第二章

おいしい、朝食

 星廉と恋人ごっこをする約束を交わした次の日。

 朝の目覚めが良かった。髪の調子も肌の調子も最高。しかも東雲篤貴は眠りこけていて、一度も顔を合わせなかったため、私はより一層爽やかな気分で家を出ることができた。

 いつも通り、バス停で待っているとバスが到着する。ドアが開くと同時に乗り込んだ。「おお、おはよう」と例の馴れ馴れしいおじさんドライバーがでれっとして笑いかけてくる。

 今日は機嫌がいいので「おはようございます」と営業スマイルをしっかりと浮かべて対応した。

「星廉おはよー」

「あっ、おはようございます」

 一番奥の窓際の席に座っていた星廉が、読みかけの参考書から顔を上げた。彼の隣の座席に腰を下ろすと、バスが出発した。

「昨日言ったこと覚えてる?」

 何かを言われる前に私は口火を切った。

「覚えてますよ。恋人ごっこ的なやつですよね」

「そう!」と言って、私は星廉のほうに体を向ける。

「手をつないだり、デートをしたりするんですよね?」

「そうだよー」

 星廉の言葉にうなずく。

 ハグとかキスもするよ、とは今の段階では言わない方がいいと思っていた。

 保健室で、「恋人がするようなことをしてほしい」と伝えて承諾をもらってから一晩。私は家で今後のプランについて考えてきた。

 天使から課された課題は全部で四つだ。登下校の際に毎日手をつなぐこと、デートすること、ハグをすること、キスをすること。

 この四つの課題を一か月以内に完遂しなければいけない。

 作戦はこうだ。

 夏休みに入るまでのあと二週間くらいは学校に行く必要があるので、今日から毎日二週間は手をつなぐことになる。私レベルの容姿の女子と二週間ずっと毎日スキンシップをしていたら、さすがに星廉もだんだん私のことを異性として意識せざるをえないだろう。

 向こうが私のことを意識してきた(時期的には夏休みに入る直前の)タイミングでデートに誘う。

 意識させた段階でデートにさえ行けば、なんやかんやいい雰囲気になるものだ。昨晩、さまざまな恋愛小説を読み返してみて気づいた。デートに行ったヒーローとヒロインは大抵、デート中にハグもキスもしている。好きな異性と二人で休みの日に出かけることや、お互い私服で普段と違う姿であることなどが要因に違いない。つまり、二週間手をつないで、星廉に私のことを「ちょっといいかも」と思わせた状態で「デートに行こう」と誘いをもちかけ、「いいですね行きましょう」と言わせ、デートにさえ行ってしまえば、自然にハグもキスも出来るのである多分。

 そして、デートに行った先でそれら二つの行為を成し遂げたらあとはもう天使が、私の願いを叶えてくれる。

 うん。我ながら完璧な計画だ。

「あ、そうだ。一応言っておくけど、私とこういうことしてるっていうのは、誰にも言わないでおいたほうがいいと思う。星廉の安全を考慮して」

 人差し指を立てて私は言った。星廉は一瞬きょとんとしたが、すぐにハッとしたようだった。

「……あっ、皆にバレたら反感を買って、ぼくが半殺しにされるからですか?」

「半殺しで済んだらラッキーだよ。みんな本気で殺しに来るよ、星廉のこと」

 真顔で訂正すれば、星廉は「で、ですね。言いません」と何度もこくこくと頷いた。

 嘘をついて星廉をだましているだけで良心がちくちく痛むのに、そのうえ、「一星廉の野郎、東雲祈璃とつきあってるんじゃないか?」なんて馬鹿な憶測が飛び交い、私に好意を持つ人たちが嫉妬に狂って星廉を攻撃しだしたら……と考えたら星廉に申し訳なさすぎて胃痛がしそうだ。

「で、あと私がしたいことなんだけど、毎日登下校のとき、バスの中だけでいいから手をつないでてほしいの」

「毎日、手つなぐなんて本当にカップルがすることみたいですね……!」

「ね。本当にカップルがすることだよね……」

 楽しそう!と言いたげな表情の星廉とは対照的に、私はふっと力なく笑った。

「あ、でも手をつなぐのはいいんですけど、その前に確認したいことがあります」

「え? なに?」

「朝ごはん、食べてきましたか?」

 唐突に星廉に爽やかな笑顔で訊かれ、ぎくりとなった。食べていない。家を出る時に東雲篤貴天敵は眠りこけていたとはいえ、奴の部屋はキッチンの隣だ。冷蔵庫を開けたりして物音を立てたが最後、寝床からのそのそと起きてきて、「朝ごはんつくってやろうか」だの、「車で送ってやろうか」だのとウザいことをのたまうかもしれなかった。それが嫌でキッチンに足を踏み入れることは避け、朝食を食べてこなかったのだ。

「……た、食べてきたよ」

「そうなんですか~。えらいですね。じゃあぼくの目をしっかりと見て、もう一度言ってくれませんか?」

「ごめん、食べてない」

 笑顔のまま尋ねてくる星廉の圧に、負けた。

「何でですか祈璃ちゃん!?」

「だ、だって……」

「昨日たおれたばかりじゃないですか……! 貧血だったんですよね? 貧血は、三食しっかり食べなきゃ治りませんよ……!」

「いや、いろいろ事情があって……。そんな怒らないでよ……」

「今度からはちゃんと食べてきてください、貧血って万病のもとなんですよ。これあげます。いま食べてください」

 星廉に、ランチバックからラップに包まれたおにぎりを手渡された。

「これ星廉のお昼ご飯じゃないの?」

 驚いてそう尋ねたけど、「ぼくは購買で何か買うからいいんです」と言葉を返される。

「いや、でも」

「祈璃ちゃんが倒れたら大変ですから。食べなきゃ手つなぎません」

 謎の圧。そんなことを言われては受け取らざるを得なかった。ありがたいやら申し訳ないやら。

「ありがとう。いただきます」

「ちなみに中身はクリームチーズと梅干しです」

「ふうん。食べたことないな」

 ラップをめくって、一口かじる。梅のすっぱさと、柔らかくまろやかなチーズが見事に調和していた。ふっくらとしたお米に絶妙なその味がよく絡んでいて。

「美味しい!」

 そう言って星廉を見ると、彼は満足げに笑っていた。

「ほんとに美味しい、これ。星廉のお母さん料理上手だね」

「ぼくがつくったんですよ」

「え、すごっ」

「SNSで見て、どんな味か気になったので実際つくって検証してみようと思っただけです。やっぱり美味しいんですね。……あ、手つなぐんでしたっけ?」

 星廉が手を差し伸べてきた。おにぎりなら片手でも食べれる。

 手を伸ばして星廉の手を掴んだ。おにぎりを食みながら、つないだ手に視線を落とす。もちろん東雲篤貴と魔女のような女がしていた恋人つなぎではない。

「星廉、手おおきいね」

「女子と男子では骨格がちがいますからね」

 私よりも少し温度が高い手。指は節がしっかりしていて皮膚が薄めな感じ。

 よく恋愛小説では、異性とつきあってるふりや恋人の真似事をするような展開になると「こいつのことなんか全然すきじゃないのに、なんでこんなにどきどきするの?」なんて、流されやすいヒロインが出てきたりもするから、もしかしたらこういうことしてたら星廉のことをコロッと好きになるかもなと思ったりもしていた。でも、手をつないでも全くキュンなんてしなかった。本当に、親に離婚してもらうための作業の一環という感じだ。でも、星廉が私を意識してくれればそれでいい。

「ふふ」

「え? どうしたの?」

 こらえきれなかったと言った感じに星廉が笑ったので、顔を覗き込む。

「いや、幼稚園のときのことを思い出してしまって」

「幼稚園?」

「散歩に行くとき、二人一組になって手をつながないといけない決まりがあったじゃないですか。はぐれないように。祈璃ちゃん毎回ぼくのとこに来て『つなごう!』って言ってたなぁって。なつかしくなっちゃって」

 え?

 思わず、ほうけてしまった。

「……? 祈璃ちゃん?」

「え、あ、や、何でもない」

 もぐもぐとおにぎりを食べながら、私は焦っていた。

 冗談だと言って欲しい。

 だって、私のような顔面偏差値えぐい女子と手を繋いでそんな感想しか出てこない男子高校生っている……!?

 たいへんだ。

 もしや、毎日手をつなぐだけじゃ、星廉が自然に私のことを好きになるとか意識しだすということはありえないのでは?

 さっきの星廉の一言で、自分の計画の甘さに気が付いてしまった。

 隣をちらっと見ると、星廉は照れる素振りもなく、空いている片手でスマホに表示したニュースサイトをスワイプしていた。

 ……星廉は周りの男子と違って大人っぽいし、余裕あるとは思ってたけど。でも、私のこと本当に何とも思ってないんだ。

 そんな状態でデートに行ったって、なにかが起こることはないだろう恐らく。向こうがしてくれないならこちらからいくしかないのかもしれないが、それでも星廉が私に好意をもってなければ、恥を忍んでハグとかキスをねだったところで拒否されておしまいだ。かといって、相手に同意なくそういうことをすればセクハラになってしまうし……。星廉が、私のことを女子として見てくれなければ天使からの課題はこなせないのに……。

 どうやって星廉をオトしたらいいんだろう……。

 先行き不安になりながらも、とりあえず私は手をつないだままおにぎりを噛み締めた。

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