『変な夢見た。

 真っ暗で、大きな星みたいな眼だけあって、声が響いてた。

 “十二の月のない夜、一番星の煌めきを集めよ”って。

 集めてくださいって言え。

 これ集めたら、家に帰れるのかな』


 殿下とシルヴィオ様が発見した前の巫女様のはじめの日記には、先に見つけた二冊目より有用な情報がしっかりと書かれていました。

 前の巫女様──まぎらわしいので、はじめのノートの裏に書かれていたお名前、エリサ様でお呼びしましょう、エリサ様はまだバル様に恋していなかったようです。

 巫女様──セーラ様に読んでもらいながら、わたくしも内容を確認いたしましたけれど、この夢が、大きなヒントとして当初はエリサ様を導いていたようです。

 月のない夜、つまり新月の夜に、何某かの手段で一番星の煌めき、十二の星を回収することで、災厄を止める大いなる力を手に入れられるということでしょうか。

 エリサ様の日記は、最初の方のページは元の世界の星座や惑星についてまとめられており、途中から日記としてお使いになられたようです。

 こちらへ来て何日か経ったあと、落ち着いた頃からはじまって、高校の天文学部の活動中、天体ショーを観察していた記憶を最後に、気がついたらバルダッサーレ様に介抱されていたことが書かれていました。

 まだ星の巫女やアステラ神様については誰も何も知らない様子で、帰り道のわからない少女を保護し、たまたまはじめの星を得たことでバルダッサーレ様の部下の一人が不思議な力に目覚め、少女と一緒に星を探すことを決めた経緯が読みとれました。

 

 一千年前、今のステラフィッサ王国のある一帯は多くの部族が覇権を争っており、バルダッサーレ様もその一角として、現在の王都の辺りを拠点としておりました。

 これは王国史の基礎中の基礎ですけれど、そこからどのように数多の部族を従え、ステラフィッサ王国を築き上げたかというと、アステラ神の加護と星の巫女様の支えがあり、という一文に集約されてしまいます。

 その具体的な部分を知るには王家の古書や禁書などを紐解く必要があるのですが、王子殿下は勉強熱心ですし、アンジェロお兄さま、ファウスト、側近三銃士の皆さまも当たり前の嗜みのようにすでに知識をお持ちでした。

 かく言うわたくしも、この世界ゲームを知るにあたり、手当たり次第歴史書まで読んでいたので、だいたいは把握しておりますけれど。

 はじめの日記から二冊目の日記に書かれていた地名やお名前の多くは、今の十二貴族の祖に繋がるものだということもわかっております。

 力を得た部下の一人というのはサジッタリオ侯爵家の始祖様で、元々バルダッサーレ様の軍師のような方が、星の力を得て以来、ずば抜けた軍略の才と百発百中の弓術の腕を手に入れ、それからのバルダッサーレ様の進軍を有利に導いていくことになります。

 最初の六つの星は、バルダッサーレ様の側近の部下六名、十二貴族六侯爵家のそれぞれの始祖様に力を与えたようです。

 二冊目は八つ目までの星について書かれており、六伯爵家の始祖様たちは、その後からバルダッサーレ様の軍勢に加わった他部族の族長様のようです。



 はじめの日記を見つけ、ここまでまとめるまでに二週間、乙女ゲームの開始としてなかなかのスタートダッシュを決められましたわね。

 あとはどのように星を集めていけば良いのか、ということになりますが、セーラ様はエリサ様のような夢をまだ見たことがないそうで、手がかりは日記のみです。

 はじめの星をたまたま得られたエリサ様のような幸運は、なかなか望めません。

 星の民の《おっさん》様と出会ったのも、二つ目の星を探す過程で、行き倒れていたのをバルダッサーレ様がまた拾われたようですので、エリサ様に引き続き本当に人が良いのですわね、バル様。

 そういうお人柄が部下に慕われ、ゆくゆくはステラフィッサ王国を建国することになるのですから、こういうのを本当に、星に導かれて、というのでしょうか。


 そうして星の民の消息については、まだ何もつかめていないようです。

 忽然と、歴史の中から記述が消されているのは、何某かの意図があって、ということですわね。

 おっさん様は、星の神の声を聞いて巫女が降りてきたことを知り、人里離れた村を旅立ち、挙げ句に行き倒れてしまっていたようです。

 おっさん様の導きで、エリサ様は二つ目以降の星も順調に手に入れているようですけれど、やれ星の巫女らしくしろだの、アステラ神様の声を聞く努力を怠るななど、さんざんお小言を言われて辟易していた様子が窺えます。

 というか、日記の後半がだいたい愚痴です。

 日記とはそういうものですけれど、セーラ様が気を遣って読み飛ばした内容をわたくしも読めてしまっておりますので、初代の王妃陛下で、聖なる巫女様とはいえ、やはり現代ニホンから異世界召喚された女子高生らしいなどと、感慨深くなったものです。


「次の新月までに、星の回収場所を絞り込まないといけないわけだけれど」


 作戦会議は、王城で開かれております。

 メンバーは、殿下、セーラ様、公爵家三兄妹、側近三銃士の皆さま、そして、なぜかジョバンニ様が。

 セーラ様はジョバンニ様にはじめてお会いになるようでしたけれど、意外とあっさりその存在感を受け止めていらっしゃいました。

 多種多様な人種の暮らす現代社会で生きて、異世界に飛ばされるなどという経験をすると、一人だけスチームパンクで世界観が異なっていることなどは些事、ということでしょうか。

 巫女様が巫女様たる度量を見せられた思いがいたします。

 ジョバンニ様は、巫女様の世界に学術的な興味がおありのようですけれど、まずは災厄に関する意見交換が先と、今回は弁えていらっしゃるよう。

 出会いから八年、成長が見られます。


「一番星の出る時間、方角はある程度計算できますよ」


 などと、ジョバンニ様にしては頼もしい発言をして、殿下も強く頷いております。


「当時の行軍記録と合わせれば、さらに確度は上がります」


 加えてファウストも言い足したことで、だいたいの場所の選定は進められそうです。


「そこは二人に任せよう。

 だが問題は、どうやってその星の煌めきとやらを集めるか、だが」

「形状もわかりませんし、本当に星が落ちてくるものなのか、光が差すような比喩なのか、今ひとつはっきりしませんね」


 お兄さまが首を傾げ、何か手がかりはないものかと読めない日記を覗き込むようにしております。


「巫女様、もう一度カルロという人物が出てきたところを読んでいただけませんか」


 カルロ様は、はじめの星を手にしたサジッタリオ家の始祖様のお名前です。

 シルヴィオ様がセーラ様に確認すると、セーラ様が日記を手に取りました。


『なんか超キラキラしてた!

 すくおうとしたけど、危ないからってカルロさんが代わりに行ってくれて、そしたらヒュンヒュンってなって、宝石みたいのが出てきた!』


 セーラ様が読み返してくださった部分で気になるのは、ここ、ですわね。


「すくう……救う……掬う?ってことは、水じゃない?」


 フェリックス様も同じところに気がついたようです。


「つまり、発現場所は水辺に限定されて、目に見えてそれとわかる輝きがあり、最終的には形になるようなものを集めればいい、ということになるかな」

「ファウスト、さらに絞り込めるかい?」

「おそらく」


 殿下がまとめると、お兄さまとファウストが確認し合いました。


(……まぁ。なんだか攻略対象の皆さまがとても素敵で頼もしく見えてきましたわ)


 これが乙女ゲーム。

 わたくしですらこうなのですから、セーラ様はというと。


「すっごーい!

 みんながいれば、あっという間に星見つけられちゃいそうだね!」


 頬を紅潮させ、キラキラとした尊敬の眼差しで皆さまを見ております。


(……これはっ、こんな眼で見られたら、ひとたまりもありませんわ!)


 側で見ていたわたくしまでトキメクような巫女様の輝かしさに、攻略対象の皆さまはというと。


(……なぜっ、なぜこちらを見ているのです?!

 わたくしに巫女様のような反応を期待なさらないでくださいませ!)


 お兄さままで期待の目をしているものですから、仕方なく控えめに微笑み返し、小さく拍手をしておきました。

 それだけで揃ってまんざらでもない、というお顔をなさるのはなんなんですの。

 ファウストとジョバンニ様までちょっと誇らしげです。


(巫女様、巫女様に超がんばっていただきませんと!)


 このままでは、恋愛イベントのほうはまだまだ進みそうにありませんわね。


**


「え?わたくしはお留守番ですの?」


 ファウストとジョバンニ様で場所の選定を進めたところ、最初の星が現れたのは王都の南西、サダリ湖に向かい扇状に広がるガラッシア領の中骨の部分の南側に接しているサジッタリオ領内ということがわかりました。

 最初の星を受けたカルロ様がサジッタリオ侯爵家の始祖様ですから、さもありなん、と言ったところでしょうか。

 あとの星の発現場所も同じようにわかりやすい配置ですと、今後も攻略しやすくて助かりますわね。


 サジッタリオ領の多くは山地で、小川や湧水からなる泉などが散見されます。

 先行してラガロ様とフェリックス様が調査に向かい、そこからさらに情報をかき集めた結果、サジッタリオ領の外れ、王都との領境に広がる山の麓に、洞窟に造りつけたような古びた教会があることがわかりました。

 すでに司祭もつかない教会跡地のような扱いのため、ヴィジネー大司教の協力も得て調べてみると、その教会はステラフィッサの建国当時からあるもので、カルロ様が建築に携わっている記録が見つかりました。

 教会の奥は洞窟と繋がり、さらに奥へ進むと、天井にぽっかりと穴の開いた空洞に突き当たり、そこには清浄な泉が湧き出ているということですから、これはもう、当たりなのでは?

 付近に伝承など残されていないかも確認しましたが、具体的なお話はなくとも、星のよく見える夜は、その泉には星明かりが降り注ぎ、風もないのに波立つことがあると、教会の手入れをしている村人たちの間では、星神様の霊験あらたかな地であると信仰の対象になっていたようです。


 そんないかにも何かが起こりそうな場所ですのに、わたくし、お兄さまにお留守番を言い渡されてしまいました。

 王都とも近く、馬車で行って帰るにしても一週間とかからない場所ですのに、なぜわたくしはお留守番なんですの?!


「まだ何が起こるかわからないし、巫女様は連れて行く必要はあるけれど、ティアまで大変な思いをしなくてもいいんじゃないのかな?」


 たった一週間の旅ですのに、乙女ゲームのイベントだってあるかもしれませんのに、わたくしだけ、お留守番!!?


 とってもとっても不服なので頬を膨らませてみましたが、お兄さまも譲りません。


「そんなに可愛い顔をしてもダメだよ。

 それにティアだけじゃなくて、そう、ジョバンニも王都に残るから」


(残るからなんだというのですっ。

 ジョバンニ様はサブキャラだからついていく必然性がないだけではありませんの?

 …………そんなことを言いましたら、悪役令嬢のわたくしがついていく必要性はさらにありませんけれど…………)


 そう言えばの事実に気がついて、今度はしょぼんと落ち込みました。

 わたくしのいないところで、幻想的な光景を見ながら皆さまロマンチックな気持ちになっていただければ、側には巫女様しかおりませんし、せめて誰かしらの恋愛イベントが発生することを祈っているより仕方ありませんかしら。


「お土産をたくさん買ってくるよ」


 わたくしのしおれた様子に、お兄さまの慰め方のなんてヘタなことでしょう。

 幼い子どもではありませんのよ。

 わたくしのお願いを断って拗ねられることに慣れていないお兄さまですから、狼狽えてしまっておりますわね。


「キラキラと美しい場所のようですから、一目見てみたかったのですけれど……」


 少しだけ意趣返しのつもりで、さらに悲しげな顔を作ってみせました。


「……そんな顔をしないでほしい。

 私がティアに悲しい顔をさせていると思うと、辛くなってくるよ」


 お兄さまの良心がキリキリと痛んでいるようです。

 わたくしの頬に触れて、お兄さままでこの世の終わりのような顔をしております。


「兄上、姉上に景色を見ていただくことはできるのでは?」


 今まで黙って兄姉のやりとりを見ていたファウストが、助け舟を出すように口を開きました。


「……そうかっ、映写機カメラがあったね!」

「はい」


 お兄さまも、なぜ思いつかなかったのか、というお顔で瞳に明るい光が戻ってきました。


「記録用にもともと持っていくつもりでしたから、遠見ができる媒体と繋いでいけば、姉上もいっしょにご覧になれます」

「こんなに長距離ははじめてじゃないかな?」

「前回のオフシーズンの際、ガラッシア領都と王都間での試験は問題ありませんでした」


(さすがファウスト、抜かりがありませんわ。でも……)


「いっしょにとは言っても、映像だけですもの。お話できるわけでもありませんし、一人で見るのと代わりありませんわ」


 今日のわたくしはいつものように聞き分けはよくありませんわよ。

 だって、お留守番なんですもの!

 普段あまり見せないヘソの曲げ方に、さぞファウストも困るだろうと思ったのですけれど。


「姉上」


 わたくしに詰め寄る義弟おとうとの目が、なぜか輝いております。


「つまり、映写機カメラ越しでも会話ができるようになればよい、と?」


(……あら?またわたくし、ファウストの物作りに新たな展開を生んでしまいましたかしら)


 カメラ越しにお話、なんて、ビデオ通話みたいですわね。

 前世の世界なら、当たり前のようにできたことです。

 けれどこちらでは、まだ遠隔地同士で会話をするのは余程の高等魔法を込めた魔石を通してしか叶わないことですし、それも数分しか持ちません。

 お手紙などの書簡を転移で飛ばすのが主流ですわね。

 転移魔法も人に使えるほど発達はしておりませんから、本当に、紙くらいしか行き来させられないのですけれど、リアルタイムで言葉のやり取りができ、さらにお顔まで見られるようになれば、それはなかなかすごい発明になりますわよ。


「姉君!!新しい発明と聞いて!!」


 どこからいらっしゃったのか、ジョバンニ様が飛び込んできました。

 ファウストの助手を自称して八年超、公爵家の邸はすでに我が物顔でいらっしゃるので、先触れもなくいつ何時いらっしゃっても驚いたりはしないのですけれど、どうしてこういうタイミングの良さを発揮できるのでしょうか、なかなかに嗅覚に優れていると言わざるを得ません。


「サジッタリオ領に出発するまで十日、いえ、一週間ください。

 作って参ります」


 火のついたファウストを止めるものはありません。


「ジョバンニ、手伝って」

「もちろんだともっ」


 来たばかりのジョバンニ様を引き連れて、ファウストは去って行きました。

 あれは工房に籠るつもりですわね。


「……わたくし、またファウストに余計なことを言いましたでしょうか」

「いや、いいんじゃないかな。

 遠くにいてもティアと顔を見て話せるようになるなら、人類にとって福音だろう?」


(そう、ですかしら……?)


 お兄さまの基準が果てしなく狂っていらっしゃるような気がするのは、わたくしの気のせいでしょうか。


「ひとまず、父上に報告をしてくるよ。

 本当に、我が家の弟はよく出来た子だ」


 お兄さまは満足そうにそう呟いて、部屋を出て行かれました。


(結局、わたくしのお留守番は確定、ということですわね)


 取り残されたわたくしを慰めてくれるのは、ドンナの淹れてくれた熱めの紅茶だけのようです。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

(シルヴィオ視点)


 巫女を連れてサジッタリオ領に出立する直前、また公爵家の次男がとんでもないものを作ってきた。


(遠隔地にいるもの同士で、お互いの様子を映写機カメラに映しながら会話ができる道具だと?)


 ただでさえ今の映写機カメラの性能そのものにも頭を悩ませているのに、その精査も終わらぬうちに次、とは。


 ファウスト・ガラッシアは幼い頃からその才能が抜きん出ており、作り出すものが常軌を逸している。

 これまで先人が作り上げてきたものを易々と一新して、その先の先まで、あまりの最少時間で行き着いてしまう。

 宰相である父は、発想自体も今の文化から逸脱しているが、それを実現してしまう彼の能力こそ畏怖に値すると、危機感を持っている。

 発展することは良いことだ。

 だが、急過ぎる。

 既存の文化を壊す行為は、反発を生む。

 だからこそ、公爵閣下との調整を経て、宰相権限の特務対策室を打ちたてのだ。

 広く世に普及させるべきもの。

 国として、扱いを慎重にせざるを得ないもの。

 その選別をするための機関だが、最近は特に後者が多い。

 ジョバンニ・カンクロがここへ来て彼に追いつき始めているのもひとつその要因かもしれない。


(装飾品に擬態させられる映写機カメラなど、一体どこで使えと言うんだ)


 諜報活動か犯罪にしか用途が思いつかない。

 公爵家は「防犯」のため、と言うが、あの家の「防犯」は行き過ぎている面がある。

 映写機カメラに空間魔法を付与して装着者の位置情報まで把握できるようにしている。


 それもこれも。


 ルクレツィア・ガラッシアのため、と言う。


 名前を目にするだけでも、苦い想いが胸を走る。


**


 第一王子との引き合わせの茶会の席で、彼女をはじめて目にした。

 天使だ妖精だとたかが噂と侮っていたその形容が、まったく陳腐に思えてしまった衝撃を今でも覚えている。

 春の空のようなドレスを身にまとい、目を離せば天高く舞い、そのままさらに遠く高みまで消え去ってしまいそうなほどに無垢で可憐に見えた。


(すぐに駆け寄って捕まえておかなければ)


 今まで感じたこともない強い衝動が心臓を貫いて、自分でも驚いた。

 そんな我にも無い感情の動きに戸惑い、実際には手も足も動かせずに固まっていられたことは、結果としては良かったのだろう。


 エンディミオン殿下とのやり取りの経過を見て、少女自身もまた無垢であることを知る。

 彼女は政治を知らない。

 言葉の裏に隠された真意があることなど知らずに、純粋に殿下の友人になれることを喜んでいる。

 それまで当然のように公爵令嬢がエンディミオン殿下の婚約者に収まるだろうと思っていた既定路線が覆った。

 その席は空いたまま。

 殿下自身がどう感じていようが、その事実はこの後の貴族たちとの個別の面会にも大きく影響するだろう。

 

 実際に話してみても、ルクレツィア・ガラッシアはただ甘やかな真綿に包まれて、公爵家に守られているのが分かった。

 だがそうでなくてはいけなかっだろうと納得する自分もいた。


(私も同じことをする)


 少女を手に入れられたなら、きっと同じようにするだろう。

 何ものも寄せつけず、恐れも不安も、すべて彼女から取り除いて、ずっと側で幸せに笑っていてほしい。


(いや、彼女は殿下と婚約するべきだ)


 もうひとつ、頭の半分では理性がまだ息をしていた。

 そうであるべきと信じてきたものを目の前であっさりとひっくり返され、これでいいはずがないと強く訴えている。


 私はずっと、その半分の方を規範に生きてきた。

 物心つく前から、父の宰相のようになるのだと憧れ、そうなれるように努力をしてきた。

 それが、少女一人の存在でまるで泡のように消えていく。

 今まで信じてきたものが、砂のように手から零れる。

 それを必死で手放さないよう抗っていても、目の前で微笑まれると全部が駄目になりそうで、側で見ていたクラリーチェには顔が怖いと言われ、フェリックスにはらしくないと言われた。

 自覚はある。

 きっと印象はロクでもないものだったに相違ない。


 それからも、王城で顔を合わすたびに脳が誤作動を起こし、彼女にはおかしな態度しか取ることが出来なかった。

 少女に恋する相手が出来たと知っても、その恋が叶わなかった後も、私が私らしくあれたことは一度もない。


**


 映写機カメラの新性能のサンプルを取るため、アンジェロとルクレツィアが日常的にそれを装着して学園生活を送ることになった。

 その映像チェックの役割については、対策室のほうが混乱をきたした。

 公爵家の兄妹の日常を垣間見れるなど、いくら宰相直轄の優秀な官僚たちでも、正常な判断力が失されても不思議はない。

 我先にその役割に名乗りをあげ、血で血を洗う争奪戦、になる前に、私がそれを一任されてしまった。

 日常的に彼らと接している私だからこそその不具合も感じられるだろうということだが、羨むような官僚たちの目を後目に、私は憂鬱そのものだ。


 アンジェロはいい。

 彼は映写機カメラの扱いが上手い。

 必要な時とそうでない時を判断して、使い分けることができる。

 彼が見せたくない、私が見たくないような時、特にベアトリーチェといる時は必ず起動を切る。

 だが、ルクレツィアは、使い分けなどしない。

 いつもそのまま、ありのままを映している。

 アンジェロや誰かに言われて切ることはあるが、そうでなければ、ずっと途切れない。

 彼女の日常はとても騒がしい。

 彼女自身がではなく、周りが。

 エンディミオン殿下の甘やかな眼差しも、スカーレット嬢との微笑ましいやり取りも、時にジョバンニの長口上も、そして、挙動不審な自分の姿も、そこにある。

 自分の不甲斐ない醜態を見ることも苦痛だが、誰が、どういう目で彼女を見ているかを客観的に知るのは、また別の苦悩があった。


 それでも保存された映像を見ることをやめられないのは、日常の彼女の息遣いに、目線に、惹かれてやまないから。

 柔らかで控えめな笑い方も、スカーレット嬢や他のご令嬢に優しく語りかける口調も、時に一人で口ずさむ鼻歌も、何もかも愛おしくて胸が苦しくなる。


(誰よりもこの役割に相応しくないのは私だ)


 いつも、自重するように映像を消す。

 後ろめたさに叫び出したくなる。

 だが、他の誰かがこれを見る役割をしなければならないのなら、それを譲ることはしない。


**


 星の巫女が現れてからは、日々は慌ただしくなった。

 学園での授業に、星の災厄に関する調査。

 神託から半年、よくやく動き出したのだ。

 ルクレツィアと会える時間は僅かだ。

 最初の星を回収しにサジッタリオ領に向かうことになったが、彼女を同行させないのは公爵家の意向だ。

 勿論、彼女が同行する必要性もないのだが、エンディミオン殿下はあからさまにガッカリとした。

 ほとんど毎日顔を合わせているのに、一週間程離れなくてはならないのが苦しいらしい。


(気持ちはわからなくないが)


 同じ学内にいても、なかなか顔を合わせられないことにさえ焦燥感を覚えるのだ。

 そこへ、今度は遠隔地でも顔を見ながら会話ができる術を作って、ファウスト・ガラッシアは持ってきたのだ。


(考えることは、同じなのか)


 公爵家の養子、ルクレツィア・ガラッシアの義弟。

 実兄アンジェロを除いて、彼女の側に最も近く寄り添っているのは、間違いなく彼だ。


(なかなか、度し難いな)


 そんな彼に少なくない嫉妬心を感じている自分に、呆れてしまうが。

 競う相手は多く、出遅れてしまっていることも重々承知している。

 だがまだ彼女の心は誰のものでもない。

 それなら。


(駆け寄ってその手を捕まえることは、まだ可能だろうか)


 頭の半分、理性とは反対の心に従う自身を認めれば、こんなにも思考はすっきりするのか。

 そう気が付けば、あとは真っ直ぐに彼女を想うだけだ。

 まずはサジッタリオで星を手に入れ、それから王都に帰った後は彼女に何を話そうか。



 今までのように、目を逸らして話すことは、もうしない。


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