episodio:シルヴィオ──その扉は開くか
シルヴィオ・ビランチャは、婚約者のスカーレット・アリエーテについてかつて戦友のように思っていた。
***
ステラフィッサ王国の第一王子であるエンディミオンと公爵令嬢のルクレツィア・ガラッシアの婚約が決まってすぐ、ビランチャ家とアリエーテ家の婚約も結ばれたが、当人同士はお互いに特に思い入れることはなく、別な人物がその心に住み着いていることを知っていた。
王城で顔を合わせることの多かった公爵家の令嬢は、言葉のとおり天使のような少女だったが、自分が仕えるべき相手の婚約者となると分かっていたから、決して想うべきではない相手への恋情に固執するほどシルヴィオは愚かではなかった。
対して婚約者のアリエーテ家のスカーレットも、幼心に一目で恋した相手が、決して自分では敵いそうもない公爵令嬢への想いを隠そうともせず、そうして婚約にまで至ったことを知っていたから、例え苦しい気持ちが胸に溢れようと、十二貴族の令嬢として、ビランチャ家との婚約を粛々と受け入れていた。
自分の為すべきことを知り、その心に誰がいようとも流されることなく、誠心誠意貴族としての務めを果たす仲間として、シルヴィオはスカーレットを認めていた。
────それがどこから狂いだしたのか。
婚約がなってしばらく後、件の公爵令嬢は社交会に姿を現すことが一切なくなり、第一王子が出るパーティーでは、そのパートナーはいつも空席だった。
公爵家に起こった事件を知らない貴族はいないから、聞こえないところで噂をすることはあっても、殊更それを指摘するものは居なかった。
王子と公爵令嬢が学園に入学する年齢になっても、それが変わることはなかった。
貴族であれば須く学園に通っているはずが、公爵令嬢は籍を置くばかりで授業に出席することはなく、第一王子との婚約から十年、幼い姿のまま、成長した姿を見たものは当の王子と公爵家の人間ばかり。
それもその頃には、王子も何かにつけ公爵家への訪問を拒否されていた。
流石にこの婚約に否定的な声が出はじめたのはこの頃だった。
王子と王家は、それでも頑なに婚約の解消をすることがなかったが、周囲は、そのうち公爵令嬢との婚約は破棄され、別な令嬢が第一王子の結婚相手に推されるだろうと目論み、動き出した。
その別な結婚相手の候補には、スカーレットも入っていた。
勿論、すでにビランチャ家と結ばれていた婚約関係があったが、王太子の婚約者、ひいては将来の王妃となるべく家柄の令嬢は限られている。
王太子の婚約者に問題があれば、婚約の解消もあり得るという暗黙の了解が、高位貴族の婚約には含まれていた。
十二貴族にして、領地が国の食糧庫としての役割を十分に果たし、ステラフィッサの豊かさに貢献しているアリエーテ伯爵家の令嬢であれば、王太子妃として申し分はない。
他の候補は、アクアーリオ家やペイシ家、トーロ家、ジェメッリ家の令嬢であるが、それぞれ多少の問題があった。
アクアーリオ家の令嬢には公爵家に関わる事件で負った傷痕があり、ペイシ家の令嬢は、スコルピオーネ家の婚約者候補として争ったサジッタリオ家の令嬢が亡くなったことから、今婚約事態を見送っている状況。
トーロ家とリオーネ家の婚約は、結ばれなかった現伯爵と亡き婚約者の宿願が込められており横槍を入れるのは心情的に憚られ、ジェメッリ家でも王太子と年齢の合う令嬢は、貴族令嬢としての教育より平民に降ったときの教育に力を入れていたため、王太子妃としては心許ない。
その他の十二貴族の令嬢は歳が離れ過ぎており、十二貴族以外の令嬢も含め、最も問題がなく、王太子妃に相応しいのがスカーレット・アリエーテだった。
まして婚約相手が現宰相の令息であれば、真っ当な政治的判断に基づき恙なく婚約者変更も執り行われるだろうと、大方の貴族がスカーレット・アリエーテが次の婚約者になるだろうと目しはじめた。
そんな周囲の目に、当のスカーレットが気付かないはずもなく。
まだなんの確約もない話ではあったが、周りの人間にそう扱われはじめた少女の気持ちにどんな変化が起こるか、きっと真剣に考えた者はいないだろう。
もとより、憎からず想っていた相手。
叶うことはないと摘んだ芽に、不意に与えられた水に、どうして期待をかけないことができただろうか。
スカーレットの変化を、シルヴィオも感じてはいた。
けれどスカーレットの気持ちを知っていたからこそ、自分が何を言うべきとも思えなかった。
そして、その頃から段々と不穏になっていた王都の様子にばかり気を取られていたのも事実だ。
スカーレットを蔑ろにしていたわけではない、……ないが。
────十年前。
公爵家の事件が起きてからすぐ、多くの人間が不審に姿を消した。
地位を持った貴族も、お金だけは持っていた商人も、貴賤問わずそこにいた形跡すら残さずに人が消えたのに、その消息を追うことも、事件としての立証も何もなされぬまま時が過ぎていた。
そこへ再び、今度はヴィジネー家の治癒能力を持つ人間が姿を消しはじめ、そうして、その行方を追った従姉妹のクラリーチェ・サジッタリオが王都の運河に浮かんだ。
第一王子の側近候補として共に研鑽を積んできたスコルピオーネ家の嫡男フェリックスの婚約者候補だったはずの従姉妹が、死んだのだ。
気が強く、真っ直ぐな気性の年上の従姉妹は、よくも悪くもサジッタリオ家らしい女性だった。
フェリックス・スコルピオーネを一途に想っていたが故の哀れな末路ではなかったかと、彼女が死ななければならなかった
周りが見えなくなるほど他人に心を注ぐなど、そんな愚かなことは自分は決してするまいとさえ思った。
クラリーチェの死は、少なくない影響をシルヴィオにも与えていた。
*
クラリーチェの死の真相を暴こうと動き出したフェリックスに手を貸しながら、何かが確かに起こっているのに、その正体が知れない不気味さをシルヴィオは敏感に感じ取っていた。
発端は、間違いなく公爵家だ。
けれど、その闇に踏み込める人間は誰もいなかった。
王家は沈黙を装い、内々にスコルピオーネ家と騎士団へ調査を命じているとは聞いたが、成果はひとつもない。
何の手がかりも掴めない日々だったが、シルヴィオの中に、ひとつの仮説が立っていた。
────ルクレツィア・ガラッシアの身の上に、何か起きたのではないか、と。
行方がわからなくなったのは、治癒能力を持つ人間ばかり。
誰かがその力を欲したからこそ、彼らが拐かされたのだということは容易に想像がつく。
治癒能力を求める理由はひとつ。
治したい傷害が起きた時だ。
今のヴィジネー家の治癒能力は、怪我を治せても病は治せない。
千年前、ヴィジネー家の始祖が治癒の力を手に入れてから何代かは病も癒せる能力者が多く存在したとも聞くが、今のヴィジネー家の治癒能力では怪我を治すことしか出来ない。
十年前に殺害された公爵夫人は、稀に見る治癒能力の使い手で、寝不足などの軽微な不調なら癒すこどができたと聞くが、それ以上の力となると、「スピカ」と呼ばれるヴィジネー家の「星持ち」にしか持ち得ない力だ。
リオーネ家の「ラガロの星」と同じく、ヴィジネー家に現れる「スピカ」は、その稀有な力のために存在は秘される。
高位貴族ですら、「スピカ」という能力はお伽噺だと捉えている者も多い。
シルヴィオは宰相家の跡継ぎとして「スピカ」の特殊さを認識しているが、誰がその「スピカ」なのか、今「スピカ」が居るのかどうかさえ、ヴィジネー侯爵家でもひと握りしか知り得ないという。
もし、誰かがその力を欲していたら?
そのために、ヴィジネー家の治癒能力者を拐かし、その存在を探っているのだとしたら?
それがガラッシア公爵であれば、彼が何としても助けたいと思う相手は一人しかいない。
すべて仮説で、何の確証もない。
現に、ルクレツィアの兄であるアンジェロにそんな様子は見られず、普段と変わりなく生活をしているように見える。
だが。
アンジェロもまた第一王子の側近候補としてシルヴィオたちと行動を共にすることが多いが、公爵家の人間を信用してもいいのか、シルヴィオには常に疑念があった。
公爵夫人の事件以降、アンジェロはまるで仮面をつけているかのように底が知れなくなり、掴みどころがなくなった。
何を言ってもガラッシア公爵その人に繋がるような気がして、お互いに腹の内を見せることができなくなった。
クラリーチェのことがあってからそれはより顕著になり、フェリックスがアンジェロに突っかかることも多くなった。
それをまたアンジェロは仮面のような顔で躱すだけで、何を考えているのかすら悟らせない。
────悪循環だ。
何か分からないが、自分たちの上に覆いかぶさる大きな影が、日に日に色を濃くしているとシルヴィオは焦燥感に苛まれた。
見えない闇にゆっくりと侵食されている。
日常が壊されるような予感がある。
それなのに、その一端さえ掴めずに右往左往しているのを、誰かが嗤って見ている気がする。
そんな気持ちの悪い暗澹たる日々に、突如訪れた、星の神の神託────
国を揺るがす災厄の報せに、王都はさらに不穏に包まれた。
ヴィジネー家の事件も何もかも捨て置かれ、星の巫女の捜索が開始されて半年。
流星と共に異世界からやって来たという「星護り」の巫女は、当然のように空席だった第一王子殿下の隣りに収まった。
こちらの世界の常識を知らず、貴族にはない親密さで振る舞う星の巫女に、とくに第一王子に対する恋情などは見られなかったが、それを苦々しく思うスカーレットが何をするか、シルヴィオは考えもしなかった。
まさか、スカーレットが、星の巫女を害するような行動を取るなど、到底信じられることではなかった。
*
災厄の阻止のため十二の星を探しはじめ、第一の星が降りると思われる洞窟の泉を見つけ出した。
新月の夜、間際に洞窟にたどり着くと、泉から現れた魔物と戦闘になった。
水属性の魔物に苦戦を強いられながら、地属性の第一王子を中心に辛くも討ち倒し、泉へ降りた数多の光が次々と消えていく中、最後に残ったひとつを巫女が掬いあげると、それが仄白く輝く宝石となり、そのまま巫女の中に吸い込まれていった。
その神々しさは、かつて思いを寄せた少女を見つけた時と似て、それ以上にシルヴィオの中の何かを駆り立てた。
内側から弾け飛びそうなほどの衝動。
その感覚に、シルヴィオは必死で心を閉じなくてはならなかった。
その扉を、開けてはいけない。
そう強く念じるのに、心ほどままならないものはない。
自分の婚約者の冒す過ちと、自らに流れる血の半分の声に強く揺さぶられながら、シルヴィオが心のままに誰かを愛することができるようになるのは、また別の人生の話────
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