四
その日のお茶会は、いつもと様子が違いました。
リオーネ領から王都へ帰り、今シーズン最初の「マナー教室」です。
ベアトリーチェお姉さま、スカーレット様をはじめ、ご令嬢の皆さまにわたくしはすっかり取り囲まれて、お兄さま以外の男性陣は蚊帳の外。
本日のご参加はご遠慮くださいと、お茶会の席から締め出されておりました。
とくにラガロ様へ向けられる女性陣の眼差しは辛辣で、
「たとえ直接は関係がないとは言っても、今はお顔を見たくありませんわ」
「ワタクシ、代わりに引っ叩いてしまいたくなるのをガマンしておりますのっ」
あちこちから散々な言われようです。
前髪を切ってさっぱりとしたお顔になっているのも、今は逆効果のようで、
「あ、あのようにっ、お顔がいいとは前々から思ってはおりましたけど、何もこんな時にいかにもお祝い事がありました、みたいなお顔なさらなくてもっ」
「あの隠しても隠せない、という具合がよろしかったのに、」
「でもやはり目の保養」
「あぁ、でもそれも今は憎らしい……!」
とくにラガロ様推しのご令嬢が憤懣やる方ないようで、ラガロ様のお顔をチラッと見て顔を赤らめては、それでも怒りの気持ちを抑えられず、感情の行き来にお忙しそうです。
「殿下にも本日は席を外していただきたいのです」
ベアトリーチェお姉さまが申し訳なさそうに殿下に丁寧に頭を下げると、
「え、わたしも?」
このお茶会の中心のはずの自分も追い出されるとは思っていなかったのか、戸惑ったようにエンディミオン殿下は声を上げます。
「どうしても、わたしもダメなのかな?」
食い下がるように、エンディミオン殿下にクリクリのファイアオパールで見つめられ、ベアトリーチェ様の隣にいらしたスカーレット様は「んぐっ」と貴族令嬢らしからぬ声を発してしまいましたが、
「スカーレット様、しっかり……!」
とほかのご令嬢に応援されて
「いくら殿下といえども今日はご遠慮くださいませっ」
と、どうにか早口で捲し立てると、いつもの真っ赤なドレスを翻して背を向けてしまいました。
(スカーレット様なのに?)
心に反することをして何やら息苦しそうなスカーレット様の背を、マリレーナ様とクラリーチェ様が労わるように慰めております。
(はて?)
これはいったいどういうことなのでしょう。
「殿下たちは、私がお連れするよ」
事情をご存知のようなお兄さまが、ベアトリーチェお姉さまの髪にさらりと触れてから、エンディミオン殿下以下四名の困惑する男性たちをお茶会の席から追い立てていきました。
「さて、それでは」
クラリーチェ様の合図で、わたくしはお茶会のテーブルの所謂お誕生席に座らされました。
「これは、
マリレーナ様がそう言うと、席についたご令嬢たちが持ち寄った様々なものがテーブルの上に広げられます。
「これは、我が家のシェフが作ったカンノーリですのよ、ルクレツィア様がお好きと聞いて、レモンクリームにいたしましたわ」
「ワタクシがお持ちしたのはオレンジジャムのクロスタータでございます。
同じ柑橘でも今はオレンジのほうが旬ですから、どうぞこちらを召し上がってくださいませ」
我先にとわたくしの前に差し出されるのは、ステラフィッサの伝統のお菓子。
「あなたたちは何もわかっていらっしゃらないのね。こういう時は、目にも華やかなズコットですわ。
見なさい、この圧倒的な美しさを!」
スカーレット様までほかのご令嬢が差し出したお皿を押し退けて、周囲にふんだんにイチゴを飾りつけたドーム型のケーキを、ホールごとわたくしに押しつけました。
「甘いものばかりになっては飽きるかもしれないと思いましたから、私からは
この猪は、私が仕留めましたのよ」
「まあっ、さすが
オフシーズンは野山で猪を追いかけ回していらしたの?」
「では磯臭い
「海の向こうから取り寄せました、濃い緑のお茶を使用したチョコレートでございますわ。
野山ばかりのサジッタリオ領では、とても手に入りませんでしょう?」
「伯爵のお力ではなく、ご自分の力で手に入れてからそのように大きな顔をなさらないと、かえって下品になりますからお気をつけあそばせ、マリレーナ様」
なぜだか皆さん少しだけバチバチしながら(
クラリーチェ様とマリレーナ様はいつものことですけれど)、わたくしへの貢ぎ物合戦がはじまっております。
「あの……わたくしからは、花の、しおりを」
そんな喧騒の中、かき消えてしまいそうな声を一生懸命はりあげて、ミモザとポピーを押し花にしたしおりをくださったのはヴィオラ様。可愛らしい、癒やしですわ。
「ティア様、わたくしからはスノードームをお贈りさせてください。耳を澄ませると、水音が聞こえますの、きっと心が落ち着きますわ」
真打ちはリチェお姉さま!
手のひらより小さな球に夜空を閉じ込めたように、濃紺の色水に星のようにキラキラと落ちては浮かぶ水泡が瞬いております。
「まぁ、とても美しいですわ、お父さまの瞳のよう」
「アンジェロ様とご相談しながら、一から作ってみましたの」
「お姉さまの手作りですの?大切にいたしますわ!
けれど、今日はみなさま、どうしてこのような……」
だって、スカーレット様までわざわざ殿下を追いやってわたくしを囲む理由が本気でわかりませんのよ。
「ティア様、どうか元気をお出しくださいね」
ベアトリーチェお姉さまが、スノードームを持つわたくしの手に手を触れて、気遣わしげに包みこんでくれます。
「ワタクシ、本当に、いつかはあの方とルクレツィア様が結ばれると信じておりましたのに……」
いつもお茶会でわたくしのお話しを聞いてくださるご令嬢の皆さまが、先ほどまでは無理に明るく振る舞ってくださっていたようで、今はとてもお辛そうに顔を曇らせて、泣き出しそうなほどでした。
(ああ、そうでしたのね。これは、わたくしのための失恋パーティーなのだわ)
いつもお茶会でレオナルド様のお話しをしていたから、レオナルド様がご結婚された話をお聞きになって、皆さまわたくしのことを心配してくださっているようです。
(お友だちがたくさんいるというのは、こういうことなのですわね)
皆さまのお心に、温かいけれど切ない気持ちになって、わたくしもまた込み上げてくるものがあります。
「スカーレット様が、今日のお茶会はルクレツィア様を励ます会にしましょうと、皆さまに声をかけてくださったのですわ」
ベアトリーチェお姉さまに話を振られ、皆さまがしんみりしている中少しだけ斜に構えていらしたスカーレット様は、まさかバラされるとは思っていなかったのか慌てたようにお顔をぷい、と逸らしました。
「スカーレット様が……」
意外と思っているのが声に出てしまったのか、チラリと横目でわたくしの顔を見たスカーレット様は、
「べつに……想う方に振り向いてもらえないお気持ちは、この中ではわたくしがいちばんよく知っていると思っただけですわ」
言いにくそうに、小さな声で吐き出しました。
ぶわり。
その途端、わたくしの目にはまた涙が溢れてきてしまいました。
(いやだわ、涙腺が弱く……)
「なっ、ちょっと!泣かせたくてこの会を開いたわけではありませんのよっ」
慌てたようになだめてくださるのが、とても嬉しくて。
「……スカーレットさまっ」
思わずいつかのようにその手をとって、抱きしめてしまいました。
ハラハラと涙を流しながら手を握り締めるわたくしに、スカーレット様は振り払おうという真似もなさらずに、仕方ありませんわね、と胸を貸してくださるおつもりのようです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「何故私がこんな真似を」
茂みに隠れながらご令嬢たちの様子を伺っていると、シルヴィオが小さくぼやいた。
「だって気になるでしょ、ご令嬢たちがオレたち抜きで何するのか」
フェリックスは覗きに熟れていて
「殿下、そんなに身を乗り出したら見つかりますよ」
とわたしの身体を引き戻してくれた。
アンジェロは知っているのにあえて何も言わないのか、一緒に覗いたりはしないが、咎めもせず、後ろのテーブルで優雅にお茶を飲んでいる。
ラガロも覗きには加わらず、さりとてアンジェロとは微妙な距離感を保って、無防備なわたしたちの背後を守るように立っていた。
冬の間、自領に戻っていたラガロが王都に帰ってくると、今まであった陰鬱さが消えていた。
いつもその眼前を重く閉ざしていた印象がなくなって、騎士らしいさっぱりとした髪型に、準騎士の制服から正騎士に変わったせいか、よりたくましく精悍さが増したようだ。
この春、レオナルドがラガロの母親と結婚したというのは聞いたから、何か心境の変化があったのかもしれないが、それにしてもリオーネ領でアンジェロとも何かあったのか、怯えるまではいかないが、その動向を気にしているのがわかる。
(それも気になるし、ルクレツィアの様子も気になる)
レオナルドの結婚で気落ちしているのではと思っていたけれど、声をかける間もなくお茶会から締め出されてしまった。
スカーレットまで自分を締め出したのは意外だったが、ご令嬢たちに囲まれているルクレツィアは遠目に見ていても今日もキレイだ。
ヴィオラやベアトリーチェから何かを受け取って感激している眩しい笑顔と、不思議そうに周囲を見るときに見せた小首を傾げる癖も愛おしいなあと思う。
楽しそうな雰囲気に、どうして自分は参加してはダメだったのだろうかと考えていると、
(!)
不意に、ルクレツィアの目から涙が落ちるのが見えた。
見てはいけないものを見てしまったようで、思わずシルヴィオとフェリックスの顔を見上げる。
二人とも驚いているのか、目を見開いて固まっていて、わたしと似たり寄ったりだ。
どうしたらいいのか、ここから出て行って抱き寄せて慰めたりしてもいいものか、フツリと沸いた衝動は、それでも実行に移していいかわからない。
戸惑っている間に、ルクレツィアは泣きながらスカーレットに縋るようにその手を握った。
スカーレットも、いつもの彼女ならきっと跳ね除けそうなものなのに、労わるように彼女に手を預けたままだ。
(どうして、)
どうして、泣いているのか。
どうして、その手を取るのがわたしではないのか。
どうして。
(こんなところで、隠れて見ているんだろう)
ここは自分の王城で、自分のためのお茶会なのに。
何ひとつ、ままなることがない。
なんでも好きに思いどおりにしたいわけではないけれど、全部自分の立場のために用意された場所だからこそ、自分の意思だけでは好き勝手に動けない。
パキリ、と、隠れていた茂みの小枝が折れる音がした。
気づかないうちに握りしめていたのが、手の中で折れていた。
(あぁ、悔しいなあ)
ずっと、この距離から動けていない気がした。
ずっと、ルクレツィアに近づけない。
レオナルドのことがあったというのは言い訳で、こちらの心に近づいてこないルクレツィアに気づいていて、それを認めるのが怖いから踏み込むことをしてこなかった。
その、ルクレツィアが泣いているのに。
(わたしは隠れて見ているだけだ)
情けなさに、堪らなくなる。
ここから突き進んで、あの手をとれたら───
「殿下、何してるんです?」
ヒョコリと、目の前の景色と思考を遮ったのは、薄緑のクルクル猫っ毛だった。
その頭の上の大きなハットで、完全に視界は遮断されてしまった。
「ジョバンニ」
「皆さんおそろいで楽しくイモムシの観察でも?」
茂みに三人身を寄せて、凝視していたはずもないのに、ジョバンニが示した先には確かにイモムシが乗る葉っぱが。
「うぅわっ」
それを見たフェリックスが面白いほどの反応速度で仰け反り、シルヴィオはそっと目を背けてメガネのブリッジを押し上げていた。
「ふむ、アレクサンドラトリバネアゲハの幼虫ですね。大きくなりますよ」
どうぞ、と葉っぱごと渡されて、思わず受け取ってしまったけれど、これの成長をわたしは見守らないといけないのだろうか。
「おや?あそこに姉君が。これはごあいさつしてこなければ!」
イモムシの扱いに困っている隙に、ジョバンニはルクレツィアがいることに気が付いたらしい。
アンジェロが静止する間もなく、駆け出して行ってしまった。
(彼は、いつだって自由だなぁ)
同じ年に生まれ彼は、立場を超えていつでも好きに振る舞っている。
第一王子の自分を差し置いて、いつだって気ままだ。
その背を羨望の思いで見ながら、わたしもここから踏み出さなければと、イモムシは自然に返し、ジョバンニの背を追いかけることにした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「姉君ー!」
声がしたほうを振り向くと、ニコニコと駆け寄って来たのは、案の定、今日もスチームパンクひとしおのジョバンニ様です。
「どうしてあなたがここにいますの、ジョバンニ・カンクロ様」
しんみりしたムードをぶち壊すようなノーテンキそうなお顔と声の乱入に、スカーレット様のゴキゲンは急降下。
わたくしも、スカーレット様の手をそっと離して、気づかれないように涙をぬぐいました。
「どうしてと言われれば、父上につまらない用事を押し付けられなければボクは今ごろファウスト君と壮大な実験をしている
「ワタクシの名前はスカーレットよ!なによハイビスカスってひとつも合ってないじゃない!!」
「ふむ、知らないのかね?
ハイビスカスというのは熱帯地方に咲く花で、真っ赤な大輪の花を咲かせる一日花、咲いたらその日のうちに枯れてしまう花なのだけれど……」
「そんなこと聞いているのではありませんわよっ」
キィーッ、とわかりやすくスカーレット様がヒステリックになっておりますが、これは悪いのはジョバンニ様ですわね。
どうどう、とクラリーチェ様がスカーレット様の興奮をなだめてくれています。
(でもスカだけちょっと合っておりません?)
出会い頭にしては出来あがっているお二人のやり取りがおかしくて、わたくし思わず笑ってしまいました。
「おやっ、姉君、何か楽しいことがありましたか?」
ジョバンニ様のご興味は「ハイビスカス」からすぐに移って、わたくしにとぼけた表情で訊いてくるものですから、余計におかしさが増してしまいます。
わたくしとおなじく今年で一三歳になられるジョバンニ様は、出会った頃からそのまま身長を大きくしたようで、何ひとつ変わっておりません。
(いえ、最近メガネをかけるようになりましたわね)
シルヴィオ様とメガネキャラがかぶるという心配はひとつもございません。
銀縁の薄いフレームで、見たままのインテリメガネのシルヴィオ様に対して、ジョバンニ様の丸眼鏡はソバカスの浮く鼻の上にちょこんと乗っている小さなもので、帽子に乗っているゴーグルとメガネがダブっておりますし、ただでさえ設定が盛られすぎていたのにさらに事故渋滞を起こしている有様です。
コートの装飾も増え、ベルトに下がっている工具ポーチのようなものも拡充され、相変わらず独自の世界観で生きておられますわね。
「皆さまに、たくさん贈り物をいただいたところですの」
ジョバンニ様と話す時は、流れに身を任せてお話しをするのがコツですわ。
あちこちに飛ぶ話題は楽しいばかりですし、貴族令嬢らしく深く考えなくてもいい、というのも魅力ですわね。
(スカーレット様はいつも真に受けて消耗していらっしゃるから、もっと気を楽にお話しできれば楽しいのに)
心を落ち着けるようにそばにあったお茶をごくりと飲んでいる姿は、ちょっとだけ貴族令嬢らしさが抜け落ちていて、わたくしは好きですけれど。
「なんですの?」
ニコニコと見つめていたら、スカーレット様が気がつかれたようなので、わたくし思っていることをそのまま伝えることにいたしました。
「スカーレット様は、ジョバンニ様と相性がよろしいのかもしれませんわね」
「はぁあっ!?」
スカーレット様の本気の「はぁあっ!?」がお茶会のお庭中に響きました。
「どこをどう見てそうなりましたの!!?」
せっかく落ち着いたらしいところに、わたくし余計なことを申し上げたみたい。
(怒らせてしまいましたわ……)
ドレスにズコットのイチゴにも負けないほど、お顔を赤くして怒っていらっしゃいます。
(は!そうでしたわ。スカーレット様は殿下のことがお好きなのだから、ほかのご子息と相性が良いと言われて嬉しいはずがありませんわね)
わたくしとしたことが、うっかりしましたわ。
内省していると、当のスカーレット様の想い人でいらっしゃるエンディミオン殿下もやってきました。
「どうしたんだ、スカーレット嬢。そんなに声を荒げて」
お茶会から締め出されたはずの殿下もどうして戻っていらっしゃったのかしら、とは思いますけれど、ジョバンニ様がいらっしゃった時点で、本日の失恋パーティーは破綻しておりますのでよろしいのかしら?
(ちょっと騒がしいくらいが、わたくしも沈み込まなくていいですもの)
皆さまに温かく励まされ、泣いてしまうより、笑顔でいられるほうがきっと傷も早く癒えるはず。
そう思ってまたニコニコと微笑んでいると、キッとスカーレット様に睨まれてしまいました。
あの目は、「あなたがおかしなことを言うから、エンディミオン殿下に変に思われたじゃない」と言っておりますわね。
せっかく仲良くなれたと思いましたのに、これはわたくしが失言でしたわ。
どう挽回しようかと考えていると、
「姉君ーー!」
黙ってヒトの会話を聞いている方だとは思っていませんでしたが、いつの間にか遠くに走って行ったらしいジョバンニ様に、大きな声で呼ばれました。
「私はもう、ジョバンニの手綱を引くのは諦めようと思うんだ……」
「アンジェロ様は、よくがんばっていらっしゃいましたわ」
殿下の、いえジョバンニ様の後を追って来たアンジェロお兄さまが、ベアトリーチェ様に弱音を吐いて慰めてもらっております。
「アンジェロ、自分だけ逃避しないでっ」
「アイツ今度は何するつもりだ?!」
同じくフェリックス様とシルヴィオ様もやって来ましたが、ジョバンニ様の自由行動を静止するだけの力はなさそうです。
「姉君ーーー!!
いきますよーーーー!!!」
何が来るというのか、わたしの答えを待たずに、ジョバンニ様の号令で大きな風が起こりました。
その風に乗るように。
「まあ!」
わたくし、風になびく髪を押さえるのに精一杯で、口は開きっぱなしになってしまっていたかもしれません。
(たくさん、こちらに飛んでくる白い、あれは───飛行機、ですわ!)
もちろん、こちらの世界にはないものです。
木の枠と白い紙で作ったような、カンタンな模型のような。
どうしてそれが。
ジョバンニ様の風魔法に乗って、くるくると青空を旋回すると、たくさんの飛行機は、すーっとお庭の芝の上に次々と着陸しました。
「どうでした?!」
目をキラキラとさせて駆け戻ってきたジョバンニ様に、わたくしは思わず拍手喝采です。
「素敵ですわっ、すばらしいですわ!」
「これはなんだい、ジョバンニ?」
大興奮のわたくしと違って、「飛行機」をはじめて見る殿下たちは困惑気味です。
「今日は姉君に贈り物をする日のようだから、これをあげたら喜ぶかなと」
えへへ、と笑うジョバンニ様に、わたくしの気持ちはこれ以上ないくらい上がっております。
けれどわかっているのはわたくしだけ。
「贈り物というけれど、コレは、鳥?」
飛行機を持ち上げた殿下に、ジョバンニ様は大きく首を振りました。
「まさか!これは、今ボクが構想を練っている乗り物ですよ!」
「乗り物?これが?馬も何もいないけど?」
珍しいもの好きなフェリックス様でも、馬などの牽引する動物のいない乗り物については理解が追いついていないようです。
「将来的には馬車とも違う自走する乗り物も考えられたらいいですが、これは、飛ぶんです!」
「ヒコー……空飛ぶ乗り物ですわね!」
「さすがファウスト君の姉君は話が早い!
そうですこの鳥のような羽に魔石を動力源に風をまとわせ空を飛べる乗り物を作れないかと日々試行錯誤を重ねておりましてその実験用の模型を持ち歩いていたのがまさかこんなところで役に立つとは、いかがですか姉君、ボクからの贈り物は!」
ドヤ!と顔を輝かせているジョバンニ様に、ついていけているのはどうやらわたくしだけのようです。
周りの皆さまはポカンとして、呆気にとられているのでしょうか。
「……空を飛ぶ乗り物なんて、荒唐無稽にも程があるだろう」
すぐにシルヴィオ様が気を取り直したようですが、やはりまだまだこちらの世界では早すぎる技術のようですわね。
この世界、海を渡る船はありますけれど、海底にあるらしいダンジョンから魔物が出てくる時もあるそうですから、決して安全な航路ではございません。
それが空路になれば速度も上がるでしょうし、国同士の行き来もカンタンになると思うのですけれど、技術自体が未知ですから、安全面で見ても難しく思えますわね。
前世の世界でも、はじめに空を飛ぶ乗り物のことを言い出した方は馬鹿にされながらも飛行機を完成させたとテレビで見た気がいたしますから、ジョバンニ様もなるのかもしれませんわ、なんとか兄弟のように。
「そのよくわからない試作を贈られても、ルクレツィア嬢もこま……ったりはしないみたいダネー」
喜んで飛行機の模型をひとつ拾い、手に取っているわたくしに、フェリックス様の忠告も空振りに終わります。
「そもそも、今回のパーティーは殿方にはご遠慮いただいたはずですのに」
趣旨は「わたくしを励ます会」ですから、ジョバンニ様の行動は間違ってはいないのですけれど、スカーレット様にとっては間違いだらけの現状なのですわね。
「やっぱり蚊帳の外にされるのは寂しいよ」
仕切り直してまた締め出されないよう、エンディミオン殿下は、スカーレット様に対して犬のような甘やかさで押し切るつもりのようです。
またしても「んぐ」と貴族令嬢らしからぬ呻きをあげて、スカーレット様は押し負けそう。
「えーと、これはルクレツィア嬢のしつれ……元気づける会でいいのかな?」
失恋パーティーだとははっきり言えず、フェリックス様は言い換えてくださいました。
黙っていちばん後ろのほうに控えているラガロ様にも気を遣っているのでしょう。
何せ失恋の相手はラガロ様の義父で、その結婚相手は実母なのですから、女性陣から理不尽にも敵視されてしまう流れは自然といえば自然ですわね。
わたくしは、面白いのでとくにかばいだてもいたしませんけれど、ラガロ様は甘んじて非難を受けるおつもりのようで、本当に、あの夜からすっかりヒトが変わってしまったようです。
結婚式とそのあとの
イザイアから、わたくしに対して暴言があった、というお話しはお父さまにされたようですけれど、わたくしがいっさい気にも留めていないと言えば、お父さまは何かお考えのある素振りでしたが、詳しくはわたくしに話してはくださいませんでした。
ラガロ様に王城でお会いしても、スッキリとされたお顔立ちが目立つだけで、とくに絡んでも来ませんし。
(何を考えているのかはわかりませんけれど、それは今までと変わりませんわね)
イザイアもそばにいることですし、とくに心配することはないと、わたくしそう解釈しております。
フラグとかイベントとか、わたくしは知りません。知らないのです。
レオナルド様という防波堤のなくなってしまった今、そろそろ破滅フラグと溺愛フラグ持ちの皆さまについても本気で考えないといけないのですけれど、今日という日にまで頭を使うのはとても面倒ですわ。
スカーレット様たちの心配りをしっかり受け止めて、明日からの英気にいたしましょう。
「姉君、このズコット、美味しいですよ!」
ちゃっかりとお茶会のテーブルにつき、スカーレット様のズコットケーキを食べはじめているジョバンニ様に、シルヴィオ様の眉間にまた青筋が見えますけれど。
「せっかくですから、わたくしもいただきますわ」
その隣へ、わたくしもすとんと腰を落ち着けました。
最初から最後まで全部ジョバンニ様のペースですけれど、わたくしを元気づける、という点で誰よりも成功しているのはジョバンニ様ですもの。
そう思って、手ずから取り分けてくださったズコットケーキを受け取っていると、
「…………ジョバンニ、そういうのは、気を遣って殿下に譲るものだよ」
フェリックス様が、そんなふうに立場を失くしている殿下を気遣いますが、ジョバンニ様にはあまり意味がないように思うのです。
そう言う、「察する」とか「配慮する」ということと無縁そうですし。
ところが。
「目の前に傷ついた女性がいるんですから、誰かに気を遣っている場合ではないのでは?」
などと飄々とバクダンを落とすものですから、わたくし思わずケーキを取り落としそうになりました。
あまり世俗的なことにご関心がないかと思っていたジョバンニ様ですが、意外にもアレコレわかっていらっしゃったのでしょうか。
「ファウスト君に言われているんです。なんでもいいから、姉君が悲しそうだったら元気づけろって」
言う相手を間違えていないかしらと一瞬思いましたけれど、姉思いの
「誰がしたって、姉君が元気になるのなら、ボクはそれでいいと思いますけどね」
なんて、あまりにもストレートな言葉を投げるものですから、フェリックス様も、殿下も、ついでにシルヴィオ様も何か刺さってしまったよう。
「ファウスト君が、ここにもいればなぁ」
そんなことは知らぬ気に、ジョバンニ様の思考はファウストへ飛んでいってしまったようですが、三人の背が静かに押されてしまったような気がするのは、わたくしだけでしょうか───?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
(フェリックス視点)
どうしてこうなったのか。
───誰がしたって、姉君が元気になるのなら、ボクはそれでいいと思いますけどね。
ジョバンニが言った言葉を、繰り返し、何度も何度も思い出している。
*
ルクレツィア嬢がはじめて王城に姿を現したお茶会で、エンディミオン殿下が彼女に恋に落ちたことは一目でわかった。
並び順で言ってもスコルピオーネ家はすぐそばで様子を見ることができたし、会話の内容も、あれはあらかじめ他家にも聞かれやすいように小細工がされていたように思う。
噂に違わず、妖精のような佇まいのご令嬢はその
正直、噂など所詮噂で、ホンモノを見たあの衝撃は例える言葉もない。
オレ自身、アンジェロの妹なのだから相当なものだろうとわかっていたはずなのに、その姿に簡単に目を奪われて、その隣に当たり前のように寄り添っている幼い
(オレらしくない)
湧きあがった想いを、オレは慌ててかき消した。
*
物心つく前から、スコルピオーネ家の教育は徹底していた。
外交とは、諜報とは、ヒトの心に入ってその内側を全て詳らかにすることだと繰り返し叩き込まれた。
国も政治も経済も、ヒトが動かしている以上、誰かしらの思惑が必ずそこにあるから、誰が、どういう動機で、どういう絵図を描いているか、それを予め見通して、ステラフィッサの国益のために対処できるよう、すべての情報を集めるのがスコルピオーネ家の役割だった。
オレはまずその駒のひとつとして、ヒトの輪に入り、口を軽くし、些細なことからでもその奥の心理まで暴き出せるように、あらゆる手管を教え込まれた。
ゆくゆくはその情報そのものを父の外務大臣のように上手く利用する立場にならなければならないが、最初は情報の流れやその拾得方法を一から理解しなけらばならない、というのがスコルピオーネ家の教育方針だ。
オレは顔の作りもあいまって、女性をたらし込む才能があったようで、それを伸ばせとさらなる訓練を積まされたから、女性の気持ちはたいがい、手にとるようにわかるつもりだった。
相手から情報を聞き出すことが目的な以上、自分が相手の術中にはまることがないよう、心を制御することも呼吸と同じようにできなくてはいけなかったから、自分の心が自分の思うようにならないことなど、あるはずもないと思っていたのに。
呆気なく、笑顔ひとつでそれは覆されてしまった。
(でも、殿下の婚約者になる令嬢だ)
自分にも婚約者候補が二人いる。
はじめは、貿易の要である北東の港を取り仕切っているペイシ伯の令嬢マリレーナの名前があがったが、どうやらオレの顔を気に入ったらしいサジッタリオ家のクラリーチェ嬢の横槍が入り、自身の心に従って生きることを是とするサジッタリオ家と、貴族というよりは商人か投資家に近い強かさを持つペイシ家との間で暗黙の協定が結ばれた。
要は、オレの心を掴んだほうが婚約者になる、というものらしいが、スコルピオーネ家もそれに乗り、この状況にオレがどうたち振る舞うのか、父親は高みの見物というところだ。
それも殿下の婚約者が決まるまでだと思っていた。
景品に近いオレの意思はどこにもなくて、貴族の結婚なんてどうせそんなものだと、そう思えばこそ、理性で湧き上がる想いをなかったことにできるはずだったのに。
王妃陛下の思惑は見事に逸れて、エンディミオン殿下の想いは当のルクレツィア嬢には届かず、ガラッシア公爵にうまくかわされてしまった。
全員のアテが外れたのだ。
隣りいたシルヴィオだって、分かりやすいほど動揺して、自分の心と戦っているようだった。
いくら母親に焚きつけられたからと言って、自分が仕えるべき第一王子の婚約者になる令嬢にまさか懸想するはずもない、という思いは裏切られ、一目見て心奪われてしまった可憐な少女の微笑みに、彼の中にあるサジッタリオの血がうるさく騒ぎ、どうしたらいいのか、途方に暮れたような目をはじめて見た。
王子との形式だけの顔合わせは、殿下もビランチャ家もスコルピオーネ家も心ここにあらずで終わり、第二庭園へ。
改めて家同士での挨拶を交わしたが、ガラッシアの妖精の心はフワリとつかみどころがない。
己れの葛藤で精一杯のシルヴィオにはそれなりの笑顔を向け、人好きのするように笑いかけたオレには関心もないようなマナー通りの笑顔を返し、殿下の気持ちに鈍感なほどに見えた少女は、貴族令嬢というよりはその年頃の少女らしく、同性の友だちを持つことのほうに関心があるようだった。
それが悪いことだとは思わない。
けれど、公爵もアンジェロも、それを許しているのが解せない。
貴族として王家に仕え、その臣民として国に仕える以上、いくらか情勢を見て立ち居振る舞いを決めるくらいは当然のことのはずなのに、ガラッシア家は、それをしない。
確かに、建国王の妹姫から続く筆頭公爵家は、王族から臣民に降り、三代しか続かない他の公爵家とは訳が違う。
それでも、同じ貴族として、その有り様はずるくはないか。
自分の奥に根差してしまった想いをごまかすための苛立ちだとわかってはいても、代わりに幼い
(わかっている)
それが行く当てもない感情に振り回された故の言動だと。
(わかっている、けど)
(せめて、形だけでも殿下のものになってくれていればよかったのに)
殿下の気持ちが、例え届いていなくても少女に傾けられていったのを見ていれば、この気持ちはあっても邪魔になるだけだ。
シルヴィオと違って、オレは自分の気持ちをごまかすのは得意だ。
だから、殿下の想いが叶うように、手を貸すつもりでいたのに。
少女の心は、子どもに太刀打ちできるはずもない人物へ向かい、なす術もないまま、それから五年。
燻ったままの感情をそれぞれに持ち続けながら、ルクレツィア嬢の恋が破れてしまった今、オレたちが、オレができることは。
覚悟もないまま殿下を気遣ってみせるだけのオレに、ジョバンニのなんの遠慮もない言葉が心に深く突き刺さった。
(彼女が幸せであるなら、その相手は誰でも、オレだっていいんじゃないの?)
殿下のため、という言い訳を捨てて、その目をこちらに向けることができれば。
そう、思うのに。
ルクレツィア嬢を前にすると、今まで培ってきたすべての手練手管などまったく意味をなさなかった。
通用しないんじゃない、何も、出来なかった。
心のままに、想う相手に振り向いてもらうことの難しさに、オレはこれから、思い悩むことになる───
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