一章

 わたくしが前世の記憶を思い出しはじめたのは、五歳の頃。

 見たこともない部屋や調度、景色の中、おもに黒い髪のぼんやりとした顔の人々が生活していて、わたくしもその一人として暮らしている夢を見ました。

 侍女や母に不思議な夢を見たと話したのはそのはじめの一度きり。

 次の日にも同じような夢を見て目が覚めたとき、これは誰にも話してはいけないことだとおぼろげに認識しておりました。

 それから毎日同じような夢を見続け、異世界、という言葉を思い出したのは五日目。

 見ている夢は自分の前世で、わたくしは異世界に転生したのだとわかったのは一週間過ぎたころでしょうか、だいたい三十路前後の記憶がそのすべてでした。

 そのほとんどが色のない単調な日々の繰り返しで、親の顔や生い立ちはおろか、自分の名前や最期のことは思い出せないのに、友だちも恋人もいなかったであろうこと、前世のわたくしが重度のオタクで、いわゆる乙女ゲームをプレイしたり転生や転移系の異世界が舞台の小説を読んだりするのが大好きだったということだけはわかりました。

 これまで公爵家の愛娘として蝶よ花よと育てられてきたたった五歳の幼女に殺伐とした三十路女の記憶がインした結果、どうなったと思います?

 まだ出来あがっていなかったルクレツィアの本来の自我はどんどん薄れ、淑女教育をされ、異世界の大人だった記憶だけを持つ世にも奇妙な人格だけが取り残されてしまいましたの。

 そうしてわたくしがしなければならなかったのは、まずは五歳の幼女のフリ!

 愛らしく天真爛漫な公爵家の天使として、みなさまを潤さなくてはならないのが最初のミッション。

 少しでもおかしな素振りをして、気持ち悪がられては先が思いやられてしまいますもの。

 

 わたくしはこの世界ゲームを、平穏無事に生き抜かなければならないのです!


 異世界、そして由緒ある公爵家のご令嬢に転生したとなれば、わたくしの立場は自ずと知れるもの。


(これは、悪役令嬢に転生、ということですわね……!)


 そうテンションが上がったのも一瞬のこと、あいにく、そこだけは鮮明に思い出したはずの前世の記憶で、あれだけたくさんプレイしたゲームにも、読み漁った小説にも、ルクレツィアというキャラクターにまったく覚えがないのです。なぜ。

 まさかのモブというには、ルクレツィアはスペックが高すぎてそんなはずありえません。

 いくら鏡を見ても可愛らしい顔立ちは悪役令嬢というよりは天使のようで、似たような他のゲームや物語のキャラクターのことはいくらでも思い出せるのに、このキャラクターにも、そして世界観にも思い当たらないのです。

 こっそり公爵家の蔵書からこの世界の地図や歴史、お伽噺、伝承や伝説の類いまで調べても、記憶の隅にも引っかかるところが何もありませんでした。なぜなんですの。


(悪役令嬢に転生といえば、断罪されて婚約破棄から破滅フラグのはずなのに、これではどんな破滅フラグかさっぱりわからない……!)


 来たる破滅の時を回避するべく対策を立てようにも、どんな破滅がやってくるかがわからないからいったい何をしたらいいのかもわからないのです。

 もしかしてこの世界観だけ思い出せていないのかもしれないと、ありとあらゆるきっかけを模索してみました。

 兄のアンジェロは、天使の兄なので彼もまた天使のような顔立ちだからきっと攻略キャラクターなのでしょうけど、まったく琴線に触れません。

 まあでもまだ少年だからと思い直し、彼が友人として王城に召喚されるようになった、わたくしと同じ年に生まれた第一王子のエンディミオン殿下のお話も聞いてはみましたけれど、そのお名前で思い出せるのはギリシア神話の美青年、もしくはタキシードと仮面で、学生服を着た美少女戦士のピンチを救っていた大学生の前世だったなというそれだけ。

 こんなにインパクトがある名前の攻略キャラクターがいたら絶対忘れないのに、ピンとも来ません。

  わたくしの前世の記憶が、乙女ゲームどころか一八禁ゲームもBLゲームも含めて、やったことがないゲームはほとんどないと言っても過言ではないと自負しておりますのに、まったく思い出すところがありません!

 そう、そうなのです。

 可能性として、一八禁やBLだって候補のひとつなのです。

 この世界観がどんなシナリオかわからないかぎり、その可能性だってないとは言えません。

 こうなってしまえば、前世の記憶の知識という知識を総動員してパターンをしぼり、どうにか断罪からの破滅の道へ踏み込まないように立居振る舞いに気をつけていくしかありません。

 もしかしたら何かの拍子で思い出すかもしれませんし。

 その時になって、あの時こうしていればなんてタラレバな後悔をしないように、ひとつひとつ、細心の注意を払う必要があるのですわ。


 では早速、チャートその①。

 これが肝心なのですけれど、ここは乙女ゲームの世界なのかBLゲームの世界なのか。

 この判断を間違うとあとあとだいぶ事情が変わってしまいますから、大前提で間違うわけには参りません。

 ですがこれについては、漠然とはですけれど確信もあります。

 おそらくここは乙女ゲームの世界です。

 というのも、この世界にはあまり、同性同士の恋愛という概念が浸透していないのです。

 もしかしたら人知れず育まれている関係もどこかにあるのかもしれませんが、少なくともわたくしの周囲にはあのBLゲーム特有のご都合的な風潮はまったく見受けられず、余程シビアなシナリオでもないかぎり、この世界でボーイズ達が愛を育むのは難しそうです。

 ましてひとりの少年を巡って高位貴族が取り合いなどしようものなら空前の大スキャンダルになりますわ。

 たかだか五歳の公爵令嬢にそんなこと知り得ないだろうとお思いになられるかもしれませんが、侮られては困ります。

 子供には聞かせられないだろうメイドや侍女のヒソヒソ話を盗み聞いたり、我が家で開催される私的なお茶会にマスコットのように座ってよくわからないという顔でお菓子を頬張ったりしながら、しっかりその話題にのぼる噂話をチェックしておりました。

 我が家の私的なお茶会といえど、筆頭公爵家のお茶会です。

 幅広い交友関係からお客さまは招かれますが、皆さま身元の保証された方々ばかり、もたらされるお話の精密性は他家の追随を許しません。

 噂話は流行のファッションの話からどこそこのお家の懐事情まで、あらゆるジャンルを網羅しており、その中に男性同士のスキャンダルはなく、それを楽しもうという気配もなく、むしろ何某侯爵家のご嫡男が素敵ね、いえ第一騎士団の誰それ様がステキ!とかそういうお話が多いような。

 そこにかけ算を持ち込むような方はおひとりもいらっしゃらず、憧れの異性に心ときめかすキラキラとした空気は、ここは乙女ゲームの世界なのだと結論付けるには充分な説得力を持っておりました。


 チャートその②。

 この世界が乙女ゲームの世界として、その方向性は?


 A、正統派のファンタジー系乙女ゲーム。

 B、攻略キャラがヤンデレ設定のダーク系乙女ゲーム。

 C、五歳幼女はご遠慮くださいの一八禁乙女ゲーム。


 これはかなり難易度の高いチャートです。

 今ある情報で判断するのは無理。

 けれど、この三パターンで、最終的な破滅フラグもだいぶ差が出る気がいたします。

 パターンAなら婚約破棄からのよくて没落、国外追放、シナリオによっては最悪処刑されるか雑な死亡フラグ。

 パターンB、婚約破棄どころかまず間違いなく殺されます。惨殺です。わたくしが闇オチしてヒロインを刺すパターンだってあり得ますが、その後に待つのは結局目を覆うような最期のはず。

 パターンC、これもゲームの方向性がハッピーかグロかにもよりますが、断罪後によくて娼館送り、ひどければたくさんのモブに死にたくなるような酷い目に合わされます。


(BとCはもちろん論外ですけれど、Aにしたって死にたくはありません。よくて没落とはいえ、こんなに由緒ある生家に泥を塗るようなことも偲びありませんし、これはなんとしても断罪回避ですわ!)


 と勢いこんでみましたが、攻略キャラもわからないのですから、その傾向もつかみようがなく。

 そもそもわたくし、まだ五歳です。特殊な性癖の方向けのマニアックなゲームだったなんていうことがない限り、攻略キャラも同じ年頃のはず。

 それぞれのシナリオの肝となるべく出来事は起こりはじめているかもしれませんが、対象も内容もわからないのでは止めることはできません。

 病んだりトラウマを抱えたりすることがなければいいですが、見ず知らずの方、どうぞお気持ちを強く持って……。

 祈るしかないので、それっぽい人物に出会ったら言動に注意して、少しでも危険な兆候があれば見逃さないようにしないと……。

 チャートその②の結論は、先送りとするしかありませんわね。


 続きまして、チャート②を見定めるためのチャート③へ。

 これから出会う危険人物、もとい登場人物について考えてみましょう。

 まずは悪役令嬢から見れば敵役ともいえるヒロイン。

 これもパターンがいくつか考えられます。

 

 A、庶民または下級貴族からのシンデレラストーリーパターン。

 a)稀有な力を持った庶民が貴族たちの学校へ入学して奮闘した結果、攻略キャラと心通わせて、とか。

 b)貴族の庶子が母親の死をきっかけに突然の社交デビュー、貴族学校に通わせられて、陰湿ないじめに健気に耐えながら、親しくなった攻略キャラに助けられて恋に落ちる、とか。

 c)貧乏貴族の娘が王子と知らずに無礼を働き、「え!!あんたって王子だったの?!」からの「おもしれー女」と言われて気に入られてしまう、とか。


 お話として読むぶんには楽しいエンターテイメントですが、当て馬として当事者になったらどれもたまったものではありません。


 B、世界を救う特別な力を持った聖女パターン。

 a)シナリオ冒頭から選ばれた存在として育成ゲームからの、攻略キャラと世界の危機に立ち向かうパターン。

 b)ヒロインがイベントを経て覚醒し、攻略キャラの絶体絶命のピンチを救って聖女として認められるパターン。

 これはAのa)の派生も考えられます。

 c)異世界召喚!


 a)とc)は、ある日突然特別な女の子が攻略キャラたちの鬱屈とした日常に現れて、恋と冒険がはじまるという点で、乙女ゲームの導入としてわたくしは大好きでしたわ。

 ですけれど、これも当て馬として当事者になったとしたら、突然現れた女に日常と将来をめちゃくちゃにされ、お終いには破滅させられるのですから最悪です。

 そもそもこういう存在に選ばれるのは大抵高位貴族ではありませんもの、Bも実質Aのシンデレラストーリーになりますわね。

 そして大概、転生悪役令嬢の婚約者が攻略対象のストーリー展開なのです。

 わたくしが当て馬役なことは決定事項。


(断然、破滅回避を目指して頑張らなければ!)


 そのためにもヒロインの傾向を絞らなくては。

 これは、公爵家の本で調べた結果が役に立ちましたわ。

 ステラフィッサ王国、そしてこの世界には、魔王や魔族と呼ばれる存在はおりません。

 いわゆるダンジョンのようなものが世界中にあり、そこから魔物が出てくるそうですが、冒険者ギルドや各国の軍隊で対応できているようです。

 世界の敵を倒すとか、聖女様に浄化をお願いします!というような冒険譚にするには少々弱く感じますわね。


 代わりに、五人の巫女の伝承がありました。

 世界の危機に現れる救世主のような存在で、

 天の巫女

 地の巫女

 火の巫女

 海の巫女

 星の巫女

 とそれぞれ呼ばれております。


 いよいよ乙女ゲームっぽさが出て参りましたわね!


 そもそもこれは子供向けにかなり簡略化した呼び名で、

 天占あめうらないの巫女

 地綱ちつなぎの巫女

 炎鎮ほむらしずめの巫女

 海凪うみなぎの巫女

 星護ほしまもりの巫女

 というのが正式な呼称で、それぞれにまつわる災厄が起こるとき、聖なる巫女が神より遣わされて、わたくしたちを救ってくださる、というのが古くからある言い伝えでございます。


 ヒロインのパターンはB、聖女ではありませんでしたけれど、特別な力を持った聖なる巫女です。これは間違いがありません。

 この巫女がどこから現れるのか、この世界の住人が覚醒したのか異世界から召喚されたのかの詳細については、残念ながら我が公爵家の蔵書には書かれておりませんでした。

 けれど少なからずこのガラッシア公爵家、そしてステラフィッサ王国そのものに所縁がある存在です。

 まずこのステラフィッサ王国の成り立ちに、深く巫女が関わっております。

 ステラフィッサの建国の王、バルダッサーレ一世が迎えた妻その人こそが、当時の救世の巫女で、国名にステラの文字が入っていることからもわかるように、星護りの巫女様でございます。

 星護りの巫女様について文献に残っているのは、ステラフィッサの建国の折、およそ一千年前の一度きり。

 歴史というよりは伝説に近くて、公爵家の本からは、お伽噺として語り継がれているようなものしかわたくしには見つけられませんでした。

 ですが、前世の記憶のあるわたくしですから、推し量ることは可能です。

 星護りの巫女にまつわる天変地位……星が降るのは不吉の前兆、というのはステラフィッサでは子供でも知っている言い伝えですから、答えは容易に導き出せました。


(隕石……まさかのアルマゲドン!)


 だとしたらとんでもない大災害、いいえそれどころか人類の存続が危ぶまれるほどの未曾有の事態です。

 もし万が一、今回のヒロインが星護りの巫女なのだとしたら、是が非でも力をつけていただきたく存じます!是が非でも!


 そして我がガラッシア公爵家も、聖なる巫女と切っても切れない関係にあるのです。

 そもそもガラッシア公爵家が筆頭貴族として爵位を戴いているのは、建国王の妹姫ルーナ様が始祖の直系一族だからなのですが、それとは関係なく、二百年ほど前の当主が、海凪の巫女様を妻に迎えておられます。

 我がガラッシア公爵家は王国の西南地方のほとんどに広大な領地を有しており、その国境に面した北から西が、世界でいちばん大きな湖と言われているサダリ湖と接しております。

 海凪の巫女は、津波や洪水といった災厄が起こるときに現れる巫女で、二百年前に起きたこのサダリ湖の大津波から沿岸の国々を護ったのが、六代前の公爵夫人となります。

 以降、ガラッシア家の子孫は水の魔法に優れた才を持つようになりました。

 そう、この世界には魔法があるのです。

 ここが乙女ゲームの世界であることを裏付ける完璧な材料が揃っておりますわね。

 例に漏れなくわたくしにも強大な水の魔法の素養がございますが、チート的なほどではなく、公爵家嫡男としても、将来の攻略キャラとしても優秀な兄アンジェロに勝るとも劣らない程度、努力次第ではもっと花開く、というところでしょうか。

 あまり悪目立ちをしたくはありませんから、しておくのがよろしいですわね。


 さて、ヒロインはBパターンの聖女改め巫女、というところまではわかりましたが、a) b) c)までは絞れませんでしたわ。

 この国にまつわるのが星護りの巫女ということを考えれば、やはりヒロインも星護りの巫女になりますかしら。

 災厄のレベルでは、群を抜いているのではなくて?

 長雨や旱魃、天候にまつわるのが天占いの巫女。

 これは今までに多く顕現しているという文献がございました。

 その他の地綱ぎ、炎鎮めについては、それほど沢山の記録を見つけられたわけではありませんが、地震や火山の噴火といった災厄のための巫女です。

 それにしても隕石。

 巫女様はどうやって世界を救うのでしょうか。

 隕石はやばい。

 それだけはハッキリわかります。

 そもそもこの世界の文明程度では隕石どころか星の観測だってされておりませんでしょうに。

 どのように災厄を予知し、対策としての巫女様の出現が適うのでしょうか。

 もともと強大なお力を持っている、またはヒロインチートで簡単に育成、または覚醒させられるのならよいのですが、そうではないなら巫女様は恋とかしている場合ではないのでは?

 いざ事に当たるとなって、力不足でした、では済みませんもの。

 全力で努めていただかないと、世界の終わりです。

 叶うのでしたら、わたくしもお力添えしたく存じます。

 そんな重責、おひとりで抱えるにはあまりに過大。

 そのための攻略キャラなのだとしても、筆頭公爵家の娘としては無責任にはなれませんわ。

 ヒロインとなる巫女様と、わたくし仲良くできますかしら?

 それも問題ですわね。

 異世界召喚以外のヒロインだった場合、彼女たちにもわたくしと同様に前世の記憶があるかどうかがまず気がかりです。


(これはかなり重要ですわ!)


 例えば前世の記憶があっても、わたくしと同じようにできるだけ穏便に暮らしたい方であれば、無茶はなさらないはず。

 隕石なんて不可避の災害がある以上、シナリオ放棄はなさらないでしょうから、手を携えて、世界平和に取り組みたいですわ。

 そのためなら王子の一人や二人、兄だっていくらでも協力させますし恋仲にだってなったっていいのです。

 できればわたくしはお友だちとして恋の応援だってして差し上げたいですし、おともだちとして、オトモ、ダチ……。

 ……わたくし、前世でオトモダチがいたような記憶がないのですけれど、オトモダチ、デキルカシラ……



 ワタクシ、オトモダチ、ホシイ……



 ……はっ、いけませんわ!

 五歳にあるまじき虚ろな顔をしてしまいました。

 表情の抜けた天使ではあまりにホラー。

 お話のジャンルが変わってしまいます。

 気を引き締めて参りませんと。

 

 さて、記憶があるパターンとして、もう一方、これだけは本当にイヤなのですけれど、ヒロイン転生逆ハーレム狙いのゲームと現実の区別のつかないアタマお花畑のトンデモな方がいらっしゃったら、わたくしどうしましょう!

 わたくしがなかなかいじめてこないからといって、やってもいないイジメを告発されるとか、もっといえば暴漢を使って襲わせたとか、殺されそうになったとか、罪を被せられることがないとは言えないかぎり、全力で抗わなければなりません。

 この世界の常識を無視して暴走したり、思い込みの激しさで問題行動を起こしたり、とにかくそんなことをされてしまったら世界を救うどころではなくなります。

 そんな資質の少女を巫女にしないでほしいとは切実にお祈りいたしますが、このあたりのパターンはよくよく考えて、対策をたてておく必要がありますわね。


 前世の記憶を持たない方や異世界から召喚された方なら、ヒロインとしてのキャラクターのまま、きっとそう困ったことにはならないでしょう。

 実は敵国のスパイで、王子を籠絡し国内の混乱を招くのが狙い、というお話もあるにはありましたが、今のところ物騒なお国は近隣にはありませんし、シナリオの佳境が降ってくる隕石から世界を救うということであれば、この可能性は低いように思います。

 あとはわたくしがヒロインをいじめないのは当然のこと、周りにそう思わせない、巻き込まれない、陥れられない、というのが重要です。

 ヒロイン登場より先に王族を巻き込んで、わたくしの言動の是非がハッキリさせられるよう対策をしておけば、例えばイジメ告発などの冤罪については回避できるかも。

 このあたりは、悪役令嬢が学園の卒業パーティーで断罪されるはずが大逆転、的な小説を読み漁った知識の賜物ですわね。

 万々が一にでもそんな状況になったとき、是非ともしたいものです、大逆転。


 そもそも、王子の婚約者になどならなければ、大方の心配事が避けられます。

 ここでもう一人の危険人物、もとい登場人物について考えてみましょう。

 ある意味ヒロインよりも危険といえる、乙女ゲームではかなりの確率でメイン攻略対象となっている、王子殿下、ですわ。

 ステラフィッサには現在二人の王子殿下がいらっしゃり、お二人とも正妃様がご生母様です。

 そもそも側妃様も妾妃様もいらっしゃらないので、王位継承については安泰、ほとんど問題が起こらないと思われております。

 第二王子は私が前世の記憶を思い出した少し後に生まれたばかりでまだ赤ん坊ですし、攻略対象として最有力なのは、やはりわたくしと同じ歳に生まれ、兄が遊び相手として召喚されるようになった第一王子の、いずれ立太子されるエンディミオン殿下です。

 兄のアンジェロは七歳、公爵家の嫡男ですから、身分的にも申し分なく、年齢的にも王子の規範となれるような分別がいくらかできるようになっております。

 週に何度か、父に連れられて王城へ赴いて遊び相手をなさっておりますが、お話を聞いた限り、とくに無茶をなさったり、ワガママが過ぎたりするようなことはないようです。

 アンジェロのことも兄のように慕っているとか。

 ────ですが。

 五歳の頃がいくら可愛らしくても、政治的に決められた婚約者がありながら他の女にうつつを抜かすような男になるのです!

 将来、王国を担う立場としては不適格。


(わたくしぜっっったいに婚約者になりたくありませんわっ)


 わたくしも非公式に何度か王城に連れられそうになりましたが、断固イヤがりました。

 普段、無邪気に素直に振る舞っているものですから、このワガママは好意的に受け止められております。

 まだお人形と遊んでいたいとか、侍女のスカートの影に隠れてかくれんぼとか、お母様を伴わないときとなれば、絶対にそのドレスの裾を離しませんでした。


「お城よりお茶会がいいなんて、ティアも女の子だなあ」


 と、お城=仕事場の認識の父は、ニコニコと出かけて行きます。

 お茶会だって淑女の戦場ですし、本来、女の子ならお城の王子様に憧れるものですけれど。

 そんな父の背についていき、わたくしが同行しないことを残念がるように後ろをそっと振り返った兄に、心細そうに小さく手を振れば、兄を取られるのがイヤなんだろうと大人たちは解釈してくれます。

 そんな振る舞いも大目に見てもらえるほどに、おかげさまで家族仲は良好です。

 幸いにも我が家の領地運営は順風満帆、建国王の妹姫から連綿と続く家系は王族に準ずる立場として、他家から頭ひとつ分もふたつ分も飛び抜け、一線を画す存在です。

 これまでのステラフィッサ王家、ガラッシア公爵家の歴史の中で、降嫁された王女殿下を迎えたことも、反対に王族に嫁いだ方もいらっしゃいます。

 王族を除いて向かうところ敵なし、その王族との関係も良好。

 お話を聞く限りでは、国王陛下も王妃陛下も温厚そうなお人柄で、家族からも王族サイドからも、無理矢理に婚約を結ばれそうな傾向はないと言ってもいいでしょう。

 大逆転ものの悪役令嬢として懸念される、政略結婚の道具として扱われ冷遇されるというような、的な立場にはなりそうもありません。

 まだ二十代の両親は、こちらもやはり天使の親は天使、眉目秀麗な父はガラッシアの月の貴公子の異名をほしいままにし、母もステラフィッサの至宝といわれる美貌で、侯爵家から、相思相愛で輿入れしてきたと聞いております。

 二人とも結婚してなお大層おモテになるようですが、浮気や愛人の話など一切ありません。

 温かな家族で、父も母も兄も、わたくしを溺愛してくれております。

 もちろんそうなるように努めておりますが、顔立ちは天使で、家族からは溺愛され、ワガママもすべて許容されてしまうなんて、これは王道の悪役令嬢への道待ったなしの環境です。

 これでわたくしに前世の記憶がなかったら、ホイホイと王城についていき、王子様は自分のものだと、きっと思い込んでしまったに違いありません。

 そのまま大人たちに婚約話はトントンと進められ……なんて恐ろしいことでしょう!

 これからも、ぜったいにぜったいに、ワガママの効く限り登城することは断固拒否して、王子の情報収集は怠りませんが、興味を持っているなんて、少しでも思われてはなりません。

 エンカウントやイベントをできるだけ避けるなんて生易しいことではいけません。

 敵です。


 わたくしの家族の話になってしまいましたが、問題は王子、そう王子です。

 パターンとしては四つ。

 ゲームとしては正統派イケメンでしょうが、


 A、オレ様

 B、腹黒

 C、思慮深い博愛タイプ

 D、まれに純情タイプ


 婚約者を差し置いて別の女とイチャイチャする男なんて全員クソヤローで充分ですが、このAパターンというのは、乙女ゲームというより婚約破棄ものの小説に出てくるダメ男というイメージがわたくしは強いですわね。

 親に定められた婚約者を軽く見て、あるいは自分より優秀な婚約者にコンプレックスを抱いて、成長するに連れつらくあたるようになり、最後には自分が気に入った別の女と婚約するためにありもしない罪をねつ造して悪役令嬢を陥れようとするクズ男。

 悪役令嬢を正妃に据え仕事を押し付け、自分と恋人は遊んで暮らそうという目論見のものもありましたわね。

 このAとだけは、絶対に婚約も結婚もしたくありません!

 B、C、Dのタイプだって、品行方正の王子だったのがヒロインに目が眩み道を踏み外し、常識的な判断ができなくなることも考えられます。

 やはり婚約話の有無から戦いははじまっているのですわ。


 仮にこのまま婚約話はないものとして進んだとして、もうひとつわたくしには心配ごとがございます。

 それは、王子殿下にむしろ好かれてしまうこと!

 悪役令嬢に転生して、断罪回避のために振る舞いに気をつけているつもりが、攻略対象に溺愛されているパターンがあります。

 けれどわたくし、そのパターンも是が非でも避けたいのです。

 なぜなら、王太子妃、ひいては未来の国王妃、国母になんて、わたくしはなりたくないのです!

 一公爵令嬢として、世界の危機に知らぬふりができない責任感とは、これは別のお話なのです。

 王妃として、国民の暮らしに責任を持つなんて、とてもとても無理だと思わずにはいられません。

 そして、わたくし、せっかくこの容貌に生まれたのですから、素敵な恋だってしてみたいのです!


(こちらが本音!)


 もちろん、公爵家に生まれた身で贅沢を申し上げているのは重々承知しております。

 ですが、灰色の前世の記憶が叫んでいるのです。

 友だちも恋人もいなかった寂しい人生、せっかく美少女でやり直せるのだから、人並みに恋や青春を楽しみたい!

 なんだか涙が出てきそうです。

 前世といえど別人、哀れにも思いますが、別人といえど前世、憐れむくらいならこの恵まれた環境を謳歌おうかさせてほしい、と複雑な思いが湧き上がります。

 ノブレス・オブリージュなんて。

 今世は目をつぶってもよろしいかしら。

 何も平民になって自由な人生を歩みたいと申し上げているわけではありませんの。

 この見た目で市井しせいにいたら、別な危険についても考えなくてはいけなくなりますもの。

 王族以外の、セキュリティのしっかりしたほどほどのお家柄で、素敵な旦那様と温かい家庭を築くのが、破滅回避したあとの人生の目標ですわ。


 さて、兄以外の攻略キャラには当面出会えそうもありませんし、残りの登場人物についてはひとまず置いておきましょう。

 兄の溺愛が過ぎて禁断のヤンデレ監禁ルート、にはならないように注意は必要ですが、まだ七歳。

 ヒロインの選ぶルートによっては彼もまたクソヤローになりかねませんから、家族として、それも断固阻止してみせます。



 シナリオの強制力など心配事はたくさんありましたが、本格的にわたくしや王子殿下の婚約話が動き出すと思われる数年先までは、王子との婚約話に繋がりそうなことを徹底的に流しつつ、破滅回避の対策を整える時間です。


 本当であれば、王家との婚約話を潰すには病気を理由にするのがいちばん効率が良いのでしょうけれど、その後の人生設計やガラッシア公爵家の体面を考えればあまり取りたくない手段でした。

 そうなると、破滅へ繋がる断罪回避、婚約回避のために考える時間はいくらあっても足りません。

 味方を増やすことも考えなくては。

 王族を巻き込んでの対策の方法も。

 そしてオトモダチを作る計画も大切。


(やることは山積みですけれど、わたくしやり遂げてみせますわ!)

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