二
★★★星の巫女様の恋のお悩み相談室②★★★
王都からビランチャ領へ向かう街道は、なだらかな丘が続き、点在する名もない林の間を縫うように進んでいく。
星の巫女セーラは、いつもならエンディミオン、シルヴィオ、フェリックスといっしょに王家の馬車に乗るところだが、今日は問答無用でアンジェロとファウスト、ジョバンニの乗る公爵家の馬車に乗り込んだ。
馬車は窮屈で好きではないと言って、ラガロだけは前回のスコルピオーネ領から自らの馬に乗って、ほかの騎士たちと警護に付いている。
「やぁ、セーラ君!
僕たちの馬車に乗ってきたということは、ついに君の世界の未知なる知識を僕に教えてくれる気になったということかい?!
馬車の旅は長い!君とじっくりと語り合える機会を僕がどれほど待ち望んでいたか……!」
「ジョバンニ君とのお話はまた今度!
今日は、ファウスト君とじっくりお話しするつもりです!」
堂々と宣言した星の巫女を一瞥し、けれどファウストは無言で手元の本に視線を戻した。
リブリの塔とリチェルカーレ大学の歴史と変遷をまとめたものだ。
かなり詳しく、リチェルカーレの隠れ家レストランや観光豆知識、リブリの塔にまつわる七不思議まで載っているディープな内容だが、その道のマニアが趣味で作った本のため一般化されておらず、ジョバンニの父、カンクロ伯爵が大学の増築について研究した際にたまたま手に入れた一冊だった。
国中あちこち飛び回っているカンクロ伯爵からこの本を借り受けられたのが王都を発つ直前で、ファウストは一刻でも早くこの本を読破しなければならなかった。
難攻不落のリブリの塔とはいえ、大学の敷地は限られているし、塔の周辺にいれば、星の降る場所を特定できていなくても流星がはじまってから駆けつけることはできるかもしれないが、万が一にも間に合わないなどということがあってはいけないし、魔物の存在もある。
寸暇を惜しんで少しでも多くの情報を集めたいところだ。
本を読んでいても、巫女なら勝手に話しはじめるだろうし、どんなことを聞かれても大抵のことはジョバンニとアンジェロが答えられるので、自分はいつものように自分の役目を全うしようと読書に没頭することにした。
「なるほど!
ファウスト君のことなら僕に何でも聞いてくれたまえ」
案の定、自分に任せろとジョバンニが胸を叩いたので、やはり任せてしまおうとファウストが本の続きに目を通しはじめると、
「ファウスト君、大事な話!」
パタンと、巫女に無理やり本を閉じられてしまった。
星の探索以上に大事な話があるだろうかと首を傾げ、公爵家のゆったりとした空間を約束された馬車の座席で、膝も付きそうな距離まで詰め寄ってきている巫女を今度は真っ直ぐ見返した。
首を傾げたまま、ファウストは巫女が話し出すのを待った。
「よかった、聞いてくれる気になった?
わたし、どーーーしても、ファウスト君が本当にクラリーチェさんのおうちの子と婚約しちゃうのか気になってて!」
「巫女様、その話はまだ……」
セーラの言葉に、アンジェロが思わず止めに入ったが、今度はジョバンニがその話題を引き取ってしまった。
「リリアナ嬢だね!実に賢い少女だった!
婚約の話が進む前に相手のことを良く知ろうと単身訪ねてくる好奇心は何ものにも代え難い資質だと賞賛に値するよ!」
「ビビアナ嬢だよ、ジョバンニ」
婚約者を良く知るために訪れた先で、そのほとんどの会話を請け負ったジョバンニはその矛盾に気付いていないが、どれだけファウストが素晴らしいかを語るには自分以外にうってつけの人物はいないと自負しているので何も問題を感じていなかった。
例え名前を間違えて覚えていようが、ファウストの素晴らしさを語り合える相手ができることは大歓迎なのだ。
「僕たちのしている研究に興味を示して、理解しようと努める姿は健気といえるし、ファウスト君にもかなり前向きなお嬢さんだったと伝えたね。それで婚約の話は進んだのかい?」
遠慮や配慮とは無縁の二人に押され、アンジェロは閉口するしかない。
当のファウストは無感情な顔のまま、「そうですね」と一言返すのみだ。
「そうですね、ってなに?!どういう返事??
進んじゃってるの?!!」
「いいえ」
「じゃあ婚約はしないの?」
「…………」
婚約をするかしないか、今ここで答えられることではないため、ファウストは口を噤んだ。
だがそれが煮え切らない態度に見えたのか、セーラは大きく嘆いて見せた。
「ええ~!ファウスト君が婚約しちゃったら、ティアちゃんはどうするの??」
セーラが焚きつけたようなものだったが、あのお茶会以来、ルクレツィアの様子が変わったことはセーラも気づいていた。
それまでは口を開けば離れて暮らすようになってしまった弟の心配をずっとしていたのに、ピタリと話題にもしなくなった。
隠しているつもりがとてもわかりやすいルクレツィアを可愛らしく思いつつ、相談してもらえるのを今か今かと待ち侘びていたのに、たとえ義理でも、「弟」の枠はそう簡単にはずせるものではないようで、そのうちに体調まで崩してしまったのだからセーラは驚いた。
やっぱりとっても繊細でか弱いお姫様なのだと改めて守ってあげたい庇護欲がむくむくとわいてきたのもつかの間、星の巫女として忙しくなり、なかなか話を聞いてあげることもできなかったのだ。
せめてこのビランチャ領への旅の間に、ルクレツィアのためになるような話をなんでもいいから聞き出したいところだったのに、ファウストの口数の少なさを舐めていた。
星の探索について、大事なことはよく話すが、個人的なことを話したことはそういえば今までなかったかもしれない。
「……姉上が、なにか」
ルクレツィアの名前を出した途端、ファウストの頑なな態度が少し崩れた気がした。
セーラから見るに、ファウストもルクレツィアのことをかなり好きだと思うのに、どうしてとんとんとうまく運ばないものか。
じれったくて余計なこととはわかっていても口出ししたくなってしまう。
「だから、ファウスト君が婚約しちゃったら、ティアちゃんは誰と結ばれるの?」
「……僕のこととは関係なく、殿下がいらっしゃいます」
「殿下?!エンディミオン様?!!なんで??」
いまだにどこをどうとってもエンディミオンの一方通行にしか見えないのに、ファウストは一体何を言っているのか。
セーラは思わず強めに聞き返してしまった。
「なんで……」
そう問われても、何をどう答えようがルクレツィアの中ではきっと決まっていることだとファウストは思っている。
優しく、いつもファウストを導いてくれていた「姉」は、こんな中途半端な「弟」ではなく、もっと大事に思う相手ができたのだ。
「そういえば、ファウストはティアに直接聞いたのかな。
ティアの心が殿下に決まったって、ティアのことだからもちろんあのまま黙ってスカーレット嬢に譲っていただろうし、父上や私にもなかなか話してくれないのに、ファウストには打ち明けたのかと少し寂しい気持ちだったのだけれど」
ルクレツィアをよく見ているファウストの言うことだから間違いはないと思い込んでしまったけれど、ルクレツィアはあの時肯定も否定もしなかった。
ただ、とても悲しそうだったとアンジェロは思い出し、スカーレットのことを考えてのことだろうと励ましもしたが、あの言葉だけでルクレツィアがスカーレットへの友情を反故にするとも思えない。
ファウストにだけ打ち明けるほど悩んでいたのなら、もしかするとエンディミオンの未来も明るいのかもしれないと勢い込んでしまったが……。
「姉上からは、なにも」
ファウストの答えに、アンジェロはガッカリと肩を落とすことになった。
「そうだよね、ティアちゃんが言うわけないよね。
でもじゃあどうしてファウスト君はそう思ったの?」
「手紙を……」
ルクレツィアの部屋に行った夜のことを、ファウストはたびたび思い返している。
ルクレツィアが伏していた机に広がっていたのは、すべてエンディミオンからのものだった。
王城での引き合わせのお茶会で出会ってからこれまで、少しでもルクレツィアと会えない時間がある度に送られてきたすべての手紙が大切そうに仕舞われていた。
ルクレツィアがリオーネ伯爵を想っている間も、その後も、エンディミオンがルクレツィアを想い、慰め、焦がれる心がずっしりと詰まった手紙を、あの夜どうしてルクレツィアは、体調が悪い体を押してまで引っ張り出して読み返していたのか。
いくら考えても、ルクレツィアの心がエンディミオンに向かっているとしか思えなかった。
すべて破り捨てたくなる衝動に驚いて、その手紙を目に入らないところへ押しやった。
どうにか「弟」として、体調の悪い「姉」を介抱するほうへ気持ちを切り替えたが、眠る姉の手を握っていると、どうにもならない情動に突き動かされていた。
目の覚めた姉が、自分にしか見せない顔をしてくれたから落ち着いたけれど、この顔を他の誰かが見ることになるのかと思うと、暗い気持ちに支配されるばかりだった。
────僕は、姉上が。
いつからか降り積もっていた想いは、もうずっと前に自覚していたものだ。
けれど、それを確かな形に変えて姉に直に向けることができないまま、ルクレツィアがエンディミオンへ心を傾けているのかと疑心暗鬼になると、ルクレツィアの言動すべてがそう見えてきた。
「手紙を読んでたって、それだけ?」
自分の暗い感情はすべて割愛して、淡々とルクレツィアが手紙を読み返していたことを伝えたファウストに、セーラは拍子抜けしたように聞き返した。
確かに、わざわざ夜中にラブレターなんて読み返していたらちょっとはそういうことを考えてしまうのもわかる気はするが、でもやっぱり「それだけ」のこととセーラは思ってしまう。
「ファウスト君はですねー、別邸に移ってから姉君のことを
セーラの疑問を解消したのは、悪い顔をしてファウストの秘密をぶちまけたジョバンニだった。
「え?カメラ?あの鏡のやつはティアちゃん持って歩いてなかったと思うけど」
「姉君と兄君がいつもつけてるブローチは、ファウスト君謹製の高性能超小型
「え?いやいや?え?」
「その
「私まで覗き見られていたのかな?」
「兄君はいつもいいところで電源を切るのでつまらないことこの上ない。
その点姉君は、実証実験の意味をよく理解されていてたいへん素晴らしい!
まあファウスト君は、姉君の顔が見られるからと兄君のほうをよく見ていたけど」
うんうん、と頷いているジョバンニに、セーラは引き気味の顔でファウストを見た。
「それってストーカー……」
「すと???」
ステラフィッサ語に変換されなかった不穏な言葉は、セーラ以外には理解できずにジョバンニは首を傾げた。
「えええと、覗き見のことはいったん置いておく、置いておけないけど、置いておく!
手紙を読み返してたティアちゃんを心配して、ファウスト君がそのカメラで盗撮、いや監視……ううん!様子を、見ていたってことかな?
それで、ティアちゃんがエンディミオン様を好きなんだ~、と思った、ていうことでいいのかな?」
無理やり良いほうに解釈しながら、セーラは状況を整理した。
思っていたよりファウストの状況が深刻だった。
人として決して褒められないほうに、深刻だった。
「ひさびさに登校された際などは、とくに姉上の様子がいつもと違いました」
セーラに何を言われても、ファウストは自分が見たものがすべてと揺らがなかった。
エンディミオンに近距離で見つめられ恥ずかしそうに目を伏せたり、優しく微笑みかけたり、スカーレットにも何か言いたげにしていた。
あれはスカーレットにすべて打ち明けようとしていたのではないか。
「ああ~、そうか~、そうなっちゃったか~」
一部始終、その場にいた当人として知るセーラにしてみれば、誤解にもほどがあると頭が痛くなった。
けれどここで勝手にルクレツィアの気持ちを代弁するわけにはいかないし、どう誤解をとけばいいのか、悩ましい問題だった。
「……ええと、巫女様。
私の勘違いでなければ、巫女様は妹と、弟を……?」
察しの良いアンジェロは、さすがにここまで来るとセーラが何をしたいかがわかってきた。
聞いていると、ルクレツィアとファウストを結びつけたいようにしか思えない。
「だって義理なんでしょ……?」
あまり大声では言えないので、二人はお互いにしか聞こえないようヒソヒソ話になってしまった。
「それは、そうですが……いや、しかし……」
今まで妹と弟を本当の姉弟のようだと信じて疑っていなかったので、アンジェロの戸惑いは大きい。
「そもそも、当人たちがそう言ってるわけではありませんよね?」
「それは~、確かに、直接そう言われたことはないけど……」
アンジェロに事実を指摘され、勝手にお節介を焼いているだけだけだとセーラは言葉を濁した。
「なるほど」
「お似合いだと思うんだけどな」
絶対両思いなのに、とは口に出さず、ふてくされたようなセーラに、アンジェロはひとまずこの件は預かることにした。
「そういうことは、まず当人たちの気持ちが大切です。
二人の兄としてはまず相談してもらえないことには、ね」
巫女の思い込みだけではアンジェロは動けない。
確かに睦まじい姉弟だが、あくまでも姉弟として逸脱しない関係だったはずだ……たぶん。
ガラッシア家は愛情深いほうなのは自覚があるから、公爵家の中では普通の範囲でも、もしかしたら他家から見れば少し仲が良すぎるきらいがあったかもしれないが……。
ふと、もうすでに手元の本を再び開いているファウストを見た。
隣りではジョバンニも何かの設計図らしいものをいそいそと書き出しはじめていて、この話題にはもう興味がなくなったらしい。
けれど、何を考えているのか、ファウストが開くそのページが先に進むことはない。
昔から感情を表に出すことが苦手な弟を理解できるよう努めてきたけれど、ビー玉のような瞳がいつもより暗い気がするだけで、今はそれ以上は読めない。
ルクレツィアとエンディミオンが結ばれることを手放しで喜べないのは、相手はルクレツィアだし、単に
アンジェロには今ひとつ飲み込めず、かといって直接問い質して「そうだ」と答えられたらどうすればいいのか。
「相談……してくれたらいいんですね?」
ファウストが弟になってからの十年を思い出しながら、自分はこれからどういう立場をとればいいのか悩み出したところで、何か閃いたようにセーラがアンジェロに詰め寄った。
「え?」
「ファウスト君!
大事なことは、口にしないと伝わらないんだよ!」
アンジェロが聞き返す間もなく唐突にファウストを振り返ったセーラは、やっぱり強引にその本を閉じて、ファウストの意識を自分へ引きつけた。
「ティアちゃんを本当に幸せにしたいんなら、黙ってちゃダメ!
打ち明けてくれれば、ちゃーんとお兄さんが協力してくれるって約束したから!」
セーラの言葉に目をぱちくりとさせたファウストに、いつの間にか巻き込まれる形になっていたアンジェロもすぐには訂正できなかった。
「ほかの誰かじゃなくて、ファウスト君がティアちゃんを幸せにしよ!」
何もかも内に秘めたままの弟には、これくらい強引に引っ張り上げてくれる巫女の存在が不可欠だったのか、セーラの力強い言葉に、ファウストのビー玉の瞳に少しずつ輝きが灯るのを、アンジェロは驚きながら見ていた。
★★★ ★★★ ★★★ ★★★
セーラ様たちが王都を出立されてから数日後、学園にわたくしを訪ねてお客様がいらっしゃいました。
「グラーノ様、オリオン殿下、わざわざ学園まで足をお運びいただき申し訳ございません」
フォーリア様をはじめ、今回は護衛も従者も多勢引き連れて、グラーノ様がわたくしに会いに学園にいらっしゃいました。
よく晴れた初夏の青空の下、いつもの温室のテラスで元気いっぱいという様子のグラーノ様が迎えてくださいました。
どうやら先日、夕暮れ時に一人でいらっしゃったグラーノ様を保護したお礼がしたい、ということなのですけれど、わたくしすっかりその件について忘れておりましたの。
どう見ても普通の様子ではいらっしゃらなかったグラーノ様を、探しに来たフォーリア様が連れ去るようにして行かれたあの日、ごまかすように「後日改めてお礼を」というようなことを仰っていたとは思うのですけれど、思いきり社交辞令として受け取っておりました。
とても気になる様子でいらっしゃったことは確かですけれど、むやみやたらとひと様の事情に首を突っ込むのは乙女ゲーヒロインの専売特許でしょうし、そもそもわたくしはこれ以上胃を痛めそうな問題事に増えてほしくはありません。
ですから、気にすることすらやめて忘れ去っていたくらいですし、本当にグラーノ様がわたくしに会いに来てくださるとは思ってもおりませんでした。
本来であれば、グラーノ様は聖国の使節代表ですから、その身を寄せている
そうして間をとって、巫女様たちが旅立って落ち着きを取り戻した学園で面会することになったのです。
「体調を崩していたと聞いた。
ルクレツィア嬢は体が弱いのか?」
「いいえ、少し疲れが出ただけですの。
グラーノ様も遠い聖国からいらっしゃって、変調を来してなどいらっしゃいませんか?」
「我はいつでも元気いっぱいだ!」
「グラーノ殿は、もう少し落ち着かれてもいいと思いますけど……」
木登りだけではなく、ありとあらゆることに引っ張り回されている様子がオリオン殿下の疲れた呟きから窺い知れます。
「オリオン殿はもっと冒険心を持つと良いぞ!
まだ十代だ。そのように小さくまとまっていてはもったいない。若さを無駄にしてはいけないぞ!」
「グラーノ殿はわたしよりも年が下なのに、いつもそうやってまるでお父さまやお祖父さまのようなことをおっしゃるんですから」
まだ幼く背も小さいグラーノ様が、若人を導く先達のような口ぶりでオリオン殿下を諭している様子は微笑ましく、幼いながらも聖国の副神官長として使節の代表を務めているなりの虚勢の張り方なのかしらと、いつもの偉そうな口調と相俟ってどこか堂に入っているような気もいたしますわね。
拗ねたように見せるオリオン殿下はきっとそれに付き合って差し上げているのでしょうけれど、夜会でお会いした時よりもお二人がとても良い関係を築かれているのがわかり、なんだかわたくしもうれしくなってしまいます。
(こうしていると、あの日の様子は見間違いだったのではとすら思いますけれど……)
焦点が定まらず、ここではないどこかを見ていたようなグラーノ様のお姿は、今の溌剌とした様子からは少しも繋がりません。
こっそりとフォーリア様を窺いますが、黒髪に隠れた横顔は、グラーノ様だけを見てこちらを見ようともしません。
(本当に、いろいろと、キツネにつままれたような気分……)
出会った時のフォーリア様もまた幻のような面影で、これほどに晴れた青空の下で見る彼はまた別人のように見えます。
オリオン殿下とじゃれ合うグラーノ様を、とても温かく和やかに見守っていらっしゃり、グラーノ様を大事に思うそのお気持ちだけは確かなものだと伝わってきます。
「今度こそオリオン殿も城下町の探検につきあってもらわねばな」
「それで道に迷われて、ルクレツィア嬢に助けていただいたのではないのですか?」
「我は迷子になどならぬから、安心して案内されるがよい!」
耳に痛いことはしっかりスルーするスキルを身につけているようで、グラーノ様のお耳にはオリオン殿下のお小言はまったく入らないようです。
「フォーリア、グラーノ殿がこんなことを言ってますから、決して目を離さないでくださいね。
……わたしも巻き込まれるんですから」
すでに話を聞いてもらうことは諦めているのか、オリオン殿下がフォーリア様に釘を刺します。
やはり手綱を握っているのは従者のフォーリア様だと、オリオン殿下も認識しているのですわね。
「善処いたします」
恭しく答えるフォーリア様ですけれど、それはビジネス用語的に「行けたら行く(行かない)」と同じ、「がんばってはみる(やるとは言っていない)」という意味だと前世の記憶で知っております。
(やはりフォーリア様はグラーノ様にかなり甘くていらっしゃるのはわかりましたわ……でも、それも仕方のないことと今ではわかりますわね……)
グラーノ様がステラフィッサ王国へ使節としてやってきてからそろそろ二ヶ月が経とうとしております。
その間、グラーノ様が何をしているかというと、「何もしてはいけない」というのが実際のところなのです。
王国としては、星の巫女を聖国に取り込まれては困りますから、グラーノ様や使節団の行動は、教会から王城を通してかなり面倒な手続きが設けられ、実質かなりの制限が設けられております。
災厄について万が一が起こった時の対策は、ステラフィッサ王国宰相を中心に、周辺国との交渉に口は出さずに参加だけを強いられるのは幼いグラーノ様の役目ではありません。
そうしてエンディミオン殿下を中心とした災厄に抗する星探しの進捗報告も、使節団の別の方々の任務であり、グラーノ様はお飾りとして夜会やお茶会に顔を出し第二王子オリオン殿下と親交を深めておりますが、それしか許されていない、とも言えるのです。
あと一年、星を集めきったその先で、ようやく聖国に帰れるとは思うのですけれど。
(そういえば、ご出身はステラフィッサと仰っていたような……)
けれど、聖国に入る際には家名を捨てる必要があるということですし、そもそも、いくつの頃に聖国へ入られたのか、ステラフィッサで過ごされていた記憶はあるのでしょうか。
グラーノ様が生家を訪れたというお話は少しも聞きませんから、何某かのご事情で疎遠になっているということもありえます。
そんなことを考えると、やはりフォーリア様がグラーノ様を甘やかしてしまう気持ちはわかるのです。
どんなご事情でステラフィッサから聖国へ入られたのかも存じ上げませんし、無遠慮に訊ねることも憚られますが、幼いうちから国を出て、例え儀礼上のことだとしても家を捨てるようなところへ行かされるのですから、それなりのご事情であろうことは推し量れてしまいます。
(せめてステラフィッサで楽しい思い出を作られると良いのですけれど)
幼いうちから理不尽な境遇に陥っているであろうグラーノ様を見ていると、無性に泣きたい気持ちになってきました。
勝手に誰の姿と重ねているのか、はじめて出会ったときの痩せ細った小さな体が、幸福に満たされていけばと精いっぱい家族としての愛情を注いできて、どうして、それを思い出してこんなにも胸が締め付けられるのでしょう。
(……ファウストに、邪険にしてもらえるような姉になりたかったのではなくて?)
きっと、それがカタチは違えども叶ったはずで、思い描いていた家族としての揺るぎない関係を築けたはずですのに、そうやって過ごしてきた幸せな記憶とともに、あの瞬間、エンディミオン殿下とのことを応援するだろうとお兄さまに同意を求められた時のファウストの少しの言葉とわずかな挙動を思い出して、こんなにも心が引き裂かれている……。
(また、不毛なことを考えておりますわね)
わたくしは、あの日から繰り返し繰り返し不意に湧き上がるこのどうにもできない苦しさを、その度に形がわからなくなるように丸めてもう出てこないように胸の奥の奥に押し込めております。
(考えないようにすることは得意ですもの……。
大丈夫、大丈夫……)
グラーノ様の境遇に思いを馳せていたはずが、自分のことばかり考えてしまっていたことを自戒して、仲良くじゃれ合っているグラーノ様とオリオン殿下に意識を戻すと、不意にグラーノ様と目が合ってしまいました。
楽しいお茶会のはずですのに、まったく別のことに心を囚われていたことに気がつかれてはいけないと取り繕おうとしたわたくしのことはお構いなしに、ぱちくりと瞬いた丸い目が、それからすぐに嬉しそうに煌めきました。
何かとてつもなくイイモノを見つけた、と言わんばかりに破顔して、そのお顔を遠慮なくずいっとわたくしに近づけてきます。
「ルクレツィア嬢の瞳は、我とお揃いなのだな!」
そう言って見開いたグラーノ様の瞳を見返すと、確かにわたくしとおなじ真っ青で深いサファイア・ブルー。
「まあ、本当ですわね」
唐突な、思いもかけない言葉でしたが、わたくしを引き込むようなその強引さに救われたのは確かです。
わたくしとアンジェロお兄さまの、お母さま譲りの青い瞳に、グラーノ様の瞳も負けない美しさで輝いております。
「この夏空のような瞳の色を我はとても気に入っていてな!
ルクレツィア嬢とお揃いなら、なおさら悪い気はしない。
うむ!我はとても良い気分だ!」
────そう言ってキラキラと輝いていた瞳が、ある時虚ろに変わってしまう理由。
それを知れたのは、わたくしの体を免れえない影が蝕んでいたから。
ひっそりと、わたくしの知らないところで育っていたその影が現れたとき、グラーノ様のサファイアの瞳は何を思い出したのでしょう。
あっという間に予定していた時間が過ぎ去り、グラーノ様とオリオン様との楽しいお茶会を終えようと、お別れのために席を立った瞬間。
わたくしの胸の奥から、何かが突き破って出てくるような凄絶な痛みが駆け上がってきました。
「…………っ、ッ!!」
言葉にならない呻きとともに鉄の味が食道を焼いて込み上げ、咽せるように吐き出した手の平を赤黒い染みが汚したのを見たのが最後。
あまりの痛みに、わたくしはそのまま意識を失ってしまいました────。
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