日が傾きはじめる頃、手鏡の蝶が光り、通信の開始を知らせました。


「姉上、聞こえますか?」


 今度はファウストからの連絡のようです。


「ええ、ファウスト。待っておりましたわ。

 今日はよく休めまして?」


 魔物の出現の連絡を受けた、一昨日以来の会話となります。

 無事とはわかっていても、やはり顔を見られるのがいちばん安心できますから、わたくしはニコニコと話しかけますが、ファウストのお顔の表情筋はいつもどおり。


「……兄上のおかげで」


 実力行使とは一体なにをされたのか、声には少しだけ苦いものが含まれましたが、思うことがあっても多くを語らないのがファウストですわね。

 ファウストはすぐに切り替えて、周囲を映すように映写機カメラを動かすと、現状の説明をしはじめました。


「間もなく一番星の見える時間です。何が起こるか正確なことは分かりませんので、サジッタリオ家の騎士たちが教会の周りを固めております」


 言葉のとおり、橙色に熟れはじめた太陽が西の山に下りようとしていて、古びた教会を最後の力で照らしております。

 サジッタリオ家の紋章を付けた騎士と、集められた近隣の兵士たちの横をゆっくりと通り過ぎて、ファウストは建物の中に踏み込んでいきました。


「ご覧のとおり狭い建物ですので、奥の洞窟も大勢は入れません。中に入るのはエンディミオン殿下と巫女様、お二人の護衛、それから兄上たちにクラリーチェ様となります」


 山間の洞窟を覆うように建てられただけのようですので、入り口からはすぐに主堂が広がり、その正面に小さな星神像が置かれているだけで、椅子も祭壇もないのは魔物討伐の後だからでしょうか。

 窓から差す西日だけが頼りで堂内は薄暗いのですが、千年近く前の建物というのに崩れたところもなく、ずっと近隣の村人たちによって清潔に保たれていた様子が窺えます。

 映写機カメラ越しでも、厳粛な空気感というのは伝わってくるものなのですわね。


「兄上たちはすでに先に行って待機をしておりますが、姉上は教会などの様子もお知りになりたいかと思いましたので、僕がご案内するようにと兄上から仰せつかりました」

「お兄さまたちは国のお役目も担っておりますものね。わたくしのワガママに付き合わせてしまって、ファウストにも申し訳ありませんわ」

「いえ。僕はそもそも兄上のお手伝いをしているだけで、正式に任務の一員というわけではありませんから」

「でも、映写機カメラを作ったのはファウストでしょう?ジョバンニ様がお持ちのほうで、そちらのご様子を国王陛下たちとご覧になると、お父さまも王城に行かれておりますわ」

「もとは姉上と、回収する星の煌めきとやらを見るために作ったものです」

「それはそうなのですけれど……」


 すでに任務の一部でものすごく有効活用されておりますけれど、もともとはわたくしのくだらないワガママ発言から出来たものでしたわね。しかも一週間ほどで。

 それが当たり前のように王城で国王陛下のお役に立っているというのは、他ならぬファウストの功績でしょうに、そんなことはまったく意にも介していないのがファウストらしい、といえばそうでしょうか。


(わたくしのお願いが最優先なのですもの)


 わたくしの奮闘も空しく、重度のシスコンに成長してしまったファウストが心配にもなりますけれど、その能力の高さ故ではなく、その心根の真っ直ぐなところがお父さまにもお兄さまにもガラッシア家の一員として認められている最大の理由なのですもの、改められることはなく、そのままのファウストでいなさい、というのが公爵家の教育方針です。

 お父さまたちとしても、ファウストが作ったものはあくまでも副産物というご認識のようですけれど、公爵家の二男の成果として、上手に王家に売り込むことはなさってくださいます。

 今では、養子であることや、ファウストが養子として我が家に来ることになった経緯についてとやかくおっしゃる方はほとんど見なくなりました。

 石鹸や映写機カメラについて、王妃様が後ろ盾についているもの大きいですわね。

 王家と公爵家に合わせて目を付けられるような言動をなさる方は、遅かれ早かれ自滅の道を辿ることになるような資質の方だけでしょうし、いなくなっても何の問題もありません。

 学園の魔法士コースでは、まだ入学したばかりのファウストを早くも引き入れたい動きがあるとも聞いておりますから、ファウストの存在が正当に評価されているようで、わたくしもうれしく思っております。


「それでは奥に向かいます」


 話しているうちにも日はどんどんと落ちていきますから、ファウストは教会の奥に続く、泉があるという洞窟へ向かい進んでいきました。


 日の届かない暗がりには、燭台が等間隔に灯されておりました。

 本当に、岩肌しかない見るものもない普通の洞窟です。

 馬車も通れない幅の一本道で、どうしてこんな洞窟を前の巫女様のエリサ様と建国王のバルダッサーレ様たちが入ることになったのか、エリサ様の日記にはなんと書いてありましたでしょうか。

 サジッタリオ家の始祖、カルロ・サジッタリオ様が巫女様の代わりに星を掬おうとなさった、その前。


「ねえファウスト。エリサ様はどうしてこの場所がお分かりになったのかしら?」


 そこそこ深い洞窟のようです。

 偶然入り込んでそこで輝く泉を見つけたのか、一番星の煌めきというのが具体的にどんなものかは書いておりませんでしたから、空から落ちて来るのを追いかけてきたですとか、いろいろと考えられますけれど、どちらにしても天文学のような確率ではありません?


「当時、この辺りで小さな小競り合いが続いていた記録がありますから、建国王様たちに同行して付近にいらっしゃったのは偶然かと。

 日記には、星を見つけられた記述の少し前に、呼ばれているような気がする、という理由で辺りを散策をしている様子が書いてありましたが、この泉の洞窟を見つけたような記載はありませんでした」

「セーラ様は、そのようなことはおっしゃっていて?」

「いえ。ですが、たぶんここで合っているような気がする、と」


 それも巫女様の能力なのでしょうか。

 漠然とした感覚で、アステラ神様に導かれているということでしょうか。


「姉上、到着しました」


 考え込んでいるうちに、ファウストは目的地に辿り着いたようです。

 洞窟の途中で、突然開けた場所が現れ、ポカリと空いた天井から夕闇に暮れていく空が見えました。

 その真下いっぱいに泉が広がって、ザワザワと水面が波立っているのが見て取れます。

 ほとりに座る殿下とセーラ様、周囲を警戒するようにしている護衛の騎士とお兄さまたちの後ろ姿も見えました。

 ファウストに気が付いたお兄さまたちが映写機カメラのわたくしに向けて手を振ってくださいましたが、すぐに空や泉を指して何か話し込むようにしはじめました。


 もう、東の空から段々と色を深めるように暗くなってきております。

 いちばん星が見えてもおかしくはない頃合いです。

 声を発するのも憚られるような気がして、息を詰めてわたくしも様子を見守っておりましたが……。


 洞窟の天井から覗く空が紺一色に染まり、チラチラといくつもの星が瞬くのを確認できても、何かが起こることはありませんでした。


(まさか何か間違えてしまいましたかしら?

 星の集める順番が前回とは違う?

 そういうこともなくはないかもしれませんけれど、ここまでで手がかりらしい手がかりはあの日記だけでしたし、セーラ様も何か感じていらっしゃったのですわよね?)


 ここへ来て、メインシナリオ攻略がはじめから失敗してしまったのかとドキドキとする胸に、自然と祈る手を組み、映される泉に見入っておりました。

 映写機カメラの向こうも痛いほどの沈黙が続いて、日の光のない届かない中、何かひとつでも輝くものを見逃さないよう灯りも点けないようにしているのか、あっという間に暗闇に沈んでいきました。

 お兄さまの背中がぼんやりと見えなくなりそうで、思わず声をかけそうになった時。


「あ、」


 声を上げたのは、どなただったのでしょう。

 声に釣られるようにファウストの映す風景が泉から空に代わり、何も見えなくなったと思った次の瞬間、何かが、目の端を走ったような。


「ファウ、スト?」

「はい」

「よくは、見えないのだけれど、星が」

「はい。星が流れております」


 淡々と答える声音にも、少しだけ熱がこもっているような気がいたします。

 途切れ途切れでよくは見えなかったものが、そのうち雨のように筋を描いて暗闇の中を駆けていくのがわたくしにもわかりました。


(セーラ様がいらっしゃった時に見られたと聞いた同じ流星群ですわ!)


 洞窟から見える空いっぱいに星が流れていきます。

 遠い空、映写機カメラ越しではありますが、わたくしにもその異様さは伝わりました。

 泉の水が鳴くように音をたて波立ち、殿下とセーラ様が立ち上がって空を見上げていたのを騎士たちが慌てて引き戻す様子が見えるほど、辺りは明るくなっているのです。

 何が光源となっているのかと思えば、泉の水面に、空をそのまま映したように光が走っておりました。


(この中をまさかカルロ様は入っていらっしゃったの?)


 擬音の多いエリサ様の日記ではどのように星を得たのかはわかりません。


わたくしが参ります」


 意を決したようなクラリーチェ様の声が聞こえました。

 サジッタリオ家の始祖に倣いたい気持ちもわかるのですが、何が起こるかわからないのにあまりに危険では?


「クラリーチェっ」


 思わずといったようにフェリックス様が引き留めている間にも、どんどんと光は増えていきます。


「どれがいちばん星の煌めきか、まだわからない」


 シルヴィオ様の声も聞こえます。


「まだ早いと思いますよー」


 遠くから聞こえるようにジョバンニ様の声も。

 国王陛下やお父さまのいらっしゃるほうに、当たり前のように同席できるのがジョバンニ様がジョバンニ様たる所以でしょう。


 そうこうしているうちに、泉を走る光はだんだんと一つのかたまりになっていき、水面いっぱいを満たすと、空から、ひと際まぶしい輝きが飛び込むように降ってきました────


 夜空を数多流れていく星の中、ひと際強い輝きを放つ一条の光が真っ直ぐに泉に飛び込んできました。

 その光は水面にぶつかる間際に弾けるように飛び散ると、空から星座を切り取って浮かべたように、全体が薄く光っている泉の水面に不規則に並んで輝きはじめました。


 あっという間の出来事に、全員が瞬きも忘れて見入っていたのではないでしょうか。

 強い光を放っていても、星の輝きは目を灼くほどの苛烈さはなく、暗い夜を照らすあたたかな灯火のままです。

 この星の輝きのうち、手にするべきはどれか────


「巫女、どれが私たちが集めるべき星か、わかるかい?」


 殿下が傍らのセーラ様にすかさず確認をいたしました。


『十二の月のない夜、一番星の煌めきを集めよ』


 これがエリサ様の日記に残されていた手がかりです。

 まさかたくさんの星から選ぶことになるとは思ってもおりませんでしたが、実際にエリサ様がはじめの星を手に入れた時には複数の星を探ったような記載はありませんでしたから、たったひとつを持ち帰ったはずなのです。


 星の神様より、十二の星を集めるために遣わされたのが巫女様ですから、このたくさん浮かんでいる光の中から、必要な一つを見つけ出せるのは巫女様しかいらっしゃらないとは思うのですけれど。


「うーん、……たぶん?」


 星の神様のお導きのような、何か感じるものはおありのようですが、セーラ様はいまひとつ自信が無さそうです。


「なんとなくなの、本当に。

 みんなしゃべってる子の中から、この声の子、ていうのを見つけるみたいな感じで」


 セーラ様には、星のさざめくような音がそれぞれの声のように聞こえているようですが、映写機カメラ越しのせいなのか、わたくしにはざわめきも少し遠いものです。

 

「これ、全部すくってみたりはダメなのかなぁ?」

「あまり良い手だとは思えないかな」

「やっぱりそうだよね~」


 泉のほとりを端から端をまで行っては戻り、一生懸命に星の声を聞こうとしているようですが、巫女様も間違えてはいけないと思っているのか焦りが見えます。


「巫女、落ち着いて、ゆっくりでいい」


 殿下やお兄さまたちも、セーラ様に任せるしかない状況に励ますことしかできず、時間だけが過ぎようとしております。

 わたくしも思いつくようなことは何もなく、固唾を飲んで手鏡を強く握りしめるばかりです。


(なんだか光も弱くなっていっているような……)


 時間が経つにつれ、泉の輝きが陰っていっているような気がして、セーラ様の焦りをまるで煽るかのよう。


「殿下」


 そこへ、泉の観察をしていらっしゃったクラリーチェ様が声をかけました。


「お許しいただけるのであれば、わたくしが泉に入ってみても?」

「クラリーチェ嬢には、何か考えが?」

「……いえ。その、我がサジッタリオ家の始祖、カルロ・サジッタリオ様に倣ってみれば、何かわかるかも、と」


 歯切れ悪く、差し出がましいこととは思うのですがとセーラ様や殿下のお顔を窺うクラリーチェ様ですけれど、それもひとつの手段ではあると、わたくしも試してみる価値はあると思いました。


「それはクラリーチェじゃなくちゃダメ?」


 フェリックス様が心配そうに自らも挙手をしましたが、おそらくですけれど、クラリーチェ様でなくてはいけないような気がいたします。


(シルヴィオ様の名前を騙り、誰かがクラリーチェ様をここへ呼び寄せた理由があるはずですもの。

 魔物討伐だけが理由ではないはずですわ)


「……サジッタリオ家の血が必要なら私でもいいはずだが、直系に勝るものはない、ということか」


 クラリーチェ様がここにいらっしゃる経緯のことを、シルヴィオ様も考えているのでしょう。


「クラリーチェ嬢が、適任だ」


 ラガロ様も珍しく主張をなさいました。

 彼の直感は無視できない強さがありますから、お兄さまも頷いて、フェリックス様も反論を飲み込まざるを得ません。


 誰かが、クラリーチェ様をこの地へ導いた。

 それは、誰?


(星の民が、どこかにいる?)


 何かを知っていて、そんなことができるのは、星の神の声を直接聞くことができる星の民である可能性しか今のところ考えられません。

 どこにいるのか、すでに絶えてしまっているのか、その消息もつかめていないはずですけれど、わたくしたちの前に姿を現さずとも手助けしてくれようとしている誰かがいるのは確かなのです。


「よし、クラリーチェ嬢、やってみてもらえるかな」

「クラリーチェさん、私からもお願いします!」

「お聞き届けいただき、ありがとうございます」


 セーラ様と殿下に礼を取り、クラリーチェ様はすぐにでも泉に入ろうとなさいました。


「待って待って、せめて靴を脱いだら?」


 フェリックス様はやはりクラリーチェ様を案じているようで、靴を脱ぐために肩を貸しながら、何事か囁いて言葉を交わしていらっしゃいます。


「泉に入るだけです。

 アステラ神様の加護を受けこそすれ、何か起きるとは思えませんわ」


 クラリーチェ様がフェリックス様の心配を吹き飛ばすように鮮やかに笑い、足元を踝の上まで捲ると、白く細い足首が露わになりました。

 あまり貴族令嬢としては人様に見せたくない姿のはずですのに、クラリーチェ様に躊躇いはありません。


「すまない、クラリーチェ嬢」


 思わずと言った風に、殿下も犬耳が垂れたような風情で謝罪を口にしてしまいました。


わたくしでお役に立てるのであれば、光栄なことだけですのよ。

 ハルモニア様にも、殿下のお力になるとお約束してきたのですもの」


 迷いのないクラリーチェ様の、なんて素敵なことでしょう!


 思えば学園を卒業されてから、一人だけ先に大人になってしまわれたような距離ができたとは感じておりましたのよ。

 貴族令嬢としてより武門のサジッタリオ家として王家の近衛兵となる道へ進み、わたくしたちと共に過ごす時間が減ったからと思っておりましたけれど、マリレーナ様への配慮が見られることが多くなり、お二人の丁々発止のやり取りも、最近目にすることがすっかりなくなりました。

 近衛の騎士服姿も相まって、わたくしクラリーチェ様のファンクラブに参加したい気持ちも湧いてきましたわ。

 すでにハルモニア王女殿下を会長として、クラリーチェ様のファンクラブができていることは聞き及んでおります。


(お気をつけて!)


 口を挟んで場を乱したくはありませんから、心の中だけでうちわを振って応援することにいたします。


 裸足のまま真っ直ぐに立ったクラリーチェ様が、いよいよ泉へ足を浸しました。

 あまり深くないといいのですけれど、爪先からゆっくり、足首まで浸かり、捲った騎士服も細波の飛沫にすぐに濡れてしまいました。


「……巫女様!」


 そこで立ち止まると、クラリーチェ様が大きな声でセーラ様を呼びました。


「はい!」

わたくしにも、声のようなものが聞こえましたわ!」

「ほんとですか?!」

「……おなじ、ちから……もつ、こ……」

「そっち!そっちの子の声!大きくなった!」


 興奮したようにクラリーチェ様とセーラ様で声の元を探るように動き出し、セーラ様が指差す光と、クラリーチェ様が目の前に立った星の輝きが一致しました。


「「これです!!」」


 お二人が声をそろえて断言すると、わたくしは思わず手鏡を手放して拍手喝采しそうになりました。


(あっ、いけません、精密機器でしたわ!)


 すんでで動きを止めることに成功して手鏡を見直すと、フェリックス様を中心にお兄さま、シルヴィオ様、ラガロ様が肩を叩き合って喜んでおりました。

 殿下もぐっと拳を握って、王太子としての威厳を保ちつつも喜んでいらっしゃいます。

 国王陛下や宰相様、お父さまもご覧になっておりますから、身を謹んでいらっしゃるのでしょう。

 それでも全員が大興奮の最中さなか、クラリーチェ様が身を屈めました。


「それでは、お持ちしてもよろしいですか?」


 緊張したクラリーチェ様の声に、殿下も気を引き締めるように表情を改め、頷きました。


「頼む」



 星を手にした時、何が起こるのか。

 今度は固唾を飲んで、全員が泉に手を浸すクラリーチェ様を見守りました。



 泉の水を掬うように、クラリーチェ様は浮かんでいる光を両手で捉えました。

 すると、クラリーチェ様が手にした光だけを残して、泉を照らしていたすべての光が一斉に消えてしまいました。

 泉の水面もぴたりと揺らがなくなり、真っ暗な穴が口を開いたようにも見える中、ボールほどの大きさの光を持ったクラリーチェ様が佇んでいる姿だけが浮かびあがります。

 緊張に、クラリーチェ様が呼吸も忘れているのが見てとれました。


 長い時間そうしていたようにも、ほんの一瞬のことのようにも思える沈黙の後。


 クラリーチェ様の手の甲からゆっくりと滑り落ちた水滴が、驚くほど鮮明な音を響かせて水面に触れた瞬間、泉に波紋を描くのと同じように、ボールほどだった光がぶわりと膨れあがってクラリーチェ様の体すべてを包み込みました。


「クラリーチェ!!」

「クラリーチェ嬢!!」


 思わずと言ったように、フェリックス様やお兄さまたちが声をあげましたが、


「ダメ!」


 今にも泉に飛び込みそうな彼らをセーラ様が引き留めました。


「大丈夫だから!

 何か話してるみたい」


 わたくしたちには何も聞こえてはおりませんが、セーラ様には光が──あれが一番星の煌めきということであれば、はじめの星がクラリーチェ様に語りかけている声が聞こえているようです。

 確かに、何か訴えるように星の光は大きくなったり小さくなったり形を変えて、そのうち感情表現が豊かなジェスチャーをしているようにも見えてきました。

 光の中にいるクラリーチェ様も、答えるように頷いたり首を振ったりしているのがぼんやりとではありますが窺えますから、すぐに何かの危険があるということはなさそうです。


「いったい何を話しているんだろう?」


 話し込んでいるような二人(?)に、殿下が尋ねるようにセーラ様へ目を向けますが、セーラ様は首を振りました。


「言葉っていうより、強い気持ちみたいのがどんどん入ってくるような感じだから、会話の内容まではわかんない」

「強い気持ち?」

「うーん!言葉にするのむずかしい!」


 伝わることはあるのに言語化することが難しいようで、セーラ様はじれったいようにジタバタと足踏みをしました。

 そんな所作も可愛らしいと感心していると、クラリーチェ様を包む光が収縮をはじめ、最初の大きさに戻りました。

 手のひらの上で浮かんでいたようだったのが、今は質量を持ってクラリーチェ様の両手に収まっております。

 遠目にも、それが宝石のように輝いて、丸みを帯びているのがわかりました。


(ヒュンヒュンってなって、宝石みたいのが出てきた……)


 エリサ様の日記の一文を思い出しながら、クラリーチェ様が泉から岸にあがるのを見守っていると、まずはシルヴィオ様が宝石箱のような天鵞絨を敷いた木箱の中に星を受け取り、次いでフェリックス様が泉の中からクラリーチェ様を抱き上げました。


(まあ!お姫様抱っこですわ!)


 驚いているのはわたくしだけではありません。

 クラリーチェ様も目をまん丸にして固まっております。


 濡れた足や服を拭くものもありませんし、岩肌に裸足で立たせることに気が引けたのか、とにかく労うための行為なのかもしれませんけれど、フェリックス様が意外と力持ちなことに驚けばいいのか、おそらくクラリーチェ様本人やわたくしが思っていた以上にフェリックス様が彼女を思いやっていたことに喜べばいいのか、とにかく乙女ゲームのスチルイベントのような展開に胸がドキドキといたします。


(ようなではなく、乙女ゲームなのでしたわ!)


 相手がなぜかセーラ様ではありませんけれど、クラリーチェ様だってぜんぜんかまいませんわね!


(フェリックス様にはじめてときめきを感じました)


 わたくし相手にしていることではありませんが、恥ずかしそうに今すぐにでも降りたそうになさっているクラリーチェ様に、「大人しくしてて」と取り合わずに強引になだめているのも、なかなか乙女ゲームの攻略キャラクターっぽくてぐっときてしまいます。

 当の乙女ゲームのヒロインであるはずのセーラ様も、素敵なシチュエーションを目の当たりにして目を輝かせてテンションを上げております。


(セーラ様とわたくし、相容れないかと思っておりましたけれど、もしかして分かりあえるかも?)


 いつか一緒にどなたかの恋の応援などしてみたら楽しそうです。


(は!思わず脱線してしまいましたけれど!星!星ですわ!)


 そちらはそちらで、殿下とシルヴィオ様、お兄さま、ラガロ様が宝石箱を覗き込んで、触れてもいいものか悩んでおりました。


「……取り込み中のところ悪いけど、クラリーチェ嬢、これで星の回収はできたということでいいのかな?」


 フェリックス様に抱きかかえられたまま、両手で顔を覆ってしまっているクラリーチェ様に、お兄さまが申し訳なさそうに声をかけました。


「………………ぃぇ」


 小さな声が指の隙間からこぼれてきました。


「まだダメ?」


 否定の声を拾って、フェリックス様が問いかけると、


「…………何か、力の形を定めなければならないそうです」


 思いきりフェリックス様から顔を逸らしながらですが、クラリーチェ様がようやく何が起こっていたかを話しはじめてくださいました。


「カルロ・サジッタリオ様が特別な力を手に入れたように、星の持つ力をひとつの形にしないと、この夜が明けるとともにこの星は霧散してしまうそうです。

 そうなってしまえば、星の災厄を阻止する力も消えてしまうのでは?」

「力を形に」

わたくしもどんな力が欲しいのか訊ねられたのですけれど、とくに思い浮かばず、困らせてしまったようですわ」


 流れ星に願いをかけると叶えてくれるというのは前世の世界でのお話でしたけれど、この星も何かの力をくれるという縛りはありますが、願い事を叶えてくれる性質のもののようです。


 十二貴族の始祖となる皆さまは、星の光に形を与える代わりに、それぞれ特別な力を手に入れられたのですわね。

 当時は群雄割拠の戦国時代ですもの、手に入れたい力は枚挙にいとまがないほどでしたでしょう。

 サジッタリオ家の軍略で戦いを終わらせた後の国の治世まで、星の力にかなり助けられていることは歴史からも明らかです。


(星は十二個、力を手に入れたのは十二貴族……バルダッサーレ様は力が欲しくはなかったのでしょうか)


 ふとそんなことに気がつきましたけれど、彼がステラフィッサの建国王となっている事実からも、力がなくても、自ら力を分け与えるような人望のほうが、きっと一国を率いるには必要だったのでしょう。


(さて、平和なこのご時世、どんな力が欲しいかと問われてすぐには出てこないのもわかりますけれど、たとえばフェリックス様に振り向いてもらえるようなそんな力をクラリーチェ様は思い描かなかったのかしら)


 どういう作用の力になるのかはわかりませんけれど、長い片想いをされているのでしたら、そんなことを考えても不思議はないように思います。


「どんな力が欲しいか、か。

 確かに咄嗟には思い浮かばないね」

「星の災厄を止めるにしても、十二貴族の力を考えればそれに固執する必要もなさそうですが」


 殿下とシルヴィオ様で力の方向性について考えをまとめているようですが、星の災厄との関連性が薄いということでしたら、さらに選択肢が広がって難しい判断になりそうです。


「力の形には相性もあるそうです。

 この星は、真っ直ぐな形が好ましいと仰っていて、わたくしの心を見透かしたような提案もしていただいたのですけれど、それは、自分で叶えなければ意味がないものでしたので……」


 ちらりと、クラリーチェ様がフェリックス様を盗み見たのがわたくしからは見て取れました。


(愛は自らも掴み取るもの!でしたわね!)


 サジッタリオ家の家訓を思い出して、浅はかな自分が恥ずかしくなりましたわ。

 星の力を借りずとも、クラリーチェ様はご自身の力だけで恋を叶えたいのですわね。


(はぁ……ベアトリーチェお姉さまに続いて、つくづく恋とは眩しいものですわ)


 あまりにも真っ直ぐな気持ちに触れて、一度失ってしまったその情熱をわたくしも取り戻せるのか、羨む気持ちのほうが強くなりそうです。


「真っ直ぐな力ね……抽象的過ぎる気もするけれど」

「あまり悩む時間はないが」


 お兄さまとラガロ様も一緒に頭を悩ませておりますが、わたくしはなりゆきを見守るしかありません。

 乙女ゲームとして、ここはいったいどんな選択肢が出てくる場面になるのかしらと思い巡らせていると……


(あらあら?どうして、)


 誰も何も決めかねているはずなのに、箱の中の星の輝きが強まりました。

 突然明滅しはじめた星に、殿下たちも何事かと注目します。


「え、決まったの?!」


 セーラ様だけが星の意思を受け取ったようで、いったい誰が、どんな力を手に入れたいと願ったというのでしょう。

 星は殿下たちの意見がまとまるのを待つことなく、自身が気に入った力の形に収まることを決めたようです。

 光だけが大きく膨らみ、形を定めるように震えると、真っ直ぐな光線が一筋、こちらに向かって伸びてきました。


(え?わたくし??)


 何も考えていないはずでしたのに、しかも遠い空の下にいるのに、そんなことってありますかしら???


 驚いて光の行方に息を飲んでおりましたが、その輝きは手鏡を超えてくることはなく。

 光に包まれて真っ白になった鏡が次に映したのわたくしの横顔。


(ええ……?)


 混乱するわたくしが振り向くと、わたくしの鏡と対になっている映写機カメラをこちらに向けて、呆然と立っているファウストが、すぐそこにおりました。



 人間、驚き過ぎると声が出ないものと聞いておりましたけれど。


「..................」

「...........................」


 お互いに顔を見合って、とてもとても長い沈黙。

 わたくしも思考が停止しているものですから、こういう場合、どんな言葉をかけるのが正解かしら......?


「............おかえり、なさい?」


 ようやく絞りだせた言葉は、わたくしとファウストの間にぽてりと落っこちたような間の抜けた響きとなりました。


「..................ただいま、もどりました」


 条件反射よりはだいぶ遅れてファウストが答えてくれましたけれど、何が起こっているのかはわたくしにもファウストにも未だ理解できておりません。

 現実感のないふわふわとした状況の中、ようやく時を動かす合図をくれたのは、そばに控えていたドンナでした。


「......ふぁ、ふぁ、ファウスト様!!!??」


 数日前、王都から遠く離れたサジッタリオ領に旅立ったのを一緒に見送っておりますし、たった今も、教会に入る前から映写機カメラ越しに会話をしていたのをすぐ横で聞いておりましたから、ファウストがほんの一瞬でここに現れることができるはずがないという思いはドンナもわたくしと一緒です。

 それが瞬きの間に目の前に現れ、理解の追いつかない事態に声を失くしていたのが、ファウストが言葉を発したことにより、幻でもなんでもないと一気に頭が働きだしたのか、とてもすばらしい声量の叫び声でしたわ。


 人間、自分より取り乱している人がそばにいると、かえって冷静になることがあるということも聞いておりましたけれど。


「ドンナ、セルジオに言って、王城にいらっしゃるお父さまにご連絡を」


 淡々と、今するべきことが口から滑り出てきたのが、自分でも不思議なくらいです。


「でもっ、おじょ、お嬢様、ふぁす、ファウスト様がっ」


 ドンナの驚き方がきっと普通なのでしょうけれど、喉元を過ぎてしまえば、この程度の衝撃くらいでしたら、前世の記憶を持った転生者であるわたくしにはなくもない展開と思える範囲、の、はず。


「きっと、ファウストが突然いなくなってしまって、あの場にいらっしゃったお兄さまも、 様子をご覧になっていたお父さまも心配していらっしゃるはずですから、まずは、お父さまにお知らせして、そうして帰ってきていただきましょう?」


 気持ちを落ち着けるようゆっくりお願いすると、わたくしの優秀な侍女頭は慌てたように何度も頷くと、転がるように部屋を出ていきました。


(ふう......ひとまず、これであとはお父さまが帰ってくれば大抵のことはお任せできるはずですけれど……)


 目の前でまだ動揺の底から這い出てこられていない可愛い義弟おとうとを、正気付けなくてはいけませんわね。


「ファウスト」


 今度はしっかりとした響きで名前を呼んであげることができました。

 ピクリと肩を揺らして、ファウストは恐る恐るわたくしに焦点を合わせます。


「どこか怪我はしておりません?具合が悪いですとか、おかしなところは?」


 十中八九、星の力を得てあの場所からこちらへ「転移」してきたのでしょうけれど、まだ転移魔法での人の移動が不可能なこの世界で、その第一号になってしまったファウストの体に異変がないかが心配です。


「…………」


 首を振って答えてくれたファウストですが、わたくしの心配顔を見て、真っ白になっていた顔色に少しずつ色が戻ってきました。


「それならよかったですわ。

 あらためて、おかりなさい、ファウスト」


 安心させるようにいつもの笑顔で告げると、力が入っていたような肩がゆっくり弛んでいくのがわかりました。


「あね、うえ」

「はい」

「ここは、あねうえのへやですか」

「そうですわ」

「僕、転移を」

「ええ」

「星の光が、いきなりこちらへ向かってきて」

「あの時、何を考えていたの?」

「……姉上が、早く帰ってきてとおっしゃったので、どうすれば転移魔法で人が移動できるようになるか、その構築について、帰ったら試そうと」


(あの場で?)


 とは言わずに心の声で留めておけたのは良い判断でしたわ。


 ぽつりぽつりと話し出したファウストの言葉を聞いているうちに確信しました。


(やはりわたくしの所為ですわね……)


 その様子から見て、ファウストが自ら望んだことではなく星が勝手にしたこととは言え、わたくしの不用意な発言が原因で、はじめの星の力がファウストに宿ってしまいました。


(これはまずいコトになるのかしら……?)


 そのあたりは帰ってきたお父さまの判断に委ねることになりますが、安易に喜ぶことなく、消沈しているファウストの様子を見ても、あまり望ましい事態ではなさそうです。

 結果だけ見ると、国益になるかもしれない大きな力を、ほとんど私事で横取りしたような形ですから、お咎めがないとも言い切れません。


「……姉上は、驚かれないのですか?」


 自分の身に何が起こったのか整理のつきはじめたらしいファウストが、普段と変わらないどころか、普段よりも冷静になってしまっているわたくしに気がついて、首を傾げて訊いてきました。


「とても驚きましたわ」

「でも、落ち着いていらっしゃいます」

「だって、いつもファウストはわたくしのお願いを叶えてくれますもの、こういうこともあるのかしらと」

「それでご納得されたんですか」

「ええ。

 星の神さまのお力の一部に、ファウストの真っ直ぐな気持ちが認めていただけたのだわ、と。それって素晴らしいことではなくて?」


 多少強引な理屈ではありますが、わたくしのせいでこうなっていることは間違いがありませんから、ファウストにはあまり落ち込んでほしくはありません。

 結果としてわたくしが喜んでいれば、ファウストも気にせずに事態を受け止められるだろうと思いましたけれど、どうかしら?


「……そうで、しょうか」

「そうですわ。

 これからその力をどのように使うか、それを考えると楽しみですわね?」


 手に入れてしまったものは仕方ありませんし、その経緯についてとやかく考え込むより、どうやって有効利用するべきか考えるほうが断然建設的ですもの。


 わたくしの前向きさに釣られて、ファウストの重たかった雰囲気が晴れてきました。


「ファウストにしかその魔法は使えないのかしら?

 わたくしも一緒に転移したりできると、いろんなところに行けますわね!

 お祖父様のお顔を見にいつでもガラッシア領に帰れますし、それに行ったことのないところにも行けるのかしら?

 海の向こうの国に一度は行ってみたいと思っておりましたのよ、それから」

「姉上、姉上」


 畳みかけるように楽しい計画を立てるわたくしに、ようやくファウストは表情を和らげて、その暴走を止めようと遮ってくれました。


「ファウストはどこか行きたいところはあるかしら?」

「姉上、使い方もよくわかっておりませんから、いろいろと試してみる必要があります。

 それから、姉上も使えるようになるのか、それとも僕と一緒ならどこへでも行けるのか、誰でも移動できる装置を作るか、できることを考えます」

「そう?

 ならそれを楽しみにしておりますわ」


 そうやって、これからしなくてはならないこととしたいこと、そのためにできることを考えていたほうが、ファウストらしくてよろしいわね。


 そのままわたくしの部屋で、転移が自由にできるようになったらどうしたいかなど、他愛ないやり取りを続けていると、セルジオとドンナがやってきました。


「旦那様と、ビランチャ宰相様が間もなくいらっしゃいますので、ご準備と、それから応接間にお越しください」


 お父さまだけでなく、ご一緒にいらっしゃった宰相様も我が家にお越しくださるようです。


(それはそうですわね。

 ことはガラッシア公爵家内だけで済むことではありませんものね)


 あまりお叱りを受けないといいのだけどと心配しながら、お父さまと宰相様を迎え、ファウストと二人でことの経緯を説明しますと……。


「あはははっ、ティアのために、あの状況で転移魔法について、考えてたって……!」


 見たこともないほど、お父さま大爆笑。

 お隣で宰相様は、頭が痛いような呆れた顔をしておりました。


「力は、それだけか?

 転移のほかに使えそうなものは?」

「特に感じるものはありません。

 この力についてもこれからわかったことはすべて、それから他にも何かあればすぐにご報告いたします」

「無論だ。

 ……はぁ、まさか転移魔法とは、はじめの力がそれとは幸か不幸か、有用ではあるが、それだけ、とも言えるし、あとの十一の力も慎重に考えなくてはな」


 笑い過ぎて死にそうなお父さまを尻目に、宰相様は難しいお顔です。

 何にでもなりそうな力を転移魔法だけにしてしまったというのは、たしかに国益を思えばもったいない使い方だとも言えます。

 ただ、人の転移などとまだ誰も成功していない魔法であることはひとつの成果ですし、偶発的に定まってしまった力が人に害なすものでなかったことも幸いと言えましょう。

 咎めるべきか、讃えるべきか。

 笑い転げているお父さまは頼りにならず、宰相様は頭を悩ませているようです。


「このまま、何もなしという訳にも行かないが……」


 どういう罰が妥当かと言えば、それも難しい判断になりますわね。

  本人が意図しない状況下で国益を損ねたケース、という扱いになるとして、この場合の刑罰は程度によって裁量が大きく変わります。

 そのすべては国王陛下、今回は宰相様に委ねられることになりますから、わたくしは何としてもファウストをかばわなくてはなりません。


「宰相様、義弟おとうとがわたくしのためにしてしまったことですから、咎はわたくしに」

「姉上!」


 深く礼をとって懇願するわたくしに、ファウストは驚いて声をあげました。


「姉上のせいではありません!

 あのタイミングで、魔法の新しい使い方について考えていればこうなることも想定できたはずです。

 それを考えもせず、自分の興味に夢中になっていた私の落ち度です」


 早口で言い募るファウストは、どうあってもわたくしが責を負うことは避けたいようで、礼をとるわたくしの前に出て宰相様に訴えました。


「……う、うむ。

 ラファエロ、いつまでも笑っているな。

 お前の子どもたちの問題だぞ」

「……ハハっ、はぁ、ひさびさにこんなに笑いましたよ、宰相閣下」

「何がそんなに可笑しいものか。

 公爵家として、どうやって責任をとる」

「公爵家としてなら、いくらでも過料を課していただいても構いませんが。

 それとも映写機カメラの権利を国に差し上げるくらいが妥当でしょうか。作ったのは当事者の我が二男でもありますし」

「権利を召し上げても作れるのは公爵家の商会しかないだろうが、権利料として、半永久的に国に売り上げを還元していく、というつもりなら、誰からも反論は出ない、か」

「おそらく」

「そこが落とし所か」


 ファウストが掠めとってしまった形の国の利益を、金銭として返し、さらに一時的ではなく継続して発生するようにしたうえ、わたくしたちの商会にもさほどダメージはない、というきれいな収め方を咄嗟に提案できるお父さま、先程まで笑い転げていただけかと思いましたのに、流石すぎて尊敬してしまいます。


「君たちも、それで異論はないか」


 二人そろって頷くと、宰相様は国王陛下へ報告するために、急いで王城へ戻って行かれました。

 諸々の手続きのため、お父さまもまた戻ることになっておりましたが、お出掛けになる前に、わたくしとファウストに公爵家の当主としてのお顔を見せて、今回のことになるに至った原因を問うことになさったようです。


「ファウストが、ティアのためにこれまで沢山の実績を残してきてくれたのは確かだけれど、今回は、そのせいで自分たちの権利をひとつ失くす結果になったね」


 優しい表情のままではありますが、言葉には厳しさが溢れています。


「ファウストにもティアにも、そのままでいていいと私も言ってはきたけれど、今後、同じようなことがあっては自分たちが困るということが分かったと思う。

 だから、これは私たち家族が乗り越えなければならない課題だと捉えて、二人にも努力してほしいことがある」


 お父さまが仰っているのは、わたくしたち家族の在り方を、今までの甘やかすばかりの方針から変えていかなければならない、ということ。


「二人には、お互いに少し距離をとるようにしてもらうよ。

 姉離れ、弟離れ、それぞれができたと私が判断できるまで、ファウストには別邸に移って生活してもらおう」


 お父さまがわたくしたちに課した試練は、思ってもみないものでした。

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