すべてを、告白

 マンションの屋上から見下ろす街は、とても煌びやかで綺麗だ。

 街の灯りがあふれ、光の洪水でも起きているかのよう。さすが県内で一番栄えている市。見事な夜景。

「すごい……」

 目の前の柵を掴んで、私はため息と織り交ぜたような声でつぶやく。

「ここならうちの親も来ませんし、落ち着くでしょう」

 星廉は、転落防止の柵に肘をついて言った。

 たぶん私に気をつかって、人気のない静かな場所に連れてきてくれたのだ。

「……ありがとう」

 ちょっとロマンチックな場所で、にこりと笑い返されて、不覚にもドキリとしてしまった。

「こ、こういう夜景ってさ、お店の看板の明かりとか、ビルの窓からもれる灯りでできてるわけじゃん?」

「そうですね。たしかに」

「っていうことは、この時間まで残業してる大人がいるおかげで、私たちがこの夜景が見れるんだよね」

「着眼点が素晴らしいです」

 星廉は、目を輝かせて「その発想はしたことがなかったです」とか褒めてくる。

「ぼくがここに来るのは、だいたい親にイラっとして一人になりたくなったときだけなので……。ささくれた心を癒すためにこの風景を見てるので、そういうことを考える余裕はありませんでした」

「く、苦労してるんだね……」

「あの人たち、いっつもあのテンションなんですよ……つかれるんですよ……」

 星廉が苦笑いしていた。

「でも、星廉の素っぽいところ見れて何か嬉しかったよ。レアだなーって」

 家族にはタメ口でツッコミとかも入れてたし。

「でも、なんで星廉って学校では皆に敬語なの? お母さんたちの前では普通にしゃべってたし、学校でもタメ口で喋ればいいじゃん。同い年なんだし」

 単純な疑問が浮かんで、私は星廉に尋ねた。一瞬、彼の表情がくもり、やがて星廉は言った。

「ぼく、ずっと後悔してたんです。卒園式のときに祈璃ちゃんを泣かせてしまったこと」

「え?」

 急に話が飛んだ気がして、聞き返した。けど、彼は話をつづけた。

「幼稚園を卒園して、初等部に入った時、同じクラスの子に感じ悪いって言われたことがあったんです」

 初めて聞く、私の知らない時代の星廉の話だった。

 いわく、初等部に入学してすぐに、実力を測るための新入生テストがあったらしい。星廉はそのテストで一位をとった。入学前から寝食以外の自由な時間を全て勉強に注ぎ込んできた彼にとって、それは当然とも言える結果だった。

 学年トップになると、星廉は周りの子には尊敬の眼差しを向けられ、先生にも褒められた。うれしくなり、ますます勉強が楽しくなった。幼い星廉は勉強にのめりこんでいって、昼休みも机にかじりついて授業の予習なんかをやっていた。

 同級生たちが、たまに「昼休み、校庭で鬼ごっこやろうぜ」とか誘いを持ちかけてくることもあったが、星廉は幼稚園の時と同じテンションでそっけなく断り続けていたのだという。そしたら。

「お前、勉強ばっかしてて感じ悪いんだよ! どうせ心の中では俺らのこと、『頭わるいやつ』って馬鹿にして見下してるんだろ!」

 そんなことを言われて、愕然となった。

 無意識に周りの子のプライドを潰していたのだ、とその瞬間、初めて悟った。

 星廉はその出来事を境にだんだん、クラスから浮いていった。陰口を言われることが多くなったのだという。

 私はそれを聞いて、どう反応すべきか困った。彼は言った。

「幼稚園のときは、周りに何を言われても気にならなかったのに、初等部の時はクラスで仲間外れになったのがとても心細くて……どうしてだろうって思って、気づきました」

 星廉が、まっすぐに私を見た。


「隣に、祈璃ちゃんがいなくなったからです」


 胸の内側がキュッとなった。彼はさらに言葉を紡いだ。

「居心地が悪かった初等部のころは、『今ここに、祈璃ちゃんがいてくれたらな』って想像したりもしました」

 「都合のいいこと考えてましたよね。ぼく幼稚園のときは祈璃ちゃんのこと、ずっとスルーしてたくせに」と星廉は苦々しく笑った。

「あと、ぼく、卒園式のとき『大人になったらまた会えるよ』とか、祈璃ちゃんに言ったじゃないですか」

「うん。言ってたね」

「正直、あのときはまた本当に会えるなんて思ってませんでした。あれ以上、ぼくのことを引き留める祈璃ちゃんを見ていたら、こっちまで泣けてきそうで、それで適当なことを言って引き離してしまったんです」

 うすうすそうなんじゃないかと思ってはいたけど、実際そう言われると少し傷ついた。あのときの私は、無邪気に星廉の言葉を信じて手を離したから……。

「……でも、あの後、車に乗って家に帰る途中で本当にもう二度と祈璃ちゃんとは会えないんだって実感がわいて、どうしようもなく後悔しました」

 星廉のお母さんがさっき言っていたことを思い出す。「この子、卒園式のあと、車の中でもっと遊んであげればよかったって泣いてたのよ」、と。

「……本当?」

「本当です。また会えたら絶対たくさんあそぶし、なにお願いされたってオッケーするし、なんでも言うこときくのにって、あの卒園式が終わってから、気づくと勉強の合間にぼんやり祈璃ちゃんのことを考えている自分がいました。初等部に入学して、クラスで仲間外れになってからも、中等部に上がってからも時折、祈璃ちゃんのこと思い出すことがありました」

 だから会えたとき、すごくうれしかったんです。

 星廉はそう言って笑う。思えば私が転入してきたとき、彼は一番喜んでいた。

 胸が熱くなった。

 私は星廉のことどんどん忘れてたのに、星廉は私のことを時折思い出して、ちゃんと覚えていてくれたんだ。

「祈璃ちゃんと離れて、やっと気づいたんです。自分の隣にいてくれる子をもっと大事にするべきだったって……。ぼく幼稚園のとき、祈璃ちゃんを泣かせたじゃないですか。だから、もしいつか、奇跡的にまた会えることがあったら、もう絶対に祈璃ちゃんを泣かせたりしないって決めたんです」

 その真っすぐな言葉と視線は、私の胸を射抜いた。保健室で、この間、私が涙したとき、抱きしめてまでなぐさめてくれたわけが何となくわかった気がする。

「そう決めたこともあって、初等部のときに少しトラブルを起こしてしまってからは、人とのかかわり方ももっと勉強しようと思って、いろいろ頑張ったんです。最初はなかなかうまくいきませんでしたけど。でも、いつもにこにこするようにして、見下してるって思われないように敬語でしゃべるようになって……それで、今のスタイルに落ち着いて、もう敬語は癖になってるんです」

「そうだったんだ……」

 星廉と再会したとき、確かにとても雰囲気が変わったと思った。けどそれは成長過程で自然とそうなったのだと思ったけど、本当は違ったんだ。すごく、努力して、身に着けた力だったんだ。

 純粋に、人として尊敬する。自分が過去にしたことを反省して、変わる努力をして、実際、彼は変わった。なかなかできることじゃない。

「そろそろ夕飯できると思いますし、戻りましょうか」

 星廉が言って、柵から離れ、屋上の出入り口へ向かおうとした。

「星廉」

 かわいた唇でつぶやくように言うと、星廉がこちらを振り向いた。


「私の父親ね、浮気してたの」


 一瞬、沈黙がただよった。星廉は驚いたように双眸を見開いている。

「それで、浮気のことが学校にもバレて、近所でも噂になって……前に住んでたところにはいられなくなって、越してきたの」

 私は、包み隠さずに全てを話した。

 まっすぐな星廉に、これ以上うそをつき続けたくないと思ってしまった。

 母は心労で倒れたこと、それでも両親は離婚しなくてモヤモヤしていたこと、あのノートに書いていたのは小説じゃなくて親のことだったということ、そして恋人ごっこも恋愛小説を書くときの参考にするためではなかったこと。

 天使のことも、信じてもらえなくて当たり前だと思うけど、と前置きして全てを話した。星廉は最後までずっと黙って、ゆっくりと私の話に耳を傾けてくれていた。視界の端では、数多のネオンの光がずっときらきらしていて目に染みた。

「……ごめんね。私ずっと、星廉に嘘をついて、利用してて。本当にごめん」

 長い打ち明け話の最後を、私は謝罪で締めくくった。けど、星廉はどこか悲痛な表情を浮かべたまま、当惑していた。

 制服のスカートを握りしめる。恐怖と緊張で身がこわばる。

 星廉にどう思われたのかがこわかった。

 理解してもらえたかどうかはわからない。もしかしたら、私が言ったことが信じられないのかもしれない。もしくは、ずっと嘘をつかれていたことに驚きを隠せないのやもしれなかった。

 怒られても、呆れられても、軽蔑されても、私は向けられた感情を全て受け止めよう。こわいけれど。

 むしろの上に立つような気持ちで、星廉の言葉を待つ。

 やがて、星廉が言った。

「なんで……そんな大事なことを言ってくれなかったんですか」

 私は驚いた。彼は、かすかに涙声だったのだ。びっくりして見つめると、星廉は「すみません」と目元を指でぬぐった。予想してない反応だった。

「……星廉、私、星廉に嘘ついてだまして利用してたのに怒らないの? あ、そもそも、信じてない……? 天使のこととか」

「正直、天使のことはまだ半信半疑ですけど……」

 まあ、普通はそうだよね……。

「でも、たとえ祈璃ちゃんがぼくを利用してたんだとしても、怒ったりなんかしませんよ。だって、祈璃ちゃんは必死だったんですよね。前の生活を取り戻したくて、一生懸命がんばってたんですよね……、怒るわけないじゃないですか」

 思ってもみなかった言葉だった。まさか、泣かれて褒められるなんて。

 だけど、軽蔑されなかったことにホッとしてしまった。体から力が抜けて、地面にへたり込む。じんわり、と心が温かくなって、なんだかこっちまで泣けてきそうだ。

 ごめんね、と私が泣きそうになりながら言ったら、星廉は「いいんですよ」と笑ってしゃがんで、私の頭を撫でた。

 しばらくの間、私はごめんと繰り返し謝った。星廉は、気にしないでくださいとその度に言ってくれた。視界の端で、ネオンがきらきらきらきら、光って、滲んでいた。

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