フェリックスを先頭にして、隠し通路チームは薄暗い階段をひたすら下りる。

 ルチアーノの光魔法の灯りで先を見通すと、意外なほど幅のある階段は、何度も踊り場で折り返し、邸の建つ山の斜面に沿って町の地下にまで下っているようだ。

 ヒールの靴音がいやに反響していた。

 歩くたびに土埃が舞うが、思っていたより閉塞感はなく、空気も通っている。

 穴を掘っただけの通路ではなく、天井、壁、床、としっかりと造られていて、いちばん下まで下りきったところにはいくつか扉があり、それぞれが部屋になっていた。

 家具も何もない空き部屋だったが、それなりの広さがある。


「……ここまでは、特に何もないな」


 フェリックスが人や魔物の気配を探りながら最下層まで下りてきたが、拍子抜けするほど何事も起こらない。

 埃の溜まった床に、真新しいがあったが、それだけだ。

 足跡は真っ直ぐに通路の先へ向かっている。


「もう少し迷宮の要素を期待していたのに……」


 一人だけ目的のずれたジョバンニが嘆くが、不謹慎だとシルヴィオにしっかり叱られた。


「何のために造られたのかしら……」


 おそるおそる空き部屋の中を覗くルチアーノには、階段を下りる間にかいつまんでグラーノの事情が説明された。

 聞いたところで半信半疑、自分が仕える主人の曽祖父だと言われても、見た目は幼い少年でしかない。

 本当の年齢は九十歳を超えているのだとしたら、その若返りの秘訣が知りたいくらいだ。

 それがスピカの誤作動のせいだとして、ただ病気を治すだけより、健康なルチアーノにはそちらのほうが余程魅力的に感じられた。

 もちろん、ジョバンニのように思ったことをすべて口に出して顰蹙を買うような真似はしないけれど、ルチアーノにとってグラーノの話は、それくらい嘘みたいな話だった。


「……イヴァーノとジャンルカは、なぜこの道を使うことにしたのか」


 まだ先のある通路の奥を見つめながら、思案気に侯爵とその息子の名を呼ぶ姿に幼さは微塵もないが、この少年が先々代の侯爵だと納得するには、まだ時間がかかりそうだ。


「距離的に、山を下りたらあとはもう真っ直ぐ参道の下って感じかな」

「案外、セーラ様たちよりも早く聖堂に着くかもしれませんね」


 一行を先導するフェリックスは油断なく通路の先まで気配を探っているが、全快とは言えない状態で疲れが出はじめているのか、そうは見せないようにしてはいるが、少し焦りが滲んでいるのをクラリーチェが寄り添ってサポートしていた。

 

「構造だけで言えば単純そのもの、隠すのは出入り口だけでいいってことか……。

 問題は、何のためにそんなものを造ったか、だけど」

「空き部屋についているのは内鍵だけで、宝物庫というわけでもなく、ヒトを閉じ込めるためにも使えないな」

「さすがシルヴィオ、目の付け所が物騒~。

 でもこんな地下深くにわざわざ建てたんだから、人目を避けたい何かのためにあるのは間違いないねぇ」

「ある程度広さもありますから、水場と食料さえあれば居住もできそうですね」

「クラリーチェも発想がもう貴族令嬢じゃないんだよなぁ」


 武門の家系の名門中の名門で、代々継がれる将軍の称号は名誉職にはなっているが、サジッタリオ家はお飾りではない。

 自分たちの恋心に真っ直ぐなのと同じだけその役割にも直向きな一族で、しっかり極限状態の行軍まで想定して訓練されているクラリーチェのたくまし過ぎる感想をフェリックスは笑ったが、


「ありますねぇ、水場。

 さすがにお風呂とはいきませんけど、身体は清められるし、奥のほうはにも丁度良さそうだ」


 ジョバンニが見つけた新たな設備で、それは笑えない冗談となった。


「それで、コッチにはご丁寧に水飲み場もあるけど……ナニ?町の下でホントに誰か住んでたの?」


 ルチアーノが開けた扉の先にも、人の生活を支えるための施設が整っていた。


「えぇ?マジでヴィジネー家謎すぎるんじゃない?」


 ルクレツィアが見れば、シェルターのような役割にも感じられただろう。

 そしてそれは十分に考え抜かれ、に備えているようにも見えた。


「災厄を、やり過ごすため……?」


 グラーノが抱いた感想は、まさにそれに近かった。

 地上が何某かの災害で住めなくなった時、これだけの設備があればある程度は凌げるかもしれない。


「なるほど、確かにそれなら説明はつくが────これは、千年前の建物か?」


 ピエタ聖堂が開かれたのは前の星の巫女の時代だ。

 今のような町が起こったのはそれからずいぶん後のことだが、聖堂を建てた時に合わせてこの地下施設を造ったというのなら……またしても整合性のとれない技術がそこにあった。

 シルヴィオの言葉に、全員がいい知れぬ不気味さを感じた。

 想定していたよりもずっと整備された隠し通路の先には別の役割があり、自分たちが持っている知識では到底説明できないがある。

 わかるのはそれだけで、得体の知れないものに対する恐れ、あるいは好奇心が芽生えるだけだ。

 もちろん、好奇心を感じているのはこの中のたった一人だけではあるけれど。


「うーん、これは歴史の認識を改めるべきだろうか?それこそ正史以前の研究をもっと積極的に進めていって遺跡を掘り進めていけば似たような施設が出てくるかも知れないしまずこのピエタの町から調べたら何か出てくるかもしれないけれどまずは父上に見てもらえばこれがいつからある建造物なのかわかるかもしれないなぁ……。

 ということでみなさん、さくさく前に進みましょう。早く帰って調べたいことができました!」


 ペタペタと壁や柱をまさぐりながら、目をキラキラと輝かせたジョバンニに、この先に進んで起こることへの不安感は一切ないようだ。


 おそらくこの中でもっとも頭の回転が早いのはジョバンニだが、シルヴィオのように危機管理うんぬんというのはジョバンニの頭にはないので、考えても仕方のないことには時間を割かず、自分の興味にだけ思考を使い果たせる様はいっそうらやましいなとシルヴィオも毒気を抜かれてしまった。


「確かに、ここで立ち止まって考えても時間の無駄だな」

「おやおや。

 これまでがんばって諌めてきてたのに、ついにシルヴィオまでジョバンニに降参しちゃったか」

「降参じゃない。戦略的撤退だ。

 どのみち、何が起こったとしても聖堂には向かわなくてはならないんだ。

 そっちこそ、今ここを漁って何か見つかると思うのか」

「何かって?」

「星の災厄の手がかりでも、この施設の謎でも、何でも。

 ここへ来てからずっと探索の魔法を使っているだろう」

「……ん?あぁ、そうだね。

 通路全体の構造はだいたいわかったし、生き物の気配はオレたち以外、ネズミ一匹いないのが逆に怖いよね。

 これ以上探っても何も出てきそうにないけど、念のため、ね」

「そんな青い顔をして、もういい加減にしたら──」

「お二人とも、ぐずぐずしてると置いていきますよ!」


 さすがに顔色の悪くなってきたフェリックスを止めようとしたが、気持ちの赴くまま光源を持つルチアーノを引きずって先に歩き出してしまったジョバンニが遠いところから二人に呼びかけた。


「ねえ!ちょっと!

 この子なんなの!?自由過ぎるんだけど!!」

「ジョバンニ殿っ、そのように服を引っ張ってはルチアーノの首が……!」


 自由の最たるような格好をしたルチアーノが叫んで、グラーノがおろおろと宥めようとしているのに、シルヴィオはため息が止まらなくなった。


「おい、勝手に先に行くな!」


 結局、戦略的撤退もままならずに、ジョバンニを諌める役は降りられそうにない。


「あーあー。ジョバンニといるとホントにいろいろバカバカしくなるなあ」


 慌てて三人の後を追うシルヴィオを見送って、フェリックスもひとつ深く息を吐いた。

 本当に、いろいろと、考えている自分が馬鹿馬鹿しくなる。


「フェリックス様?お疲れでしょうけれど、私たちも参りましょう」


 クラリーチェにそっと背を押され、フェリックスはまた顔に笑みを貼り付けた。


「置いていかれるわけにはいかないからね」


 気遣うようなクラリーチェを逆にエスコートするように腕を差し出したフェリックスに、いつものようにクラリーチェもそっと指をかける。

 馬車で膝枕をするまでとてつもなく恥ずかしがっていたのも、今はもうすっかり元通りだ。

 元通り、ではあるけれど。


「?」


 二人で歩き出しながらも、クラリーチェはほんの少しの違和感を感じていた。

 ほんの少し、砂粒ほどのそれに首を傾げて、フェリックスを窺い見る。

 いつもの甘い作りの横顔は、疲れては見えるけれど、特に何かおかしなところはない。

 行く先に意識を濃く向けているようなのは、探索の魔法で、少しでも早く危険を察知しようとしているのだろう。

 馬車の中ではほとんど気を失うように寝ているだけになるくらいに消耗していたのに、無理をし過ぎていないか心配になるけれど、言って止めるのならシルヴィオに言われた時点で止めている。

 せめて倒れる前には実力行使でも止められるようにと物騒なことを考えながら、その違和感をきっと気のせいだろうとクラリーチェは自分を納得させたが、……なんとなく忘れることができなかった。



 隠し通路の終わりは、唐突にやってきた。

 行き止まりになったそこは、下りてきたような階段ではなく、大きな両開きの扉がぴたりと閉まっていた。


「儂が開けましょう」


 何か仕掛けがあるのか、シルヴィオが手をかけようとしたのを押し留め、グラーノが前に出た。


「おそらく、ヴィジネー家の者でなくてはどこも開きません」


 邸の主寝室もそうだが、隠し通路の扉も、最終的にはヴィジネー家の魔力を通すことで鍵が作動する仕組みになっている。

 原始的な仕組みの魔法だが、古い魔法だ。

 書き換えることが難しい、これも制約魔法のひとつだ。


「本当にヴィジネー家の子なのね……」


 簡単に扉を開いたグラーノに、いまひとつその正体に実感のないルチアーノがしみじみと呟いた。


 グラーノが開いた先は二重扉になっていて、エントランスのような空間に、もう一回り大きく頑丈そうな扉が構えていた。


「……待った。何か、……誰かいるかも」


 ここでようやく、フェリックスの探知に反応があった。

 扉の先に、誰かいる。

 ここまで気付かなかったのは、この扉自体に何かを遮るための魔法がかけられているのに加えて、対象の気配がだいぶ薄いせいだ。


「でも、なんか、知ってる、かも?」


 自分が知っている人物の気配に限りなく近いのに、あまりにも弱くなっている。

 それに、どうしてその人が────?


 フェリックスの困惑している様子に、シルヴィオとクラリーチェは顔を見合わせる。


「危険がないなら、開けちゃいましょう!」


 躊躇わないのはジョバンニだけ。

 ここで留まっていても、後戻りはできないし、答え合わせはできない。


「開けてよろしいか?」


 グラーノの確認に思案しながらも、フェリックスの顔から危険のある人物には思えず、シルヴィオは慎重に頷いた。


「それでは────」


 頷き返したグラーノが、ドアノブに力を込める。

 開錠される音が仰々しく響いて、いやにゆっくりと重たい扉は開いた。


「これは…………、」


 何が待ち受けているか、覚悟して臨んだはずなのに。

 シルヴィオは息を飲み、全員も大概同じ反応になった。


 今まで見てきた通路や部屋とは比べ物にならない、広大な空間がそこにあった。

 建造物ではない、自然の空間。

 大きな口を開けていたのは洞窟で、その中心には光を湛えた水が張って、並々とした地底湖がシルヴィオたちを待ち受けていた。


 ルチアーノの光魔法がなくても、ふわふわといくつかの光球が浮かんで洞窟全体を照らしていた。

 その光が湖の表面を輝かせているのか、おおよその大きさが測れるほどに視界は明るい。

 予想以上のものが目の前に広がり呆然とする六人だったが、すぐにフェリックスが気がついた。


「あそこ!」


 湖の中心には、祭壇のような社のある小島が浮かんでいた。

 その小島に接岸している小舟があった。

 そこに、人がいる。

 正確には、小舟の中に横たわっている人物がいる。


「あれは……」


 小舟に横たわっている人影は、遠目に見ても白く浮かび上がって見えた。

 グラーノには、その人物が誰かすぐにわかった。

 もまた、正しくグラーノの身内、ヴィジネー家の血統。

 弟が可愛がっていた、その後継者。


「ヴィジネー、大司教か?」


 フェリックスは呼びかけたが、小舟の人影はぴくりとも動かなかった。



***



 隠し通路の階段を下っていく六人を見送ったエンディミオンたち地上チームは、邸の外に出た。

 いつの間にか太陽は南を過ぎていたが、昼下がりの山林にはまだ夏の気配が濃い。


「巫女は、ラガロと私、どちらがいい?」


 馬車より直接馬に乗って山を下りたほうが身軽だろうというエンディミオンの判断で、ラガロが自分の馬とここまで馬車を引いてきた観光馬に手綱を付けて連れてきた。

 ヴィジネー家の私兵と先行してピエタにやって来た騎士団の馬は、人と同様きれいに居なくなっていた。

 山道を馬車を引くために訓練された馬は乗馬には不向きだが、ラガロによく従って、エンディミオン、アンジェロ、ベアトリーチェと、貴族の嗜みとはいえ並みの乗り手とはとても言えない技術を身につけている三人には何の問題もなかった。

 唯一、乗馬の経験がないのはセーラだけ。

 異世界では馬に頼らずともありとあらゆる移動手段があるのだと言えばジョバンニがかぶりつきそうな話だが、ここには居ないので「へえ」だけで滞りなく話は進んだ。

 それでは誰かの馬に相乗りしなければという話になって、エンディミオンの冒頭のセリフとなる。

 選択肢にアンジェロが入っていないのは、ベアトリーチェの手前エンディミオンが気を遣ったためだ。

 そのベアトリーチェも、慣れない馬に、さらに乗馬に不慣れなセーラを乗せてエンディミオンたちに着いていくまでの技量ではないと判断されて外されている。

 そうして残った選択肢は二人、聖なる巫女に王子と騎士が並んで手を差し伸べれば乙女ゲームのイベント絵まっしぐらだったが、現実は淡々とした確認のみだ。

 エンディミオンの問いに、セーラは二頭の馬を見比べる。

 栗毛の観光馬は足が短くたくましく朴訥とした顔をしており、対してラガロの軍馬は艶々とした青毛に隆々とした体格で、乗るにも一苦労しそうな大きさだ。

 乗馬の腕や安定感で言えばラガロのほうが間違いないのだろうが、持ち主に似たような顔つきのほうの黒馬は素直に怖い。


「エンディミオン様で」


 一緒に乗る相手、ではなく馬を比べてセーラは即決した。


「わかった。

 それじゃあ手を貸すから、ゆっくり乗ろう」


 甘い雰囲気はかけらもなく、乙女ゲームのイベントとしては何ひとつ成立しないまま、セーラは馬上からエンディミオンの手を借り、後ろからラガロに荷物のように軽々と持ち上げられて馬に乗ることができた。


「さて、行こうか」


 そうして速やかに一行は出立する。

 ルクレツィアが居ればとても歯がゆい気持ちになっただろうが、乙女ゲーム的思考の持ち主は今この場にはいない。

 どちらかというと、ルクレツィアを救うという目的をひとつにした敬虔な信徒のような心持ちの集まりなので、浮き立つような雰囲気は皆無だった。


 ラガロを先頭に、山道を下りていく。

 セーラを慮って駆け足とはいかないが、軍馬の足並みにエンディミオンたちの乗る観光馬はよく着いて行った。

 ルチアーノの話では、町の範囲を出ない限りは行ったきり帰って来ない、ということはなく、来た道を外れずに下れば参道はすぐだ。

 木立の間から夏らしい日差しがこぼれてくる。

 風で揺れる葉擦れの音がいやに響くだけで、相変わらずしんと静かな道行きだ。


「セミの声ひとつしないのは、鳥のせいかな」


 故意に集められた天敵の脅威によって、このあたり一帯は虫も息を殺して隠れているのか、駆逐されたのか。


「その鳥も、今は一羽も見当たりませんわ……」


 アンジェロの呟きにベアトリーチェが答え、あとは馬の蹄が虚しくこだまする。

 ラガロも警戒して目を配るが、鳥影ひとつない夏空はいっそ嵐の前の静けさのようで、ピエタの町を中心としたどこかに鳥の魔物の本体が潜んでいることを殊更に煽りたてるかのようだった。

 首筋を走る緊張感は、宿営地で魔物に襲われる前の比ではない。

 どこからか見ているがあると、星はラガロに常に訴えかけてくる。


「今ここで襲いかかってくれば、話は早いものを」


 その存在だけを感じさせて姿を見せないのは、まだ昼日中だからか。

 一人でも制圧する自信があるからこその言葉だが、今までとは違う統率された動きをする魔物の意図は、やはり読めない。


「急いても仕方ない。

 正体のわからないものを相手に、どうしてもこちらが後手に回らざるを得ないのだから」


 ラガロを宥めるエンディミオンの言葉は悠長にも聞こえるが、その横顔はずっと険しい。


 ラガロと同じくらい、それ以上にエンディミオンは現状に危機感を抱いていた。

 狼、蛇、鼠ときて、今回の魔物は鳥だ。

 機動力が違うのは昨晩の襲撃で嫌というほど実感している。

 この山間の小さな町で、昨日と同じように空から襲撃を受ければどうなるか。

 昨晩、エンディミオンたちがいた峠の宿営地は普段は観光客が使うもので、紅葉シーズンの観光客の規模の天幕を張るために整地されていたため、十分な広さがあった。

 それでも王太子と救世の巫女を擁する一行は当然のように大所帯で、所狭しと張られた天幕はズタズタに切り裂かれ、騎士も馬も夥しい鳥に追い立てられて逃げ場を失ったせいで大打撃を受けたのだ。

 ラガロは上手く大鷲の魔物を天幕が潰れて空いた場所へ誘導し、火魔法で無双しても山林に被害を及ぼすことはなかったが、ピエタの町の中ではそうはいかない。

 観光客のための宿屋、土産物屋、飲食店が参道を挟んで立ち並んでいる。それは町に住む人々の生活そのものであり、壊れてもすぐ建て直せば済む、というものではない。

 建物が途切れても、元は人が暮らしていることも分からないほどの山奥に隠されるようにして存在していた小さな集落だ。山肌がすぐそこに迫っていて、開けた土地などまったくない中で、迎え撃ったとして建物や木々を焼かないようにラガロの力を抑えて闘うのは至難の業だろう。

 あれだけの風魔法を放つ魔物と、それに従う鳥の大群を前に、できれば町を破壊したくないと思うのは傲慢だろうか。

 それでも王国民の暮らしを守る王族として、王太子として、人々の生活を壊すようなことは最低限にしたい。

 こちらの戦力と魔物の力を考えて、どこからどう攻められても対応できるだけの戦い方を考えなければと、エンディミオンは忙しなく思考を巡らせようとしたが、木立の隙間から時折覗くピエタ聖堂の尖塔とステンドグラスの煌めきが、心をざわつかせて集中できなかった。


 そこに、誰が居ても構わない。

 そこで、何が起こっても受けて立つ。

 けれど、ルクレツィアを救う邪魔だけはしないでくれ。


 悪意のある誰かが待ち受けているのは確かだ。

 その悪意のある誰かの目的が何なのか、仮に魔物を操るほどの力を持っていたとして、考えらる可能性はかなり絞られる。

 どんな手段か、町から騎士団やルチアーノを除いたヴィジネー家の一行を排除し、自分たちも足止めをされた。

 幸いなのか、それともそれも策の内なのか、エンディミオンと巫女たちだけが無人の町へたどり着いた。

 星を、スピカを狙っているのだろうと、自ずとわかる。

 魔物を操る力など聞いたこともないが、そんな力を持っていたとして、星の力はなお魅力的だ。

 どこで話が漏れたのかはわからないが、誰かが星の力を横取りしようとしているのは明白だ。

 王族から国の中枢に携わる高位貴族、そこに連なる官僚、騎士と、星の探索に関わる人間は決して少なくない。

 それでも星の災厄で引き起こされる事態が決して楽観視できるものではないことから、統制はされているはずだった。

 国外にも、漏れてはいないはず。

 他国の諜報員が紛れていたとして、彼らを把握し、泳がせるスコルピオーネ家の手腕を疑ってはいない。

 それでは一体誰が?

 疑問は最初に戻るが、結局はそれが誰であろうと、ルクレツィアを救う最後の手段を奪われるわけにはいかない。

 星の災厄、ヴィジネー家の秘密、正体の知れない、魔物の脅威……考えなければならないこと沢山あるが、本当に叶えたい願いはひとつ。

 ルクレツィアを救う、それだけ。

 それだけが、今のエンディミオンを突き動かしている。


「────エンディミオン様」


 エンディミオンの悲愴な想いが伝わったのか、前に乗って腕に囲い込まれるようにしていたセーラが小さく呼びかけてきた。

 ほとんど経験のない乗馬で、必死に体勢を保ちながら話す余裕も本当はないけれど、背中を預けている人が思い詰めているのは、その張り詰めた雰囲気でわかる。


「みんなで、ティアちゃんをたすけましょ?」


 言えるのはそれくらいのことだけ、そのために何をしたらいいのかもまだわからないけれど、一人で背負おうとするエンディミオンには、みんなが付いているんだと忘れないでほしい。


「……そうだな」


 セーラの言葉に、行きがけにシルヴィオに言われたことをエンディミオンは思い出した。

 自分一人の願いではない。

 巫女やシルヴィオたち、ここへ至るまで力を貸してくれた、王都に残っているスカーレットたちだって、ルクレツィアが助かることを今も一心に願ってくれているだろう。

 全員で、ルクレツィアを助けるのだ。

 その全員を数えるのに、エンディミオンは真っ先に彼の顔が思い浮かんだ。

 彼がルクレツィアを助けたいと願っているのは分かりきっている。

 普段はルクレツィアとの距離が近過ぎて気になることも多いが、このひと月、本当であれば誰よりも頼りたかった相手。

 ……どこに居るのか、消えてしまったまま所在の知れないファウストに、エンディミオンは思いを馳せる。

 ファウストが居てくれれば、誰よりも気持ちを分かち合ってこの場に臨めただろう。

 それほどに、ファウストのルクレツィアを思う気持ちが強いことを知っている。

 見ないふりもできないほど、ファウストの心はいつもルクレツィアに向かっている。

 もちろん、その思いの強さで負けるつもりはないけれど、兄のアンジェロではなく、義弟のファウストにこの正念場で隣りに立っていてほしいと思うのは、どこかでその思いの種類が同じだと気付いているからだ。

 ファウストなら、どこにいても、自分がどうなろうと、きっとルクレツィアを救おうと考えるはず。

 ここには居なくても、エンディミオンと同じだけの思いでいることは疑いようがない。


(早く帰って来い、ファウスト)


 その気持ちごとここに連れてくるような思いで、エンディミオンは決意を新たにした。


 スピカを得て、ルクレツィアを救う。

 それを邪魔するものは、排除する。

 魔物も、正体不明の誰かも、その目的がなんであれ、まず星を掠め取るのは国家に対する反逆だ。

 自分のしようとしていることを棚にあげている自覚はあるが、向こうが円滑な星の獲得を妨げているのは明白だ。

 まだ理はこちらにある。

 そうして、問題のヴィジネー家の謎だが、これはあとでもいいだろう。

 星の災厄までまだ時間はある。

 結論を急ぐ必要はない。

 そのためにもピエタの町の被害は最小限に留めておきたいが、魔物の出方次第だ。

 これはラガロやシルヴィオたちと作戦をたてる必要があるが、こちらには海凪の巫女の血を引くアンジェロがいるのだ。

 水を扱えるのはアンジェロだけではない。フェリックスにジョバンニもいる。

 大規模な火災はまず防げるはず。


 目的を明らかにして、優先順位を付けると、いくらかエンディミオンは落ち着いた。

 一人ですべて背負うのではなく、向かう先が同じ仲間がいることはこれほどに力強い。

 

 山を下り切り、参道とヴィジネー家の邸への道とに分かれた町の入り口まで戻ってきた。

 真っ白に舗装された道の両脇に、暖簾を下ろして締め切られた商店が並んでいる。

 真っ直ぐ前を向けば、夏の緑に生い茂った山々を背景に、ヴィジネー家の邸と同じく、真っ白な壁に蔦の這う聖堂のシルエット。


「鬼が出るか邪が出るか……」


 一度馬の足を止めて、エンディミオンはピエタ聖堂を見上げた。

 

 王都の大聖堂ドゥオモとよく似た丸屋根の礼拝堂の後ろに、煙突のように尖塔が直立している。

 一際高い鐘楼には今は人影もなく、ついさっき高らかに打ち鳴らされていたのが嘘のようだ。

 礼拝堂の屋根から壁は、色とりどりのステンドグラスが嵌められて、太陽光を鮮やかに散らしている。


「……いきなり、お店の中からゾンビみたいになった人たちが襲ってきたりは……、ないですよね?」


 ふと、元の世界で見た映画のワンシーンがセーラの脳裏を横切った。

 静かな風景が、一転して地獄絵図になるような演出だ。


「ぞんび?が何か分からないけど、確か邸にいた騎士たちは皆居なくなったと」


「いいえ、殿下。それは一昨日の晩の話です。

 昨日居なくなった者たちは、邸から居なくなっただけで、ルチアーノは行先も見ていないのでは……」


 アンジェロが指摘した矢先、今までしんと静まりかえっていた町中で大きな音が響いた。


「!?」


 手前の店だ。何かが壁にドンとぶつかったような音がして、全員の視線が向く。

 ラガロが咄嗟に前に出てエンディミオンたちをかばい、警戒の瞳を向ける。

 アンジェロもベアトリーチェを下がらせながらラガロの横に並んで様子を窺う。

 誰も居ないと思っていた建物の影から、ザリザリと砂利を引きずって歩く音が続いて、誰かの指が、壁の向こう側から角を掴むようにぬっと現れた。

 

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見ず知らずの(たぶん)乙女ゲームに(おそらく)悪役令嬢として転生したので(とりあえず)破滅回避をめざします! 常羽すな子 @sand-child

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