五
(とても疲れましたわ……)
学園からの帰り道。
ザワザワしたままの胸の内を持て余し、真っ直ぐ帰る気にもなれなくて、わざわざ遠回りをさせゆっくり馬車を走らせているのに、いつまでも動揺が収まりません。
(セーラ様がとんでもないことをおっしゃるから……!)
誰の顔を思い浮かべたか、なんて。
いつものように何もわからないふりも、とぼけて誤魔化すこともできずにまともに絶句してしまったわたくしに、その後は皆さま深く追求なさらないで、お茶会の話題は星の探索に移りました。
次に行くのがスコルピオーネ領くらいは頭に残っておりますけれど、その後はほとんどお話が耳に入ってきませんでしたから覚えておりません。
どういうことですの?
名前すら出していないのに、その手があったと目からウロコのように皆さまそろって納得してしまうなんて。
あたたかい眼差しで、ここから先は無粋ですわね、なんて。
そもそもわたくしの新しい恋の話題を嗜むための集まりだったように思うのですけれど、それは無粋ではないのです?
ぎゅっと握り続けているハンカチが、見るも無惨にシワシワになっております。
ジワジワとあちこちに火が灯るような感情を、いったん取り出しては慌てて仕舞うことを繰り返し、わたくしは自分自身を信じられない気持ちです。
「驚いただけですのよ、そう、寝耳に水、いきなり思ってもみないことを言われて、それで驚いて、びっくりして、動揺しただけで、言われたから意識するなんてそういうことではありませんのよっ」
「お嬢様、考えていることがすべて口から漏れております」
一人だったはずの馬車の中、当たり前のようにイザイアが斜め向かいの席に座っておりました。
「いつから聞いておりましたの?!」
「はじめからです」
そうですわ、イザイアは常にわたくしの影にいるのですから、お話はすべて筒抜け、女子会には遠慮して距離をとってくれることがほとんどですのに、今日はずっと側にいましたわね!
「聖国の人間との関わりは最大限の注意を払わないといけませんので」
わたくしの思考を読んだようにイザイアは言い、情報収集です、と悪びれもなく長い足を組んでわたくしを流し目に見つめてきます。
じっと見てくるその瞳には、まだまだ含むことがあるとイヤでもわかりますわよ!
「…………ほかに何かおっしゃりたいことがありますの?」
「いえ。お嬢様が国外に出るとしても私は付いていきますが、近隣でステラフィッサ国の公爵令嬢と釣り合うだけの嫁ぎ先は、どの国でも直系の王族しかいないだろうな、と」
鋼色の目が揶揄うように細められ、そんなことは絶対に起こらないだろうという確信が込められているのが明らかです。
「隣国の王子殿下はどんな方かしら?」
「お知りになりたいのでしたらお調べいたします」
「……言ってみただけですわ」
「そういえばお嬢様は王族に嫁ぐことを厭うていらっしゃるようにお見受けしていたのですが、母国の王族でなければ問題ないのでしょうか」
こんな見え透いた会話になんの意味もありません。
わかっているくせに、今日のイザイアは意地悪ですのね。
「お姉さまたちにあれほど引き留められたのですから、わたくしが国外に活路を見い出すのは最後の手段です」
サダリ湖の向こうの国では、王子殿下が無理な婚約破棄をしようとして返って廃嫡になった、なんて乙女ゲームからのざまぁが起こっているような話も伝え聞いておりますから、わたくしはやはりこれからも油断なく破滅回避を目指さなければなりませんのに。
「何も見えない遠くに無理に形を探すより、近過ぎて見えていなかったものと距離を測って輪郭をつかむほうが早くはありませんか?」
イザイアまで見透かしたようなことを言って、わたくしを煽るのはやめていただきたいわ。
(悪役令嬢に虐げられる
それを避けようと、邪険にしてもらうつもりで、ワガママで暴君な姉をめざして……)
「…………ファウストには、そんなつもりひとつもありませんわよ」
「ファウスト様の顔を思い浮かべられたんですね」
ハッと、イザイアの言葉に俯かせていた顔を上げると、そこにもうイザイアはおりませんでした。
(あの場では決して出されなかったその名前を、わたくしに暴露させるだけさせてまた影に潜るなんて……!)
はっきりと口に出してしまえば、そこからまた燃え広がるように噴き出してくる感情は、消しても消しても熾火は残ったまま。
(ヤンデレパターンに繋がらないようにと気をつけておりましたのに、わたくしが
しっかりしなさい、ルクレツィア・ガラッシア!
これまで丁寧に築きあげてきた家族としての絆を、セーラ様に少し言われたくらいで揺らがせているなんて、そんなのはあまりにも簡単で無分別な女です!
さらに強くハンカチを握りしめて、わたくしは千々に乱れた心を落ち着けるために深く深く息を吐き出しました。
窓の外に流れる景色をなんとはなしに眺めて、黄昏色に染まる通りに落ちている馬車の影だけを無意味に追いかけることにいたします。
公爵邸のある貴族街を走る馬車通りは、人の気配がありませんでした。
いつもの登下校の時間なら似たような馬車がにぎやかに行き交っておりますが、少し時間が遅れただけで、自身の乗る馬車の蹄の音だけがよく響いて聞こえます。
王都の中心にある王城と
時おり警邏の騎兵とすれ違うこともありますが、今の時間帯はこの通りに姿は見えず、ただ広い道を、わたくしの乗る馬車だけがゆっくりと進んで行きます。
────不意に心細いような気持ちが湧き上がり、わたくしは来た道を窓から振り返りました。
もうとっくに行き過ぎている公爵家の別邸は、王城からも、学園からも近いのです。
ファウストがそちらに移ってから、一度も訪れたことはございません。
今日は学園で遠目にも姿を見られず、ファウストの姉離れがどこまでなっているかわたくしが知る術はありませんから、邸に帰りましたら、仕舞い込んだ手鏡を引っ張り出してお話だけでもできませんかしら?
お父さまから弟離れをするように告げられた時、それが手の届くところにある限りつい使ってしまいそうで、ドンナに言って片付けてもらったのですけれど、これほど言葉を交わさない時間が長いせいでわたくしが妙な気を起こしているのなら、少しだけお話しすればこの気の迷いも落ち着くかもしれません。
(幼い頃は、不安なときや緊張しているときは、いつだってファウストが手を繋いでわたくしを励ましてくれておりましたわね)
何も言わない代わりに幼い手から温もりを伝えてくれていたのに、最後にそれを感じたのはいつでしたかしら?
(結局、心を落ち着かせようと考えるのもファウストのことですのね……)
今度は嘆息の長い息を吐き出し、よくやく頭の芯が冷えてくるのを感じました。
今まで本当の弟として大切に思ってきたことは間違いありません。
ファウストにだって、姉として大切に思われていることは確信しております。
そこに血の繋がりがないからといって、わたくしたちが姉弟として過ごしてきた日々に偽りはなにもないのです。
そこにセーラ様から一石を投じられて、自分でも思ってもみないほどに動揺してしまったことは確かですけれど……。
今まで一度だってファウストをそんな対象として見てきていなかったのですから、それで驚いてしまったのであって、自分でも知らない心の奥深くにあった感情がついに顔を出したとかそういうことではなくて、そういうことでは……ない……はず、で…………。
エンディミオン殿下たちに、いくら甘やかなお顔でどんな口説き文句を言われようと、攻略対象との関わりは破滅に繋がるのだからと少しも靡かなかったわたくしの心が、こんなにも揺らいでしまっているのはどうしてですの。
いつものように、ありえないことと頓着もしないで聞き流せばよかっただけのこと。
そう、ファウストだって攻略対象の一人のはずですもの、ファウストルートには婚約者が見当たらず、虐げてきたわけでもありませんから断罪の可能性ももうほとんどないのですけれど、だからといって今さら恋愛対象として意識するなんて、わたくしどうかしてしまったのではないのかしら。
(ファウストにだって、引かれてしまうかもしれませんわね)
姉だと思っていた相手に思慕を向けられたら、きっと困ってしまうでしょう。
(きっと、恋愛結婚する計画がうまくいきそうになくて、どうやって、誰に恋していいかもわからなくなって、そうして示された選択肢に思わず飛びついてしまっただけなのですわ……)
自分でも説明がつかない感情の起伏をそう結論付けて、わたくしはいそいそと手の中のハンカチを丁寧に撫で伸ばしました。
そうでもしないと、シワシワのハンカチのような心にまたすぐに戻ってしまいそうで。
(ファウストと話すのは、もっとわたくしが冷静になってからのほうがよろしいわね)
手鏡は大事に仕舞ったままにしておきましょうと、少しだけ名残りを惜しむようにもう一度窓から行き過ぎてきた通りを見やると。
(あら……?)
馬車が走りやすいよう整備された白い石畳と、貴族の屋敷のうず高い煉瓦塀が暮色に包まれるその中に、ぽつりと、寂しそうな小さな影が漂うように歩いているのが見えました。
こんな時間に、あんな小さな子が一人で、と心配になってよく見ると、その小さな影は見知った人物のようでした。
*
「馬車を止めて」
人影の周りには護衛らしき姿もなく、あまりに心許ない足取りはすぐにでも引き離されてしまいそうで、わたくしは慌てて御者に声をかけました。
通常なら迎えの馬車には侍女も同乗しておりますが、今日は一人になりたかったものですから、お使いを頼んで別に帰らせてしまっておりました。
自ら馬車を降りて、人影に駆け寄ります。
イザイアもすぐに姿を現して、わたくしのそばに控えました。
「グラーノ様っ」
小さな人影はグラーノ様でございました。
フォーリア様どころか他のどなたも従えず、たとえ貴族街であろうと幼い子供が、しかも聖国の高位のお客様が一人で出歩いているのは異常です。
こんなところでどうかしたのかとお声をかけようとしましたが、それを躊躇ってしまうご様子であることにすぐに気がつきました。
ぼんやりとした目は焦点が合っておらず、たどたどしい足取りはわたくしを素通りして行ってしまいそうです。
「グラーノ様?」
もう一度声をかけると、ようやくグラーノ様は足を止め、わたくしの方を見上げました。
「其方は……」
やはり心ここに在らずのようなご様子でわたくしの顔を不思議そうに見てくるだけで、第二皇子殿下に無理やり木登りをさせていた溌剌なご気性が見当たりません。
「…………ラ」
一瞬だけ何かが噛み合ったように口の中で誰かのお名前を呼んだようですが聞き取れず、「いや、違うな……」と老成した声がこぼれてきました。
「グラーノ様、わたくしルクレツィアでございます。ガラッシア公爵家の娘でございます」
「…………ガラッシアの。はて、あそこに娘は居らなんだ気がするが…………」
まるでわたくしと初めて会うようなのに公爵家のことはご存知の呟きは、わたくしに聞かせるというより、自分自身に確認するような独り言がそのまま口から漏れているだけという印象です。
「先頃、ペイシ家の夜会でご挨拶させていただきましたでしょう?」
まさかわたくしがこの短期間で忘れられてしまうような存在感のなさ、というわけではないと思いたいのですが、「……ペイシの」と鸚鵡返しに呟くだけのグラーノ様にどれだけ響いているのか、まったく手応えを感じさせないほど反応はぼんやりとしたものでした。
(困りましたわ……)
あれほどグラーノ様が忍者なのかと目を輝かしていたイザイアがそこにいても何の興味も示しませんから、この方が本当にグラーノ様で、馬車に乗せて保護してもいいのかどうか、それすらも判断に迷います。
ですがどう見てもそのお顔も背格好も聖国からいらっしゃった使節の代表のグラーノ様ですから、放っておくわけにも参りません。
「グラーノ様、フォーリア様はどちらにいらっしゃるのでしょう?」
「……フォーリア?」
本来そばにいるはずのその名前を出した途端、幽鬼のようですらあったグラーノ様に少しだけ意識が戻ったように、目の中に光が灯りました。
「フォーリア、そうだ……フォーリア……」
あと一歩、何かを思い出そうとしているグラーノ様にお声をかけようか迷っているうちに、通りの向こう、市街地の方向から、駆けてくる馬の蹄の音が聞こえてきました。
「グラーノ様!」
馬上から焦ったお声で呼びかけてきたのは、グラーノ様が譫言のようにその名前を繰り返していたフォーリア様です。
相変わらずの黒い装束、黒い髪が影のように夕映えの中を疾駆してきて、グラーノ様のそばにいるのがわたくしと分かると、驚いたような、安堵したような、どちらとも取れるお顔をなさったのが見て取れました。
わたくしたちの手前で馬を止めて飛び降りるように下乗すると、わたくしへの礼もそこそこに、フォーリア様はグラーノ様を抱き上げました。
「グラーノ様、心配いたしました!
一人で抜け出されては困りますとあれほど申し上げましたのに。
ここは聖国ではありませんから、危のうございます」
「……うん?おお、フォーリア。どうしたのだそんなに慌てて」
フォーリア様に抱き上げられた途端、グラーノ様は今までの様子が嘘のように先日見たままの少し偉そうな、元気一杯の少年に戻りました。
どういうことなのかとわたくしが戸惑っていても、フォーリア様と視線は合いません。
「ふむ?ルクレツィア嬢ではないか。あなたが我に用だったか?
……おおっ?!そこにいるのはあの時のニンジャではないか!!……おっと、このように大声で正体をバラしてはいけないな。お前、名はなんといったか?」
フォーリア様の腕の中で大人しくしているわけもなく、グラーノ様はお年のわりには幼い動きで、興奮も露わと言うように飛び跳ねてイザイアに向け体を伸ばしてきました。
「わたくしの護衛の、イザイアと申します。
グラーノ様、お加減はもうよろしいのです?」
「?? 我はどこも悪くはないぞ??
そうかイザイアか!ガラッシア家をクビになったら、聖国にくるが良いぞ。我が取り立ててやろう!」
いよいよフォーリア様の腕から落ちそうになってきたので、グラーノ様はお話しの途中からフォーリア様の乗ってきた馬の上に押し上げられてしまいました。
その所作から、フォーリア様ができるだけ早くここを立ち去りたいという意思が伝わってきます。
「もったいないお誘いですけれど、恐れ入りますがイザイアを手放す予定は当面ありませんの」
「そうか、残念だな……。
それで、なんだったか。こんなところに護衛の引き抜きを持ちかけに来たのだったか?」
「グラーノ様がいつものように一人で街へ抜け出したのを、ガラッシア公爵令嬢が保護してくださったのではないですか」
「そうか!ルクレツィア嬢、世話になった!」
「後日改めてお礼に伺わせていただきますが、本日はこれにて失礼いたします」
グラーノ様には好き放題話させて、わたくしからの問いは一切受け付けないという頑なな姿勢が、先ほどのグラーノ様の様子が人に知られたくない類のもので、フォーリア様も十分に承知している状態なのだと教えてくれます。
下手に深入りしないほうがいいのか、イザイアに少しだけ視線を向けると、硬質な目は鋭くフォーリア様を睨み付けております。
イザイアのあからさまな警戒にも、フォーリア様は気にする素振りもなくグラーノ様の後ろに飛び乗りました。
ずっと、わたくしと視線は合わないまま。
「それでは、また会おう。ルクレツィア嬢、それにイザイアも!」
屈託のないグラーノ様の笑顔が、今は少しだけ不安に感じます。
(グラーノ様は、何も覚えていらっしゃらない……?)
一人で抜け出して出歩いていた、と言うフォーリア様の言葉に何も疑いを抱かず信じきっているようですが、その間の記憶がないことにも気がついていらっしゃらないのでしょうか。
「失礼致します」
馬を駆る最後に、フォーリア様がわたくしへ視線を向けました。
そこにはレオナルド様の面影はひとつもなく、こんなお顔だったかしらとわたくしは一瞬驚いてしまいました。
そうして、レオナルド様に似たところをひとつも見つけられないと同時に、あの夜感じたはずの甘やかな好意も、まるで何もなかったかのように掻き消えていて、わたくしは拍子抜けしたようにフォーリア様を見送ることしかできませんでした。
そんなわたくしに何かを感じたのか、フォーリア様が暗い眼差しになったような気がしたのはわたくしの気のせいでしょうか。
確かめようにも、フォーリア様はすぐに背を向けて駆け出して行ってしまったので、真実は何もわからないまま。
「お嬢様はあんな無礼な男の何が気にかかったのでしょう」
鋭い眼差しを遠ざかる背から少しも逸らさず、イザイアは吐き捨てるように言いました。
わたくしへの嫌味というよりは、単純にフォーリア様が気に入らないという意思表示ですが、わたくしもその問いの答えを持ち合わせておりません。
グラーノ様とフォーリア様の謎に思いがけず足を踏み入れてしまいましたけれど、これは乙女ゲームのシナリオの範疇なのでしょうか?
それともシナリオとは関係のないところ?
どちらにせよ、わたくし余計なことをしでかしたりしていなければよいのですけれど、そちらのほうが気がかりです。
本日のお茶会からもわかるように、巫女様が王子殿下たちと乙女ゲームどおりの恋愛に進めなさそうな今、星の災厄の阻止のため、不用意な問題は起こってほしくはありません。
(わたくしの恋心とか、本来そちらも星の災厄の前ではどうでもいいことですわね)
わたくしの破滅回避も大切ですが、世界規模になりそうな災厄が阻止できてこそのわたくしの第二の人生です。
「帰りましょう、イザイア」
ファウストへ感じはじめた気持ちにひとまず蓋をすることにして、わたくしは馬車に戻りました。
**
義弟への良からぬ思いが湧き上がっている疑惑がわたくしの中に持ち上がってしばらく。
二つ目の星を得るためスコルピオーネ領にセーラ様と殿下たちが旅立たれました。
今回はジョバンニ様がカメラ係としてセーラ様たちに同行し、王城内には星の収得を中継するための大きな鏡の間を設営しているとのことで、ファウストはその責任者となって大忙しのようです。
そうしてあの日からこれまで、わたくしはファウストに一度も接触しておりません。
ただの一度も。
学園でのニアミスすら許さないほどで、……そうです、わたくし逃げ回っているのです。
皆さま覚えておいででしょうか。
わたくしがレオナルド様に恋した日のことを。
お父さまには内緒にしておこうと秘めた恋心は、ものの見事にバレてしまいましたわね。
お父さまどころか家族全員、使用人、それからレオナルド様本人にも。秒で。
顔にも態度にも出ることが分かりきっていて、わたくしには逃げる以外の選択肢はございません。
折りしもファウストは転移魔法の研究と王城での仕事のため多忙を極めておりますし、会おうとしてなかなか会えるものでもないのですけれど。
(これが恋だなどとは申しませんけれど、わたくし自分がどんな醜態をさらすかわかりませんから、この不埒な勘違いから抜け出さないかぎりはファウストの顔を見ることもできませんわ)
そう心に決めて、ファウストのことを考えないように星の探索に集中しようにも、悪役令嬢のわたくしが出る幕はやはりひとつもなく、前回のこともありますので、わたくしはスコルピオーネ領での様子を見ることもできなくなってしまいました。
お兄さまやお父さまから都度お話しを伺ってはおりますから、だいたいの事情は把握できておりますけれど、わたくしはすべて伝え聞くのみ。
まず、スコルピオーネの星から得る力は「探知・探索」の魔法になった、とのことです。
星の災厄の阻止が最優先ということで、いまだ見つからない星の民の手がかりや、前の巫女のエリサ様の三冊目の日記を手に入れるために、スコルピオーネの星と相性の良さそうな魔法、ということで考え抜かれたようです。
この魔法の発想は、もとはファウストがお兄さまに提案したようなのですけれど、それは公爵家の者しか知らないことになっております。
サジッタリオの星のことはかなり尾を引いているようで、ファウストの発案であると知れると一部に反発がありそうだということですけれど、探し物のありかがわかるような新たな魔法、というだけでなく、広範囲で対象を把握できるようになれば、有意義な魔法になると思いますのに、功罪を公平に判断できない方がいらっしゃるのですね。
乙女ゲームとしては、シナリオ攻略のために探し物を見つける能力を手に入れるのはあり寄りかとは思うのですけれど、十二個のうちのまだ二つ目。多少の禁じ手感は否めませんわ。
それでも星の災厄についてはまだ不確かなことが多いですから、その全容をつかむため、星の民の力も、三冊目の日記も早めに手にしておくにこしたことはありません。
うまくスコルピオーネの星にこの力を与えてもらえればよいのですけれど、きっとまた魔物が現れるでしょうし、心配は尽きませんが、結局そちらは上の空のまま本当に聞いているだけの状態でした。
内心は、寝ても覚めても、わたくしはこれからファウストとどう接していけばよいのかを自問自答するばかり。
考えないという決心は、どうしても考えてしまうということと同義です。
わたくしの決心など朝令暮改で意思薄弱なゴミのようなもの。
仕舞って隠して逃げ回っている時点でなすすべもなく振り回されているのが自分でもわかります。
あまりに考えすぎて、一時は持ち直したわたくしの食欲はまた減退し、最近はほとんど食事が喉を通っておりません。
そんなわたくしの様子にすぐに気がつく兄も弟も今は不在ですから、心置きなく上の空でいられると思ったのも束の間、気がつかないはずがありませんわね……お父さまが。
あらかじめ、お父さまには予防線は張っておいたのです。
そのままにしておいては何から何までイザイアがお父さまに報告してしまうことはわかっていましたから、わたくしの様子がおかしいとお父さまから聞かれても、
「今は気持ちを整理しているところですので、何も聞かずにお見守りください」
そうお伝えしてとイザイアにはお願いしておりました。
その相手については、自分から言うまでは決して明かしてはダメ、と懇願しました。
命令ではなく懇願するほうがイザイアには効くのです。
まさか義弟とも思ってもみないでしょうけれど、そんなことをお父さまに申し上げるのは、わたくしだって気が引けます。
そうしてお父さま対策をしておいたのですけれど、思いのほかお父さまの耐性がなかったようです。
わたくしに恋の相手を考えることを示唆しておいて、いざわたくしが食事も喉を通らなくなるほどになると、いてもたってもいられなくなったようで……。
今、わたくし人生二度目の壁ドンをされております。実父に。
お父さまは相変わらずお顔が世界遺産で天上の楽園にいるような良い匂いがするのですけれど、さすがに近い、近いですわ。お顔が近い。毛穴も見えそうなほどですけれどそんなものは神の最高傑作には存在いたしません。
鼻先もくっついてしまいそうな至近距離で優しい笑顔を浮かべてはいるのですけれど、溢れ出る凄味はキラキラと音を立てております。
人類の宝である顔の圧はどんなに強くても効果音はキラキラなのですのね。
そんな新しい発見はさておき、お父さまの壁ドンというご褒美イベントが発生しております。
「ティア」
造形美の極致のような唇が、すぐそこでわたくしの名前を甘やかに呼びます。
「お父さまに何か、話さなければならないことはないかい?」
思わず全てを洗いざらい話してしまいたくなるお顔と声に、わたくしは必死で抵抗して首を振るのが精一杯。
「お父さまにも相談できないような悩みを抱えているなら、とても心配だよ」
最近のわたくしの憔悴ぶりに手を差し伸べるような優しいお声ですが、それでもわたくしは堅く口を閉ざすしかありません。
……お父さまにすべてを打ち明けたらどうなってしまうのか、想像もできませんもの。
「わたくしもまだ、何をどうお話ししたらいいのかわからないままですし、考えれば考えるほどわからなくなりますの…………」
せめて素直な気持ちをお伝えしようとしたら、思いがけず声が震えてしまいました。
本当に、どうしたらいいのかわからないのです。
この気持ちがなんなのかさえ、わたくしは答えを出すことを躊躇っているのですから。
弱々しいわたくしの態度に、お父さまは深いため息をついて、わたくしを囲っていた腕を下ろしてくださいました。
「……無理に聞き出したいわけではないんだよ。
けれどお父さまもお母さまも、ティアが困っているなら助けたいし、例えどんなことでも必ず味方になるということだけはわかってくれるかい?」
もちろん、お父さまとお母さまのお気持ちはよくわかっております。
けれど真っ正直にその手を取るには、まだわたくしの準備ができておりません。
ましてことはわたくしだけの問題ではありませんから、わたくしは曖昧に頷くだけに留めておきました。
「ティアがそれだけ慎重になっているのだから、お父さまが余計な手出しをすることはないが、体を壊す前に、食事だけはきちんととりなさい」
やはりいちばんの心配はそこだったのでしょう。
わたくしもこのままではいけないとは思っておりますの。
けれどどうにも食べ物を受け付けず、最近ドレスのサイズが合わなくなってきておりました。
「どうしても食べられない時は、膝の上に乗せて私が食べさせてあげるのがいいとアンジェロから聞いているからね」
お兄さまの入れ知恵にも、わたくしは困ったように笑い返すしかできません。
きっとそうなったとして、上手く嚥下できるかどうか、どうしてもわたくしは自信が持てませんでした。
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