に載ってる占いを見て、面白半分にコピー機で印刷したり。日当たりのいい廊下で、夕焼けが映る窓をバックに顔を隠してツーショットを撮ったりした。

 校内デートは、思いのほか楽しくて充実した時間になった。

「なんか、楽しすぎて帰りたくなくなってきました」

 バスの時間が近づいてきたので、鍵を職員室に返しにいこうかという段になり、ふいに星廉が笑ってそんなことを言った。らしくない言葉に、ちょっとびっくりした。

「星廉でもそんな子供みたいなこと言うんだね?」

「祈璃ちゃんと遊ぶの楽しいです。赤羽くんと遊ぶのも楽しいんですけど、それとはまた違う面白さがあるというか。あ、でもデートなんでしたっけ、これ。あんまりデートっぽくなかったかもしれないですね……すいません」

「そう? そんなことないと思うけど。写真とか撮ったし……」

 言いながらハッとする。デートはしたけど、でも星廉に私のことを女子として意識してもらうということはできなかった……!

 ……まあ、でも、異性と一回以上逢引きするという天使からの課題はこなすことができたと思うし……。うん。まあいい。これから残された期間で、星廉をハグやキスに応じさせるくらい私に好意をもってもらうしかない……。……できるだろうか。

「でも、写真は友達同士でも撮るものじゃないですか?」

「え、ああ。確かに」

 先刻の私の言葉に星廉はそう反応したので、私は相槌を打つ。

 言われてみて気づいたけど、デートの定義ってあいまいだ。女の子同士でも二人で遊ぶことをデートと言うケースもあるし。果たして今日の校内デートは、天使のお眼鏡に敵うのか。これはただ友達と校内をぐるっと周っただけだからノーカン、とか思われるだろうか……。

「つなぎますか?」

 星廉が手を差し伸べてきた。

 よっぽど、デートみたいな甘い雰囲気にならなかったことを気にしてるのだろうか。

「えっ? いいの?」

「あ、祈璃ちゃんが嫌なら無理にとは言いませんけど……、でも、デート中の男女って大体、手つないで歩いてますし」

「まあ、それはそうかも」

 一理あると思い、私は星廉の手を取った。

 夕焼けのオレンジ色に包まれた廊下を、二人で進む。昼間は皆がいて、私が廊下を歩くだけで称賛の言葉を浴びせてくるけど、今は皆帰ってしまっているからとても静かだ。

 つきあってるわけじゃないけど、単なる恋人ごっこだけど。もし、幼稚園のころの私に今こうして星廉と手つないで歩いてるよって教えてあげたら、喜ぶかな。

 そんなことを考えたせいかもしれない。それとも、夕暮れの校舎に二人きりというセンチメンタルな空気にあてられたのかもしれなかった。

「私、幼稚園のとき星廉のこと好きだったよ」

 ぽつりと独り言みたいな声量で伝えてしまった。

 一瞬ハッとしたけど、でも、どうせ、「幼稚園児が恋愛感情を持つんですか……?」とかそういう学術的な疑問をぶつけてくるだろうと思った。

 なのに、隣を歩いていた彼は足を止めた。

 驚いて顔を上げると、星廉は何ともいえない表情をしていた。

「え、せ、星廉? どうしたの?」

「……すみません……。あのころ祈璃ちゃんがぼくと友達になりたいと思ってくれてたのに、ぼくは毎日そっけなく接していて……」

「……あの、星廉? 私が言ったのは、親愛的な意味で好きだったわけじゃなくて……恋愛的な意味で好きだったって言ってるんだよ」

「……えっ?」

「あ、今はもうさすがに十年も経っちゃってるし何とも思ってないけ、ど……」

「……」

「……星廉?」

 おや? と私が思ったのは、彼がなんだかたじろいでいるように見えたからだった。

「あ、いや……、なんか、そんなこと言われたの初めてだったので……」

 心なしか星廉はどこか、気恥ずかしそうに見える。

 その反応を見て、私までだんだん恥ずかしくなってきた。星廉を好きだったのは幼稚園のころの私で、今の私ではない。だけど、顔に熱が昇ってきて、ちょっとうつむいた。

「でも、うれしいです」

 そう言った彼は、少しはにかんだように見えた。

 このとき、ほんの一瞬、なにかが動いた気がした。

 けっきょく私たちはしばらく手をつないで、廊下を進んだ。どうしてだか星廉はなにもしゃべらなくて、でも私も今までなにをしゃべってたか上手く思い出せなくて、会話がないまま二人で歩いた。その沈黙は、妙にドキドキするもので、甘いようなむず痒いような気持ちにさせられた。

 星廉、いま何かんがえてるんだろう。

 相手の思考は読めなかったけど、でも一ミリくらいは意識してもらえたような気がしていた。気のせいじゃなかったらいいな、と思う。

 そこから数分ほど歩いて、ふいに星廉が立ち止まり、つないでいた手を離した。

「あの……、鍵返してくるので、祈璃ちゃんは先に玄関で待っててください」

 気が付くと、職員室の前まで来ていた。

「あ……うん。あ、ありがとう」

 気にしないでください、と星廉が言う。声の調子も、腰の低さも、笑った顔も、いつもと同じ星廉に戻っていて、私は何だか安心した。

 お言葉に甘え、昇降口のそばで待つことにする。

 手持ち無沙汰になりスマホを取り出す。

 廊下で窓をバックに撮影した写真を画面に表示させて眺めた。星廉は両手で顔を覆い隠して、私はスマホを持ってない片手で口元を隠したツーショット。ただの学校の廊下なのに夕日のおかげでいい塩梅に逆光になって、まるで映えスポットみたいになっていた。

 星廉が「すごい。インスタの人みたいですぼく」とキラキラの目で言っていたのを思い出して自然と笑みがこぼれた。これぐらい、誰でも撮れるのに。そうだ。この写真、星廉にもLIMEで送ってあげよう。

 雑多な色に溢れたホーム画面から、LIMEの四角い緑アイコンをタップする。天使のアカウントからメッセージがあるのに気づいた。ドキッとして開く。


【一度以上、デートの完遂を確認しました】


 いちいちこういうの送ってくれるんだ……。

「意外とマメ……?」

「誰がですか?」

 背後から星廉の声がして、飛び上がってしまった。

「いや、な、なんでもない」

 急いで画面を暗くしてスカートのポケットに端末を滑り込ませる。星廉はきょとんとしていた。見られてないみたい。よかった……。

 天使のアカウントのことなんかバレたら、「特殊詐欺では……!?」とか要らない心配をかけさせてしまうに決まってる。学校ではなるべく天使のトーク履歴は開かないようにしないと……。いや、でも、聖書には「人間の目には見えないが、特定の人間に現れる」って書かれていたし……、もしかして私以外には見えなかったりするのかな??

「鍵、戻してきました。帰りましょう」

「あっ、うん。そうだね」

 手を繋いで廊下を歩いたときの空気は、もう影もない。そのことに、なぜか少し安堵していた。

「祈璃ちゃん」

「え、なに?」

「ありがとうございました。今日はすごく楽しかったです」

 彼はにこやかに笑んでいた。

「私も、楽しかった」

 心からの言葉を返す。

「なら、よかったです」

 果たして、私の言葉を受けた星廉はとてもうれしそうに見えた。

 なぜだか、少し、ドキッとした。

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