七日前。

 予定通りヴィジネー侯爵家の一団は、国から派遣された騎士団を従えてピエタの町へ入った。

 二日後、これも予定通りに町を封鎖し、二百に満たない住人の避難の準備をはじめた。

 それまでは何事もなく、すべて順調だった。

 ピエタの町は山深く、移動しながらの連絡は難しかったが、町に入れば通信機で王城に報告を行なうことも出来ていた。


 その夜、封鎖した町に一人の男が命からがら助けを求めにやって来た。

 鳥の魔物に追われて、町の封鎖を知らずにここまで逃げて来たという。

 魔物の出現も予め知らされていたことだ。

 男に詳しい話を聞き、騎士団から調査隊を編成して町の周囲を探らせることにした。

 魔物が活動するのは日没から夜明けまで。

 これまでの星の探索で現れた魔物と同様に考えて、調査隊は夜のうちに出発した。

 エンディミオンたちが来るまでに魔物の情報を集め、対策を講じておくために。


 夜が明け、太陽が高い位置に来ても、調査隊は誰一人戻って来なかった。

 不審に思い、調査隊を捜索しに行った部隊も一向に戻らず、侯爵邸には緊張が走った。

 王城に一報を入れたが、エンディミオンたちはすでに王都を発ったあとだ。

 移動中のエンディミオンたちとの通信は王城を経由するか、向こうからの定期連絡を待つしかない。

 翌日には住民たちを移動させなければならないが、一日待ってもエンディミオンたちはおろか、王城からも何の指示は入らなかった。


 一夜明け、いくら待っても騎士たちは行方不明のまま、通信機は繋がらない。住人たちはもう町を出発しなければ明るいうちに避難先に辿りつくことが難しい頃になると、ヴィジネー侯爵が決断した。

 ピエタ聖堂は山間のごく狭い土地の中心にある。

 今回の相手は鳥の魔物のようだから、この狭い町の上空から襲われてはひとたまりもない。

 星の力に惹き寄せられて、その土地の生き物が魔物化するのならば、できるだけ星の探索地からは離れていたほうがいい。

 また、明るいうちならば、魔物も現れることはないはずだ。

 そう結論付けて、住人の避難を開始した。

 魔物の出現に不安がる住人たちには、ヴィジネー家の私兵が護衛に付いた。

 ヴィジネー侯爵家を守る最低限の兵士は残したが、連れてきた三分の二以上が町を出ることになった。

 それでも、国から派遣された騎士団はまだ一小隊残っているし、エンディミオンたちがやって来れば魔物相手に後れをとることもあるまい。

 そう言ったヴィジネー侯爵に反論する声は上がらず、昼前には住人と護衛の兵士たちは町を後にした。


 鳥の魔物と聞いてから、ルチアーノはずっと気が立っていた。

 よりにもよって鳥!

 この辺りには猪も兎もイタチもいるのに、どうして鳥!

 町に逃げ込んできた男は商人で、魔物の詳しい特長はそれほど聞き出せなかったが、とにかく大きくて凶暴だ!という言葉どおりなら考えられるのは鷲だろうか。

 あの何でも獲物にする獰猛さと鋭い目つきを考えるだけでもぞっとする。

 男は大きな影に怯えながら獣道を選んで、木々を盾にしてピエタの町まで逃げ果せたという。

 この男が町に魔物を連れてきたんじゃないの?!という根拠のない不満を胸に抱きながら、男が住人に混じってのうのうと安全と思われる場所へ避難していくのをルチアーノは口惜しげに見送り、私もいっしょに逃げたらダメかしら、と主人であるジャンルカに問うてみた。

 ガラッシア家に嫁いだエレオノーラとは正反対で、神経質なところのある侯爵には似ず、ヴィジネー家の嫡男は少し気弱な青年だ。

 傾国の美しさと稀代の治癒能力を持つ妹、あるいは絶世の美貌で公爵家の嫡男という圧倒的な格差を持つ従兄弟とそれぞれの立場で育ち、ヴィジネー家らしい誠実さだけが共通して残った親子だ。

 たいていのワガママは押せばなんとかなるので、いつもルチアーノは主人を振り回している自覚があるが、その時ばかりはさすがに苦笑して首を振られてしまった。

 鳥の魔物が襲ってくるとわかっているのに!

 ひどい!

 と泣きながらいじけて自らの控え部屋に閉じこもったその夜、ルチアーノはもっと恐ろしい思いをすることになる。


 カツン、カツン、と、はじめは窓に何かが当たる音だった。

 ジャンルカがルチアーノのごきげんをとりに来たのなら扉をノックする。

 それでは騎士の誰かがうっかり美貌の従者に心を奪われて、ちょっかいをかけに窓の外から小石でも投げているのかしらとカーテンを少し開いて、ルチアーノは絶叫した。


 無数の鳥と、窓越しに目が合ってしまった。


 甲高いルチアーノの叫び声は邸中にこだまし、ヴィジネー侯爵家の護衛たちが駆けつけた。

 聞いていた大きな鳥の魔物ではなく、小さな椋鳥から鴉や梟、このあたりの山に棲む鳥がすべて集まってきたかのように邸の周りに殺到して、今にも窓硝子を突き破って来そうな勢いだ。

 外を見回っていたはずの国の騎士たちは見当たらず、警告もなければ、何の予兆も感じられなかった。

 この数の鳥に一斉に襲われて食い散らかされたにしても、悲鳴のひとつもなかったのはおかしい。

 いつ鳥たちが邸に入り込んでくるかと狂いだしそうな恐怖に震えながらも、ルチアーノは本来の自分の仕事がなんなのかが頭に過った。

 ヴィジネー侯爵家の嫡男の従者。

 いつも好き勝手に振る舞ってはいるが、ここぞという時まで外していては、とっくにヴィジネー家には見限られていただろう。

 ルチアーノの悲鳴にも、鳥の襲撃にも顔を出さないジャンルカと侯爵が気がかりで、廊下の窓の外の鳥の気配に怯えながらも邸の中を走り、二人のいるはずの執務室、寝室、とその姿を探した。

 走り回りながら、すれ違う騎士や兵士にも二人の所在を確認した。

 部屋の外で立ち番をしていた兵士は顔を青くしていた。


「お二人は寝室に下がられてから、どちらにも行かれておりません」


 ヴィジネー侯爵家の家長と嫡男は、鳥の襲撃の最中さなかに、忽然とその姿を消してしまったのだ。


 これが、エンディミオンたちがピエタに来る二日前の夜のこと。

 鳥たちは邸の中には侵入してこず、ずっと窓や壁を突き回し、気が狂いそうな羽ばたきの音だけを残し、空が明るみ出した頃にだんだんといなくなっていった。


 すっかり夜が明け、一羽もいなくなった外を確認すると、騎士の武器や防具が散乱しているだけで、血痕や争った跡もなく、不思議なほど羽根の一枚も落ちてはいなかった。

 全員で同じ悪夢を見ていたのか、けれど耳の奥には一晩中聞き続けた羽の擦れる音や嘴が窓を叩く音、そして爪が壁を引っ掻く音がこびりついている。

 騎士の数もいつの間にか半数以下に減っていて、侯爵とジャンルカも姿を消してしまった、

 目を瞑ると、ルチアーノの目の裏には無数の鳥の目が刻みついている。

 一睡もできず、憔悴したままのルチアーノはなんとか現状を伝えようと通信機を手にしたが、まるで壊れているように何の反応も見せず、思わず窓から放り投げてしまった。


「この子をこんな目に合わせたのはルチアーノ殿だったのだね?!」


 大事そうに壊れた通信機を抱えたジョバンニが非難の声をあげたが、


「だって大事な時に役に立たないんだもの!!

 今度はもっと使えるもの作りなさいよ!!!!」


 三倍の勢いで言い返されてジョバンニはしょんぼりした。


「それが一昨日の夜ということだから、それまではまだルチアーノの他にも残っていたんだろう?

 それが、どうして今は君一人なんだ?」


 エンディミオンに先を促されて、ルチアーノは意を決するように細い息を吐き出した。


「…………本当の悪夢は、昨晩に起こりました」


 思い返すと同時に心の底から身震いして、ルチアーノは一段と顔を青褪めさせ、この一晩に起こったことをぽつりぽつりと話しだした。


「残った私たちは、昼の間は町のどこかに侯爵様やジャンルカ様がいらっしゃるのではないかと探し回りました。

 山の中に踏み入れば、もしかするとまた帰って来ないか、消えてしまうのではないかと注意しながら、できる範囲でくまなく。

 けれど侯爵様たちも騎士たちもどこにもおらず、あっという間に日が暮れて……また鳥の群れがやって来るのではないかと待ち構えることになりました。

 昨日は入り込んで来なかった鳥たちが今度こそ邸の中に入ってくるかもしれないと、邸のいちばん奥に立て篭もるようにして、夜を待ったのです」


 時を同じくして、峠のひとつ向こうで野営をしていたエンディミオンたちのところに、無数の鳥が集まっていた。

 ルチアーノたちがそれを知る術はなかったが、ピエタの町に、鳥は一羽もやって来なかった。

 安堵の空気と、何が起こっているのかひとつもわからない不気味さに戸惑う妙な雰囲気の中、誰かが窓を明けて夜空を窺ったようだった。

 ルチアーノは護衛たちの中心で蹲って、鳥の羽ばたきも聞こえないようにしていたから、がどこからはじまったのかはわからない。

 どこからか、「おいっ!どうした!?」と切羽詰まった声が聞こえ、それは波紋が広がるように全体に広がっていった。


 周囲の様子がおかしいのが気になってルチアーノが伏せていた顔をあげると、隣にいた兵士に「しっかりしろ!」と声をかけられていた別の兵士のところをちょうど目撃してしまった。

 頭を抱えて苦悶していた表情から、一瞬ですべての感情が削ぎ落とされたように目の色が消えた。

 光のない真っ暗な穴のような目が見開かれ、に取り憑かれたような奇妙な呻きと奇怪な動作になっていく。

 それが一人、また一人と伝染していくように増えていく。

 その様子を、声をなくしたままルチアーノは見ていた。

 何かがおかしいと気がついて逃げ出そうとした兵士も、途中で何かに捕まったように動きを止めて、同じような状態になってしまった。

 自分もそうなるのかと、動くこともできないルチアーノは目の閉じ方を忘れたようにただ呆然としゃがみ込んで見上げるだけしかできない。

 周りでは、死霊のような顔をした兵士たちがお互いに襲いかかるでもなく、統制のない奇妙な生き物になって徘徊をはじめた。

 開け放たれた窓からざわりとする夜気が入り込み、ルチアーノの肌を撫でて粟立たせていく。

 息も止めて、次に何が起こるか気を失いそうになっていると、徘徊していた兵士の一人が何かに意識を向けたのと同時に、全員が同じ方向を向いた。

 呼ばれるように、窓から外へ、一律に出て行こうとする。

 意思のない奇妙な生き物になったまま、押し合いながら外へ向かっていった兵士たちは、ルチアーノ一人を残して全員がいなくなってしまった。

 声もあげられないまま、ほとんど半狂乱でそれを見送ったルチアーノは、そこでパタリと意識を失った────



「そうして、気が付いたら朝になっていて、鳥は怖いし一人も怖いし、どうしようかと思っていたら、馬車の音がして……」

「我々が到着したわけか」


 シルヴィオの言葉に、ルチアーノは頷き返した。


「うわぁ……。なんかゾンビ映画みたい……」

「俄かには、信じられない話だな……」


 ルチアーノの話した状況を想像したセーラが、今にもゾンビが飛び出してきて襲われるのではないかと首を縮こませて辺りを見回し、エンディミオンは頭を抱えた。


「次から次へと、今回はいったい何があると言うんだ」


 シルヴィオも頭が痛い素振りを見せると、


「えー?殿下もシルヴィオも、全部鵜呑みにしちゃう感じ?」


 フェリックスが異議を唱えた。

 さすがにたった一人の証言者の話をすべてそのまま受け取るのはいかがなものか、とラガロを見遣る。

 フェリックスの視線を受け、ラガロは金の眼を眇めてルチアーノを見つめた。

 距離を置いたところからの視線でも「イヤ!コッチ見ないで!」とルチアーノは過敏に反応したが、すぐにラガロのよく通る声が一言断言した。


「嘘はない」


 ラガロの直感は外れない。

 彼が猜疑を挟む余地がないのであれば、そこには本当に嘘がないのだと誰もが信頼を置いていた。


「ラガロの星がそう言うんじゃ、今の話は盛ってるところもないわけね」


 嘘がないということは、ルチアーノ自身は語ったことがすべてその身に起こったことだと認識している、ということになる。

 それが本当に起こったことかどうかは別として、ルチアーノが何かを企んでいて、自分たちを謀ろうとしているわけではないことは証明された。


「まるでラガロ殿はウソ発見器のようであるな!」


 ラガロの言葉でフェリックスも納得すると、ジョバンニが空気を読まずに思いついたことをそのまま口にした。


「ウソハッケンキ?なんだい、それは?」


 ジョバンニの突飛な発想から生まれる耳慣れない単語に、アンジェロが思わず聞き返した。

 そんな場合でもないとはわかっていても、このひと月のことでアンジェロのジョバンニへの信頼と親愛は今までにないくらいに高まっているので、その言動にかなり寛容になっている。


「おぉっ!さすが兄君も興味がおありですね?!

 ウソ発見器とは、人間の思考と生理現象の関連付けからその変化を測定して対象の人物の発言に嘘がないかを判定できるようにするものなのですが、うまくこの星の災厄を巡る情報収集にも使えるのではないかとファウスト君と設計、実用化にむけて検、討、していた、ところで……」


 嬉々と語り出そうとしていたジョバンニの滑らかな早口が止まった。

 自分の言葉で、思い出してしまったのだ。

 視線を落として、大事に抱えていた壊れた通信機を労るように撫でる。


「ファウスト君と、考えていたんです」


 ついひと月前まで、ファウストと一緒に夢中になってあれこれ論議し、思いついたことを形にしては失敗し、そしていつかは必ず成功させて沢山のものを作り上げてきた。

 その日々には、星の探索がはじまる前はルクレツィアもそばにいた。

 ルクレツィアの不思議な観点から、ヒントを得ることも日常だった。

 この、ウソ発見器も。


「……姉君が、めずらしく怒っていたんです。

 まだセーラ殿が降りたつ前、聖国の神託から、我こそは星の巫女だと沢山の貴族令嬢が殿下のところに押しかけたじゃないですか。フェリックス殿から聞くに、建国王様が星の巫女を王妃に迎えたのは誰もが知るところで、そうでなければ殿下にお目通りが叶うこともないような娘さんたちがほんの少し夢見るのも仕方ない、ということでしたけど、国の大事に殿下も兄君もお忙しいのに、私欲で混乱をきたす者のなんと多かったことか」

「ルクレツィアが、私のために怒ってくれていたのか」


 はじめて聞く話にエンディミオンがわずかに心を湧き立たせると、


「いえ。それについては、こんなにたくさんの星の巫女がいるなんて、もし災厄が起こってもとても頼もしいことね、と笑っておられましたね。

 むしろ彼女たちが全員ウソの巫女だと聞かされて、たいそう残念がっておいででした」


 ジョバンニがもちろんそんなエンディミオンの男心に忖度することはなく、ありのままの事実を伝えた。


「…………そうか」


 ぬか喜びさせられたエンディミオンが肩を落とすのにも気付かず、ジョバンニは続けた。


「そんな騒動を利用して、国中で少女の拐かしが頻発したじゃないですか。

 教会の人間を装って、王都から離れた町や村の見目のいい少女を貴女こそ巫女だとかなんとか言葉巧みに親元から連れ出し、人買いに売っては荒稼ぎしていた組織をラガロ殿のお父上のリオーネ伯爵が指揮して壊滅させた事件ですよ。

 辛うじて親元に帰れた娘さんもいましたが、五体満足とはとても言えない酷い目にあった子もいましたし、姉君はその話にひどく腹をたてて、誰でも嘘を見抜けるようなものは作れないのかとファウスト君に詰め寄ってましたね」

「……その話はティアの耳には入れないようにしていたのに」


 こちらも耳に入れないようにされていたベアトリーチェ、そして本物の巫女であるセーラも痛ましげな顔をして、すでに解決に至ったとはいえ、そんな事件があればルクレツィアですら怒りを覚えるのは当然だろうと納得した。


「いかな魔法とはいえ、人の心情を読み取るようなものはありませんし、僕もファウスト君も頭を悩ませたのですが、姉君が、兄君やファウスト君のウソならすぐに見抜けるのに、とおっしゃって」

「なんだって?」

「兄君は嘘をつくとき笑顔を作るそうですが、いつもの笑顔と眉の角度が違う、とか」


 ルチアーノの向こう隣りで、「たしかにそうですわね」と頷いているベアトリーチェに、アンジェロは愕然とした。

 今までうまくウソをつけていたと思っていたことが、妹と婚約者にはすべて見抜かれたうえで騙されたフリまでしてくれていたということか。

 アンジェロが知らなかった真実に衝撃を受けているのもジョバンニは素通りで、さらに話を続ける。


「それで、ファウスト君にいたっては姉君に嘘をついたことさえないと自負していたのに、嘘というより誤魔化したい何かがある時、瞳孔がちょっぴり硬くなる、とおっしゃっていて。僕には残念ながら理解できかねたんですがね、姉君は助手のこのボクも負けを認めざるをえないファウスト君のいちばんの理解者なので、なるほど、と。

 そこから、多かれ少なかれ、人は嘘をつくとき表層に現れてしまうということに気がつきまして、それをもっと心理学的に統計だてて、脈拍であったり、呼吸であったり、そういうものの数値から真偽の判定はできるようになるのではないかということになりまして、開発の目処がついたと姉君にも報告申し上げたら、ができるのねとお喜びになって、もう名前まで決めていたのかとファウスト君と驚いた次第です」


 ここには居ない、そしてこの先でどうなるかもわからない二人について、ジョバンニが語る思い出話にエンディミオンたちも思わず聞き入って、目に浮かぶようなその出来事に胸が塞いだ。

 もちろん、こんな危険なところにルクレツィアを連れてくるわけにはいかないが、これまでもこれからもずっとそばにいてくれると信じて疑わなかった。

 星の災厄の手がかりを求めて忙しくしている自分たちを励まし、労り、王都を旅立つときは寂しそうに見送って、帰る時には嬉しそうに迎えてくれる。

 柔らかな春の日差しに包まれているような、麗らかな日々。

 …………それがいま、こんなにも遠い。

 どうしてルクレツィアが病に倒れなくてはいけないのか、そうしてファウストがいなくなった原因もそこにあるのだから、どうしてこんなことに、という思いは消えない。


「……ティアちゃんって、不思議ですよね」


 ここには居ない姿を愛おしむように思い出して、セーラは泣きそうな笑顔で言葉を紡いだ。


って、私の世界にもあるんですよ。そのまんまの名前で。

 たまに、私の世界の話も、不思議とすぐに理解してくれて、向こうの世界でもずっとお友だちでいられたら楽しいだろうなって、考えたりして……」

「セーラ様……」


 言葉を重ねるごとに涙声になるのをどうにか飲み込んだセーラの背中を、クラリーチェが優しく撫でさすった。


「────ハイ!それじゃあそんなルクレツィア嬢を救うためにも、ヴィジネーの星は必ず手に入れないといけないんだし、今回の事件含めて、どうにかしないとね!」


 湿っぽくなる空気を無理やりに終わらせたのは、めずらしくもフェリックスだった。

 普段ならシルヴィオあたりが取りまとめるところだが、パチン、と手を叩いて全員の気を引きつけ、ジョバンニに折られた話の腰を元に戻した。


なんてなくてもラガロのおかげで今のところどうにかなってるし、物思いに耽っていてもヴィジネー家の皆さんは見つかりませんよ、殿下?」

「……うん、そうだね。

 フェリックスの言うとおりだ」

「フェリックスにしては、まともなことを言うんだな」


 素直に頷いたエンディミオンの隣りで、シルヴィオは胡乱げにフェリックスを見た。

 いつもなら、相手の心情を慮るように振る舞ってから話を誘導するようにしているくせに、今のは随分と雑な切り替え方だった。

 それが有効なこともあるから、そういう時はシルヴィオが話題を変えるのだが、ルクレツィアやファウストへの気がかりで、ウソ発見器の話題のどこかから全員が心ここにあらずという中、フェリックスに先を越されてしまった。


「オレだってたまには、ね?」


 シルヴィオの皮肉に空笑いで応えたフェリックスに、グラーノが頭を下げた。


「ヴィジネー家のことまで気遣っていただき、感謝申し上げる」


 町にたどり着くまでに、フェリックスたちもグラーノの正体を聞かされていた。

 ルチアーノ以外で、この状況に最も心を痛めていたグラーノが黙ってエンディミオンたちの感傷を見守ってくれていたことに、全員がようやく気付いた。


「グラーノ殿、申し訳ない。話を戻そう。

 シルヴィオ、状況の整理を」


 エンディミオンに促されて、シルヴィオは頷き返した。


「これまでの星の探索とは様子が違うのは確かです。

 ただ単に星の影響で魔物化した近隣の動物を討伐し、落ちてきた星から巫女やヴィジネー家の直系にを選んでもらう、とはいかないでしょう。

 まずは魔物に操られたような鳥の襲撃。明確な意思を持って我々を襲いにきた。

 それからピエタの町での出来事、侯爵家を含めて人が消え、そして残された騎士たちも豹変し、結局は姿を消した。

 どれもあの鷲の魔物の仕業、というには無理がある。

 別な何かが働いている、という気はずっとしているが……」


 それが何かはわからない。

 シルヴィオが飲み込んだ言葉に全員が言いしれぬ不安を感じた中、鳥に襲われた、という言葉に反応したルチアーノがどういうことかとアンジェロを窺った。


「ルチアーノ、一昨日この邸を襲った鳥は、昨晩私たちを襲った鳥と同一のものだろう」

「アンジェロ様たちも鳥に襲われたんですか!?」

「無数の鳥だけではなく、大鷲の魔物が十体以上いたよ。

 そのせいで私たちが連れてくるはずだった騎士たちも大小なりと負傷して、ここへは来られなかった」

「鳥はどうなったんです?また来るんです!?それに鷲の魔物だなんて!!」


 想定していたこととはいえ、またあの鳥の群れと、今度は大鷲の魔物まで来るというのであれば、ルチアーノはすぐにでも逃げ出したい気持ちになった。

 鳥の群れが襲撃してきた夜、外にいた騎士たちだけでなく騎馬もすべて姿を消していたから、逃げるにはこの山を徒歩で降りていくしかなかった。

 けれど、今はエンディミオンたちが乗ってきた馬車の馬がいるし、暗いうちでなければ町を出ても最初に居なくなった騎士たちのように消息を断つということもないかもしれない。

 やっぱりあの時、町の住人とともに逃げ出せばよかったという思いがルチアーノの中にはずっとあるが、消えた侯爵、そして主人の行方も心配で、結局は逃げ出すことはできないのだ。


「大鷲の魔物はラガロがすべて倒したけれど……」

「すべて、ではないな」


 ルチアーノを落ち着かせるため、アンジェロは魔物は倒したと説明したが、淡々としたラガロの訂正に、ルチアーノはキッと壁際に立つ騎士を睨め付けた。


「騎士なら全部倒しなさいよ!」

「俺の前に連れてくれば、すべて倒す」

「ラガロの星だかなんだか知らないけど、取り逃しておいてなんなのその偉そうな態度!?」

「あの場にいた魔物はラガロが倒したんだ。

 だが本体はにいる、と急いで此方へやって来たんだよ」


 ヒステリックな侯爵家の従者と無愛想な伯爵家の騎士の間に立って、王太子であるエンディミオンが仲裁した。

 少し黙っていようか、とアンジェロになだめられ、ルチアーノはきゅっと口を噤んだ。


「ピエタの町は大鷲に襲われて、我々よりも大変な状況に陥っているかと思ったが、それとは別のことが起こっていた。

 こちらでは大鷲の魔物はその姿を見たと言う話だけ、我々を襲った鳥は、ここでは人を襲った様子はない。

 けれど侯爵も騎士たちも姿を消し、残ったのはルチアーノ・キクノスのみ。

 これが何を示すのか、今のところ手がかりはないに等しい、というのが現状ですね」


 シルヴィオが冷静に話をまとめると、重苦しい雰囲気が漂った。

 状況を整理したところで、何が起こっているのかさっぱりわからない、という現実が突きつけられただけだった。

 ヴィジネーの星にかける希望が彼らの唯一の救いだという状況を踏まえても、という新たなタスクを処理するには、あまりにも困難な事象が重なっているように思える。

 シルヴィオの言うが、例えば誰かの意思だとして、で、それを解き明かす糸口すら見つかっていないのだ。


「ひとつひとつ、解決するしか、ありませんわよね……」


 重い沈黙が続く中、ぽつりと、ベアトリーチェが言葉をこぼした。

 沢山の問題が重なっているとはいえ、目的は変わらない。

 星を得てルクレツィアを救うこと、また星の災厄を阻止すること、このどちらも譲ることはできないのだから、そのためには確実に一歩一歩、問題を解いて前に進むしかない。


「リチェの言うとおりだね。

 それにしても情報が足りないのだけれど……」

「ふむ。

 ひとつひとつを、と切り分けることにはボクも賛成ですね」


 アンジェロが同意しながらも、問題を解くすらないと溜め息を落としたところで、ジョバンニがふと真面目な顔になった。

 いつものトップハットにゴーグル、鼻の上には丸眼鏡という独特なスタイルは昔から変わらないが、自分の好奇心を最優先する糸目の奥は、誰よりも理知的に事態の経緯を捉えていた。


「ジョバンニ、どういうこと?」


 エンディミオンが首を傾げると、ジョバンニはすっと立ち上がった。


「まずは侯爵家の失踪。

 こちらがいちばん手がかりを見つけやすいのではないですかね?」

「昨日の昼間にルチアーノたちが探し回っても、どこにも見つけられなかったのでは?」


 クラリーチェの疑問に、ジョバンニの視線はグラーノに向かった。


「国の騎士や侯爵家に仕える者より、ここを熟知している方がいる。

 そして、鳥の襲撃のあった夜に一度に起こったことのため、ひとつの問題と捉えられても仕方のないことではありますが、侯爵とご子息がのと、騎士たちがのは、別の事象ではないかと思います」


 ジョバンニの考察に、グラーノの目が見開かれた。


「ルチアーノ殿、二人は寝室から出ていないと、そう仰ったか」


 唯一グラーノの正体を知らないルチアーノは、小姓に変装している聖国の代表の顔を知らない。

 年端もいかない子共に丁寧に尋ねられて怪訝そうにしたが、アンジェロの視線に促されて慌てて頷いた。


「邸の中で起きたことと、邸の外、の向こうで起きたことは、別のことですよ」


 ジョバンニが確信めいた断言をするのには、訳がある。


「この邸の設計図が我が父のコレクションにあったんですがね、ずいぶん面白い造りをしているなと思ったのを覚えております」


 もちろん千年前に建てられた聖堂の設計図がそのまま残っていたわけではなく、カンクロ伯爵が趣味と実益を兼ねて勝手に自作した設計図だったが、それはジョバンニの知るところではない。


「ヴィジネー家と教会の建造物には類似点が多く、この邸と『ピエタ聖堂』がその最たるものですね。

 厳密に秘されておりますが、二つを繋ぐ隠し通路が存在している」


 ジョバンニの指摘を最後まで聞くことなく、グラーノは駆け出していた。

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