二章
一
みなさま、ごきげんよう。
ルクレツィア・ガラッシア、一三才となりました。
突然ですが、みなさま、初恋って実ると思います?
答えはもちろん、「ノー」ですわね!
本日わたくし、家族でレオナルド様のご領地、リオーネ領へ来ております。
何をしに来たのか、のんびり家族旅行のために遠路はるばる来たわけではありません。
結婚式のため、家族一同お呼ばれしましたのよ。
誰と誰の結婚式かですって、申し上げるのも胸が苦しくなるのですけれど、レオナルド様と、ラガロ様のご生母様ですって!
このあたり、ラガロ様のご事情を含めて詳しくお話しをしなければなりませんけど、個人情報保護法なんてこの世界にはありませんもの、ここでわたくしが少しくらいお話ししてもかまいませんわよね!
別にヤケになっているわけではありませんのよ!
さて、ラガロ・リオーネ様。
旧姓、ラガロ・ラザーレ様は、元々はリオーネ家の分家の子爵家のご二男です。
ラザーレ家は、国境付近のかなり辺境のご領地ではございますが、それなりにリオーネ家と血筋が近く、由緒のある古いお家柄。
このご二男というのが、実は正妻の子ではなくメイドに生ませた庶子ということですから、その扱いがどうなるかは想像に難くないのですけれど、ラガロ様、ラザーレ家本邸にて正当な教育を受けておられます。
というのも、「ラガロの星」を持って、この世に生を受けられたからです。
リオーネ家ご一門では、この「ラガロの星」を持ってお生まれになった方が、「ラガロ」の名を継ぎ、どの家に生まれようとリオーネ家当主となることが決められているそうです。
そうそう現れる印ではなく、レオナルド様の曽祖父様が先代の「ラガロ」様でいらしたそうですが、この「ラガロの星」がどういったものか、生まれてすぐにわかるほどの特徴で、その目に、文字通り星を宿しているとのこと。
よくよく見せていただけたことはありませんけれど、ラガロ様のあの金の眼、あれは「ラガロの星」がそこに現れている証なのだそう。
生まれてすぐリオーネ家に引き渡されるのではなく、ラザーレ家で幼少期を過ごしたお家ご事情がそれなりにあるそうですが、王妃様のお茶会、王子殿下へのお引き合わせのタイミングで、正式にレオナルド様のご養子になられたそうです。
さて、そのお家事情を詳しくひも解いていきますと、ラガロ様の実父であられるラザーレ子爵が問題なのです。
リオーネ家は武門の家系で、そのご一門も武勇に優れた方々ばかり。
ラザーレ子爵も例に漏れず、それなりに腕に覚えのある方のようですけれど、
簡単に言えば男尊女卑、強い男に女性は従うものという考え方で、粗暴とも思える扱いをしても、当然とお考えになる方のようです。
品格のある紳士なレオナルド様とは、相容れぬお考えですわね。
年頃の近い本家の嫡男と、その資質に欠ける分家の嫡男、微妙な関係性が目に見えるようですわ。
そして、ラガロ様のご生母様となったメイドとも愛人関係というわけではなく、その時たまたま目に入った女を一晩可愛がっただけ、というおつもりのようです。
女性の方からすれば無理矢理の悲劇、それでお子まで宿してしまったのですから、正妻様の手前、お屋敷にはいられませんわね。
このメイドが、実はかつて没落したリオーネ家の分家のご令嬢であり、食べるために平民に身をやつし、ご正妻様の哀れみを受けてメイドとして雇われていたというのですから、その後の展開も含めてなかなかハードモードな人生です。
王妃様のお茶会のお話しが出たところで、これ以上引き延ばすことは罷りならないとレオナルド様が強権を発動し、ラガロ様をお迎えにいったそうですが、その際、ご生母様まで探し出し、ラガロ様付きの侍女としてではありますが、リオーネ家に招いたのがお二人の馴れ初めです。
ご生母様は、宿した経緯がどうあれ、ご自身でお腹を痛めて生んだ子どもをずっと案じており、隠れ住みながらも、実はそのお近くにずっといらしたそう。
聞いていて涙が出そうなお話しですが、その後どのようにレオナルド様と情を交わして いったかというところまでお聞きになりたいかしら?
そんな細かい私的なことまでよくわたくしが知っているなとお思いになられるでしょうが、すべてドンナを通して耳に入っておりました。
ドンナはジェメッリ家の伝手で、いろんな手駒を動かせるのです。
いえ別にわたくしが調べろといったわけではなくて、忖度ですのよ、忖度。
そうして「お聞きになりたいですか」と訊かれれば、枕に顔を埋めながらも頷いてしまうのが乙女心というもの……。
わたくしがレオナルド様と結ばれるなどと、そんな大それたことは思っておりませんでした。
お父さまの手前、何がどう転んでもそんな奇跡が起きるはずがないのは、八歳の頃からよく承知しておりましたもの。
それでも親友の娘として、特別に気にかけてくださっていたので、それだけで十分と、本当にそう思っておりましたのに。
(まさか、ご結婚なさるなんて......)
亡くなった婚約者様を想い、これからもずっと独り身を貫かれるだろうと思っていたのです。
誰のものにもならないと、そう思っていればこその心の持ちようだったのに……。
わたくしという存在が、レオナルド様に再婚を決めさせたということもわかっております。
レオナルド様に恋をしてからもう五年、我ながら長い初恋になりましたわ。
その間、どんなご令息にも、もちろん王子殿下にも見向きをしないで、ひたすらレオナルド様を想っておりました。
けれど、八歳の頃ならいざ知らず、一三歳にもなりますと、周囲から「いつまでこの状況が続くのか」という声があがってきてしまうのも必然ですわね。
わたくしの想い人は周知のことですから、レオナルド様にもお立場というものがございます。
それがなくても、きっとラガロ様のお母さまとの間には愛情が育まれていたと思いますけれど。
ラガロ様は今年で一四歳、来年から王立の学園へ入られます。
ステラフィッサの貴族子弟は、おおよそ入学することが義務付けられております。
学園生活は一五から一八歳までの四年間、ラガロ様は騎士団の寮に入り通われるとのことなので、その前に区切りをつけるという意味で、この度の結婚式になったのですわ。
以上がラガロ様とリオーネ家にまつわるご事情なのですけれど、どう考えてもラガロ様ルートのシナリオの根幹ですわね。
このレオナルド様とご生母様の結婚なんて、ベストエンドに必要なイベントなのではなくて?
それがどうしたことか、学園入学前にお二人はハッピーエンド。
シナリオ改変が過ぎております。
いえわたくしが王子殿下との婚約を突っぱねているところからもうシナリオ改変なのですけれど、ラガロ様ルートは正直範疇外でしたのよ。
ラガロ様ルートといえば、その悪役令嬢になりえそうなご令嬢が、「王妃様のマナー教室」 に参加されております。
十二貴族伯爵六家のひとつ、トーロ家のご令嬢で、お名前はヴィオラ様。お年はファウストの一つ下ですから、王子殿下とのお引き合わせのお茶会には参加できませんでしたが、七才となってから、マナー教室の一員となられたのです。
トーロ家といえば、レオナルド様の亡き婚約者様のお家ですわね。
トーロ家の現当主様は亡き婚約者様のお兄様ですから、ヴィオラ様はその姪にあたりま す。
トーロ伯爵様は騎士団ではレオナルド様の右腕でもあり、とても大柄でたくましく、クマのような方なのですけれど、ヴィオラ様は正反対でとてもお小さく、清楚で、お名前のとおり一輪のスミレのような方です。
クセ強めな悪役令嬢仲間の中、引っ込み思案で、何か一言発言するだけでもすぐに恥じらいに頬を染めてしまわれるところは、ベアトリーチェ様に続く、わたくしの癒しです。
しっかりとして見えたクラリーチェ様は、フェリックス様をめぐるペイシ家のマリレーナ様との攻防が最近激化しており、武門の血なのかサジッタリオの血なのか、アピール強めでクセ強に入ります。
マリレーナ様は、あの儚げで庇護欲をそそるような風貌で、小悪魔が泣いて逃げ出しそうな毒舌にキレイなリボンをかけてクラリーチェ様に贈るタイプなので、癒しにはなりません。
スカーレット様は、エンディミオン殿下への一方通行な想いと悪役令嬢芸に日に日に磨きがかかっておりますし、処置なし、というところですかしら。
マナー教室には十二貴族以外のご令嬢もいらっしゃっておりますから、わたくしはその中に埋没、はできず、皆さまに取り巻かれながら、キャッキャウフフとお花畑を築いて、男性の入りにくい空気を作り、できるだけ、王子殿下を含めお兄さま以外の攻略対象からは距離をとるようにしておりました。
そうして、リオーネ家とトーロ家で遂げられなった想いをラガロ様とヴィオラ様に託したい大人たちの思惑があったようなのですけれど、わたくしの所為でレオナルド様が早期婚約に一石を投じた形となっておりますので、せめてこのマナー教室後のお茶会で二人が親交を深められれば、というのが今のお二人の関係ですわね。
ラガロ様は、基本的にこのお茶会には一歩引いたところにおりますし、ヴィオラ様はあの性格ですので、何も進んでいない、というのが現状ですけれど。
さて、気分を紛らわすため、リオーネ家とラガロ様周りについてつらつらと考えておりましたけれど、わたくしが落ち込んでいないとお思いになります?
ガラッシア領からリオーネ領へ馬車で移動する間、お父さまも、お兄さまも、わたくしに気を遣ってばかりでした。
ファウストはいつもどおりわたくしの隣に座り、何も言いませんけれど、労わるような気配がずっとありました。
そうですわね、この結婚で、わたくしの失恋は決定的なものとなりましたもの、今までの、やんわりとした真綿のような片思いはもう続けれられません。
お兄さまはこの春から学園に入学し、わたくしは夏に社交界デビューが決まっております。
その前に、この恋を公に終わらせる必要があったのかもしれません。
それから、少しの猶予を与えてくださる、というレオナルド様からのご配慮で、このタイミングになったのかと思います。
わたくしの失恋は周知の事実で、傷心の中の社交デビュー。
付け入るように妙に言い寄ってくる有象無象がいれば、それは千切って投げてもいい思慮のない方、ということになります。
王子殿下の婚約者候補とはいえまだ候補、今までにもあった婚約の申し込みはこれまでの比ではなくなると思いますが、それでも少しの盾にはなります。
最後の後始末まで完璧でスマートで、わたくしどうやってこの想いを忘れればいいのか、いまだにわかりません。
それでも、レオナルド様がお幸せになるのなら、それでいいとも思うのです。
わたくしではその隣には立てないのですもの。
ラガロ様のご生母様が、レオナルド様をお幸せにしてくださるのなら、わたくし笑ってお祝いを申し上げようと思いますわ。
*
馬車がリオーネ家の領城へ入ります。
ガラッシア家ほどではありませんが、十二貴族の領主ともなると、その領都にお城を構えているのが基本です。
跳ね橋を渡り、ゆるやかな坂道を登り、主塔の正面広場で馬車は止まりました。
有事であれば、進軍前の騎士たちが居並び士気を高めるそこは、久しく戦火にないステラフィッサ王国の中、白い敷石の広がる、眩しいほどに調えられた庭園となっておりました。
結婚式には相応しい様相ですわね。
馬車の窓から、玄関前でわたくしたちを出迎えるために並んでおられる、レオナルド様とラガロ様、そして慎ましいドレスの女性が寄り添っているのが見えました。
あの方が、きっとラガロ様のお母さま、レオナルド様のご結婚相手でしょう。
「さあ、ティアちゃん」
お母さまがわたくしの手をとりました。
「背筋を伸ばして、顔をあげて、そう、ニッコリ。
大丈夫ですわ、あなたは世界一可愛いわたくしの、ガラッシアの娘です。よくって?」
言い聞かせるように、おでこをコツンと当てて、お母さまがわたくしを励ましてくださいました。
今回、結婚式にわたくしを同行させるか、お父さまは大変悩んだそうですが、お母さまがわたくしを出席させるべきだと譲りませんでした。
お父さまとお母さまはレオナルド様のご結婚の立会人として招待されておりますが、お兄さま、わたくし、ファウストについては、できれば出席してほしい、ということでしたから、わたくしたちは来ないという選択もできたのです。
けれど、それではダメよ、とめずらしくお母さまが強く仰いました。
わたくしの初恋を、お母さまはずっと温かく見守っていたように思います。
その終わりをうやむやにしてはいけないと、お母さまはお考えのようです。
(結婚式にも出られず、お祝いも申し上げられない可哀想な恋の終わりにしてはいけませんものね)
わたくしの恋は、貴族中が知っていると言っても過言ではないのです。
ルクレツィア・ガラッシアとして、失恋に心を痛めて閉じこもるような、惨めな醜態をさらすことはできません。
堂々と、ご結婚されるお二人の門出を見届けてこその、公爵令嬢、ルクレツィア・ガラッシアなのです。
「ラファエロ、遠いところ、わざわざすまなかったな」
お父さまが降り立ち、お母さまの手をとって並ぶと、喜色を称えたレオナルド様が早速お父さまと熱い抱擁を交わしました。
「おめでとう、レオナルド。こんな日が来るとは、感慨深いよ」
お父さまとレオナルド様の友情は幼少の頃から、レオナルド様の辛い時期も側で知っていらっしゃるでしょうから、お父さまの言葉にも重みがございます。
(わたくしのことがなければ、きっともっと大手を振って喜んで差し上げたいのではないかしら。
それならやはり、お父さまのためにもわたくしがすることはひとつですわね)
「紹介するよ、セレーナだ」
レオナルド様の言葉に、セレーナ様は半歩前に出て、わたくしたちにお辞儀をいたしました。
貴族というよりは、使用人の動きが染み付いた所作です。
それでもわたくしたちが好感を持てたのは、それが、この方が精一杯生きてきた証だと知っているから。
セレーナ様は、ラガロ様と同じ黒髪の美しい方でしたが、簡素にまとめた髪は自然で、ドレスも品のいいものではありますが派手さはなく、慎ましいという言葉がしっくりときます。
公爵家を前に緊張をしているのをなんとか見せまいと努力をしているのが見てとれるのも、素直な心根の方なのだと感じられて、レオナルド様は確かな方を選ばれたのだわと納得もいたしました。
「セレーナさん、そんなに緊張なさらなくてもよろしいのよ。
旦那様が友人同士なのですもの、どうぞ
ステラフィッサの女神は、今日も女神です。
お母さまに微笑みかけられたセレーナ様は頬を紅潮させて、恐れ多いとも、感極まったともとれるように首を縦に振ったり横に振ったりと忙しくなり、レオナルド様のお顔を見上げて少しだけ涙目になっておりました。
(可愛らしい方……)
それを愛おしそうに笑って見ているレオナルド様の、なんてお幸せそうなことでしょう。
「お心遣い、感謝申し上げる。
さあ、長旅でお疲れでしょうから、まずは客間にご案内しましょう。
ラファエロ、今日はこの後にフリオも着く予定だから、
レオナルド様がフリオと呼ぶのは、オノフリオ・トーロ様、トーロ伯爵ですわね。
十二貴族のリオーネ家当主のご結婚式ですから、それは盛大に執り行われるかと思いましたが、招待客は立会人のガラッシア家、騎士団を代表してトーロ家、そのほかはリオーネ家ご一門の主だった家のみで、領城の礼拝堂で式を挙げましたら、招待客のみでのささやかな
レオナルド様たってのご希望だそうですけれど、セレーナ様を守るためでもあるのではないかしら。
大勢を呼んでしまえば、ラザーレ家も呼ばなくてはならないですし、お話しだけ聞いても胸くその悪い、あら、言葉遣いが三十路に引きずられましたわ、ええと、クソ男?ああ、あんな最低な男のことをわざわざお上品に言い繕う語彙がありませんわ、クソヤローのラザーレ子爵なんて、顔も見たくありませんもの、おめでたい席ならなおさら、いらっしゃらなくて結構だわ。
それにセレーナ様の生い立ちについても口さがない方はいらっしゃるでしょうし、例え「ラガロの星」をお生みになられたからといって、一度ついた泥を蔑む方がいないわけでもないのです。
(この泥はあくまでも貴族として没落してしまった、ということであって、クソヤローにされたことは一切なんの落ち度でもありませんのよ!)
誰にするでもない言い訳を心でしてから、気が付きました。
(わたくし、すでにセレーナ様にかなり肩入れしていますわね)
初恋の想い人を射止めた女性だからといって、敵視する気持ちは湧きませんでした。
彼女の歩んできた道を知ってしまっているからかもしれませんが、それよりも、こんな、前世の三十路女の記憶があるなんてわけのわからない状態で、必死で公爵令嬢のフリをしている滑稽なわたくしには、きっとできない方法でレオナルド様をお幸せにできる方なのだと、完敗した気持ちがあるからかもしれません。
それでしたなら、セレーナ様にはぜひとも、生涯かけて、これでもかとレオナルド様とお幸せになっていただかないと。
「レオナルド様」
そこでようやくわたくしはレオナルド様のお名前を呼ぶことができました。
震える吐息も、張り裂けそうな心も、公爵令嬢ルクレツィア・ガラッシアは、ひとつも
「ティアちゃん」
わたくしに向き直ってくださったレオナルド様は、いつものお優しい眼差しのようにも見えましたし、そこに少しの緊張が混じっているようにも見えたのは、わたくしの願望ですかしら?
「この度はご結婚、心よりお祝い申し上げます。末永いお二人のお幸せを、切に願っておりますわ」
湧きあがる些細な幻想を捨て、わたくしは一世一代のカーテシーと笑顔を見せました。
お母さまゆずりの、わたくしの身に宿るすべての美しさを総動員して、朝焼けの水平線に太陽の道ができるように、輝かしいその道を二人が歩けるように、渾身の
レオナルド様は一瞬目を見張り、それから破顔して、最大限の紳士の礼で返してくださいました。
そこに多少の安堵が混ざっていたこと、その様子をラガロ様が金の眼でじっと見つめていらしたこと、そのどれも、必死なわたくしには気付きもしませんでしたわ。
*
結婚式の本番は明日、前夜祭はガラッシア家とトーロ家のみで、その他の招待客は当日のご到着とのことです。
ヴィオラ様の兄であるトーロ家のご嫡男は、学園を卒業して騎士団に本配属されたばかりで早速遠征に連れて行かれたそう。いかに十二貴族の伯爵家の跡継ぎといえど体育会系の下っ端として特別扱いはされない、というのは騎士家系あるあるの教育方針だそうですから、騎士団長の結婚式でも欠席となりました。
今晩は、レオナルド様とお父さまとトーロ伯爵の三人で、気兼ねのない友人同士、独身最後の夜をお過ごしなられるおつもりのようです。
セレーナ様にはお母さまとトーロ伯爵夫人がご一緒して、十二貴族の伯爵夫人に返り咲くことになった元没落令嬢の不安など、聞きたいお話は山ほどあるそうで、そちらはそちらで女子会のようになりそうです。
わたくしたち子どもの出る幕はありませんから、
お兄さまとファウストがわたくしにしばらく付き合うと申し出てくださいましたが、丁重にお断りいたしました。
長旅に疲れたのもありますし、不意に出てくる奥底の気持ちに、誰にも触れられたくない、という思いもあったからです。
トーロ伯爵とお越しになったヴィオラ様も、わたくしと同じようにお部屋に戻られましたから、とりわけ様子がおかしく見えた、ということもないでしょうか。
(わたくし、がんばりましたわ……)
心からお二人の幸せを願う気持ちは本当ですが、喚き出したくなる衝動も、確かにまだ、そこにあるのです。
けれど、レオナルド様に暗い顔など見せたくありませんし、これから幸せになるお二人を前に、どんな陰もあってはいけません。
ですから徹頭徹尾、わたくしは笑顔を絶やさず、お祝いムードに華を添えるべく、いつものルクレツィア・ガラッシアらしく振る舞い続けたのです。
身体の疲労に、心の疲労が重なって、思いがけず溢れてしまいそうな心情を聞かれたくはありませんから、今は誰にもそばにいてほしくありません。
すぐに休むからと言って、付いてきたドンナも下がらせました。
こういう時は、
イヤなことは忘れ、心も体もよく休めたら、明日はとびきりにお二人をお祝いするのですもの。
(そうでなければ、いけないのですわ)
*
夜半。
わたくし、パチリと目が覚めてしまいました。
身体は本当に疲れていたようで、眠れずに悶々とする、ということはなかったのですけれど……。
スッキリと目覚め過ぎて、再び眠りにつくには少し時間がかかりそうです。
寝台から降り、カーテンの隙間から夜空を見上げると、満月が中天にかかり、だいぶ夜も深まった頃合いでしょうか。
ドンナももう休んでいるでしょうし、公爵家のわたくしたちが乗る馬車とは質の劣る旅をしてきたのですから、起こしてしまうのはしのびありません。
けれど暗闇でひとりで考えごとをしているとロクな考えは浮かびませんし、少し歩いたら眠気もやってくるでしょうか。
大人しく部屋にこもっているには、わたくし少々ガマンが足りなかったようです。
人と会ってしまっても大丈夫なようにストールを羽織ると、そっとドアを開け、部屋を抜け出しました。
普段ならしない不作法ですけれど、このままお部屋にいると本当に余計なことばかり考えそうですので、大目に見ていただきましょう。
廊下の壁には等間隔に燭台が灯され、暗闇に困ることはありません。
ふかふかの室内履きで、足音をたてないように歩き出しました。
前世の記憶では実際に泊まったことはありませんが、ヨーロッパの古城を改築してホテルにしたような内装、というところでしょうか。
ガラッシアのお城に比べると規模はまったく小さいのですけれど、ガラッシア家はどこも我が家という認識ですので、お泊りはやはり感覚が違うのですわ。
客間の並ぶ廊下を過ぎ去り、階段を
まだ灯りがついているのは、夕食をとった広間と続きのサロンで、主に男性が集まる喫煙ルームの用途です。
バーカウンターがあり、ビリヤードやカードゲームの遊戯台がありましたから、リオーネ城もなかなか充実した造りのようです。
そこから、お父さまたちの声が聞こえます。
まだ起きて、お話に花を咲かせているのですわね。
(明日が本番ですのに、大丈夫ですかしら?)
酔って積もる話に拍車がかかっているのでしょうけれど、明日に響いては困ります。
一言お声をかけようかと悩んでいると、
「それにしてもルクレツィア嬢は、しばらく見ないうち奥方にそっくりになられたなぁ」
トーロ伯爵、フリオ様のお声が響きました。
クマのようなご容姿そのままの、とても低い良いバリトンなのですけれど、少々音量が大きいのが玉に瑕ですわね。
「そうだろう!私のティアが世界一可愛いだろう!」
誇らしそうなお父さまの声も負けじと聞こえましたけれど、これはかなり酔ってらっしゃるのかしら。
お酒が入ると感情表現が豊かになるお父さまは、とくにアルコールに弱いというわけではなく、楽しい気分になられるだけで、酔い潰れるということはないそうです。
「ああ、そうだな。今日は驚いた」
レオナルド様のお声が聞こえて、咄嗟に足を止めてしまいました。
「あんなにキレイにお祝いを言われたら、こちらがフラれた気分になったよ」
「よしレオ、そこに直れ。とりあえずティアを傷つけた分は殴らせてもらおう」
「顔に大きな飾りでもつけて、式に出ろって?」
「なに、公爵夫人に治癒していただけば傷も残らないさ」
「馬鹿なっ、そんなもったいないこと、この私の目が黒い内に認めるとでも?
あぁ、でも殴ったと知れればノーラに叱られるしティアにも泣かれてしまうな、クソッ」
お父さまの苦々しげな声に、フリオ様の笑い声が響きます。
わたくし、その場から動けなくなってしまいました。
「いや、今のは失言だったな、すまなかった。
だが、本当に驚いたんだよ。
さすがに、今度ばかりは泣かせてしまうかとも思っていたから」
「自惚れも大概に過ぎるな。ティアは泣かないさ。
お前の前でなら、なおさらな」
フン、とお父さまが鼻息をならし、興が削がれたように声のトーンが下がりました。
「あの子は、最初からお前よりもずっと大人だったよ」
お父さまの言葉に、レオナルド様が降参するように大きく息を吐くのが聞こえました。
「お前の言うとおりだ……。
ティアちゃんは、決して俺に何か求めてくることはなかったな。
それこそ八歳の頃なら、お嫁さんにしてとせがまれるくらいは覚悟していたんだが、それすらなくて、この五年、俺に踏み込むことを絶対にしなかった」
「あの子は立場をずっと弁えていたし、レオと結婚できるようにと、私にねだるようなこともしなかった。それを言えば、私が絶対に叶えると知っているからね。
お前の傷を慮って、その心情を誰よりも心得て、それに添わないと思えば恋心すら奥底に閉まって、それでよしとしていた。
それなのにお前ときたら……」
「それに甘えていたのは、俺のほうだったな」
わたくし、そんなふうにお父さまからもレオナルド様からも見られていたなんて、恥ずかしいような、泣き出したいような、まとまらない感情が湧きあがってきて、その場に蹲らないようにするだけで精一杯です。
「結局、結婚を決められたのもティアちゃんのおかげかもしれない。
彼女がずっとそうやって寄り添ってくれたから、過去に向き合うことができたし、乗り越えなければ彼女にも恥ずかしいことだと思ったよ。
セレーナは、過去を乗り越えた先で見つけた
「ラガロの星は、リオーネ家の停滞に現れると言うしな。
それにしても、ルクレツィア嬢はこれからよりいっそう美しくなられるだろうな。
周りにも有望な若者ぞろい、今後はお前のことなど見向きもしないくらい、公爵夫人以上の高嶺の花になるぞ」
フリオ様が空気を変えるように明るく言った言葉に、レオナルド様の自嘲気味な笑い声が微かに重なります。
「それでいいんだよ。
同じ年頃の恋人が出来れば、俺みたいな叔父さんのことは、すぐになかったかのように忘れてしまうさ」
「そんな奴、私が認めるような男でなければすぐにひねり潰すがなっ」
お父さま……泣きそうな気持ちが少し引っ込みましたわ。
それでは一生結婚が難しいだろう、殿下はどうだ、宰相の息子は、そうやんやとわたくしの婚約者候補に話題を変えていったお父さまたちに、わたくしはそっとその場を離れました。
聞けてよかった?
聞かなければよかった?
お互いの立場どころか、わたくしの振る舞いそのものがレオナルド様の結婚を後押ししていたのだという事実は、自分で考えていたより重く胸にのしかかりました。
(わたくしがもっも欲をだしていたら?
ワガママを言って、お父さまにおねだりしていたら?
……今さら考えても、仕方のないことですわね)
どうしようもなく湧きあがってくる思いを振り切るように足早に来た道を戻り、階段を上がろうとしたら、その踊り場に、ラガロ様がその金の眼でこちらを見て立っていらっしゃいました。
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