八
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(ラガロ視点)
オレの最大の不幸は、金の眼を持って生まれてきたことだと、そう思って生きてきた。
*
幼い記憶で最初に残っているのは、こちらを憎み、蔑む二対の目。
あれはだれかと訊ねたら、お前の父親の正妻と、腹違いの兄だと教えてくれたのは、オレの教育係だという顔だけは小奇麗な男だった。
父親の正妻という女は、いつでもオレを殺しそうな目で見てきた。
オレの存在を視界に入れることさえ厭うくせに、気に入らないことがあれば甲高い奇声で罵倒を浴びせ、折檻を受けた。
腹違いの兄は、母親がそばにいるときはまるでオレをいないものとして無視したが、母親がいなくなると、途端に悪態をつき、殴る、蹴るが当たり前の玩具のように扱われた。
どうしてこんなめにあうのかと問えば、オレは子爵の父親とメイドの女の間に生まれた子供で、望まれてもいないのに「金の眼」なんかで生まれてくるから、本当の母親に捨てられて、仕方なしにこの子爵の屋敷に引き取られたのだと男は言った。
今度は金の眼の何がいけないのかと訊ねたら、そんなことも知らないのかと馬鹿にされた。
男は教育係だというくせに、オレの惨めな立場を教えるだけで、肝心な何かを教えようとはしなかった。
「不気味な金の眼で名前まで決められて、出自の卑しいメイドの子供だろうとお偉い貴族に引き立てられて、人生そんなにラクなら苦労しないよなあ?」
いつも悪意を込めてそんなことばかりを繰り返し言われ、結局「金の眼」がどういう意味か分かるのは、ずいぶん後になってからだ。
ラガロ。
それがオレの名前だと気づいたのは、父親だという子爵だけがそう呼ぶからだ。
いつも「おい」とか「お前」と呼ばれていたから、「金の眼」の「ラガロ」というものは、存在自体が忌み嫌われているのだとさえ思っていた。
父親はほとんど屋敷におらず、たまに帰ってくると決まって教育の成果を見せろと言って、教わってもいない剣術や体術で体がぼろぼろになるまで訓練という暴力を受け、「お前はラガロのくせに物覚えが悪い」と強い口調で叱責され、今度は体罰を受けた。
教育係は、オレの世話を屋敷の侍女でもなく自分の年老いた母親に押し付け、自分は若い侍女やメイド、果ては父親の正妻という女にも手を出して遊んでいただけだが、こういう時ばかり、
「誠心誠意お教えしているのですが、ぼっちゃんは怠けるばかりで、私などから教わるのもきっと馬鹿馬鹿しいとお思いなのでしょう。ラガロの星は、人から教わることなど何もないとお考えなのかもしれません」
そう子爵の耳に吹き込んで、まるで自分は貴方の忠実な下僕だというような顔をするから、父親のオレに対する叱責はひどくなる一方だった。
オレの世話をしてくれた教育係の母親は、昔はラザーレ家よりも立派なお屋敷に勤めていたんだ、というのが口癖だった。
虚言か妄言か、誰からも憧れられるような侍女としてお仕えしていたのが、自分もその屋敷の旦那様に手を付けられて、そうして生まれた息子の教育係も本当は貴族の血を引いているんだと言って憚らなかった。
それが真実なのかはオレにはどうでもよかったが、食事のマナーや話し方、歩き方という最低限の貴族らしさは、このババアに定規で叩かれながら教え込まれてやっと体裁を整えられるくらいにはなっていたから、立派なお屋敷に勤めていたという言葉のほうは本当だったんだろう。
痩せ細っているのはまずいと思われていたのか、食事はいつもババアのところで用意され、味も見た目もひどいものだったが、腹を空かせることはなかった。
体力が付いてくると、一方的な暴力に対抗できるよう、オレは父親に殴られながらその動きを見様見真似で覚え、体に叩き込んだ。
ババアが言うには、いつかこの家を追い出され、リオーネ本家というところにまた引き取らるという話だったから、ババアから教わることだけではなく、屋敷の人間に見咎められないように注意しながら、書物庫を漁って知識をつけた。
そうこうしているうちに、オレは腹違いの兄よりも圧倒的に優れた才能を持っていることに気がついた。
年子の兄の身長をあっという間に追い越し、父親の前で試合をさせられれば簡単に捩じ伏せることができたし、父親に対する受け答えも、しどろもどろになる兄を尻目に、オレは淀みなく父親の望む答えを返していた。
兄からの暴力はパタリとなくなったが、父親の正妻のオレを見る目がさらにおかしくなったのはこの頃だろうか。
何かに取り憑かれたような悪鬼のような表情を、未だに夢に見る。
八歳になった冬、
「お前のその目をくり抜いてやる!!」
そう髪を振り乱しながら襲いかかってきた女の力は、異常なほど強かった。
どうやって屋敷から逃げ出したのか、雪の降る中をシャツ一枚で歩いていたところを、リオーネ家の従者だという男に拾われた。
ラザーレ家の様子を見張り、オレを連れ出す機会を窺っていたと言う。
(それならもっと早く連れ出してくれればよかったんだ)
そう思っても、オレは口を固く閉ざした。
貴族なんてロクなもんじゃない。
いくら綺麗に着飾っても、あの悪意と暴力に満ちたラザーレ家ですら他所行きの顔をして貴族らしく振る舞うことができたのだから、皆んな、一皮剥けば同じだろうと思った。
余計なことを口にして、またあの家に帰されるくらいならと、オレは沈黙を選び、ババアに教え込まれた上流階級らしい振る舞いをして、新しく自分を引き取るというリオーネ家では気に入られるように努めることにした。
ラガロ・リオーネという名に改められ、養父の治める領地の城へ赴くと、オレを捨てたと聞いていた生みの母親がいた。
年のわりに体格に恵まれているオレとは違い、痩せ細って荒れた手肌をしていたが、目に涙をいっぱい溜めて、枯れ枝のような指でオレを抱きしめようとして、……やめた。
母親は侍女で、オレは「ラガロの星」という特別な力を持った、十二貴族のリオーネ伯爵家の次期当主という高貴な身分になったらしく、その立場の違いに線を引いたらしい。
貴族だとか、使用人だとか、勝手に位置付けられて勝手に扱いを変える。
そんな周りにうんざりした。
誰かに傅いてほしいと思っていたわけじゃない。
理不尽な暴力や悪意を打ち返したいだけだった。
ラガロの星とかどうでもいい。
オレが望んで、持って生まれたわけじゃない。
何もかもどうでもよかったが、ラザーレ家よりはこのリオーネ家で言う通りにしていたほうがまだマシだから、オレはうんざりした気持ちを押し隠し、養父に素直に従い、侍女になった母親にも心を砕くフリをした。
オレの養父となったレオナルド・リオーネ伯爵は、実父と比べるのもバカバカしいほどできた人物だった。
暴力ではない武術をオレに教え、オレの出来が良ければ手放しで褒め、貴族として、騎士としての生き方を示した。
まだ八歳の子ども相手に、悪意どころか敬意を持って接し、上辺だけ従順に振る舞い、心を開こうとしないオレを大らかに包み込んで見守っているようだった。
────うんざりする。
キレイに整えられた環境で、なんの陰りもない養父の輝かしさを目の当たりにする度、自分に流れている実父の血を確かに感じ取った。
────オレはこうはなれない。
自分自身の卑しさ、頑なさは、オレ自身がいちばん自覚している。
真面目と無愛想をぐちゃぐちゃに混ぜたヘタクソな仮面の下で、実父への恨みも、養父への妬みも、母親への愛憎も、全部ドロドロに煮込んで焦げついていくのを、自分でもどうしようもなく持て余すことしか出来なかった。
*
九歳の春。
王都へ連れられ、王城で王子殿下に引き合わされた。
オレが王子の側近。
笑えるな。
田舎の小さな領主の屋敷で、ボロボロになるまで殴られ、馬鹿にされ、貶されていたのが、この目があるだけであいつらが呼ばれもされない場所で、絶対に身に付けられない特別な衣装を纏って当たり前のように立っている。
中身はオレなのに。
リオーネ伯爵が言うには、王子もこれから紹介する公爵も、オレの出自や生い立ちはすべて知っているという。
知った上で、なんの悪感情もないような顔で振る舞うのはどんな気持ちだ。
キレイな貴族の仮面の下で、オレを侮蔑しているに決まっている。
極めつけ、公爵の娘という、何の汚れも知らないような少女が、驚くほど自然に自分に笑顔を向けて貴族の礼を取った。
────ありえないだろ?
まるで天上の聖霊みたいな少女が、自分とオレが同列みたいな屈託のない顔で笑いかける。
あまりに現実味がなくて、愛想も何もない返ししかできなかったのに、それでもニコニコとしている。
────馬鹿なのか?
そう思ったが、もしかするとオレのことを知らないのかもしれない。
リオーネ伯爵は、王子と公爵が知っていると言ったんだ。
その娘までは流石に伝わっていないのかもしれない。
オレを紹介された時、驚いた顔をしていたじゃないか。
きっと、この後オレの正体を知らされて、あの顔が嘘だったかのように蔑むような目でオレを見てくるに違いないんだ。
…………そう思っているオレのことなど何も知らないで、公爵令嬢の態度は何も変わらなかった。
定期的に開かれる王子を中心としたママゴトのようなお茶会で、王子のママゴトみたいな甘い言葉をあっさりと受け流し、王城に上がったばかりのオレと自分自身を一緒だと笑って気遣う。
その向こうに、養父のリオーネ伯爵を見ていることはすぐにわかった。
それが狙いの態度かとはじめは内心で嘲笑ったていたが、公爵令嬢はリオーネ伯爵にも、オレにも、そして他の誰にも見えない一線を引いてそこから踏み込むことがなかった。
アレは公爵令嬢の仮面だ。
兄や公爵のような身内の前では少し崩れるそれも、徹底してオレたちには踏み込ませない。
王子の後ろに控えてよく観察していればわかった。
だから王子の甘い言葉も、その線が壁になってすべて跳ね返されている。
まるで何も知らない顔をして、春の花の精霊のような無垢なあどけなさを装って、この令嬢は何ひとつ、誰の言葉も受け取ってさえいないのだ。
────その仮面の下はなんだ?
それが知りたいのに、分厚い壁には綻びもない。
夢のようにレオナルド・リオーネへの恋情を語るその横顔に、言いようのない苛立ちが降り積もっていくのを、オレはまたどうしようもない思いで見ているだけだった。
*
綻びがなければ作ればいい。
オレの底意地の悪いドロドロとした感情は、唯一といってもいい、公爵令嬢の心を揺さぶる弱点を的確に狙った。
リオーネの家では、養父と実母が微妙な距離感で立ち止まっているのを知っている。
夢みたいな顔で恋慕う相手が結婚なんてしたらどんな顔をする?
誰の幸せを願うでもなく、そんな薄汚い感情だけで、オレは二人の関係がうまく進むように背を押した。
こちらが驚くほど簡単に二人は結婚まで進み、社交会のシーズンオフの間、オレの学園入学の直前に、リオーネ領でささやかな式をあげることになった。
当然、公爵家は招かれる。
公爵令嬢が来るかは賭けだったが、あの女なら間違いなく来るだろうと思った。
案の定、いつもの公爵令嬢の仮面のまま、あの女は平気な顔でリオーネ伯爵とオレの母親の結婚を祝った。
あまりに馬鹿みたいに笑顔を振りまくから、本当に頭に花が咲いているのかとさえ思ったが────違った。
ラガロの星。
呪われた金の瞳。
それをキレイだと言った女は、ルクレツィアは、やはりオレの言葉など届いていなかったが。
望んで持って生まれたわけじゃない力が、まるで何の役にも立たず、ただの護衛だという男に捻り潰されて、オレは何も持っていなかったのだと気が付いた。
他人に植え付けられた悪意しか、持っていなかった。
ぽたぽたと自分でも気づかないうちに流れ出した涙に戸惑っているルクレツィアのその顔に、オレの中にある悪意という悪意が途端に勢いを失くして、ただ慌てふためくだけというザマに陥った。
仮面の下に悪意を持っていたのはオレ自身なのに、まるであの教育係のように公爵令嬢に悪意をぶつけていた自分自身に、心底嫌気が差した。
オレ自身はなんでもない、空っぽで、小さな屋敷でボロボロになって蹲ったままの子供だ。
これでは誰にも届かない。
ルクレツィアの仮面のその下に、触れることすらできない。
涙を流すばかりのルクレツィアは、その
惨めなだけのオレに残されたのは。
*
一晩ごちゃごちゃと悩み抜き、オレが持っている唯一で最後の可能性に賭けることしか、もう出来ないと腹を括った。
失うものは、はじめから何もない。
オレは間違えたから、取り返しがつかなくても、出来ることはすべてやろうと決めた。
受け入れられなくても、それしかできない。
公爵から返事が来ることはなかったが、兄のアンジェロに学園で会った時、いっそ清々しいほどの侮蔑の目を向けられ、これが正当な扱いだと素直に有難かった。
理不尽な理由ではない、自分自身の愚かな行いに対してアンジェロが持っていい当たり前の怒り。
それをぶつけられることに、感謝した。
当のルクレツィアは、取るに足りないと言わんばかりの態度で内心かなり傷付いたが、それも正当なオレの評価だ。
確かな一線も、分厚い壁も、より強固になってしまったぐらいだが、それでも心が折れないのは、期待がないからかもしれない。
出遅れるどころかマイナスのオレ自身を知っている。
嫌われるでもない、無関心とさえ言える立ち位置だから、もうこれ以上落ちることもない。
ただ君を想うことだけ許してほしい。
ラガロの星が輝かなくても、オレ自身が強くなったと少しでも認めらてもらえれば、それだけで構わない。
愛を乞うのではなく、愛を献げるだけのつもりで、オレは誰よりも強くなりたかった。
***
星の巫女が現れ、日常は慌ただしくなった。
星を集めなければ災厄でこの国はどうなるのか、ラガロの星は、警鐘だけをオレを告げている。
はじめの星が現れるはずの泉で、嫌な予感が当たった。
明日には王子と巫女が近くの町に着くという夜、見回りで立ち入った洞窟には、星の泉に二人でコインを投げると永遠に結ばれるという迷信を信じて侵入した町人がいて、呆れて声をかけようとした矢先に魔物が現れ二人を襲おうとした。
咄嗟に庇った腕に怪我をしたが、大した傷ではない。
二人を逃すことを最優先に、魔物の一掃は断念したが、こんなところで不覚をとっているわけにはいかない。
すぐに戻って魔物を討つつもりが、フェリックスに止められ王子の指示を待つことになったが、忸怩たる思いでその時を待った。
結局、サジッタリオ家の指揮下でまったく自分の力を発揮できずに終わったが、力を誇示したいわけではないから、これから、本当に必要な時にこの身を賭せばいい。
焦りはないが、まだ足りないという気持ちは強くなる。
────どんな力が欲しいか。
星に問われた時、誰かに与えられた力ではなく、自分自身の力で強くなりたいオレに星は共鳴しなかった。
その場の誰よりも強い願いを持っていたのは、ルクレツィアの
誰のための願いか、ラガロの星の力ではなく、オレは直感で、消えたファウストの行先がわかったような気がした────
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