五
リブリの塔でルクレツィアの余命が幾許もないことを知らされ、アンジェロたちは急いで王都へ帰ってきた。
一週間かかってたどり着いた往路とは違い、フェリックスがコツを掴んだらしい探索の魔法を駆使して誘導し、一日でリブリの塔からリチェルカーレの街を脱出した。
馬車に乗り込んでから、ルクレツィアの状況と、もうひとつアンジェロはラファエロにすぐにでも確認しなければならないことがあった。
「ファウストはそちらに帰っていますか?」
ルクレツィアの身に何かがあったことがラファエロの態度で知れ、シルヴィオが星から聞いたことをさらに問い質した後。
明言を避けたラファエロとの通信が途切れた直後に、ファウストが突然姿を消した。
サジッタリオ領で星の力を得て消えた時と同じように、その場から忽然といなくなったのだ。
使えなかった転移の魔法が、ルクレツィアの苦境を察するとともに、フェリックスの覚醒と同じように使えるようになったのかと、いち早くルクレツィアの元に帰っていったのかと思っていたが。
ファウストはルクレツィア用の鏡を持ったまま消えてしまったから、塔を下りてすぐ、繋がった王城との連絡用の鏡を経由して、ジョバンニの通信器をガラッシア家と繋いでもらった。
しかし、ファウストがガラッシア家に帰っているはずと思っていたアテは完全にはずれた。
ファウストはガラッシア家の邸にも、王都のどこにも戻ってはいなかった。
馬車を飛ばして帰ってくる間にも何度も確認したが、アンジェロが実際にガラッシア家に帰ってみても、ファウストの行方は杳として知れなかった。
「通信器に応答は?」
どこかに行ったとしても、鏡を持って行ったのだから魔法が繋がれば連絡がとれるはずと思っても、ラファエロは首を振るだけだった。
面差しのすっかり変わってしまったラファエロは、ルクレツィアの鏡をアンジェロに託した。
「ファウストのことは、お前に任せる」
そう言うだけ言って立ち上がると、治癒魔法を使い過ぎてしまっているエレオノーラの肩を支えて、少し休むようにとルクレツィアの部屋の外に連れ出して行ってしまった。
自分がいない間に、邸の様子も、父母の顔つきもすっかり変わってしまっていた。
疲れきり、絶望し、暗く閉ざされている────
ルクレツィアが助かるかもしれないというわずかな希望さえ根付く余地なく、悲嘆に暮れている。
通信器から垣間見れていたものが、もっと大きな塊でそこにあった。
信じたくなかった、そうであって欲しくはなかったすべてが、そこにあった。
帰ってすぐにでも見舞いたいと言ったエンディミオンやセーラたちに、こちらから改めて連絡をするから待っていてほしいと断ったアンジェロの判断は正しかった。
この家の誰にも、今は王族も他の貴人も迎え入れる余力のある者はいない。
かくいうアンジェロ自身も、ルクレツィアの今の姿を見てしまったら、もう何をどうしたらいいのかわからなかった。
ルクレツィアが倒れた状況をイザイアに聞いても、それからの状況をセルジオに聞いても、その場に居合わせなかった自分の無力さとどこか疎外感に、途方に暮れてしまう。
せめてファウストがいればと思うのに、そのファウストもどこに行ったのかわからない。
「ファウスト、いったいどこに……?」
握りしめたルクレツィアの手鏡は、何の反応も示さず、ただの鏡としてアンジェロの悲壮な顔を映していた。
***
連絡をすると言った手前、ルクレツィアを置いて出かけることも躊躇われたが、アンジェロは一度は学園に顔を出すことにした。
ジョバンニに、エンディミオンたちと連絡をとれるよう新たに通信器を用立ててもらうつもりもあった。
それから、ファウストの消息を探すのに、アンジェロ一人ではどうにもならないことがわかっていたから、エンディミオンたちの力を借りたかった。
もうひと月後には次の星の探索に向かわねばならず、ファウストもおらず自分も離脱してしまう中で無理は承知だが、アンジェロにはもうそれしか方法が思い付かなかった。
「ティア様は、いかがですか?」
学園に顔を出すと、真っ先にベアトリーチェが迎えてくれた。
学園で倒れてしまったルクレツィアの噂はすでに広まっていて、収集はついていないようだ。
ようやく登校してきたガラッシア家のアンジェロに話を聞きたい連中は沢山いたが、筆頭公爵家の嫡男に気安く声をかけられる者は王族か、側近候補たち、そうして婚約者くらいのものだし、声をかけるくらい親しいものが、真実ルクレツィアを案じてくれているのはアンジェロにもわかるから、少しだけ心が弱りそうになって、アンジェロは穏やかな笑顔を取り繕うのに苦心した。
「リチェ、心配をかけたね。
場所を変えようか」
聞き耳を立てている周囲から逃れるように、アンジェロはベアトリーチェをエスコートして王族用のサロンに向かった。
行けばそこにはエンディミオンたちが待っている。
「アンジェロ!ルクレツィアは?!」
アンジェロの顔を見た途端にエンディミオンが弾かれたように詰め寄ってきたが、アンジェロは無言で首を振るしかなかった。
「私は、会いには行けないのか……?」
それには申し訳なさそうに首肯するしか出来ず、立場に縛られているエンディミオンに憐憫を感じるが、ラファエロやエレオノーラの状況を考えると、勝手に招くようなこともできない。
「父上とも相談いたしますが、あまり期待はされないでください」
これまで見たこともないほどに憔悴した父は、目の色が変わってしまっている。
寝食を忘れて、ルクレツィアの側から離れない。
エレオノーラの身を案じる時だけ昔のままだが、それがなければこの世のすべてを呪い壊してしまいそうなほどの深い闇が零れて見える。
表情のない父の顔を見たとき、どういうわけか背筋が凍った。
絶望して、悲しみに満ちているはずの父が、得体の知れない怖しいもののように見える時がある。
このままエレオノーラまで魔法の使い過ぎや看病の過労で倒れてしまったら、取り返しのつかないことになる、アンジェロは本能的にそれを感じ取っていた。
「ファウスト君もまだ……?」
深く思案しそうになるアンジェロに、遠慮がちにジョバンニが尋ねた。
ルクレツィアの病状もそうだが、おそらく星の力によって姿を消したファウストについても、ジョバンニは心配だった。
転移の魔法は、まだ解き明かせていないことが多かった。
魔法式を組み上げて、最初の転移を再現しようとしても、何かが合っていないらしくうまく行かない。
転移とは、すなわち空間や時間の理を魔法で歪めて行使するものだから、少しの失敗でも成功しない。
まして手紙のような紙片ではなく、生きた、生身の人間が動くだけの魔法には、膨大な魔力と複雑な魔法構築が必要だ。
ファウストもそれを理解しているから、かれこれ二ヶ月かけてあらゆる試行をしてきたが、あの一瞬で、それらがうまくできたとはジョバンニには到底思えなかった。
結果としてファウストは姿を消してしまい、その魔法は失敗であったのだとわかり、その失敗がファウストにどんな作用をもたらしたのか、ジョバンニに考えつくだけのかぎり考えても、決して良いことはひとつもないという結論だった。
どこかとんでもないところに飛んでいってしまったのだとしても、どうか無傷であればいつか王都に、ステラフィッサに帰ってくることができるかもしれないが、もう二度と帰って来られないような、どこでもないところに行ってしまったのだとしたら?
最悪の可能性を考えては、ジョバンニは身震いする。
「ファウストは…………、」
ファウストの消息を尋ねたジョバンニに、アンジェロが途方に暮れたような顔をするのをはじめて見てしまった。
たったそれだけのことなのに、ジョバンニは心からアンジェロを助けてやらねばならないと思った。
他の誰でもなく、ファウストを見つけてあげるのは自分なのだと、強く決意した。
「兄君はお家におらねばならないでしょうから、ファウスト君のことは僕にまかせてもらいたいのですが」
自然と口をついて出た言葉は静かで、だが力強く響いた。
目を瞬いたアンジェロが一瞬泣きそうに見えて、ジョバンニは思わずその体に抱きついていた。
「大丈夫ですぞ!
このジョバンニが、ファウスト君の第一助手のこの僕が、一緒に転移魔法の研究をしていた僕が探すんですから、すぐに見つかります!見つけます!」
安請け合いをしている自覚があったが、今はアンジェロを励ますのが先だ。
抱きついたものの慰めるどころか身長差のせいで木にしがみつくセミのようだと気付いたが、それでも折れてしまいそうな枝の接木にはなれるようにと、ジョバンニはバシバシとアンジェロの背中を叩いて元気を注入した。
「いたっ、痛いよジョバンニ。
わかったから、もう離して。
……ありがとう」
少しだけ気を持ち直したアンジェロは、素直にジョバンニに礼を言った。
できるなら抱きしめてくれるのはベアトリーチェがいいと思ったが、慎ましい婚約者が人前ではそんなことしてくれないのは知っている。
それでも、労わるような手がそっと自分の指を掴んできて、
「
とジョバンニに倣うように申し出てくれた健気さに、たまらずにアンジェロはベアトリーチェを抱き締めていた。
「……!」
ベアトリーチェは驚いたようだが、手放し難くアンジェロは気づかないフリをした。
なんだか泣いてるような気配がして、ベアトリーチェも躊躇いながら、アンジェロを引き離そうとはしなかった。
「……とりあえず、ファウストの件はジョバンニに任せるしかない。スコルピオーネも人を出せるか?」
「出せるよ。国内のどこかにいてくれれば噂くらいすぐに集まるだろうけど、国外だとちょっと時間がかかるかな」
「当面、物理的な探索はスコルピオーネ家に任せて、魔法の方面ではジョバンニ、それからフェリックスも何か役に立つだろう。
星の探索は、殿下、巫女、私、ラガロ、ベアトリーチェ嬢にも手伝っていただくことにして、ほかに……」
アンジェロとベアトリーチェのことはひとまずそっとしておくことにして、シルヴィオは淡々と方針をまとめていった。
人が減った分を補わなければならないが、この際優秀な官僚を引き抜いても構わないだろう。
自分たちだけでできる範囲を超えれば、ヒトを動かすのもシルヴィオたちの仕事だ。
星の探索を、エンディミオンを中心とした自分たちが仕切ってきたのは、ひとえに将来性を試されているのだということはわかっていた。
ただそのメンバーが偏っていたのは、ルクレツィアにいいところを見せたい、という共通認識がエンディミオンを中心にあったからだし、ガラッシア公爵には実際そう見られていた、ともシルヴィオは気が付いていた。
だがそんなことを気にしている場合ではない。
そうシルヴィオは割り切って、どうせなら十二貴族の主だったメンバーは全員召集してもいいのではないかと考えた。
「どうせ星の力は各家の継承者に与えるのなら、使える人間にはどんどん手伝ってもらおう。
巫女、マテオ大司教にもお手伝いいただくことは可能ですか?」
ガラッシア公爵が聖国嫌いなのは周知だから、忖度して大司教、そして教会にもほとんど手を出させないできたが、こうなっては背に腹は変えられない。
「マテオさんなら、たぶん喜んで手伝ってくれると思う」
何かあればいつでも何なりとお申し付けくださいと、これでもかと自分を敬う白髪の青年をセーラは思い浮かべた。
ルクレツィアの母方の縁戚とも聞いたから、ガラッシア家に気を遣うこともあるようだが、基本は
サジッタリオの時も、初代が普請した教会の成り立ちを調べてくれたのはマテオだ。
「私からもお願いしてみますね」
王子からの要請だけではなく、巫女からの依頼ならまず間違いなくマテオは力になってくれるだろう。
「次はヴィジネーだから、大司教殿のお力添えがあれば頼もしい限りだね」
「最初に日記を巫女に託したのも大司教だった」
フェリックスの言葉にラガロが言い添えて、俄然マテオへの関心が高まる中。
ずっと黙っていたエンディミオンの口から、考えていることがそのままこぼれてくるように、ぽろぼと単語が落ちてきた。
「……大司教、ヴィジネー家……」
次の星がヴィジネー領だというところに、引っかかった。
ヴィジネーの星に願う力は決まっている。
それはこれまでのヴィジネー家に与えられた役割を強化すること。
治癒の力の強化。
年々弱くなってきている力を、もう一度授けてもらう。
それはもう決まっていることだった。
「ヴィジネー……」
ヴィジネーから連想する言葉を記憶から引き出すように、エンディミオンは呟いた。そして。
「────スピカ」
その可能性を、口に出した。
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