とつぜん、危機
問題が起こったのは、その翌日の放課後のことだった。
普段と変わりない一日を過ごして、六限目には数Bの小テストも返却された。私は68点という普段からは考えられないくらい良い点数だったし、星廉に至っては満点を叩き出していた。さすが勉強ガチ勢は違う。そんな一星廉のことがお気に入りな京先生は、「これだから、俺ァ一が好きなんだよ」と星廉の答案返却時にのたまっていたくらいだ。
そして帰りのHR終了後。
「マジ頭おかしいだろ! マジでいい意味で頭おかしいだろ!!」
「ふひひ。答えを教えてもらえるまでは引き下がりませぬぞ」
私は、星廉が追試組(要するに赤点をとった人たち)に囲まれ解答を教えろとせがまれているのを、隣の席から眺めていた。星廉は、「教えます。教えますから」と困って苦笑している。勉強ガチ勢も大変だ。
しばらく時間がかかりそうだし、先にバス停へ向かっていようと私は教室を出た。
「あれ? 祈璃ちゃんじゃね?」
廊下を進み、生徒玄関の近くまでやってきた時。
軽やかな声がして振り向くと、いつだか昇降口で「可愛くね?」、とか何とかにやにや私を見ていた上級生のうちの一人がいた。短く刈り上げた髪に健康的に日に焼けた肌、首元にはチェーンのような形状のネックレスが揺れている。ワイシャツの前を全て空けて、中に着たTシャツの派手な色を覗かせていた。
一言で言うならチャラそうだ。さらに言えばガラが悪い。
「相変わらず超可愛いね。話しかけんの勇気いったわー」
「先輩。こんにちはー」
下手なことを言って危害を加えられでもしたら、たまったもんじゃない。営業スマイルをたたえて軽く会釈を返す。
「そういえば祈璃ちゃんさぁ。この間、貧血で倒れちゃったんでしょ? 噂できいたけど」
「え」
そんなしょうもないことが噂になっていたのは知らなかった。彼は締まりのない表情で続ける。
「貧血って、飯くってねーからなるんだよ。祈璃ちゃん、こんなに細いし肌白いしさあ。……つーか、その外見で病弱ってかなりそそられるわ」
耳元でささやかれてゾッとした。反射的に、少し距離をとって、彼を二度見する。彼はニヤニヤしたままだった。
「今から俺、今からダチと飯食いに行こうと思っててさ。野郎ばっかで行くのも飽きたし、だれか女子いねーかなって思ってたとこで。祈璃ちゃん見つけられてよかったわ。行こうぜ。貧血ってちゃんと食べねーと治んないでしょ。ちょうどいんじゃね?」
「あー……、すいません。今日は帰らないといけないので」
やんわりと断りを入れる。数学力はないけれど、危機察知能力は人並みにあるつもりだ。
「ふーん……。帰んの? てか、誰か待ってんの?」
「えっと」
「あ、わかった。あの同じクラスのお洒落メガネだろ? 高校デビュー頑張りました~みたいな雰囲気の。イケメン気取りのフツメンって、見てて可哀想になってこねぇ?」
お洒落メガネ……? ……もしかして星廉のこと言ってるのだろうか。
話についていけない私をよそに、誘いを断られたのが面白くなかったのか、先輩はどこか小馬鹿にした口調だった。
「黒髪センターパートに金縁丸眼鏡って。ああいうのはカッコいい男がやってこそって感じじゃん? イキってんなよ、って感じだよな」
「そんなの、人の自由じゃないですか」
ちょっとムッとして言い返した私に、先輩は意地の悪い顔でさらに続ける。
「いや、でもさぁ中学の時とかアイツぜったい芋だったと思わん? 祈璃ちゃんあんなクソ真面目そうな男と一緒にいたって、つまんねえっしょ?」
その一言には、さすがにイラっとした。星廉と話したこともなさそうなのに、わかったみたいな口を利かないでほしかった。
「な、飯いこうぜ。俺ハンバーガー食いてえんだけど祈璃ちゃんは? 何がいい?」
「行きません」
思っていたよりも語気が強めになった。一瞬、先輩の顔から表情が消える。
「ご飯とか、行きたくないので」
「……は? え、なに急にヒスってんの? いや冷静になってみ? あいつよか俺のほうがカッコいいだろって」
「あんたみたいに高校生のうちから女あさって、親の金で遊んでる人のどこがカッコいいの」
つい本音が口を
「……ふーん。そっかそっか。へえー」
露骨に冷めた口調になると、彼は傍らにあったゴミ箱を蹴っ飛ばした。
大きな物音がして廊下に反響する。視界の端に、昇降口に向かう生徒が足を止めてこちらを注視しているのが見えた。
「あんまナメんなよ、お前」
かち、とスイッチが切り替わるような音がした。
目の色が明らかに変わっていた。
――まずい。
「てかさ、そんな庇うってことは、やっぱりデキてんの? あいつと」
「ちが」
「まあ、どっちでもいいや。来いよ」
逃げるのが、一秒遅れた。腕を強い力で掴まれる。
到底抗えない力で腕を引っ張られ、半ば引きずられるようにして連れていかれる。
「いっ、痛……! やめて!」
「はいはい行こうねー」
「嫌!」
「チッ、うっせえな。黙っとけよ」
鋭い光を持った目。明らかな敵意だった。腕にこもった力も相まって途端に身が竦む。
こわい。
今まで、モテることを「面倒だな」、「だるいな」、「きもいな」、と思うことはあったけど、こんなふうに思ったのは初めてだった。
男って、こんなに力つよいんだ。
こんな低い声で、こんな酷いことを言われるのも、こんなに乱暴に扱われるのも。全部はじめてだ。
心臓が、嫌な感じに速く鼓動を打つ。
「あー、もしもし。山本? 飯行く前にちょっといい? 祈璃ちゃんつれてくから、体育倉庫の鍵開けといて。あそこ誰もこねーじゃん。えっ? いや、なんか、女王気取りで調子こいてっから、怖い目あわしてやろーかなって。お前好きだったじゃん、清楚系。つって俺もだけど」
頭の中が真っ白になった。
抵抗したいのに、体に力が入らない。声が出ない。どんどん
やばい。これ絶対やばい。
どうしよう……。
「なっ、何やってるんですか……!?」
聞き慣れた声が後ろから飛んできた。視界の隅から男子の腕が伸びてくる。その腕は、相手の手をつかみ、私から引っぺがした。
星廉だった。
あんなに強い力で掴まれていたはずなのに、あの腕をあっさりと解いてしまったことに驚く。けど、助けがきたことにほっとして、全身から力が抜けそうになった。
そして星廉は、私の手首に指の跡が残ってるのを見咎めたらしく。面倒そうな顔をした先輩に向き直っていた。
「あの、どれだけ強い力でつかんだら、こんなことになるんですか」
私と先輩の間に立って、彼は物怖じする気配もなくそう疑問をぶつけた。疑問というより、責めているに近い硬い声だ。らしくない態度に、私は目を瞬いて星廉を見てしまう。
「祈璃ちゃんは女子なんですよ。体格差も考えられないくらい頭悪いんですか?」
「うざ。なにこいつ。わりとマジでムカつくんだけど」
「それはこっちの台詞ですけど」
先輩に対して、憤りを隠さない星廉。普段とは全然ちがってびっくりした。先輩の舌打ちが聞こえよがしに響く。
「ブサイクのガリ勉陰キャが、なにイキってんだよ。お前みたいなのが、東雲祈璃の彼氏きどりとか笑わせんな。家で勉強でもしとけよ、死ね」
「死にません」
「うわ、ウザっ。ガチできしょいな、お前。俺にそんな口きいていいと思ってんの?」
「あなたは自分のことをなんだと思ってるんですか? ぼくもあなたもただの高校生ですよね」
「は? クソむかつくんだけど。いっぺんシバいてやろうか……」
「おい。そこの馬鹿。一に絡んでんじゃねェぞ」
先輩が一歩距離を詰めてきた直後、背後から低い声がして振り向いた。
京先生だった。怒りを通り越して半笑いの表情を浮かべている。彼は、そのままこちらへと歩を進めてくる。
「一に言った言葉を、今一度俺の目を見て、一言一句そのまま述べろ」
「やっべ……っ!!」
青ざめた先輩が脱兎のごとく、その場から逃げ出した。青筋を立てた京先生は、走り出した彼の後を、凄まじい速さで追いかけていく。
彼が私と星廉の横を通り過ぎていったとき、私たちの前髪が風で額から浮いた。逃亡中とかに出てくるハンターを彷彿とさせる速度。数秒後に遠くで先輩が叫ぶ声が聞こえてきて、あの先輩のことがほんのちょっぴり可哀想に思えてきた。
「祈璃ちゃん、保健室に行きましょう。痛いですよね」
星廉が眉根を寄せて顔を覗き込んできた。自分の腕をみると、掴まれたところが赤く痕になっている。圧迫されるような鈍い痛みがあった。
「だ、大丈夫。これぐらい。放っといても治るし」
患部を背中側に隠して強がっても、星廉は「だめです」と頑として譲らなかった。
「いや、でも……。大げさにしたくないし」
「放っておいたら、ひどくなるかもしれません。あとで病院に行くことになるより、いま保健室に行っておいたほうがいいですよ」
あまりにも悲痛な表情を浮かべていた。私のことで、そんなに怒ったり悲しんだりしてくれるんだ……。
星廉は「行きましょう」と手を差し伸べてくる。
結局、言われるがまま、その手をとった。
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