ラガロはずっと警戒していた。

 日が暮れる頃から首筋がピリピリとしていやに頭が冴え、夜が更けるにつれどんどん感覚が鋭くなるのを感じていた。

 そんな状態で休めるはずもなく、宿営地の周囲を見回っては、月のない夜空を見上げていた。


 ……はじめは、小さな椋鳥のようだった。

 ピエタ聖堂の方角から飛来して、小さな黒い影がじわじわと集まってきた。

 寝床がこの周辺にあるのかと思ったが、様子がおかしい。

 無数の鳥がいるのに鳴き声ひとつ上げず、そのうち鴉や梟の姿も混じりはじめた。

 護衛の騎士たちが異常に気が付いた時には、いつの間にか宿営地は夥しい数の鳥に囲まれてしまっていた。

 不気味なほど静かに集まってきた鳥たちに警戒を強め、夜のいちばん深い時間にかかろうかという頃、「ラガロの星」が警鐘を鳴らした。

 夜気をつんざく耳鳴りのような高音が聞こえた気がしたが、ラガロ以外には聞こえていないようだった。

 ラガロが守らなければならないのはエンディミオン、そして巫女だ。

 咄嗟に走り出したラガロがそれぞれの天幕をまわって危険を知らせるのと同時に、大型の魔物が現れた。

 熊や牛といった大きさの獣さえ獲物にする大鷲のような魔物が十体以上、宿営地の真上から一気に突っ込んできた。

 魔物が狙ったのは、騎士たちの乗ってきた馬だった。

 大きな羽がカマイタチを起こして次々に天幕を切り裂き、その凶悪な鉤爪で騎馬を掴むと、繋いでいた木ごと略奪しようと上空に引き上げ、地上で攻撃の機会を窺っている騎士たちに向けて投げ落とす。

 大きな馬の体が雨のように降り、途端に宿営地は修羅場と化した。


 エンディミオンの天幕ではグラーノとシルヴィオがまだ話し込んでいて、アンジェロたちは異変に気が付いて様子を見に出てきたところだった。巫女の天幕にはクラリーチェとベアトリーチェがともに休んでいたから、ラガロは全員をすぐに一所に集めて周りをトーロ家の騎士に囲ませた。

 鳥の魔物は風属性を持っているようだが、本来なら風に弱い地属性でもトーロ家の騎士は別だ。

 守りに特化したトーロ家は、同族同士で人壁の陣を描くことで、その周囲の防御力を格段に向上させることができる。

 王族の守護という点で、彼らほど近衛に適している者はいない。

 そして攻手はラガロ、風属性に強い火属性である。

 トーロ家の守りの外でひとり、魔物と対峙する。

 護衛に引き連れてきた騎士たちは、馬の下敷きにされるのを逃れた者でも、宿営地を取り囲んでいた無数の鳥たちに一斉に襲いかかられ、対応に苦慮しているようだった。

 あらかた馬を狩り尽くした大鷲は宿営地の上を羽ばたき、その翼から嵐のような突風を引き起こしていた。

 立っていられないほどの風力の中、ラガロは自らの剣に炎を纏わせて走り出すと、エンディミオンや巫女の天幕から魔物を引き離すように大鷲を挑発した。

 大鷲はすぐにラガロを邪魔な敵と認識したのか、その鋭利な嘴で突こうと代わる代わる突進してくる。

 それらをいなし、焼き払いながら、ラガロには危なげがなかった。

 一人で十体以上を相手取りながら、確実に潰していく。

 そして最後に残った一際大きな鷲が夜空を割くような啼き声を発すると、ラガロと大鷲は一気に間合いを詰め、次の瞬間には大鷲は消し炭となって自らの残した風に散っていった。



「…………すっご」



 最後の一撃は、結構な高さまで跳んでいたような気がする。

 そこから体勢を崩すことなく難なく着地を決めたラガロをぽかんと見ながら、巫女の口から素直な感想が漏れた。

 強いのだろうとは思っていた。

 なんだかそんな雰囲気だけは漂わせていたし、ちょっとした合間に剣を振ったり筋トレをしていたり、ストイックに鍛錬しています、という姿勢はいやでも目についていた。

 けれどこれまで、こんなに圧倒的な戦い方を見せたことがなかったものだから、どこまで強いのかは知らなかった。

 よくわからなかったけれど、馬を捕まえられるような大きさの魔物はほとんどラガロ一人で倒していた。

 魔物を倒してもニコリともせず、相変わらずの仏頂面のまま戻ってきたが、さすがにこの時ばかりはその頼もしさに彼の評価を変えざるを得なかった。

 少し引いていたのが、もうちょっとすごい人なのかもしれない、と思うくらいではあるけれど。



 いちばん大きな魔物が消えると、集まってきていた鳥たちは三々五々に散っていき、辺りには束の間静寂が戻ってきた。

 すぐに周囲の保全に走る声、それから怪我人の救護をはじめる者とで慌ただしくなったが、幸いなことにエンディミオンたちには傷ひとつない。

 トーロ家の守りのおかげか、ラガロが気を利かせて距離をとったからか、それとも、魔物の

 ほとんどなぎ倒されて切り裂かれた天幕の中、エンディミオンたちのいる一帯だけは不自然なほどに無傷だった。

 被害が大きいのは騎士たちやその馬で、観光馬車用の馬だけが、怯えているだけで五体満足だった。


「…………気持ちの悪いほど、何かに妨害されているような気がするな」

 

 巫女とベアトリーチェにアンジェロを付き添わせて天幕に戻らせた後、ラガロから被害状況の報告を受けたエンディミオンは大きく溜息をついた。

 山の中とはいえ、王都に程近い観光地への道行で魔物が現れるのは異常だ。

 魔物はダンジョンから生まれるが、王都から遠く離れた場所にあるのがほとんどで、すべて国で管理され騎士団の監視下にある。

 それぞれ徹底して守りを固めているため、そこから抜け出せる魔物はいないと言っていい。

 もちろん、現れた大鷲の魔物は星の影響を受けて生まれたのだろう。

 けれど、これまでも星を得るために魔物と対峙してきたが、星の降る場所の側から離れ、わざわざ向こうからこちらに出向いて襲ってきたのははじめてだ。


「襲ってきたのは王国のどこにでもいるような野鳥と、それから王都以北にしか生息しない大鷲が魔物化したのだと思いますが、ピエタ聖堂から峠をひとつ越えて、こちらを狙ってきたのは間違いないでしょう」


 星の力に触れて魔物になった大鷲だけではなく、大鷲に操られるように小さな鳥たちまでも群れをなしてこちらに害を為してきた。

 その統率された動き方に、意図を感じずにはいられない。

 シルヴィオも緊張に顔を青褪めさせて、ラガロに焼き尽くされた魔物の残骸を見やった。


「魔物は、これですべてではない」


 剣を納めたラガロは、首筋を撫でながら危険がすべて去ったわけではないのを感じていた。

 いつもなら新月の前日に、または直前に現れた魔物を片付ければそれで終わりのはずだったが、おそらくピエタ聖堂の周囲には本体がいる。

 先に到着しているはずのヴィジネー侯爵家の一行からは何の連絡もないが、いったいどうなっているのか。


「魔物が出るのはわかっていたのに……少し侮りすぎたな」


 これまでが大した脅威にならなかったため、認識が甘かったのは否めない。

 侯爵家にも魔物については事前に警戒するよう伝えているが、どれほどの備えがあったのか、エンディミオンは憂顔のグラーノを窺った。


「先を急ぎたいところですが、怪我人が多うございますな……」


 護衛の騎士隊にはヴィジネー一門の回復役がもちろん参加しているが、被害に対して充分な能力とは言えそうもなかった。

 グラーノは内心忸怩たる思いだったが、今ここで治癒の力を使っては、ルクレツィアのためのスピカの力にどう影響するかわからない。

 葛藤を抱えながら、本来の目的のために見て見ぬふりをすることしかできず、さらに先にピエタ聖堂に向かったはずの侯爵家の面々は無事なのかが気がかりで、取り乱さないようにするのが精一杯だ。


「狙いは、足止めでしょうか」


 クラリーチェはぐるりと周囲を見渡したが、何が狙われたのかは一目瞭然だった。


「馬がなくては、怪我人を連れて明後日の日暮れに間に合うかどうか……」


 騎馬はほとんど全滅で、怪我人を運ぶにも足りない有様だ。

 だが、エンディミオンたちの乗る馬車だけは無事だ。

 怪我をした騎士たちを捨て置き、エンディミオンたちだけで「ピエタ聖堂」に向かうしかない。

 非情だが、結論はすぐに出た。


「俺の馬だけは残っている。

 先に行って様子を見てくることもできるが」


 レオナルドが選んだリオーネ家の次期当主が乗る馬だけは、他の騎馬とは格が違った。

 鷲に狙われても逃げ果せ、戦闘が終わると無事にラガロのもとに戻ってきていた。


「騎士たちが誰も付いて来られない以上、ラガロには殿下と巫女の護りを固めてもらう」


 当然、目的地に魔物が潜んでいると考えられる以上偵察は必要だが、最大戦力のラガロを行かせるわけにもいかず、かといって代わりに動かせそうな人材もない。

 シルヴィオは苦渋の判断を強いられるが、これも何かの思惑どおりにさせられているだけなのではないかという懸念は払拭できない。


「ジョバンニ、ヴィジネー侯爵と連絡はとれるか?」

「通信機はお持ちいただいたんですけど、ぜんぜん繋がらないですねぇ」


 今回の星の収得には、ヴィジネー家の嫡男だけでなく侯爵も同行している。

 侯爵家当主として、グラーノの、ドナテッロ・ヴィジネーの結末を見届けるためだったが、ジョバンニがいくら交信を試みても、あちらの魔石と繋がる魔法の軌跡がパタリと途切れているのを感じるだけだ。


「うーん、壊れたか、壊されたか……」


 そう簡単に壊れるものを作ったりしないが、実際問題として連絡手段は断たれてしまっている。


「安否だけでも知りたいが……さすがに峠向こうの探索を今のフェリックスにさせられない」


 このひと月、ファウストを探すための過酷なまでの試行で、フェリックスの探索魔法はかなり広範囲にまで及ぶようになっていた。

 山ひとつ離れた場所でも対象の生存反応くらいなら探れるが、この二日休めるだけ休ませたところで移動しながらではどこまで回復しているものか、エンディミオンは首を振って、名乗り出す前のフェリックスに釘を刺した。


「グラーノ殿、できるだけ早く目的地に着けるよう努力はするが、それでいいか?」

「殿下のそのお気持ちだけで充分でございます」


 顔色が悪いながらも、グラーノは慇懃に頷いた。

 何があったとして、ヴィジネー侯爵家は何も知らされずに危険な場所に赴いたわけではない。

 星探索のため、「ピエタ聖堂」近郊は五日前から関係者以外の立ち入りを禁止していたし、侯爵家の私兵、それから国の騎士隊も付けられていた。

 通信機は何かの弾みで壊れてしまったのかもしれないが、ただ無防備に魔物の巣に飛び込んだわけではないはずだ。


「ひとまず、王城経由で最寄りの町から救護の応援は来る手筈になっている。

 私たちは夜明けとともにここを発つ。

 皆はそれまで体を休めていてほしい」


 フェリックスをはじめ、全員がこのひと月走り通して疲労し切っているのを知っている。

 そこへ魔物の襲撃が重なり、それもただ襲撃されたわけではない現状に、身も心も負担がかかっているだろうとエンディミオンは気遣った。


 言い置いてエンディミオンが背後を振り返ると、惨憺たる有り様の天幕の横に、騎馬の死骸、重傷の騎士たちが並べられている。

 死者は今のところ出ていない。

 夜が明ければ、適切な治療も受けられるだろう。

 それまで持ち堪えてもらうために、エンディミオンはできることをしなければならない。

 置いていくにしても、せめて王太子たる自分は最後まで責任を果たすつもりだった。





 結局休んだのは幼い体のグラーノと満身創痍のフェリックスで、シルヴィオ、ラガロ、ジョバンニ、クラリーチェはエンディミオンの気遣いに反して最後まで付き合った。

 エンディミオンの考えそうなことは、全員が心得ている。

 休めていないのは殿下も一緒ですよ、とジョバンニが隈だらけの目を細めて笑って、全員が頷き返した。


 東の空が白みはじめ、騎士たちに見送られながら、エンディミオンたちの馬車は走り出した。

 あとは「ピエタ聖堂」までたどり着くだけ、観光のために育てられた馬には負担だろうが残りの距離を走り抜ける速度で鞭を入れ、太陽が山の上に輝く頃、一行は「ピエタ聖堂」の見えるところまでやってきた。

 観光用に整えられた山間の村落には、宿屋や商店が軒を連ね町が作られていた。

 ヴィジネー家の別荘も、「ピエタ聖堂」の美しい姿を見渡せる場所に建てられている。


 だが、今は通りに人が一人もいない。

 人の気配そのものがない。

 何があってもいいように、住人は新月までの三日だけ峠をひとつ越えた隣りの村落に避難させられている。

 いるのはヴィジネー侯爵家とその私兵、護衛の騎士隊のはずだが、それも気配がなく、エンディミオンたちを迎える様子がない。

 予定では、今日合流して、夜になって魔物が現れれば退治する。

 だいたいが新月の前夜になると見込まれていたから、それまでに先遣隊のヴィジネー家と騎士隊で動向を把握しておくはずだった。


 キラキラと、「ピエタ聖堂」のステンドグラスが陽光を反射している姿だけが荘厳で、それ以外が不気味なほど静かだ。

 魔物に襲われた形跡もなく、ただ無人の町が広がっている。

 一度立ち止まったエンディミオンたちの馬車は、そのまま車輪の音だけを響かせ、招かれるでもなく、粛々とヴィジネー家の別荘へ向かっていった。



 ヴィジネー家の別荘は、木立ちの間を登る坂道の上にあった。

 街の入り口で、「ピエタ聖堂」に真っ直ぐに向かう参道から二股に分かれた先、街の全体を見渡せるよう山肌に添って建てられた邸は、白亜の壁に緑の蔦が文様を描く優美な建物だった。

 この街が開かれる前、「ピエタ聖堂」が今の姿になった頃に建てられたという。

 絢爛さはないものの、千年経ってもなお汚れなく真っさらな威容は、公に語り継がれているエレットラ・ヴィジネーの高潔さを表しているようでもあった。


 夏の日差しだけが、「ピエタ聖堂」の町を鮮やかにしていた。

 王都から北西にあるヴィジネー領の夏はカラッとして、吹き抜ける風は清涼だ。

 何もなければ、過ごしやすく快適な旅空だったのかもしれない。

 蒼穹に映える白亜の城は、虫の音ひとつ響かせず、エンディミオンたちを待ち受けていた。

 あまりにも静かで、馬車の車輪の音すら空に吸い込まれて消えていくようだった。

 萎縮したように馬の足並みはゆるやかになっていき、やがて馬車は止まった。


「本当に、誰も出てこないな」


 窺うように顔を出したシルヴィオを、先導していたラガロが馬上から制止した。


「待て。……誰かいる」


 警戒を解かず、馬首をめぐらすと、誰もいないのではと思うほどの静寂を引き千切るように、邸の玄関をゆっくり開く音が響いた。

 こちらに気付かれないよう様子だけ見ようとした結果、思いのほか扉が軋んだ音をたてたようで、開いた隙間から慌てふためく人影が覗いていた。


「そこにいるのは何者だ!」


 ラガロの鋭い誰何の声に、怯えた様子の人物が扉の隙間から顔を覗かせた。


「…………王太子殿下の、御一行、かしら?」


 消え入りそうな声は、今にも泣き出しそうだ。


「ラガロ、待って。顔見知りだ」


 その声に覚えがあって、アンジェロが馬車から降りた。


「…………あ、あ、アンジェロ様~~!!」


 本当に泣き出した声の持ち主は、よく知る公爵家の美しい嫡男の姿が見えると同時に邸の外にまろび出てきた。


「ルチアーノ、落ち着いて。一体何があったんだい?」


 泣き顔のまま抱きつかれそうなのはやんわり押し留め、アンジェロは、自分よりも年上の、ヴィジネー家嫡男の従者・ルチアーノを迎えた。


「ルチアーノ?キクノス家のルチアーノか?」


 ただ事ではない様子にエンディミオンも馬車から顔を出すと、ルチアーノはその姿に感極まったように別の意味でまた泣き出した。


「お、お、王太子殿下……っっお待ちしておりました!お待ちしておりましたあああ!!」


 滂沱の涙を流すルチアーノに、エンディミオンは少し困惑した。


「本当にルチアーノなのか……?」


 エンディミオンの記憶にあるルチアーノ・キクノスは、カプリコノ家とも縁続きのキクノス伯爵家ので、幼少期に王城で顔を合わせたそれっきりだが、彼は、いや、彼女は、だったのか……?


 どこからどう見ても女性と見紛うような面立ちは、涙のせいか目元が黒く滲んでいる。

 女性用の化粧をしているのだろうとはわかった。

 しかし細身の体を包む白いフリルブラウスにタイトな黒のパンツ、細いヒールのブーツを着こなす立ち姿は、女性騎士のクラリーチェと近しくそれ以上の艶かしさだ。

 ゆるく結いあげた金髪と、うなじのあたりで後毛が遊んでいるのも、そんな印象に拍車をかけた。


 素直に顔に混乱を浮かべたエンディミオンに、アンジェロはひとまず場所を変えることを提案した。


「ルチアーノ、邸の中は安全なのかい?

 そちらの事情を説明してもらうのと、殿下にも休んでいただく必要があるのだけれど……」

「っ、そうね、そうだったわね、……邸の中は、たぶん、安全。明るいうちは、たぶん……」


 自信のなさそうな語気で、ソワソワと落ち着かない様子で辺りを伺いながら、ルチアーノはエンディミオンたちを邸の中に招き入れた。



 邸の中もしんと静まり返り、エンディミオンたちを迎える人の姿はルチアーノ以外にない。

 ラガロとジョバンニに馬を任せている間、ルチアーノは王太子一行を邸の応接間に案内した。

 ルチアーノはずっとアンジェロの腕に縋ってぐすぐすと鼻を啜っていて、落ち着くまでは、何があったかを聞き取るのは難しそうだ。


「アンジェロ様、私っ、本当に心細かったんですよ!

 早く来て下さらないかって、もうっ、本っ当に生きた心地がしなくって!」


 さめざめと泣き続けているルチアーノに反対側からベアトリーチェがハンカチを差し出したが、ルチアーノは一瞥もせずにアンジェロにしなだれかかった。


「……クラリーチェさん、あの、コレは、」


 まったく事情を知らないセーラは、こっそりとクラリーチェに説明を求めた。


「あぁ……。巫女様ははじめてにお会いになるのですね」


 そう言うクラリーチェの顔も少し複雑そうだ。


「ルチアーノは、学園では私の級友でもあったのですが、キクノス伯爵家の出身で、今はヴィジネー家に従者として仕えています」

「キクノス家は白鳥公爵の末裔だな」

「白鳥公爵?」

「セーラちゃんは、王城の夏の庭って行ったことある?

 そこに銀色に輝く鳥がいたでしょ。

 それを見つけ出して王家に献上したのが、白鳥公爵」


 シルヴィオとフェリックスも混ざり、ざっと聞かされたキクノス家の由来はこうだ。


 白鳥公爵。

 時のステラフィッサ王の弟からはじまった公爵家の最後の代にして、キクノス伯爵家の祖になる人物は、異常なほどに鳥を愛していた。

 公爵位を継いで早々に王位継承権は放棄し、一生を鳥の研究に捧げた。

 中でも、白鳥デネブの研究に命を賭し、それまでは想像上の生き物と思われていた白鳥デネブを発見し、捕まえて飼い慣らすことに成功した。

 美しい村娘に悪い領主が懸想して、その魔の手から逃れるうちに銀に輝く鳥に姿を変えた乙女の話だったり、敵同士の領主の下に生まれた子息と令嬢が互いに愛し合うようになり、結局引き離されそうになったのを苦に二人で崖から飛び降りたところ、一羽の白銀の鳥になって飛び立っていった、という話だったり、そんなよくあるご当地の昔話に入れ込んで、絶対に光り輝く白鳥は存在すると信じ続け、実際に見つけ出すという執念が白鳥公爵という異名になった。

 その一人娘がカプリコノ家の令息を迎えてキクノス伯爵家を継ぐことになり、公爵の死後、キクノス家は白鳥デネブの管理を一任されている。

 ルチアーノはそのキクノス家の末裔、当代の三男に生まれ、伯爵位を継ぐわけではないが、キクノス家は一家総出で白鳥デネブのお世話に従事しなければならない。

 生まれた時から決められた役目があったが、


「私、鳥ってキライよ」


 学園で出会ったルチアーノは、白鳥公爵のことを聞かれると誰にでもそう言っていた。


「ルチアーノは昔から鳥に好かれないそうで、家の仕事ができない以上、彼はどこかの家に婿に入るか、とにかく身の振り方を考えなければならなかったのですが、昔から、なんと言いますか、その、……風変わりではあったのです」

「それで困ったキクノス家が、縁戚の母上を頼ったんだよ」


 言葉を選んでいるクラリーチェの横からエンディミオンも話に加わり、ルチアーノがヴィジネー家に仕えることになった経緯を補足した。


「キクノス家はカプリコノ家の傍系であると同時に王家の血筋も入っているから、マレに光属性の者が生まれるんだ。ルチアーノもそうなものだから、母上がはりきって、まずはガラッシア家の、アンジェロの従者に推薦した」


 何がなんでも公爵夫人、エレオノーラとの接点を持とうとする王妃ソフィアの押しの強さを思い出して、エンディミオンはちょっとうんざりした。


「けれど公爵に丁重に断られ、諦めきれなかった母上の働きかけで結局ヴィジネー家に従者として雇われたわけなんだけれど」

「侯爵家の大事な跡取りに、王妃陛下のせいで変わり種の従者が……」


 一体ピエタの町で何があったのかと気が急いていたグラーノだが、伊達に歳はとっておらず弁えて自制していたところ、王都では顔を合わせることがなかった曾孫の従者の人柄に衝撃を覚えていた。

 グラーノとスピカの正体を知らせるのは最小限、息子と孫の侯爵・イヴァーノ、そして侯爵家を継ぐ嫡男・ジャンルカまでとヴィジネー家の直系三代に限ったため、いくら従者でも話し合いの場には同席させられなかったのだ。

 エンディミオンも、鳥がキライだと夏の庭でも不機嫌そうにしていた少年が、ヴィジネー家に入ってなっているとは思いもよらず、どうして、という困惑に満ちた語尾で話を途切れさせてしまった。

 答えをくれたのはフェリックスとクラリーチェだ。


「従者選抜の時にアンジェロに一目惚れしてから、アンジェロの隣りに立つのに相応しくなろうって努力がぜんぶに全振りしたみたいなんだよね」

「その時にはもうアンジェロ様とベアトリーチェ様はご婚約されておりましたから、ルチアーノはベアトリーチェ様のことを憎らしい恋敵だと思っているようです」


 学園時代、クラリーチェとルチアーノが四年次の頃、一年次に進級してきたベアトリーチェを目の敵にしていたのを、フェリックスを追いかけていたクラリーチェは懐かしく思い出した。

 その頃のルチアーノはすでに誰よりも美に貪欲で、学園のご令嬢たちから美容のカリスマとして崇められていた。


「たしかにアンジェロさんとベアトリーチェさんの間に割り込むには、あれくらいのメンタルじゃないとムリそう……」


 いつもベアトリーチェ最優先で、少しの隙も見せずに自分に群がる令嬢たちを穏やかな微笑みひとつで遠ざけていたアンジェロだが、今は感情の読めない薄い笑みを顔に貼り付けたままルチアーノの好きにさせている。

 ベアトリーチェは困った顔で、まるで意地悪な小姑にいじめられているような様子だが、不思議で不憫な状況に首を傾げたセーラに、フェリックスは「心配ないよ」と軽く笑った。


「今アンジェロとベアトリーチェ嬢はね、自分たちを犠牲にしていちばん早くルチアーノをなだめる方法をとってるんだよ」

「ベアトリーチェさんは、ルチアーノさんにいびられている、と……?」


 なるほどよくわからない。

 これが異世界のお貴族様の処世術なのだろうか。

 それをなんの打ち合わせもなく自然な流れで請け負っているアンジェロとベアトリーチェになんとなく感心しつつ、これがいつまで続くのかとセーラがそわそわし出したところ、応接間にラガロとジョバンニが戻ってきた。


「邸のどこにも、居なかった」

「見てください!こんなふうに通信機が無惨な姿に……!!ボクとファウスト君で作った大事な我が子が!!!!」


 厩舎に行くついでに邸を見回ってきたらしいラガロが、開口いちばんにエンディミオンに告げた。

 ついでに通信機我が子の無事が気がかりだったジョバンニが、打ち捨てられていた通信機を探し当てたようだ。


「誰一人……?」


 ラガロの言葉に反応したのはグラーノだ。

 

 ここには、イヴァーノ曾孫ジャンルカ、そして彼等に付き従ったヴィジネー家の私兵、国から騎士団も派遣されて来ていたはず。

 それが一人も?

 従者一人だけを残して、儂の家族はどこへ行った────?


 全員の目線が、事情を知るはずのルチアーノに集まった。


「やめて、そんな目で見ないで!

 アナタの目って猛禽類みたいでイヤだわ!」


 疑うようなラガロの目に睨まれ、ルチアーノは悲鳴を上げた。


「アンジェロ様、それから王太子殿下、説明しますから、その男を私に近づけないでくださいねっ」


 鳥そのものだけでなく、鳥を感じさせるものもキライなのか、筋金入りのキクノス家の異端児は、エンディミオンに言われてラガロが部屋の壁際にまで十分下がったのを見届けてから、居住まいを正してこれまでのことを話し出した。





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