三章
一
みなさま、ごきげんよう。
ルクレツィア・ガラッシア、今年で一六歳になります。
前世の記憶を思い出してからもう十一年、本日からわたくしも学園の二年生になりました。
ステラフィッサ王立貴族学園は、名前通り貴族のみが入学を許されていて、ほとんどの貴族令息が通うことを義務づけられております。
ジェメッリ家のご出身の方のように一五才の年で平民に降ることを選ばないかぎりは、皆さま生徒名簿に名前を連ねることになるのではないでしょうか。
四年制のカリキュラムは、一年次では家格でクラスを分け、貴族社会の基礎、これまでの家庭学習のおさらいのような授業を受けますが、二年次からは官僚コース、騎士コース、魔法士コース、社交コースと細分化いたします。
だいたいお察しのとおり、貴族家嫡男、そしてほとんどのご令嬢が社交コースへ進み、継ぐ家のない貴族家二男以下の方が、他の三コースから各々ご自身に合った将来の道に進むことになります。
内容のわかりやすい三コースとは違い、社交コースで何を教わるかといえば、一年次の延長から、領地運営や政治経済に少し踏み込みます。
これは選択式の授業なので、多くのご令嬢はマナーや外国語などの貴族令嬢としての嗜み系の授業を選びますが、家政という「家」を取り仕切るための知識を学べる授業もきちんと科目にございます。
思っていた乙女ゲームの学校生活とは少々趣きが異なり、かなり実践的な社会勉強の場、という感じがいたしますわね。
落ちこぼれる生徒がいないわけでもないですが、ほとんどの貴族令息が一定レベルの教育を受けて社会に出るのですから、この仕組みこそが、一千年続くステラフィッサ王国の秘訣なのでは、などと思っております。
また、魔法士コースの授業とは別に、魔法を扱う授業は四年を通して行われます。
特に社交コースでも、魔力の強い生徒は特クラスとして特別授業が義務付けられますので、魔法の扱いについてもかなり訓練を受けることになります。
魔法の使いどころといえば、近年は魔物退治がほとんどですが、かつては国同士の戦争が頻発していた時代もありますから、貴族の義務として、その名残りがあるのでしょう。
魔法の授業では、わたくしも水の特クラスを受けておりますので、この一年でかなりの腕前になりましたのよ。
前の世界になかった魔法が使えるのですもの、ちょっと楽しくなり過ぎて、ガラッシア家の才能を如何なく発揮してしまいましたけれど、お兄さまも水の特クラスの首位を入学以来キープされておりますし、それほど目立ちませんわよね?
二年次に上がる際、わたくし本当は魔法士コースに興味があったのですけれど、さすがに筆頭公爵家息女が社交コースをはずれるわけには参りません。
仕方なく社交コースへ進み、当たり前のようにエンディミオン殿下と机を並べること、二年目へ突入ですわ。
同じクラスには、スカーレット様とジョバンニ様もいらっしゃいますが、基本的にジョバンニ様が授業をお受けになることはございませんわね。
教師がジョバンニ様に教えられることは何もなさそうですもの。
週に一日か二日、フラッと顔を出しては、授業中ひたすら殿下とわたくし、たまにスカーレット様やクラス全体に彼の研究成果について語って聞かせてくださるので、そんな日は「カンクロの日」とされ、授業を中断せざるを得ません。
それが代々許されているのがカンクロ家でございますから、国としてもカンクロ家をどれほど重用しているかがわかりますわね。
けれど、今年からファウストが学園に通うことになります。
本日はその入学式で、それはもうジョバンニ様は楽しみにされておりましたのよ。
……あとは言わなくてもわかりますわね?
ファウストのクラスが、毎日「カンクロの日」になってはいけませんから、二年次の社交クラスは、殿下を中心に今から頭を悩ませております。
───そう、本日はファウストの入学式です。
いよいよ学園にゲームの攻略キャラが揃い踏みとなるのですけれど、わたくし、いつになったらこの
一年前の入学式でもわたくしはこの
いちばんの破滅フラグと思わしき王子殿下は、毎日のようにキラキラとしたお顔をわたくしに向け、何くれとなくわたくしへお声をかけてくださいます。
隣りの席ですから仕方がないとはいえ、この一年、必ずわたくしの隣りが殿下用として空けられているのは、何かしら意図のようなものを感じてしまいますわね……。
正直なところ申し上げますと、以前からの定期的なマナー教室に加え、今は休日を除き毎日王子殿下対応をしなくてはいけないものですから、凄まじく消耗いたします。
ガラッシア公爵家の令嬢としての振る舞いに加え、なるべく天然な言動を維持し、ほとんど直球で隠す気もなさそうな殿下の愛情表現をかわさなくてはならないのですもの、魔法の授業で多少熱が入り、備品がいくつか吹っ飛んでしまっても大目に見ていただきたいですわ。
休み時間になれば、フェリックス様にシルヴィオ様、ラガロ様も用事もないのに一年のクラスへやって来ますから、わたくし休まる暇もございません。
フェリックス様とシルヴィオ様は社交コースと官僚コース、ラガロ様も騎士コースを掛け持ちしているのですからお忙しいはずですのに、わざわざお時間を作ってはわたくしたちのクラスにいらっしゃるので、わたくし、スカーレット様を筆頭にまたしてもご令嬢たちのお花畑を作って、できるだけ多くのご令嬢が殿下たちとも交流できるよう采配しなければなりませんでした。
その姿がすでに女主人のようだと例え褒め言葉のつもりで言われても、まったく、何も、わたくしの心には響きませんのよ。
できるだけスカーレット様が中心になるよう、わたくしは天然を装い、何でしたら今はスカーレット様推しくらいの勢いで影ながらアシストをしております。
だいぶマシになったとはいえ、スカーレット様のツンデレは誰かを悪役令嬢たらんとするシナリオの強制力すら感じさせる誤解のされようで、わたくし内心ヒヤヒヤしておりますの。
これでヒロインが学園に現れたりしたら……。
ああ!お伝えするのを失念しておりましたわ!
この世界といえば、乙女ゲームスタートのカウントダウンのように、いろんなことは確かに動きだしておりますの!
でもそのはじまりがあまりにあまりで、いまだに「はじまった」感が薄いものですから……。
半年ほど前、西の「聖国」から、ステラフィッサ王国に「神託」が届けられました。
曰く、「星護りの巫女」が、ステラフィッサ王国に現れる、と───
ああ、やはり来るべきときが来た、わたくしの推測は間違っていなかったのだと少なくはない衝撃を受けたのですけれど。
(……それだけですの???)
そう思ったのは、きっとわたくしだけではございません。
ステラフィッサ王国に「星護りの巫女」が遣わされたのはおよそ一千年前、以降、どの国にも「星護りの巫女」が現れることはなく、伝承のレベルになった今、その記録はあまりに少なく、中には信憑性の疑わしいものも混ざっております。
王家秘伝の何やらがあるかはどうかはわたくしには知る由もありませんが、ステラフィッサ王国が突然の神託に揺れたのは間違いありません。
巫女が遣わされるということは、それ相応の「災厄」が必ず訪れるということですから、国を揺るがす一大事であることは疑いようもないのです。
それなのに、いつどこに巫女が現れるとも、その巫女をどのように判別するかとも、そもそもいつどんな災厄が起こるとも、「聖国」からの神託はなにも教えてはくださいませんでした。
これにはかつて「聖国」とお母さまがらみの確執があったらしいお父さまも、舌打ちを隠せませんでした。
(……ええと、神様、もう少し情報をいただくことはできませんでしたしょうか?
それともこれ以上は神様の規約か何かに抵触します?)
もちろん、心の問いに答える声はありません。
巫女が遣わされるほどの災厄は、その巫女をお迎えすることでしか対策のしようがありませんから、国をあげて「星護りの巫女様」の大捜索を行いましたが、未だそれらしき少女は現れず。
今か今かと乙女ゲームの開始に備えていたわたくしも、日々の忙しさに加えては、さすがに緊張の糸を張り続けることはできませんでしたわ。
「ようやく姉上と共に学園に通えます」
と少しだけ顔を綻ばすファウストにわたくしも頷き返しながら、入学式を終えたその晩───
ステラフィッサ王国の頭上をたくさんの星が流れ、王都の中心にある
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その晩、マテオ・ヴィジネー大司教は、神の声を聞こうとひたすらに祈りを捧げていた。
王都の中心街、ステラフィッサ王城の真向かいに立つようにしてある
半年前に「聖国」からもたらされた「神託」は、彼が信奉する
他の地水火風の四柱の神とは違い、その存在に関する情報は少なく、あまり注目されない一柱である。
広い大陸で、星の神を中心に崇めているのはステラフィッサ王国とその周辺の小さな国々のみで、本来なら各国の主幹となる教会の大司教は「聖国」から派遣されるものだが、ステラフィッサ王国では、代々ヴィジネー家がその役目を果たすことになっている。
例え外の国ではさほど重要視されない星の神でも、ステラフィッサ王国はその成り立ちに彼の神の力があればこそ、長い時を経ても、その信仰は変わらずにそこにあった。
マテオは、自らが彼の神に仕えることに誇りを持っている。
例えヴィジネーの家に生まれていなくても、自身は神に仕えるために生まれてきたのだという自負がある。
けれどその言葉は、この国を救うための言葉だ。
いずれ巫女が現れる。
それだけでも、これから
その時をただ待つわけには行かず、具体的な時期を知り、苦難を乗り越えるための方策を取らなければならない、というのが国家運営における危機管理の基本らしく、ステラフィッサ教会のトップであるマテオに、度重なる「お伺い」が来ている状態だ。
侯爵家の一員でもある自分がその考えを否定するわけにもいかず、「聖国」に働きかけるとともに、マテオは日々、ステラフィッサ王都の大司教位にのみ継承されている聖典を開き、神に問いかけていた。
一千年伝わるソレは、誰にも読めない文字で
記号のような、落書きのような、暗号のような、見たこともない文字で書かれたそれを読み解こうと歴代の大司教は腐心したが、結局、読み解くよすがのないまま時を経てしまった。
マテオにも、そこに何が記されているのかは分からない。
分からないが、ここに書かれていることが、今必要とされていることは確かだ。
教会の本尊であるアステラ神像は、黙して何も語らない。
星の神は、その空をわずかに見上げ、何かを掬うような手をして立っている。
満月の夜なら、真上に昇った月明かりが差し込むこともあるが、今晩は新月、わずかな燭台だけを灯し、聖典を胸に抱きながらマテオは跪いて星の神を見上げていた。
その目の端に、光るものが走ったのは一瞬。
気のせいかと瞬いて目を開けたその時にも、何かが確かに光って、そして消えた。
マテオは立ち上がり、星の神の顔からさらにその上、硝子窓を凝視した。
光の尾が、ひとつ、またひとつと夜空を駆けて消えていく。
(……これは!!)
───星が降るのは不吉の兆し。
子どもが唄う迷信は、ただの迷信ではない。
ステラフィッサ王国に確かに伝わってきた伝承は、別の一面を表しているのだと、ヴィジネー家の大司教位を継ぐものだけは知っている。
「大司教様!!!空が!!!!」
夜番をしていた年若い神官が、血相を変えてマテオのところに転がり込んできた。
わかっていると言うように、マテオはそちらも見ずに頷き返し、ただただ硝子窓の向こう、数多の星が降る空を食い入るように見上げていた。
星が降るのは不吉の兆し。
そこにあるのは、かつて数多の星が降るとともに、「聖なる巫女」が現れたという真実。
硝子窓の向こうが、流れる星でまるで滝のようになった、その時───
光の尾がひとつに束ねられたような大きな光が硝子窓から飛び込み、アステラ神像を目がけてきた。
あまりに眩しく、マテオは目を開けてはいられなかった。
咄嗟に腕を上げ、光が収まった気配にもう一度顔を上げると、星の神のその手の中に、人が、少女が横たわっているのが、見てとれた───
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ということがあったみたいだよ」
昨晩、
王城でも一部のものしか知らない、という事情は公爵家には筒抜けらしく、朝食の団らんの際、お父さまは軽い話題のようにわたくしたちに教えてくださいました。
その一部に公爵家が当たり前のように入っているのか、それともコッソリと入っているのかはわたくしにはわかりかねますが、お父さまがわたくしたちにも話していい内容だと判断されたのでしょうから、ありがたく情報を聞いておくことにいたします。
お父さまのお話しは見てきたかのように具体的で、異国の風貌、見たこともない装束を着ていた、というあたりで、わたくしの心の内はお祭り騒ぎとなっておりました。
(異世界召喚!!ですわ!!!!)
ヒロインのパターンは異世界から召喚された巫女!!
(なんて王道な導入、やはり正統派乙女ゲームですわね!!)
三十路の乙女ゲーム好きな魂が興奮しております。
記憶が戻ってから十年が過ぎておりますから、もう四十路なのでしょうか。
五歳から人生をやり直し、この十年で、精神年齢が肉体の年齢にゆっくりと合ってきているような感覚はあるのですけれど。
「巫女様がいらっしゃったのなら、マテオの心労も軽くなりますかしら?」
「どうだろうね?
巫女は現れたけれど、どうも肝心の災厄のことやこちらの世界のことは何もわからないようだから、しばらくは教会、ヴィジネー家預かりになるようだよ」
心配そうに尋ねたお母さまに、お父さまは考える素振りで首を傾げました。
巫女を見つけたヴィジネー大司教は、お母さまの従兄弟にあたり、三年前、大司教位を受け継いだばかりです。
お年はまだ若く、お母さまよりも年下ですが、幼い頃から自分は神に仕えるために生まれたのだと言って教会に入り、先代の大司教様──お母さまの大叔父様に大層可愛がられていたとか。
何度かお会いしたことがございますが、全体的に白い印象の方でしたわ。
その頃の法衣が真っ白だったことに加え、髪も肌も真っ白、ヴィジネー家のサファイアの瞳だけが唯一の彩りのような、敬虔な印象をより強く与えるような、優しさの中に厳しさも持ち合わせた面差しの方です。
(教会預かり……
学園には通わないのかしら?)
「巫女様は、わたくしたちと同じほどのお年なのでしょう?
こちらのことを何もわからないなんて、ご不安ではないかしら?」
巫女様を慮る妖精のフリで、さらなる情報収集を試みます。
「私のティアは優しいね。
ひとまずは様子を見るようだけど、閉じ込めたりはしないだろうから、君たちも会える機会が来るだろう。
同じ年頃として、協力をお願いされるかもしれないよ」
会える機会に、協力。
なるほど、お父さまの婉曲な言い方でも、わたくしには伝わりました。
お父さまは、そうするおつもりのようですわね。
おそらくまだ国としても方針の決まっていない巫女様の取り扱いについて、お父さまとしては、できるだけ巫女様を教会の外に出すべきだとすでにお考えのようです。
(お父さま、信仰がどうのと言うことではなく、教会、「聖国」のやり方がお好きではないですものね)
大した「神託」を寄越したつもりで、自分たちの手柄のように巫女様を取り込まれてはたまらない、と言ったところでしょうか。
ヴィジネー家、マテオ様ならその点はあまり心配することはなさそうですけれど、何せわかっていることが少なすぎる「災厄」に「巫女」様ですから、ことは慎重に、けれどできるかぎり速やかに答えを見つける必要がございます。
(問題は、災厄の時期ですのよ)
いつ来るかわからない、というのが現状ですから、まずはそこから、巫女様に託されるのでしょうか。
突然、何もわからない世界にやって来て、わかっていることの少ないお伽噺のような巫女にされて、それで世界まで救ってくれなんて、なんてハードゲームなのでしょう。
シナリオどおりにトントンと進めばいいのですが、わたくし、やはり心配ですからぜひともお手伝いしたいですわ。
ヒロインに近づかない、というのも確かに自衛のひとつではあるのですが、為人を知っておいた方が、どんな破滅に向かっているかもすぐにキャッチできるかもしれませんし、シナリオが不明な以上、万全の対策を取るためにも情報は必要です。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、という言葉もありますから、積極的に関わっていくスタイルで参りましょう。
(もちろん、もしも断罪イベントが発生しても、嫌がらせなどしていない、と証明できる確信があるからできることなのですけれど)
ファウストは、ついに完成させたのです。
それも、わたくしの想定よりもはるかに優れた性能のものを。
学園に入学するより以前に、フルカラーの動画が撮れる
ブローチやイヤリング、果てはメガネなどの装飾品に魔石そのものを組み込んで、好きな時に盗さ……いえ撮影し、リアルタイムでサーバーのような本体にデータを転送、その場で見ることも、保存しておくことも可能となりました。
動力源は装着者の魔力を転換し、光魔法と時間魔法に置き換えて作動するというのですから、とんでもないシロモノなのは間違いございません。
ファウストが試しにメガネをかけてみたところ、そのまま見た目は子ども、頭脳は大人の名探偵になってしまいました。
あら?メガネを作ったのもファウストですから、博士のほうと一人二役なのかしら?
ほかに蝶ネクタイ型の変声機と麻酔針の仕込まれた腕時計を作ってもらうには、その用途について説明ができませんから断念するしかありませんけれど。……話が逸れました。
小型のカメラは、わたくしくらいの魔力量ですと一日中作動させることができてしまいますので、ここまで来ると法整備の必要な案件となります。
いったん国に報告し、まずはその性能がどれほどのものなのか、サンプルデータの取得のため、実験的にわたくしやお兄さまが装着して学園内で生活をしてみる、ということになったのが、二年次への進学直前でした。
ファウストの入学も重なりますので、何かあったときは対処が可能な人選でもあります。
撮影されたデータは、他にもファウストが作ったもので法整備が必要なもののため、ビランチャ宰相がすでに立ち上げていらした対策室で管理、保存され、チェックを受けますので、これで国を巻き込んでの冤罪対策は完璧となりました。
まかり間違って、階段から突き落とされた、などというウソをつかれても、撮影データがあればわたくしの無罪は証明されたも同然です。
わたくしが、本当に突き落とさなければ、ですけれど。
(シナリオの強制力とは、どれほどのものなのでしょう)
巫女が現れたと聞いただけでは、ソワソワとはいたしますが、とくに敵意のようなものは湧き上がっては来ませんわね。
そもそも攻略対象の皆さまに特別な好意を持ってはおりませんので、仲良くなっていただいても一向にかまいませんし。
(お兄さまはダメですけれど)
ベアトリーチェ様の敵になるようでしたら、ちょっと出方を考えなければなりません。
(でも、スカーレット様も、クラリーチェ様もマリレーナ様も、ひどい目に合ってほしくはありませんわ)
結局、これまでのところお兄さま以外の方に婚約者は出来ず、もつれた一方通行が散乱している状態です。
(矢印の中心にわたくしがいるのが解せませんが……)
そうであっても、わたくしは素知らぬフリを続けるだけですから、巫女様が殿下ルートに入ればスカーレット様が立ちはだかるでしょうし、フェリックス様ルートならクラリーチェ様とマリレーナ様が間違いなくライバルキャラになってしまいます。
シルヴィオ様とラガロ様ルートならまだ穏やかに進むかもしれませんが、わたくしのお花畑のご令嬢たちが黙っていないかもしれませんし……。
(巫女様にはそのまま教会でお過ごしいただくのがよろしいのでは?)
などと、乙女ゲームのはじまらないことを願ってしまいそうです。
(誰かの攻略ルートに入らなければ巫女様のお力が発揮されない、とか、乙女ゲームっぽくありそうですわね……とてもありそうですわ……誰かしらは必ず巫女様と恋に落ちていただかないと困りますけど……)
殿下、お兄さま、シルヴィオ様、フェリックス様、ラガロ様、そしてファウストにイザイア。
攻略対象と思わしき方たちのお顔を思い浮かべます。
(どなたもダメ、という気もしてきましたわ)
今のところ、わたくしを中心に描かれている相関図に、巫女様がどのように飛び込んでくるのか想像もつきません。
乙女ゲームのシナリオどおりに、恋ははじまってくれるのでしょうか。
(心配は尽きませんけれど、目標は破滅回避に加えて隕石の回避!
シナリオは知らなくてもわたくしの乙女ゲーム知識が役に立つかもしれませんし、やはり巫女様とはお近づきになるほうが良さそうですわね)
そう小さく決意したわたくしですが、朝食は飲み物しか口を付けられませんでしたわ。
*
「ティア」「姉上」
朝食の広間を後にすると、お兄さまとファウストがそろって追いかけてきました。
「食が進んでいなかったけれど、心配ごとかい?」
「体調が優れませんか?」
心配性で過保護な二人に、わたくしは笑って答えます。
「平気ですわ。巫女様やこれからのことを考えておりましたら、食べることを忘れてしまっただけですの」
我ながらありえないような言い訳ですが、学園に入ってからは食が進まないことも多いので、ぼんやりしていて食べることを忘れてしまう、という体を装っております。
食欲がない、なんて言ったら公爵家は大騒ぎになりますし、妖精は霞を食べて生きるものですから、ストレスで食べ物を受け付けなくなっているわけではありません。断じてありませんのよ。
「本当かい?最近はそんなことが多いようだけれど」
もちろん、簡単に騙されてくれる兄弟ではありませんわね。
お兄さまの言葉に、ファウストの灰紫の瞳も雄弁に気がかりを伝えてきます。
「はい。学園でも何かといただきもののお菓子を口にしておりますし、お腹が空きませんと、どうも食べようという気持ちを忘れてしまうみたいで……」
困りましたわ、と返ってこちらが眉尻を下げて見せれば、お兄さまはそれ以上追及なさいません。
「はぁ……、私はティアが心配だよ。
学園でもそばにいてあげられたらよかったのだけれど」
「いいえ、お兄さまはせっかくの学園生活ですもの、最後の一年、リチェお姉さまともっと有意義にお過ごしになられるとよろしいのですわ」
お兄さまは今年で最終学年、来年の春には卒業してしまいます。
それから一年、リチェお姉さまがご卒業されるのを待ってから、すぐにでもご結婚されるおつもりのようですので、学生時代の恋人気分を、今は存分に楽しんでいただきたいものです。
(それこそ星の災厄などに煩わされずに、できれば巫女様にお時間を割かれることもないほうがいいのですけれど)
星の神の神託があり、星護りの巫女様がいらっしゃった以上は、公爵家嫡男のお兄さまも他人事ではいられないことはわかっております。
それでもお二人の過ごす時間を大事にしていただきたいと思いますから、わたくしのことに気を取られてしまうのは申し訳ありません。
「学園ではスカーレット様もおりますし、フェリックス様たちも殿下のところにいらっしゃって、わたくしのことも気にかけてくださりますから、それほどご心配なさらなくても……」
「それも心配のひとつだよ。
フェリックスたちには私からもよく言っておくけれど、……殿下は、変わらないかい?」
「ええ、よくしてくださいますわ」
お兄さまが確認されているのは、わたくしへの殿下の恋情についてだとは思うのですけれど、わたくしはあくまでお友だちとして接しているつもりで答えます。
レオナルド様のご結婚以降、殿下との進展を、お兄さまも多少は期待するところのようですけれど、わたくしとしてはお友だちのままでいたいですし、スカーレット様を応援したい気持ちもあるのです。
なかなかストレートな愛情表現を日々受けておりますが、強引には迫らず、わたくしが望むお友だちとしての適度な距離を保ちつつ、決定打を見せないあたり、殿下もかなり策士のような気がいたします。
わたくしはハッキリと言葉にされないと気がつかないキャラクターでおりますし、殿下はわたくしとスカーレット様の友情にも多少なりと気を遣ってくださっているようですので、わたくしたちはなんとも複雑な三つ巴を展開し、甘酸っぱい少女マンガのような雰囲気がたびたび巻き起こります。
わたくしが殿下の恋心に気がついて落ちるのか、殿下がわたくしを諦めてスカーレット様に振り向くのか、クラスメイトの皆さまは温かく見守るようなスタンスで、恋の先行きを案じてくださっております。
ツンデレを発揮するスカーレット様に、わたくしがいじめられているような誤解をされる方も時にはいらっしゃるのですが、そんな時はわたくしからスカーレット様との距離を詰め、大好きなお友だちアピールをしてみせますので、スカーレット様の悪役令嬢化はそこまで深刻にはなっておりませんでしょうか。
わたくしに大好きアピールをされ、スカーレット様もまんざらではないような素振りを見せますので、なぜそれが自分に向かないのか殿下はため息を吐きつつも、わたくしが日々学園で楽しく過ごせるよう、たくさんの配慮をしてくださっているのを知っています。
(エンディミオン殿下も、なかなか一途でいらっしゃるから悩ましいですわね。
ここが乙女ゲームではなくて、殿下が攻略対象でもなくて、わたくしが悪役令嬢でなければ…………いいえ!いいえ!巫女様が本当にいらっしゃった以上、やはりこの世界は乙女ゲームでわたくしは悪役令嬢。ブレている場合ではありませんわっ)
偶に流されそうになる自分を叱咤いたしませんと、あっという間に破滅してしまいそうです。
破滅回避の後、お父さまとお母さまのように愛し愛されるような素敵な恋をして嫁ぐのが目標のはずでしたわ!
(初志貫徹!!)
ごく偶に、何某家のご令息に突然求婚されることもありますが、よく知りもしない方なので「ごめんなさい」をするか、殿下の側近三銃士の誰かがいらっしゃって「身の程を知れ」とばかりに追い払ってしまわれるので、新しい素敵な恋はかなり縁遠い状況ではありますけれど。
側近三銃士の皆さまも、殿下に負けず劣らずがんばって愛情表現をしてくださってはおりますけれど、それもこれも巫女様が現れたのですから、ひとり、またひとり欠けていく未来も考えられます。
「…………気を引き締めないと」
「姉上?」
思わずこぼした呟きに、ファウストが首を傾げて気遣わしげに顔を覗き込んできます。
「ファウストが入学して、わたくしも先輩になったのですもの、お兄さまにご心配ばかりかけていてはいけませんわね」
ごまかすように奮起してみせるわたくしに、お兄さまもファウストも、顔を見合わせてしまいました。
「ファウスト、ティアのことをくれぐれも頼んだよ」
「はい、兄上」
そこはわたくしにファウストを頼むところではありませんの、お兄さま。
(誰が欠けても、お兄さまとファウストが家族としてそばにいてくれたら、きっと大丈夫です)
例え乙女ゲームのシナリオどおりになっても、家族であれば大丈夫などと、甘い考えかもしれませんが。
対策は十分です。
家族ごと、破滅を回避して幸せになるために、ストレスになんて負けてはいられませんわね。
「さぁ、そろそろ出かけようか」
お兄さまがわたくしをエスコートするように手を差し出します。
わたくしは迷わずその手を取りますが、ファウストはもう手を繋いではくれません。
一五歳となるファウストが、巫女様と恋に落ちてその手を繋ぐこともあるのかもしれませんが、姉らしく、温かく見守る決意も必要そうです。
(巫女様は、どんな方かしら)
わたくしとお兄さまの後ろで、じっと手を見つめて考え込む
乙女ゲームのヒロイン、「星護りの巫女様」とお会いできたのは、それからすぐ、三日後のことでした。
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