わたくしたちが東屋で休んでおりますと、侯爵家の方々が続々とこちらの庭園に移ってまいりました。

 ガラッシア家のほかの公爵家には年齢の合うご子息がいらっしゃらないため、今回のお茶会には参加しておりません。

 わたくしたちの後は侯爵家のターンとなり、十二貴族が優先、さらには王城での役職順となります。

 この国の宰相閣下を当主とするビランチャ家。

 外務大臣、ならびにそれに連なる役職を掌握しているスコルピオーネ家。

 治水、上下水道の設備に功績の大きいアクアーリオ家は、今でもその管理がすべて委ねられており、この国の生命線です。

 有事であれば軍略に長け、射手の名手として逸話を残す名だたる騎士を多く輩出しているのはサジッタリオ家です。

 十二貴族の侯爵家六家のうち、王妃様のご生家のカプリコノ家、そしてお母さまのご生家のヴィジネー家も、本日のお茶会は対象外ですわね。


 ある程度の人数がそろったところで、大人たちは室内のサロンに場所を換えます。

 今日のような長丁場が想定される会では、ガラッシア家は十二貴族の皆さまと交流する時間を持って切り上げることが許されており、基本的に公爵であるお父さまを待たせるような構成にはなっておりません。

 本日は子どもたちの面通しがメインということもあり、比較的同等の家格同士で交流できるよう、調整がされているのです。

 四家がわたくしたちのもとに集うと、いよいよ子どもたち同士の対面です。


(まず間違いなく、あのお二人は攻略対象ですわね)


 王子殿下とのお顔合わせはどうにかやり過ごしましたが、まだまだ油断はできません。

 お兄さまの他に、攻略対象たり得る王子殿下の側近候補としてすでに王城へと招かれている二人のご子息の話は、時おりお兄さまの話題に出てきております。

 まずはビランチャ宰相子息、シルヴィオ様。

 ようやくお顔を拝見しましたが、予想どおりのメガネ枠。

 短く切り揃えた緑の髪に、真面目そうなお顔立ち。

 もちろん攻略対象ですから、メガネを掛けていても端正なその造りは人目を引くのに充分でしょう。

 ただ取りつく島のないような隙のない佇まいで、何故だかきつい目付きでこちらを睨むようにしております。


(すでに悪役令嬢として嫌われているのでしょうか……)


 はじめてお会いするのに、どうして。

 彼のルートもまたわたくしの破滅へと繋がっているのでしたら、悪印象は困ります。

 目が合ってしまったので、ここはニコリと微笑んでおきましょう。


「……っ」


 今度は思いきり顔を逸らされてしまいましたわ。


(感情の忙しい方なのかしら……)


 メガネ枠といえば知的なキャラクターのはずですのに、お顔を見ただけではまだよくお人柄を図れませんわね。


 次いで視線を移すと、お隣のスコルピオーネ家ご子息、フェリックス様と目が合いました。

 今度はあちらからニコリと笑いかけてくださいます。

 艶やかな赤毛をひとつに結って背中へ流し、クラシックな装いに異国風のデザインを取り入れたお召し物は、派手ながらも洗練されております。


(この方は軟派なキャラクター枠で確定ですわね!)


 甘やかなお顔立ちの中、蠱惑的に垂れた目の奥は鮮やかな赤で、こちらも女性を魅了するのに充分ですわね。

 少し軽薄そうな風貌ですが、それが何より彼の乙女ゲームの中での立ち位置を示しておりました。

 けれど。


(それよりもなによりもわたくしには気になることが)


 笑いかけてくださったフェリックス様の目元に、泣きぼくろがごさいますの!


(わたくし、彼のチャームポイントについて高らかに歌い出したくなるカルマを前世で背負っておりますのにっ)


 突如主張をはじめた三十路女の衝動を抑えるのに苦労をいたしました。

 泣きぼくろについて歌いたくなる事象について、語り合えるお友だちが今世にはいないことにひどく残念な思いがいたしましたが、そもそも前世でもわたくしにはお友だちはいませんでしたわね。

 そんな事実に気がついて、またしてもわたくしの心にはチベットスナギツネ。

 この子だけが、前世からのわたくしのお友だちなのかもしれません。

 詮無い思考ばかりをして、フェリックス様に返す笑顔が微妙なものになってしまいました。

 今までの様子と少しだけ違ったことに気づいたのでしょうか、フェリックス様にもなんとも言えないお顔をさせてしまいました。


(お母さま、早速素敵な出会いにはなりませんでしたわ)


 余計なことを意識し過ぎたのでしょうか。

 王子殿下という破滅フラグに対してよりは、気が抜けてしまっていたことは否めません。


(けれど、攻略対象はヒロインになびくクソヤロー候補ですもの、それほど好意的でなくてもかまいませんかしら。

 憎まれるほどのことをしさえしなければ、あとは適度な距離感が望ましいですわね)


 それよりも大事なことは、攻略対象以外でお友だちを作ることです!

 アクアーリオ侯爵家に視線を移すと、ベアトリーチェお姉さまもこちらを見て親しげに微笑んでくださいました。

 わたくしは、その倍ほどの親しみを込めて笑顔をお返しします。


(やはりお姉さまがおそばにいてくださるのといないのとではわたくしの安心感が違いますわ!)


 すっかりベアトリーチェ様に心を奪われているのは、アンジェロお兄さまだけではないのです。

 お母さまもオルネッラ様が大好きですから、これは生まれる前から約束された絆なのかもしれません。

 それから、サジッタリオ家のご令嬢、クラリーチェ様は、お茶会に招待されている子どもたちの中での最年長、一二歳でいらっしゃいます。


(とても大人びた方だわ)


 ベアトリーチェ様の落ち着いた佇まいとはまた違い、手足がすらりと伸びて背がお高く、装飾を押さえたマーメイドラインのドレスがとてもよくお似合いです。

 高く結い上げた赤みを帯びた黒髪が、ネコ科の猛獣の尻尾のようで、目鼻立ちのはっきりした強めの美人になりそうな、すでに雰囲気のある方です。

 クラリーチェ様の視線の先は、フェリックス様のようでした。


(なるほど、並んで立っていらっしゃれば、とてもお似合いなお二人ですわね)


 一人納得していると、お父さまに名前を呼ばれました。

 その場で略式のカーテシーをして、皆さまへの「はじめまして」のご挨拶に代えます。

 お母さま仕込みの所作ですから、大人の皆さまからは感嘆のため息をいただきましたわ。

 ビランチャ侯爵夫人のアリアンナ様なんて、特に熱心に褒めてくださいました。

 その横で、ご子息のシルヴィオ様のお顔が険しくなっていくのがよくわからないのですけれど……。

 ご挨拶が一周すると、あとは自由時間です。

 十二貴族の六伯爵家の皆さまともお父さまはお話をなさりたいでしょうから、まだおそばにはいてくださると思うのですが。


(突然子ども同士で仲良くお話、はわたくしにはハードルが高いですわね)


 わたくし、前世でダテにぼっちをやっていたわけではございません。

 お父さまが仰った「内向的な娘」というのも、あながち嘘でもないような気がしております。

 こういう場面は今世でははじめてですし、前世ではできるだけ避けて通っておりましたもの、途端に緊張してきてしまいました。

 お兄さま、ベアトリーチェ様、ファウストに引っ付いていれば大丈夫でしょうか。

 クラリーチェ様とお話しできればいいのですが、仲良くしてくださるでしょうか。


「やあ、アンジェロ。

 早速君のお姫様を紹介してくれるんだろう?」


 まず歩み寄って来られたのはフェリックス様です。


(そうですわよね、こういう場面の先陣を切るのは泣きぼくろ……いえ軟派キャラクターの役割ですわよね)


 自然とクラリーチェ様がその腕を取っておりますので、やはりお二人は婚約者同士なのかしら?

 お兄さまを見ると、お兄さまからベアトリーチェ様の手を取りに行っているので、やはりそうなのかもしれません。


(そうなるとクラリーチェ様はフェリックス様ルートの悪役令嬢ですかしら?

 これはぜひ仲良くしていただきませんと!)


 わたくしは俄然クラリーチェ様に興味が湧きました。


「フェリックス、わたしのどちらのお姫様のことを言っているんだい?」


 右手にベアトリーチェ様、左手にわたくしを侍らせているお兄さまは、そんなセリフ回しをしても嫌味なく様になってしまう方ですので、わたくしもその様式美の一部として儚い美少女然としておりましょう。


「……わぁ、君が将来魔王になっても、オレとの友情は忘れないでね」

「馬鹿なことしか言えない口なら閉じていろ、フェリックス」


 フェリックス様の後ろから、険しいお顔のままのシルヴィオ様もいらっしゃいました。

 どうしてそんなに怖いお顔をしてらっしゃるの。


「シルヴィオ、そんな顔してこれから口説くお姫様を怖がらせてどうするの」

「貴女も余計なことを言わないでくれ」


 クラリーチェ様は、見た目通り落ち着きのある声音です。

 気安くシルヴィオ様に話しかけておりますから、面識がおありなのかしら。

 ベアトリーチェ様も皆さまとはじめましてというご様子ではなく、もしかして全くの初対面というのはわたくしとファウストだけ?


「クラリーチェ嬢は、シルヴィオの従姉妹殿だよ」


 戸惑っていると、お兄さまがそっと教えてくださいました。

 そうでしたわ、アリアンナ様のご生家がサジッタリオ家でしたわね。

 そういえば、どことなくクラリーチェ様とアリアンナ様のタイプは似ているような気がいたします。

 強い女性という形容がぴったりとくるような、サジッタリオ家は武門のお家柄ですから、そういうご気性の方が多いのかもしれません。


「ごきげんよう、サジッタリオ侯爵令嬢」


 わたくし、勇気を振り絞ってクラリーチェ様にお声をかけました。

 はじめましてですから、上位になる公爵令嬢のわたくしからまずお声をかけなくてはいけないのが貴族のマナーですもの、わたくしがんばりました!


「ごきげんよう、ガラッシア公爵令嬢」

「どうぞ、わたくしのことはルクレツィアとお呼びください」

「では、わたくしのことも是非クラリーチェと」


 ふう、これも様式美。

 これが貴族社会。


「やっぱりオレには興味なさそうだよねぇ。

 はじめに声をかけたのはオレなのに」


 一仕事終えた心持ちでおりましたら、クラリーチェ様のお隣でフェリックス様が大げさに嘆く振りをなさいました。


(キャラクター設定を裏切らない、劇場ドラマチック型の立ち居振る舞いの方ですわね。

 これで自分の素顔をどんどん見失っていけば、攻略対象として完璧なのですけれど!)


 フェリックス様について分析するのに忙しく、黙ったままでいたわたくしに、周りにいないタイプの人間に困惑していると思ったのか、お兄さまがかばうように前に立ち塞がってくれました。


「どうして君たちはわたしの妹を困らせるのかな……。

 ルクレツィア、ファウスト、王子殿下の元で仲良くしているシルヴィオとフェリックスだから、それほど構えなくてもいいよ」


 お兄さまの言葉に素直に頷いたのはファウストです。


「はい、はじめまして」

「へぇ、噂の天才はどんな子だろうと思ってたけど、お人形さんみたいだねぇ」


 フェリックス様には人との垣根が存在しないのでしょうか。

 今度はファウストに興味を移して、じぃ、とその顔が鼻先に付きそうな距離感で観察しはじめました。

 それにもファウストの表情はあまり変わりませんが、これは少し人見知りをしているようです。


「今度オレにも、映写機カメラっていうの、貸してね」

「殿下の次でしたら」

「早速売り込むんだから、ガラッシア家三兄妹の商会は飛ぶ鳥も落とす勢いだね」


 わたくしたちと王妃陛下、王子殿下とのやり取りを後ろで聞いていたとわかる言葉に、公の場でのこととはいえ、会話の外側にいた人間が話題を蒸し返すのは、盗み聞きのようであまり褒められたことではありませんわね。


「フェリックス、あまり妙な絡み方はしないでくれるかい」


 ほら、お兄さまもお声が低くなってしまったではありませんか。

 普段温厚で、とても優しいお兄さまですから、怒ったところは見たことがございません。

 それでも失礼なことをされれば諌めなければなりませんから、そういう時は、声が一段低くなるのです。

 わたくし、それを聞くと、妙にそわそわとして落ち着かなくなりますのよ。

 お兄さまを決して怒らせてはいけないと、本能から察しておりますの。


「それにシルヴィオも。

 わたしの妹に、何か言いたいことがあるのかな?」


 そう、そうなのです。

 シルヴィオ様、最初から怖いお顔のまま、ずっとわたくしを睨んでいるのです。


(睨んで……?いえ何か苦いものを飲み込んだようなお顔にも見えますけれど、それにしても怖いお顔……)


 せっかくの端正なお顔が台無しです。

 先ほどちらりとクラリーチェ様が聞き捨てならないようなことを仰っていたのを、あえて聞き捨てたのですけれど、シルヴィオ様のこの行動だけは読めませんわ。

 窺うように、首を傾げてシルヴィオ様を見上げますと、シルヴィオ様のお顔はさらに険しくなりました。


(それはどういう感情ですの……?!)


 攻略対象のご子息たちとのはじめての交流は、お世辞にも順調とは言えないようです。


「妹にそういう態度は関心しないよ」


 シルヴィオ様の挙動に対して、とてもとても圧の強いお兄さまの一声が響きました。


(あぁ、そんなに低いお声、ベアトリーチェ様が驚いてしまいますわ)


 きっと聞いたこともないような声音でしょうから、怖がらせてしまっていないでしょうか。

 そちらのほうが心配になってお姉さまを窺うと、お兄さまに引いてしまうようなご様子ではありませんが、ハラハラとしてお兄さまとシルヴィオ様を見比べております。

 そう、このような場で争い事はよろしくありませんものね。

 お兄さまはわたくしのために怒ってくださっておりますが、わたくしとしましては、いくら攻略対象とはいえ九歳の少年に睨まれたところでなんということもないのが正直なところ。

 いったいどんな心境なのかは気になりますが、お兄さまにかばっていただくほどではございませんの。


「お兄さま、きっとわたくしが気づかぬうちに失礼な振る舞いをしてしまったのですわ。

 シルヴィオ様、申し訳ありません。わたくし、はじめての登城ですから、至らないことがございましたのでしょう?」

「そういうわけではない!」


(び……っくりしましたわ。

 そんなに大きな声で否定なさらなくても)


 かなり食い気味にわたくしの気遣いは気遣った本人に斬り伏せられ、その声の大きさに驚いて肩が跳ねてしまいました。


「……いや、失礼。そういう、つもりではなかった」


 険しいお顔は少し和らぎましたが、声を荒げたことに落ち込んだのか、今度は目が合わなくなりました。


(情緒不安定ですの?)


 いけません。

 正統派乙女ゲームと思っておりましたが、こんなに感情の起伏が不可解で不安定なキャラクターがいるのは想定外ですわ。

 宰相子息はただのメガネ枠ではなくて、もしかして隠れヤンデレタイプという可能性もありますかしら。


「どうしたの、シルヴィオ。君らしくないね?」


 どうやら、フェリックス様が仰るにはこのシルヴィオ様は通常運転ではない、と。

 なおさらわかりません。

 答えを求めるようにお兄さまを見上げますと、わたくしを安心させるように肩を抱いてくださいました。


「フェリックスも人のことは言えないんだけれどね。

 おおかた、殿下の婚約について含むことがあるんだろう?」

「あー、わかっちゃった?

 だって、決まるものと思ってたし」

「わたしも殿下も、一言もそんなことは言わなかったよ」

「ええー、否定もしていなかったと思うけど」


(要は、既定路線だったわたくしと殿下の婚約が流れたことで、何かお二人には物申したいことがあるということかしら)


 どうして、と言うほどわたくし野暮ではございません。

 もちろんわからない振りはいたしますが、殿事態ですもの、影響が大きいのはまず間違いありませんわね。

 それにしたってシルヴィオ様の態度は奇妙ですし、フェリックス様もすでにクラリーチェ様とご婚約されているのでしたらあまり関係がないと思うのですけれど。


「私は、一目惚れというものは信じないんだが」


 唐突に、澱を吐き出すようにシルヴィオ様が話し出しました。

 本当に情緒が心配になりますけれど、先ほどからの苦々しげなお顔の理由がわかるのでしたら拝聴いたしましょう。


「王子殿下は貴女を婚約者に望まれたのではなかっただろうか」


 あら、わたくしが気づいていないはずのエンディミオン殿下の恋心を、第三者のシルヴィオ様が暴露してしまうような配慮デリカシーのない方には見えませんでしたけれど、それを言ってしまいますの?


「????」


 もちろんわたくしはそんなこと少しも気がついておりませんから、余計なことは言わずにシルヴィオ様の発言は不思議顔だけでスルーいたします。


「あの流れは……いや、貴女に説明をしても仕方ないか」


 わたくしがあまりに無垢で「わからない」顔をして見せたせいでしょうか、シルヴィオ様は貴族的な物事の経緯を説くのを諦めてしまわれました。

 それがよろしいですわね。

 とくに、ここにはおりませんが王子殿下にも矜持がおありでしょうから。


「殿下は……、いや、貴女は、殿下のことをどう思われたんだ?」


 なるほど、殿下目線のことをいくら他人が言っても仕方ないと気がついて、質問のアプローチを変えてきましたわね。

 やはりシルヴィオ様、理知的なキャラクターだと思うのですけれど。


「とても素晴らしい方だと思いましたわ」


 言っている内容はかなり凡庸で当たり障りないものの、にこやかに微笑んで言うことで、これ以上ないほどの賛辞に聞こえるようにお答えしました。


(これはいったい何の攻防ですの?

 シルヴィオ様はただならぬ緊張感を持っておりますけれど、わたくしに何を言わせたいのかしら?)


「公爵閣下と比べて?」

「お父さまでございますか?

 お父さまはとても素敵でお優しくて世界一素晴らしい方ですわっ」


 お父さまについてでしたらいくらでも、熱を込めて語らせていただきたいですわ!

 殿下の話題よりも目に見えてわたくしが華やいだせいか、またしてもシルヴィオ様のお顔は曇り顔。

 睨まれないだけマシにはなりましたが、いったいお父さまが素敵で何が不服と言うのです。


「……例えそうだとして、あの場で婚約したい相手の引き合いとしてご自身の父親を挙げるのはどうなのだろう?

 それを貴女もアンジェロも、公爵まで当然のようにして、公爵家の在りようは私には到底理解し難いものに思えるが」


 強い口調で、公爵家を非難されてしまいました。


(シルヴィオ様は怖い顔をなさって、そんなことを仰りたかったの?

 殿下がわたくしとのやり取りで目に見えて落ち込んでしまったのは可哀想ではございましたけれど……)


 言外に「公爵家はどうかしている」と言われたような気がして、わたくしだってムッとすることはございますのよ。

 余計なお世話です、と言い返さなかったのは、日頃の公爵家の教育の賜物ですわ。

 そんな強い言葉をルクレツィアは使いませんもの。

 でも、家族を悪く言われて笑って聞き流すわけにはまいりません。

 ここはルクレツィアらしい流儀で、シルヴィオ様がご自分の仰ったことを後悔するようにして差し上げましょう。


「シルヴィオ様は、お父さまは理想的な結婚相手とは思いませんの?」


 シルヴィオ様はどうしてそんなことを言うのかしらと、それはそれは、心底、ただただ不思議そうな顔で申し上げてやりました。

 これっぽっちも自分がおかしなことを言っているとは思っていない、これ以上はない素直なでシルヴィオ様を見返すと、シルヴィオ様は「ン゛」と世にも奇妙なうめき声をあげました。


「そういうっ、ことの例えに、実父を出すのが可笑しいのだと私は言って……」

「でも、お父さまがいちばん素敵でございましょう?」


 うふふ、シルヴィオ様が何だか挙動不審に戻ってきましたので、畳みかけて差し上げますわ。


「ねえ、お姉さま」とベアトリーチェ様に同意を求めますと、お姉さまも「それはもちろんそうですわね」と素直に肯定してくださいました。


「それにはわたくしも同意いたします」


 クラリーチェ様まで挙手してくださいました。

 でも、本当にそうなのです。

 誰がどう見てもわたくしのお父さまがこの世でいちばん素敵なのです。

 そうして、ルクレツィア・ガラッシアに相応しい相手として客観的に想定されるのも、お父さまほどの人なのです。

 それが実父ですと、多少外聞の悪いことかもしれませんけれど、何せお父さまなのですもの。

 誰もこの「理想の相手」に文句のつけようもないはずなのですけれど、シルヴィオ様ったら、本当におかしなことを仰るのね。


 女性陣が全員、あまりに屈託なくお父さまを推すものですから、シルヴィオ様はそれ以上何も言えなくなりました。うふふ、完敗ですわね。


「わかったかい、二人とも。

 ルクレツィアが言うのだから、父上もわたしも、ルクレツィアの望む相手と結婚してもらいたいと思っている。

 それが王子殿下ではなかったのは、申し訳ないとは思うけれど……」


 お兄さまも、内心では思うところがおありのよう。

 もう三年も殿下のおそばに仕えているのですもの、それはきっとそうですわね。


 お二人のように、わたくしが王子殿下の婚約者になると思っていらした方は多勢いらっしゃるのでしょう。

 わたくしがシナリオをねじ曲げているのですから、その反動の大きさは火を見るより明らか。

 お父さまがどうにかしてくださると思ってはおりますが、なんだかとても不安になってきました。


「お兄さま、わたくし何か、おかしなことを申し上げましたかしら?」


 とてもとても不安だと顔に書いてお兄さまを見上げましたら、お兄さまはお父さまとよく似た優しい笑顔を浮かべて、大丈夫だよ、と頭を撫でてくださいました。

 ファウストも、励ますように手を握ってくれます。


「やはり王城に一人で参りますのはとても心細いですわ」

「そうだったね、ベアトリーチェにお願いをするんだったね」

「クラリーチェ様にもお願いしたいですわ」

「サジッタリオ侯爵にもお話してもらえるように、父上にお伝えするよ」


 お兄さまはわたくしの気持ちが晴れるようにと、とにかく甘やかしてくださいます。

 その反面、わたくしが不安になるようなことを仰ったシルヴィオ様には目が冷たくなっておりますけれど。

 お兄さまの視線を受けて、シルヴィオ様はどうにも決まりが悪い様子。

 でも何か、まだ心に苦いものが残っているようです。

 フェリックス様も、シルヴィオ様と似たようなご様子ですが、上手に隠していらっしゃいますわね。

 わたくしが三十路視点を持っているから気がついたことですけれど、これ以上、面倒なことは避けたく存じます。

 お二人は破滅フラグの攻略対象かもしれませんのに、遺恨を残すのは得策ではございません。

 かと言って、あまり距離を詰めるのも望みませんし……。

 妙案はないものかしらと内心頭を捻っておりましたら、どうにも、それを妨げるような何か強い思念を感じます。


(?)


 その強い思念のもとをたどるように視線を巡らせると、あら、新たなお客さまが。

 庭園の入り口近くにいらっしゃるのは、どうやら伯爵家の皆さまのようですけれど、その中のおひとり、どちらのご令嬢かしら、真っ赤なドレスを着た、ミルクティーのようなブロンドを巻き髪にした少女が、憎々しげな強い瞳でわたくしを見つめております。


(わたくしより悪役令嬢ではありません?)


 新たなる登場人物に、わたくし目が回る思いです。


「アンジェロ、ティア、ファウスト、こちらへ来なさい」


 悪役令嬢リョクの強いご令嬢に気を取られておりましたら、大人の皆さまで会話を楽しんでいらしたはずのお父さまに声をかけられました。

 赤いドレスのご令嬢含め、伯爵家の皆さまがこちらに向かっていらっしゃいます。

 リオーネ伯爵レオナルド様のお姿もありますから、十二貴族伯爵六家の方々にご挨拶をするのですわね。

 ということは、あのご令嬢も十二貴族の伯爵令嬢ということでしょうから、誰かしらの婚約者、ということも考えられますわね。

 それでしたらまず間違いなく新たなる悪役令嬢ということですから、ぜひ仲良くしていただきたいのですけれど、はじめからなぜかとても睨まれておりますのよ……。

 シルヴィオ様とは違って、完全に敵意を感じる視線です。

 少女マンガであれば、いう効果音がついていそうな目力。

 かのご令嬢も可憐な風貌でいらっしゃいますから、キャンキャンと吠える小型犬を連想させて、わたくしにはどうにも憎めそうもないのですけれど。


 十二貴族の伯爵六家のうち、わたくしが面識のありますのが、リオーネ伯爵とジェメッリ伯爵です。

 今回いらっしゃっているのは三家のみのようで、リオーネ伯爵の他は皆さま存じあげませんから、あとの二家はどちらの伯爵様ですかしら。

 

(それにしても、なぜレオナルド様が?)


 今回はわたくしと同年代の子どもたちを招いた会ですから、ご結婚されていないリオーネ伯爵がいらっしゃるのは不思議に思えます。

 レオナルド・リオーネ様は、名実ともに、お父さまの大親友です。

 お父さまとお母さまの縁を取りもった恩人ですから、わたくしたち家族とはとても気やすい関係でございますの。

 普段、我が家に遊びにいらっしゃる際はもっと砕けたご様子で、わたくしたちのことをとても可愛がってくださるのですが、本日は蒼い髪をきっちりと整え、礼装用の白い軍服をまとっていらっしゃり、そのお姿はとても精悍です。

 風になびく濡羽色のマントは、裏地が金色で、騎士団を取りまとめるリオーネ家のみが着用することを許されております。

 ステラフィッサ国の第一騎士団の団長を務める方ですが、すらりと高い背に鍛え抜かれた体幹を感じさせる立ち姿は、筋骨隆々な騎士職の他の皆さまとは少々様子が違いますわね。

 貴族然としながらも、前線に出れば誰よりもお強いと言うのですから、筋肉だけでは強さは測れませんのね。

 そのレオナルド様のおそばに、黒髪の少年が従っておりました。

 体つきは大きいですが、年の頃はわたくしたちと同じでしょうか、いかにも武芸に秀でているような男らしい顔つきで、第一騎士団の準団員の制服を着込み、レオナルド様と同じく黒に金のマントを着用しております。


(ご子息がいらっしゃる話は聞いたことがありませんけれど……まさか隠し子?!)


 ご結婚もされていないうちに、庶子をもうけていらっしゃったのでしょうか。

 亡くされた婚約者を思われてずっと独り身を貫いていらっしゃると勝手ながら美談の幻想を抱いていたのですけれど、それは少し微妙な気もいたします……。


「ラファエロ、三人にも紹介していいかな。

 この度縁戚から養子に迎えたラガロだ。

 仲良くしてやってくれるかい?」


 朗らかに笑い歩み寄っていらしたレオナルド様に対して、わたくしは心の中で即座に謝罪いたしました。

 微妙などと思って申し訳ございません。

 心のお友だちのチベスナも、今はいっしょに頭を下げております!


「歳はアンジェロのひとつ下かな」

「この度リオーネ姓を賜りました、ラガロと申します」


 ラガロ様はにこりともせず、重たげな前髪からは猛禽類のような金の瞳が見えました。


(これで騎士団長の息子枠の攻略キャラが埋まりましたわね!)


 絶対にいるとは思っておりましたの。

 でもレオナルド様にはお子様がいらっしゃらないから、レオナルド様ご本人が隠し攻略対象になるのかと(仮)を付けて勘繰っておりましたけれど、まさかの養子をお迎えになるなんて。


(騎士といえば体育会系のワイルド担当かと思いましたけれど、生真面目、無愛想キャラというところですかしら?さては不器用な愛をシナリオ後半で怒涛の勢いで披露する情熱タイプですわね?)


 そう思うと、不躾なほどの態度も微笑ましく思えます。

 お兄さまがご挨拶を返した後に、わたくしも略式のカーテシー再びです。

 想定外の攻略対象に出会ってしまいましたけれど、そろそろ驚くのも身構えるのも疲れてしまいましたので、ごく自然に笑顔でご挨拶をいたしました。


「ルクレツィアと申します」


 我ながら計算のない笑顔は破壊力抜群になってしまったように思うのですが、ラガロ様の反応は薄いもの。

 表情も変えぬまま、騎士の立礼のみで応えてきました。


(まあ、なんて武骨なのでしょう!)


 思わずわたくし、嬉しくなってしまいますわ。

 いかにもキャラクター設定通りの振る舞いなのですもの。


(これで、攻略対象はだいたい出そろった感じですわね)


 王子、公爵子息、その義弟、メガネの宰相子息、軟派な泣きぼくろ、体育会系騎士、それから闇属性従者、全部で七人、妥当なところでしょうか。

 まだ確定というわけではございませんけれど、ほとんど正統派な乙女ゲームと思ってよろしいですわね。

 各キャラクターのシナリオ如何では、もしかしてダーク系に陥ることも考えられますが、あのワンコ王子のルートなら、おそらく光属性のまま進むのではないでしょうか。

 お兄さまにはベアトリーチェ様がいらっしゃるので、ヒロインの巫女様には早々に諦めていただくしかありませんけれど、あとはどのような相関図か、改めて確認しないといけませんわね。

 クラリーチェ様がフェリックス様の婚約者として……と思っていたのですけれど、あらあら?


(いつの間にかフェリックス様の腕にもうお一方くっついていらっしゃるわ)


 それもクラリーチェ様とは正反対のタイプの、小さくて可愛らしい美少女が。

 ストレートの水色の髪を編み込んでハーフアップにした美少女は、プリンセスラインのドレスの似合う華奢なお姫様タイプですけれど、フェリックス様を見つめる瞳は潤み、桃色の唇がなんとも小悪魔的です。


(もう相関図が崩れてしまいましたわ……)


 強めの美少女と小悪魔な美少女を侍らせているフェリックス様は、さすがに泣きぼくろ……いえ軟派枠キャラということでしょうか。

 けれどお二人と同時に婚約が可能かというと、さすがにそんなお話は聞いたことがありませんから、ええと、これはどういうことなのでしょう。

 それからもうお一人、わたくしを強い気持ちで見つめていらした真っ赤なドレスのご令嬢は、消去法でシルヴィオ様かラガロ様の婚約者になるはずですが、ラガロ様は養子となって今回が初お披露目のようですし、シルヴィオ様でしょうか。

 それにしてもお二人の立ち位置は微妙に離れており、視線も交わさず、親密とはほど遠いように思うのですけれど。


 お父さまのご紹介により、赤いドレスのご令嬢はスカーレット様、アリエーテ家のご令嬢で、小悪魔なご令嬢はマリレーナ様、ペイシ家のご令嬢ということがわかりました。

 アリエーテ家もペイシ家も文官系のお家柄ですが、ご領地の産業が大きくステラフィッサ国に貢献しております。

 アリエーテ領は農作物の豊富なステラフィッサの台所で、ペイシ領は北東の海に大きな港を持ち、ステラフィッサ国と海向こうの東の国々との窓口となります。

 お母さまのお好きなお茶は、この窓口を通してしか手に入らないものです。


 改めてのご挨拶の場で、婚約関係を正式に紹介されたのはお兄さまとベアトリーチェ様だけでございました。


(まだご婚約されていないだけなのでしょうか、それとも)


 ……わたくしのせい??


 先ほどのシルヴィオ様とフェリックス様のご様子、わたくしと殿下の婚約が流れたことに含むことがおありということでしたけれど、王子殿下の婚約が決まらないと、そのほかも必然的に止まってしまうものなのでしょうか。

 もちろん、わたくしもその影響について考えないわけではなかったのですけれど、まさかほかの悪役令嬢までも婚約できないほどとは思い至りませんでしたわ。

 そう考えると、スカーレット様がわたくしを睨むのも頷けるような気がいたしますが、とりわけシルヴィオ様に想いがあるようにも見えませんでした。


(もう少し親交を深めないと、今ひとつ関係性が見えてきませんわね)


 己れの婚約回避だけを目標としておりましたが、結局シナリオがまったくわからないままな以上、それだけで済ませられるはずもありません。

 何が起こりえるのか、予想をして対策を立てるのには登場人物の皆さまのお心のうちを把握させていただかなければなりませんわね。

 わたくし、お友だちを作るのに否やはございませんから鋭意努力をいたしますが、スカーレット様、お心を開いてくださいますかしら。

 もしそうはならなくても、スカーレット様には必ずわたくしの目の届く範囲にいていただきたいものです。


(だってあまりに悪役令嬢リョクがおありなのですもの)


 公爵令嬢たるわたくしに、あれほどわかりやすく敵意を剥き出す気概のある方なので、残念な悪役令嬢としてはこの場の誰よりも満点の素質です。

 もしヒロインの巫女様がいらっしゃったときに、それこそ嫌がらせのようなことをされでもしたら困ってしまいます。

 わたくしの知らないところでそんなことをされ、それがわたくしのせいにされても困りますし、そもそも隕石から世界を救ってくださる巫女様なので、丁重におもてなししたいではありませんか。

 要注意人物として、今から首輪をつけておきたいところですわね。


(……はぁ、さすがに疲れてきましたわ)


 さすがに登場人物が増えに増え、これ以上はもうお腹がいっぱいとひと休みしたい心境に、いち早く気がついてくれたのはやはりファウストでした。


「ねえさま、あちらの噴水を見にいきませんか」


 人から離れて一息をつきたいわたくしには、願ってもないお誘いです。

 考えるだけ考えすぎたので、水の流れでもぼーっと眺めて癒やされるのもいいかもしれませんわね。


「そういたしましょう」


 ファウストに手を引かれて歩き出した、その時でございました。


「ファウストくーーーーん!!」


 どこからともなくファウストを呼ぶ大きな声が庭園中に響いたのです。


(また新手……?!)


 声の持ち主は、庭園の入り口から一目散にこちらへ駆け寄って来ました。


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