お母さまも交えて改めてお願いをすると、話はあっという間にまとまりました。

 ビランチャ侯爵家からお帰りになったお母さまは、ある程度の段取りはすでにつけてきてくださったようで、お父さまも本日のお母さまの予定を把握しておりますから、玄関ホールのやり取りだけでそこまで見越しておりましたのね。

 お兄さまのお手紙を添えて、すぐにでも招待状を送っていただけることに。


(さあ、これでお友だち作戦が一歩前進ですわ。

 たくさんお友だちがいたほうが、万が一何か起こった時も味方になってくれるかもしれませんし、まだまだこれからですわね!)


 どうやらわたくしがお友だちに飢えていることは両親とも察しているらしく、ならばやはり王城に、ということになりそうな雰囲気は華麗に回避いたしました。

 そんなアウェイのところでお行儀の良い関係を築きたいわけではないのですもの、もっと親密に、さらにフラットに!

 ということはこの貴族社会では難しいことではございますが、お母さまとアクアーリオ侯爵夫人や、ビランチャ侯爵夫人のような関係がうらやましいのだと素直に申し上げましたら、ご納得いただけたみたい。

 お父さまにも、恋のキューピッドを買って出てくれる伯爵のようなお友だちが他にもいらっしゃいますし、やはり良いお友だちに出会うのはこの人生での大きな目標のひとつですわね。


 そう、伯爵と言えば。

 リオーネ伯爵家は代々騎士団の団長を勤めておられる由緒ある家系で、こちらも攻略対象になりえるご子息がいらっしゃるかと思えば、まだご結婚もされていないのです。

 婚約者が若くしてお亡くなりになり、以降、どなたとも縁を結んでいらっしゃらないとか。

 うーん、要素的に隠れ攻略キャラ、の可能性も否定できないのですが、それにしても親子ほどに年齢が離れ過ぎておりますし、ここは保留というところですかしら。

 伯爵様も素敵な紳士ですし、わたくしの精神年齢的にはまったく問題ない年齢差、というか前世に今世を足してしまえばわたくしのほうが年上ということになりますし、ありよりのあり、ただしお父さまが泣くかもしれないので難しい縁組ですわね。

 攻略キャラでしたらなしよりになります。

 あらでもご婚約はされていないのだから、クソヤローにはならないのかしら?

 まあでも、わたくしが成長するまでにご婚約、ご結婚される可能性のほうが高いですもの。

 惜しい気もしますが、やはり「なし」と考えて差し支えございませんわね。


 ここまで、アンジェロお兄さま、ファウスト、ベアトリーチェ様、リオーネ伯爵様(仮)、お名前だけならエンディミオン殿下、ビランチャ宰相子息のシルヴィオ様、と攻略対象や登場人物たり得る方々が出てきましたが、やはり思い出すことがありません。

 王道パターンの乙女ゲームの要素はこれでもかと詰め込まれておりますから間違いなくそうなのでしょうけど、覚えのない世界観と登場人物で、シナリオ展開がまだまだ見えません。


(破滅のキーパーソンとなる婚約者……王子殿下のお顔を見た瞬間に思い出すパターンかしら?

 いえでももし違ったら、まだお顔を合わせるのは早い気がいたします。まかり間違ってその瞬間に婚約!なんて流れになることを考えたらヘタは打てませんわね)


 そう、まだ焦る時ではありません。

 学園入学時とか、最悪、破滅直前とか婚約破棄された瞬間とか、ゲームの内容を思い出す瞬間がかなりシビアなパターンも読みましたもの。

 シナリオがまったくわからないとはいえ、転生していることだけは思い出せているのですから、それまでにもできることはありますわ。

 持ちうる知識が多岐に渡りすぎて、破滅回避の対策をとろうにもまったく準備が足りていない、というのが現実ですけれど。


(……人手が欲しいですわね)


 転生悪役令嬢が華麗に逆転する小説なら、有能な侍女や従者がいたり、協力者を囲っていたり、何ならこれだけの高位貴族なら隠密っぽい護衛がいたりするものですが、今のところそれらしい人物はおりません。

 もちろんわたくしにも侍女はついておりますけれど、もとは母の身の回りの世話をしていた侍女たちで、わたくし個人の専属ではありません。

 七歳にはなりましたがわたくしもまだ小児の部類ですから、乳母から侍女は、母と同年代かそれ以上の年齢で固められているのは当然のこと、公爵令嬢の教育やお世話係に年端もいかない少女を充てがうのはこの世界では一般的ではないようです。

 もちろん年若い見習いの使用人もおりますが、合格ラインに到達するまではわたくしやアンジェロ、ファウストの身の回りにつくことはできませんし、目に入る配置にすらつけないのです。

 徹底した公爵家の管理ぶり。

 さらに言えば、市街に出て身寄りのない子供を助けて自身の従者や侍女に召し上げるようなことができる余地もありませんわ。

 そもそも外出が制限されているのですし、たまの外出で馬車が通るのも貴族街の整備された道か、王都と領地を行き来する街道で立派な護衛つき。

 何かイベントはないかと窓から顔を覗かせても、精悍な騎士の顔が見えるばかり。

手を振ると笑い返してくださる対子供用の柔和な印象の方々で馴染みの護衛ばかりですが、ガラッシア公爵家に仕えるほどには有能ですから、不審者はネズミ一匹でも近寄れる雰囲気はなく、これも現実的ではありません。

 いくらステラフィッサ王国が比較的平和な国と言っても、貴族の子どもの外出自体を制限されるような文化ですから、大人の目を盗んで抜け出して街へ行ってみるという気にもなれません。

 前世の知識にも、学校の行き帰りでさえ子どもの一人歩きが禁止されている地域がありましたが、あれほどの大国でも誘拐は横行しているのですから、考えなしにそんなことをして、悪役令嬢の破滅よりひどい目に合っては前世の記憶を思い出した意味すらなくなってしまいますわ。


 これは詰んだかと少し頭を悩ませましたが、こういう場合にはその道のプロに頼めばいいというのが定石ですわね!

 ここで登場するのが我が家の執事セルジオ。

 広大な領地を誇るガラッシア公爵家は、王都にあるタウンハウスからはじまり、ガラッシア領の各都市に邸宅を構え、そのほとんどがお城です。領都などはガラッシア王城としばしば妬みめいた批判を受けることがあるほどの絢爛豪華なお城なのです。

 そのすべてに厳選された精鋭の使用人がおり、どこに行っても快適な生活環境が保たれ、不便を感じたことがありません。

 そしてその配置から何から何まで、すべてこのセルジオの管理下にあります。

 セルジオはそう、人材発掘、育成のプロなのです!

 人材不足にあえぐ所領もあると聞きますが、我がガラッシア家はつねに適材適所の人員が配備され、完璧な布陣なのです。

 それを一手にまとめあげているのがセルジオなのですから、その手腕は言わずもがな。

 そんなセルジオは、先代の公爵、お祖父さまの頃から鍛え上げられた執事で、執事職というよりは退役軍人のような野生味のあるお顔立ちの美中年、という風貌。

 執事と言えば白髪老人、という夢は、お祖父さまと共に引退した先代の執事が持っていってしまいました。

 今はおふたりともガラッシア領都のお城と、サダリ湖畔の別荘を行き来しながら、お父さまのフォローもしつつ隠居生活を楽しんでおります。

 お祖父さまはわたくしたち孫を目に入れても痛くないほどの可愛がりようで、先代執事もわたくしが少し思ったことを口にすれば、どんな些細なことも余さず叶えてくれます。

 そんなふたりに鍛えられたセルジオですから、ちょっとお願いすればこの人手不足解消にも一役買ってくれるはず。


(でもお願いの仕方を考えませんと変に思われてしまいますわね)


 侍女や従者については、十歳になった時に改めて専属の者が選出されるのがガラッシア家の習わしで、今はお兄さまの側近になる従者候補を大選抜中とのこと。

 お兄さまの側近となると未来のガラッシア公爵の側近ともなり、領地の運営にも盛大に関わることになりますから、ガラッシア家に連なる貴族家の二男、三男の名が多く上がっているようです。

 領地運営に関しては将来的にはファウストとも相性を見られますから、あまり出生についてこだわりのない方が望ましいですけれど、そのあたりプロのセルジオが抜かりあるはずもありません。


(お兄さまの従者選抜にかこつけて、セルジオにお願いしておくのがいちばん効率的かしら)


 わたくしの場合は、主に侍女選抜となります。

 年近い姉のような頼れる存在になり得る人物がいいですわね。

 しっかり者の秘書タイプを筆頭に、気配りの上手な朗らかな方と、恋バナを楽しめるようなコミュ力高めの方なんて理想的。

 ルクレツィアはさすがに筆頭貴族のご令嬢なので、これにあと二~三人専属が付くのですけれど、そのすべての方に、何かあった時にわたくしを守り対処する戦闘力が備わっているととても頼もしいです。

 この場合の戦闘力には、物理だけでなく政治的な立ち回りの補佐も含まれます。

 物理の前に情報戦を制さなければ、旗色も悪くなるというもの。

 加えて経済的な面でも備蓄があるほうが強いに決まっていますから、個人的な資産も蓄えられるように方法を考えたいところです。


 さあ、ここで活躍しましたのは伝家の宝刀、前世知識チートと、持つべきものは天才の弟ですわ!

 まあ、知識チートと言っても、前世の私はしがない事務員のようでしたので、それほど専門的な知識があるわけではございませんの。

 それに、下手に目立った功績をあげて王族に目をつけられてしまうのも困りますし、備蓄と目前の身の安全のどちらを取るかといえば、断然身の安全でしたから、正直知識チートについては少々諦めておりましたのよ。

 それがどうしたことでしょう。 

 わたくしが、今の生活と前世の知識とを比べて不満に思うことをうかつにもボヤいたところ、ファウストったら!ウチの子ったら!我が家の天才枠攻略キャラ様といったら!


 ステラフィッサ王国の文化レベルは、中世ヨーロッパ風の外観を持った明治時代、といったところです。

 王都やガラッシア領、その他主要な都市はきちんと整備され、上下水道もあるところにはございます。

 そこはやはり乙女ゲームの世界、というところですわね。

 これで本当に中世ヨーロッパの世界観なら、上下水道なんて夢のまた夢、排泄物を窓から投げ捨てていたような地域もあったと読んだことがありますから、そこは乙女ゲームのキレイな世界に合わせた文化レベルになっているのです。

 けれどわたくしが前世で生まれ育った国は、ニホン。

 あちらの世界は文化・文明レベルがおそろしく高い世界でしたのに、水道水が飲める国は数少なく、その中の最右翼ともいうべき国がニホンでした。

 おそらく衛生面の意識の高さでは右に出る国はなかったのでは?

 そんな国で生活していた記憶があると、なかなかこちらの文化レベルでは厳しいものがあるというのが正直なところ。

 毎日お風呂に入れる、というのはニホンでは当たり前のことでしたが、こちらでは貴族などの特権階級に許される贅沢な習慣のひとつです。

 今世の世界には魔法がありますが、生活魔法というような便利なものはなく、お湯を沸かすにもエネルギーが必要です。

 電気もガスもない世界ですから、原始的に薪を燃やすのが一般的になるでしょうが、そこは魔法のある世界ならではの、魔力を込めた「魔石」というものでまかなうことが可能です。

 もちろんこの魔石、お安いものではなく、お風呂いっぱいの水を温めるのに、一般市民の皆さまが気軽に手を出せるものではないでしょう。

 まあでも、わたくしは他に追随を許さないガラッシア公爵家の令嬢ですし、猫足の白いバスタブが、わたくし専用に寝室の続きに設てあります。

 ここまでですでに贅沢なほど贅沢過ぎることは十分承知しております。

 文化レベルの低い異世界に転生して、最高級の貴族の家に生まれ育ち、衣食住なにひとつ不自由なく暮らしていられるのですもの。

 それはそう、まったくそのとおりなのです。

 そう、なのですけれど…… 。

 前世の記憶が訴えるのです。

 石鹸が、肌に合わない、と。

 匂いとか、肌触りとか、泡立ちとか、きっと普及し出した頃の石鹸って、こんな感じなんだろうなあ、といういまひとつ感。

 毎日お風呂に入れて、石鹸まで使えていてかなり贅沢な環境であることは間違いないのですけれど、溢れ出る「コレジャナイ」という不満……。

  ファウストは、そんなわたくしのワガママを敏感に感じとってしまったのです。


「ねえさまは、おふろがおキライなの?」

「どうして?そんなことなくてよ?」

「……ほんとうに?」


 お風呂が嫌いなわけではないので首を振りましたが、ファウストの澄んだビー玉の目にじっと見上げられていたら、本音がポロポロとこぼれてしまいました。


「ほんとうよ?わたくしお風呂はむしろ好きなの。

 でも、石鹸があるでしょう?あれがもっと良い匂いで、それもいろんな種類があって、泡もフワフワのモチモチでクリームみたいになって、洗い上がりもしっとりさっぱりとして、そうだったらもっと楽しくて、好きになれるのにとは思っているの」


 前世で使っていた洗顔、シャンプーにコンディショナー、ボディーソープを思い浮かべ、羅列するようにファウストに語ってしまいました。

 お店に行けば迷うほどの種類があって、香りだけでなく肌質や悩みに合った効能だって選べたのですもの。

 入浴剤だって様々、毎日違った香りを楽しんでいた覚えがあります。

 お風呂上がりの保湿だって、まだ小児の間はガマンできますけれど、すぐに必要になってきますわ。

 こちらでは香油のようなものが主流のようですけれど、これも肌に合う合わないがあります。

 ちなみに前世の私はオイルタイプを苦手としておりましたわね。

 肝心な記憶は戻らないのに、そんな些細な生活様式だけを思い出して日々ストレスを溜めているなんてバカバカしいことですけれど、毎日のことですから、小さな積み重ねが、自分でも思っていた以上に大きな不満になっていたのだと思い知りました。


「ねえさまは、どんなかおりがお好きですか?」

「そうですわね……ローズのようなお花は定番ですけれど、果物の、とくにレモンやオレンジのような柑橘の香りが好きですわ。それからラベンダーやローズマリーのハーブも」


 こてんと首を傾げて尋ねてくるファウストに、それからいくつか質問されて、わたくしは思うままに前世の好みを答えました。

 それからすぐのこと。

 ファウストは部屋にこもりがちになり、寝食も忘れたように何かを作りはじめました。

 兄とわたくしは心配しましたが、お父さまやお母さまは何かご存知のようで、好きにさせてやりなさいと、お世話はセルジオに任されました。

 そうして一か月近く経った頃、ファウストはカゴいっぱいに何かを詰めて、わたくしのところへやってきました。


「ねえさまに」


 そう一言だけ添えて渡されたそれには、良い匂いのする、キレイな色の、いろんな形をした、言うまでもなく石鹸の山が入っていたのです。

 淡いピンクのバラの形、明るい黄色の半透明のものは宝石のようで、青から緑のグラデーションのものは、可愛らしい葉の形をしています。


「まあ!すてき!それに良い香りがしますわ」

「たくさん、泡もできます」


 ファウストがそう言うと、セルジオが持っていた水の張ったガラス容器の中で、真っ白な雲型の石鹸を泡立てました。

 甘いクリームのような香りが瞬時に立ち上がり、見る間に入道雲のような泡がその手のひらに出来上がっておりました。


「すごいわ!これをずっとファウストは作っていたの?」


 感激してファウストを見返すと、コクリと小さく頷いたその表情は、いつもあまり動きが見えないのに、今は心なしか嬉しそうにも誇らしそうにも見えました。

 カゴいっぱいに、おそらくわたくしが語って聞かせたすべてを叶えた石鹸が詰まっていました。

 そもそも石鹸の作り方などわたくしは知らないので、どれくらいの時間でこんなにたくさんの種類、それも可愛らしい形でそろえられるものなのかもわかりません。

 これまで公爵家で使用していたものがそれほどクオリティの高いものではなかったのですから、流通しているものの中でもそれがいちばん品質の高いものということです。

 ファウストはそれを一から改良、完成させ、さらには種類も豊富にそろえた、ということでしょうか。

 え、本当に一か月でできるもの?


「ルクレツィアお嬢様のためにとかなり無理はなさってますが、それでもその発想も魔法の腕も、舌を巻くほどでしたよ」


 疑問が顔に出ていたのか、セルジオがそっと教えてくれました。

 なるほど、魔法。

 稀有な力を持っているとは聞いておりましたが、わたくしの知識チートを叶えるために、驚くほどの集中力と才覚を発揮させたことがうかがえます。

 石鹸を作る工程のどこかで魔法を使い、製作自体の時間は短縮できるかもしれません。

 それでも品質改善をした上での香りや色の調合、さらにはわたくし好みに可愛らしい形にまでして、前世のおしゃれな雑貨屋さんに置いてあっても遜色ないクオリティにまで仕上げているのですもの、本当に無理をしたのだわ。

 わたくしに石鹸をプレゼントできてホッとしたのか、ファウストは今にも眠りに落ちそうなほどうつらうつらとしはじめています。


「ありがとう、ファウスト!大切に使いますわね」


 まだまだ幼いファウストに無理をさせてしまったのは本意ではありません。

 小さな体を一度だけぎゅっと抱きしめ、あとはセルジオに委ねて寝かしつけてもらうことにします。

 ふにゃふにゃとなっているファウストをセルジオが抱き上げて部屋に連れて行くのを見送りながら、わたくしは考えておりました。


(ファウストのポテンシャルの高さは予想以上ですわ。

 根を詰めるのはよくありませんが、わたくし次第では、考えていた対策のいくつかが実現できるかも!)


 そう、わたくしひらめいてしまったのです。

 まず一つ目、ファウストに邪険にされるような姉になる、という出会ったときに立てた目標、わたくし忘れてはおりませんのよ。

 ですから、体調に無理のないようにという配慮はもちろんいたしますけれど、これから少しずつワガママという名の知識チートを披露して、ファウストにそれを作ってくれるよう命令おねがいするのです。

 するとどうでしょう。

 あっという間に弟を無理難題ワガママで振り回す横暴な姉の爆誕ですわ!

 二つ目。

 気がかりの個人的な資産について。

 ファウストに作らせたものを商売にして、発案者としてそのマージンをしっかりいただこうと思っておりますの。

 細かい話はそれ専門の方にお任せしようとは思っておりますが、その主張だけは強く訴えたい所存。

 そしてこの商売に、アンジェロお兄さまを巻き込もうと企んでおります。

 わたくしひとりではとても商売なんてできそうにありませんし、できたとして悪目立ちはダメ絶対、そこへお兄さまの名前がトップにあれば、公爵家の三兄妹としての功績になるのです。

 そして今は丁度よくもアンジェロお兄さまの従者選抜の真っ最中。

 お兄さまを巻き込めば、すぐに商売上手な方が配下に加わること間違いなし。

 そこはセルジオの手腕を信頼しております。

 さらに三つ目。

 お兄さまを巻き込むことで、将来起こり得るヒロインとの恋愛イベントの要、つまりお兄さまの悩みごとをなくしてしまおうと考えているのです。

 おそらくですが、お兄さまは天才型のファウストに対して、嫉妬めいた感情を抱くことになります。

 自分にないものを持つものを羨む気持ちはよくわかりますわ。

 でもそれを拗らせてややこしくなる前に、「適材適所」という見識をお兄さまが持つ環境を整えるのです。

 正直ファウストは物作りや魔法に関しては才があるかもしれませんが、領地運営や商売に必要な対人関係においては、少々難ありな成長を遂げると思われます。

 そこへきて、すでに公爵家嫡男たる振る舞いを身につけていらっしゃるお兄さまでしたら、何ら問題ありません。

 そのあたりを上手にお兄さまに伝えて巻き込めたなら大成功!

 ファウストが作り、お兄さまが売る。

 そしてわたくしはちゃっかり個人資産を貯める。

 すばらしい三者両得ですわ!


 乙女ゲーム大好きな三十路女としては、義弟に屈折した感情を抱く完璧な公爵令息という攻略キャラクターを見てみたい気もいたしますが、そこはルクレツィアとして涙を呑んで恋愛イベント潰しを選びます。

 仮に悩める素振りがあっても、ベアトリーチェお姉さまにご協力いただいて、ヒロインの入る余地なく、お兄さまがクソヤローになる道は閉ざすのみです!


(すばらしいわ!ファウストの才能に気づいただけでこんなにも問題が解決するなんて、わたくしも天才なのではなくて?)


 ファウストに作ってもらうものとして、仮にヒロインに冤罪をかけられそうになったときに使える道具、例えば監視カメラではないにしても、わたくしの身の潔白が証明できるだけの映像記録が残せるものも考えております。

 学園入学まではまだまだ時間がありますから、きっとその頃までには出来上がるはず。


(ファウストへの過度な期待かもしれませんけど、希望を持てないよりはマシですもの、お願いするだけはしてみましょう)


 ファウストの石鹸という、転生悪役令嬢の神様からのプレゼントのような天啓をうけて、いよいよわたくしは、破滅回避への対策に乗り出すこととなりました。


**


 アンジェロお兄さまをトップに据えた商会の準備は、瞬く間に整いました。

 ファウストが作っているものを見て、セルジオからお父さまへ報告が上がり、何らかの形にしたいと動き出していたようです。

 アンジェロお兄さまの従者選抜の中から、ファウストの制作活動のお手伝いとしてすでに二人が抜擢されておりました。

 そこへわたくしとお兄さまから、ファウストのために商会をやってみたいとお願いしたところ、社会勉強の一環として、お父さまからお許しが出たのです。

 抜擢された二人は、ジェメッリ伯爵家の五男、六男のピオとロッコで、双子の兄弟。

 ジェメッリ家はガラッシア家に連なる家系ではございません。

 由緒ある伯爵家なのですが、子沢山の家系のため、当代の伯爵様ご自身も下のご弟妹が八人、お子様が双子の下にさらに四人の合計十人といらっしゃるそう。

 大家族でいらっしゃいますが、嫡男以外が生活に困らないよう、外に出て働いていけるような英才教育を全員に徹底するのが習わしなのだそうで、それによりもたらされた恩恵で、子沢山でも伯爵家の家計が火の車になるようなことはないというのですから、かなり優秀なご一族ではないかしら。

 兄のピオは快活で口がうまく、少し調子の良さそうなところもありますが、世渡りが上手そうですわね。

 弟のロッコは正反対で、ファウストに輪をかけて口数が少なく無表情。手先がとにかく器用で魔石の扱いにも長け、実質ロッコの腕を見込まれての起用のようですが、ピオがいないと意思疎通に少々難あり、ということで二人はニコイチなのです。

 明るいブラウンの髪に、琥珀のような深い瞳は二人お揃いで、身長も同じくらいなのに、ピオはヒョロ長く、猫のように笑う商人風、ロッコは筋肉質で、寡黙な職人タイプ。


(二卵性でもこんなに違うもの?)


 はじめて引き合わされたとき、ロッコの分まで喋るようなピオの長口上に呆気に取られていると、ロッコが強い視線を向けただけでそれを押しとどめていました。


「あッ、すみまッせん、話が長過ぎましたかね!

 要はオレも弟も、若様方、お嬢様のために身を粉にして働きますよ、ってことッス!」


 黙したまま頷くだけのロッコと、人懐っこいヘラリとした笑い方をするピオに、こんなに態度の砕けた方はこちらへきてはじめてなものでしたから、わたくしもなんだか楽しくなってきて、すぐに二人のことが好きになりましたわ。

 というのも、かなりキャラの立った二人ではございますが、なったとしてもゲームのサブキャラで、攻略対象にはならないだろうという安心感があったからです。

 二人は一五歳になったばかりで、社交デビューはせず、公爵家で雇われなくてもそのまま平民に降って商売をするつもりでいたようで、公爵家の子供たちのはじめたままごとのような商会を、本気の大商会にのしあげるつもりで働き出しました。

 ピオがアンジェロに付き経営と販路作りの補佐を。

 ファウストはピオがいなくてもロッコの言いたいことはなんとなくわかるそうで、ロッコもまたファウストの意思を汲み取ることがうまく、すでに阿吽の呼吸で石鹸作りからその先の商品開発について取り組みはじめました。

 わたくしはというと、たまにお二人に遊んでもらいながら、こんなものがあれば、とかこうなるともっと素敵!とか、とにかく案だけ出して何をするでもないのですが、わたくしの言い出すものがとにかく真新しいと感じるのか、片っ端から形にしていくつもりのようで合間のメモに余念がありません。

 ピオなんか面白がるように、もっとないかとわたくしを焚きつけます。

 ピオとばかり話しているとファウストは拗ねるのか、研究の手を止めてわたくしの横に黙ってちょこんと座るものだから、ちょうどいい休憩時間になって、頃合いを見て、話しの止まらないピオの首根っこを捕まえてロッコが外に放り出すのが日常になりました。


 この日常には、もう一人ジェメッリ家の縁戚者が加わっております。

 十歳を待たずにわたくしの専属の侍女になったのは、ジェメッリ家当代伯爵の末妹のドンナです。

 双子の伯母にあたりますが、ジェメッリ伯爵様とは歳が二五歳も離れているそうで、七歳しか違わない双子のほうと、まるで姉弟のように過ごしてきたとか。

 わたくしが生まれた頃、ドンナも双子と同じ一五歳で母の侍女の増員として我が家にやってきました。

 ジェメッリ家では、一五歳で将来を選ぶんだそうです。

 ドンナも、社交デビューや貴族家に嫁ぐことは端から考えておらず(伯爵家の下の子に生まれると、それが顕著のようです)、幼い頃から手に職を得るために教育を受けてきたおかげで、厳しいガラッシア公爵家の使用人選抜を勝ち抜くことができた優秀な人材なのです。

 我が家の人材の豊富さは、ひとえにジェメッリ家のおかげというところもありますわね。

 ジェメッリ家としても、王国随一のガラッシア家に一族の就職先が決まるのならそれに越したことはありませんでしょうし、お互いに、これからも末永いお付き合いをしていきたいものですわ。

 ドンナは侍女の中でも最年少なこともあって、わたくしの遊び相手によくなってくれていました。

 家族以外の男性であるピオとロッコと顔を合わせる機会が増えたこともあり、母の侍女からの持ち回りではなく、早めにわたくし個人に侍女をつける話になったとき、自然と彼女の名前があがりましたの。

 末っ子の妹とはいえ、甥姪の姉のように育ってきた彼女はまさにお姉ちゃん体質。

 少し砕け過ぎるピオや話さな過ぎのロッコの手綱ももちろんうまく取ってくれます。

 明るくしっかり者のドンナに、わたくしもいちばん懐いておりましたから、何の問題もございませんわね。


 トントンと、破滅回避の対策に必要な人材も集まりはじめました。

 ファウストの力は偉大です。

 ファウストが作った石鹸はお母さまも大変気に入って、お茶会で話題にのぼらせたかと思ったら、あっという間に顧客がつきましたわ。

 ファウストが魔法で短縮した工程の大部分を、ロッコが魔石を使った装置を作って代用させ、できるだけ同品質のものを作れるようアンジェロお兄さまとピオで方策を固めました。

 さすがにいくら広いとは言え、王都の邸で収めるには規模の大きな話になってきたので、とりあえずは王都郊外にある空き家を買い上げ工房に作り替えることになりました。


 そうそう、工房の準備が整うまでの間に、ちょっとした事故のような出会いがございましたの。

 新しくわたくしたち三兄妹の専属の護衛についたのは、イザイア。

 邸と工房の行き来が必要になったため雇われたのですが、彼はちょっと謎の多い人。

 家名はないというわりに、身のこなしは洗練されていて、教養も完璧です。

 護衛というより執事や従者のような立ち回り方で、一見して護衛とはわからない出立ちなのですが、もの凄く、お強いのだそう。

 我が家に仕える騎士の皆さまも大層お強いのだけれど、護衛選抜の試験で模擬試合をしたところ、一人対五人で、イザイアが騎士の皆さまをあっという間に制圧してしまったそう。

 細身でしなやかな体躯からは想像もつきません。

 お年も、ピオとロッコよりはおそらく下です、とは本人の言なのですけれど。

 要は出自不明ということかしら。

 どちらからお連れになったのでしょう。

 お父さまとセルジオが認めているのですもの、安全安心な方なのだとは思いますけれど、ちょっと危険な匂いがしますわ。


(……これは、わたくしの攻略対象キャラアンテナに引っかかりますわね)


 じいっと、イザイアのお顔を見上げます。

 にこりと笑い返してくる瞳は鋼色、強い色をしております。

 顔の輪郭に沿うように切り揃えられた髪も濃いシルバーで、抜き身の刃のような印象を与えます。

 物腰は穏やかに見せているのに、こちらが気を抜いたら命取りになりそうな鋭利な雰囲気がそこはかとなくしていて、キレイなお顔立ちよりもそちらのほうが余程気になってしまいますわ。


「どうされましたか、お嬢様」


 自分の顔を黙って見上げているわたくしを不思議に思ったのか、首を傾けて尋ねてくる仕草は色気さえ感じさせます。


(これは、クロ、ですわ……!)


 どういう役回りかはわかりませんが、隠しキャラとか、二周目以降のルート解放とか、難易度高めの闇属性タイプの攻略対象に違いありません!


(なんですの?世界の終末をねがうアンチ巫女組織とかがありますの?

 それにしたって裏社会の暗部みたいな方ですもの、真っ当な方ではありませんわよね)


 本当にどうしてお父さまやセルジオが彼を迎え入れたのか謎です。


「私の顔に何か……?」


 無言のまま首を振ってみせ、しばし熟考。


(悪役令嬢からヒロインを殺せと命じられたけれど、ヒロインに心を溶かされて悪役令嬢に反旗を翻す系のシナリオかしら。

 それとも正統派シナリオの中の唯一のメリバエンドみたいな変化球?

 いいえ隕石が降るのだから巫女の命に関わるような危険を冒すのは愚か者のすることですわ。

 まあ悪役令嬢は愚かな役回りですものちょっとありえてしまうのでわたくしはそんなこと命じたりしませんけれど、これは彼ルートならヒロインが危険な目に合うのではなくて?

 世界の救世主にこんな危険人物近づけてはいけませんわね。

 正しくフラグを折るには、彼の闇に近づかせないこと、深入りさせないこと。

 もしくは転生悪役令嬢の物語の場合、こちらにフラグが立つ危険もありますわよね。

 どちらにしてもわたくしにも将来的に命の危険があるかもしれませんわ。彼は明確な破滅フラグですわ。

 ───そんな気がしますのに何ひとつ思い出しませんけれど!)


 身内以外の明確な攻略対象と破滅フラグに出会いましたが、わたくしにこの世界ゲームの記憶は戻りません。

 思わず、深く長いため息がこぼれました。


「お嬢様……?」


 ほとんど無視されている形のイザイアですが、わたくしの奇行に戸惑うばかりのようです。

 もう一度イザイアの顔を見上げ、わたくしは無言で頭を降りました。

 かける言葉が見つかりません。

 あなたは破滅フラグだからわたくしに近づかないで。

 そんなこと言えるものでしたら言いたいところですけれど、妙な言動をして敵視されても困ります。


「何か私に仰りたいことが?」


 困り顔になっていたのか、イザイアは親身な様子になってわたくしの顔を覗き込んできました。

 思わずドキドキせざるを得ません。

 イザイアも顔がいいのです。


「なんでもありませんのよ、なんでも……」


 結局言葉は見つからず。

 かなりおかしな態度をとったことは自覚しております。


 のちに、わたくしがイザイアに初恋をしたのではとあらぬ疑いがかけられることになりましたが、それは絶対に違いますとはっきりと主張しておきました。

 なぜかイザイアは残念そうな顔をしましたが、わたくしの初恋はお父さまですもの!

 それを聞いたお父さまがとても喜んで、イザイアにドヤ顔をしておりました。

 無意味な対抗心ですのよ。

 この世でお父さまより素敵な男性がいるとはとても思えませんわ。

 ファザコンぶりを改めて強調することができたことは感謝いたしますけれど、本当に、急な破滅フラグは心臓に悪いですわ。

 記憶が戻らないならまったく余計な衝撃ですもの、イザイアには身を改めてもらわないと困りますわね。


 降って湧いたせっかくの記憶を取り戻すチャンスも空振りに終わり、いよいよわたくしは、第一王子エンディミオン様に出会うべく、八歳の年になりました。

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