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 ドナテッロ・ヴィジネーがこの世に生を受けたのは、確認されている最後のスピカがこの世を去って数年後のこと。

 その力にはじめに気がついたのは、母親のヴィジネー侯爵夫人だった。

 産後の肥立が悪かった侯爵夫人は、息子の成長を見届けることができないかもしれないという不安を抱えながら、寝台の上でその小さな体をどうにか抱きしめる日々に塞ぎ込んでいた。

 その身体に異変が起こったのは突然だった。

 抱きしめた息子の温もりを強く感じると、その熱さに比例するように、起き上がるのもやっとだった心身に力が戻ってくる────

 まるで子供を産む前、宿す前にまで戻ったように、痛みも気怠さもすべて掻き消えてしまったのだ。

 その変化に驚くとともに、腕の中の息子が、熱いほどになっていた息子の身体が、どんどんと冷えていくのに気がついた。

 泣きもせず、ぐったりと力を失っていく息子に、侯爵夫人は悲鳴をあげて夫の侯爵に助けを求めた。


 その時は辛うじて命を留めたが、夫人を救った息子の力が、その生命力と引き換えになる「スピカの星」の力だと、侯爵夫妻はすぐに理解した。

 侯爵家の嫡男が「スピカの星」を持って生まれた僥倖を喜ぶべきか、命を削ると分かっている能力に翻弄されるかもしれない運命を哀しむべきか、侯爵夫妻は後者だった。

 この力のことは、秘して誰にも明かさない。

 息子の命を守るために、ヴィジネー侯爵夫妻は「スピカの星」を隠すことにした。


 その後ドナテッロは、健康に育った。

 自らの力について、小さい頃から決して使ってはいけないと両親に言い含められながら、幸運なことに使う機会もないまま、学園を卒業する歳になった。

 その年、それまでかくしゃくとしていた大伯父のヴィジネー大司教が病に倒れた。

 のちの大司教にと、侯爵家の二男、ドナテッロの弟をとりわけ可愛がっていた好好爺だ。

 日に日に弱っていく大伯父に、懐いている弟も心を痛めていた。

 それでもドナテッロは、自分の力を明かさなかった。

 スピカの星のことは、実の弟にも知らされておらず、むしろ年の近い弟は、兄は自分よりも治癒の力が弱いと信じてここまで育ってきていた。

 ヴィジネーの一族で、治癒の力の強いものは教会に入ることが多い。

 時には聖国に渡る者もいた。

 ドナテッロの弟も、近年では優れた治癒の使い手であり、兄が侯爵家を継いだなら、自分は教会をまとめてヴィジネー家に貢献しようと熱く語るような心根の持ち主で、アステラ神への信仰は篤かった。

 そんな弟が、寸暇を惜しんで大聖堂ドゥオモの星神像に祈りを捧げていたのを、ドナテッロは黙って見ているしかできなかった。

 弟のために、この力を明かして大伯父を救うのか。

 そう自分へ投げかけた問いに、ドナテッロは最後まで首を縦に振ることはできなかった。


(自らの生命と引き換えに、誰かを救う……)


 きっとそれが、スピカの星に選ばれた者の使命だろうとは分かっていても、ドナテッロは自らの命を投げ出すことができなかったのだ。

 ヴィジネー家にあるすべてのスピカの記録を読んだ。

 ほとんどが、二十歳を超えずにこの世を去っている。

 ドナテッロは、スピカの力を使うことに恐怖さえ感じていた。

 ヴィジネー家ならほとんどの者が持つ怪我を治癒する力さえ、何かの拍子でスピカの力が人に知れることに繋がるのではないかと怯えて、あえて能力の低い振りをしていた。

 一度失いかけた息子に、そのまま力を使わずに末長く健康に生きていてほしいと、侯爵夫妻もそんなドナテッロを肯定した。


 誰のためにも、この力は使わない。

 それが例え自身の両親であっても。

 ドナテッロの両親、侯爵夫妻は、ドナテッロの結婚後、その子どもが生まれるのを待たずに亡くなっている。

 二人とも病だったが、それでも息子にその力を使わせることはせず、またドナテッロも、泣きながら彼らを見送ることを選んだ。


 そうして、ずいぶん長く生きた。

 幸いにも、自らの子どもにもその子どもにも、スピカの力を必要とする病は現れず、孫のエレオノーラがとんでもなく可愛らしく、加えて弟の大司教よりも優れた治癒の力を持って生まれたことを心から喜んだりしながら、もうすぐ終わりを迎えるだろう人生に思いを馳せた。

 両親が亡くなったことで、自分がスピカだと知る者はこの世に誰一人いない。


 このまま、一人の人間としての人生を全うするだけだと信じていた日々は────ある一人の公爵子息によって少しだけ軌道を変えた。


 ドナテッロの孫のエレオノーラ・ヴィジネーは、稀代の治癒能力者だった。

 加えて、誰よりも美しい容貌。

 幼い頃からすでにその力の強さも美貌も群を抜いていて、教会からも、他の貴族家からも、昼夜問わず是非にと請われるほどの特出ぶり。

 これは一国を傾けるほどに育つかもしれないと、危惧されるほどに。

 ドナテッロは、先代の侯爵としても、祖父としても、孫の幸せを望んでいた。

 エレオノーラを中心とした災禍など起きてほしくはない。

 それはエレオノーラの父、ドナテッロの息子も同じことで、彼は、エレオノーラを聖国に預けようと考えていた。

 聖国には、信仰しかない。

 国も家もない。

 あまりにも力が強すぎるせいか、能力の使い方については成長しても心許ないままだったが、聖国でならば、エレオノーラも聖女のように大切に扱われ、争いの火種にもならず、穏やかに暮らせるはず……。

 ドナテッロとしてはあまり賛同しかねる案ではあったけれど、とりわけ強く反対することもできず、父である息子の判断に口を出さないことを決めていた。

 そうしてヴィジネー家がエレオノーラの聖国行きを進めようとした矢先。

 エレオノーラを国外に出してはいけない、という王命が下された。

 これまでそんな理不尽を言われたことがなかっただけに、ヴィジネー家には不審が生まれた。

 一体どういうことなのか。

 その裏事情を解き明かすと、王家と、筆頭公爵家の結託があった。

 誰とも言わなくても、一人の少年のために、エレオノーラはステラフィッサ国内に留めるべきという判断が下されたのだ。

 

(ガラッシア家か……)


 相手が悪い。

 ドナテッロは率直にそう思った。


 エレオノーラの父は、王家と公爵家への不信感から、そしてエレオノーラの聖国行きを諦めきれずに、しつこいほどのガラッシア家からの縁談の申し入れを拒否し続けた。

 娘は誰にもやらず、聖国で暮らすのだ。

 聖国からもエレオノーラは望まれるようになっており、こうして、聖国とステラフィッサ王家──ガラッシア家との間で、エレオノーラは板挟みとなり……結果として、エレオノーラ自身がガラッシア家を、公爵家の子息を選んだ。

 誰よりも全力で、どんなものからもエレオノーラを守り愛し幸せにするという姿勢の美貌の少年に、素直なエレオノーラは早い段階から心を寄せていたのだ。

 その事実に自分自身がなかなか気がつけなかった、というエレオノーラの天性の鈍さが二人の距離を遅々として近づけさせなかったが、公爵子息の親友の伯爵子息の助力により、二人の恋は実ることとなる。

 エレオノーラの父も、娘のたっての願いと、ガラッシア公爵子息のこれまでのエレオノーラへの献身を知っているから、最後は折れらしかなかった。

 ステラフィッサ国内にいることで何かの火種になることを恐れていたが、自身の頑なさで余計な軋轢を生んでしまっていたし、ガラッシア公爵家で守られるなら、国内であそこ以上に安全な場所もないと思い直したのだ。

 二人の恋は実り、婚約から結婚も秒読みとなった。


 しかし、聖国の問題が残ってしまった。

 聖国とガラッシア家は、エレオノーラのことが起こる前より折り合いが悪い。

 その事実を知る者はあまりいないが、聖国とステラフィッサ国の橋渡し役のヴィジネー侯爵家の当主を何年も務めたのだ、ドナテッロはエレオノーラの幸せに、聖国が無粋な横槍を入れるのではと危ぶんだ。

 ……そうなるのであれば、と、ドナテッロは老いた身体に鞭打つことにした。

 ヴィジネー家の当主まで務めた自分が、エレオノーラの代わりに聖国へ渡ろう。

 もちろん、若く美しく、強い治癒能力を持つエレオノーラとは比べるべくもないが、聖国に有無を言わせないだけの働きを、ドナテッロは今までしてきたという自負がある。

 聖国は、ヴィジネー家に対しては、ステラフィッサ国に対するぞんざいさが嘘のように丁重になる。

 エレオノーラの件は残念だが、ドナテッロ様がいらっしゃるなら、と話はまとまった。


 そうして、ドナテッロは余生を聖国で穏やかに暮らそうと旅立ち────それから。


 月日が経ち、ドナテッロは聖国でその一生の幕を静かに閉じようとしていた。

 エレオノーラがガラッシア家に嫁いで生んだ娘が、もうすぐ二歳になると幸せに語る手紙を胸に、そろそろ人生の終焉がやってくると悟った、翌朝。


 ドナテッロ────グラーノは、老いた身体から解き放たれてしまった。

 生まれてすぐに母に使ってから一度も使うことのなかったスピカの力が、老衰を病と認識したのか、グラーノは生まれたばかりの姿に戻っていた。

 グラーノの従者として後年の世話を一手に引き受けていたフォーリアが、その姿を発見し、そして全てを隠蔽する手筈を整えた。

 ドナテッロは死んだことになり、グラーノは新たにステラフィッサ国から迎えたヴィジネー家の貴人として、ドナテッロが務めていた副神官の地位を受け継ぐことになった。

 ドナテッロの記憶はグラーノの身体からどんどん抜け落ちていき、やがては幼い少年の人格のまま時が止まってしまった。

 時おり、夢遊病のようにドナテッロが現れることがあったが、朧げな記憶をたどたどしく虚空に見つめるだけで、フォーリアは苦い気持ちになりながら、グラーノの秘密を守り続けていた。

 グラーノは成長したり、また若返ったりを繰り返しながら、星の神託がある頃には、見た目は十歳に満たない姿になっていた。

 フォーリアが何を考えてグラーノを故郷に帰したのか、何もかもを思い出したドナテッロにはわからない。

 けれどドナテッロは悟ったのだ。

 これは、自分が自分の人生を全うするために与えられた機会なのだと。

 見ないふりをしてきたスピカの使命を果たすために、星の神が自分をここへ遣わしたのだと。


 懐かしい故郷の街並みを胸に収めて、グラーノは、ドナテッロは、自らの生命と引き換えに、ルクレツィアを救う決意をしたのだ。



********



「お恥ずかしながら、儂は誰よりも己が生命を惜しんだがために、これまで長く生き続けて参りました」


 長い昔話が終わると、グラーノはこれまでのすべての膿を吐き出すような深い溜息を落とした。


「それが可愛い曾孫を救うためのことであったなら、これまでのこともいくらか許されはしまいかと、……老いぼれとなってもまだこれほどにさもしいものかと、ほとほと嫌気が差しまするな」


 グラーノは、ひどく疲れていた。

 長い人生の中、大叔父にはじまり、両親も、弟も、妻も、友も、多くの親しい人間を見送った。

 救えるはずの力を持っていたのに、自らの生命を差し出すことができない罪悪感を抱えて、長すぎるほどに生きてしまった。

 この姿になってからは、ほとんどの時間を幼い人格が支配していたが、記憶がないわけではない。

 ドナテッロとしての意識がはっきりと戻っている今、どのように過ごしてきたのか、その記憶がしっかりと自分の中に残っていた。

 幸せ過ぎた十年余り。

 なんの翳りも心配もなく、ドナテッロが蓋をした罪悪感も忘れて、グラーノは無邪気な子供でいられた。

 いつもその側に全力で自分を守ってくれていたフォーリアがいたからこその時間だったが、……フォーリアには悪いことをしてしまうなと、ドナテッロは唯一「スピカ」の秘密を知りながら、実の親と同じようにその力をないものとしてくれていた従者を想った。

 数奇な運命の先、聖国に来なければ繋がらない縁だったが、出会った時はまだいとけなく、そして哀れな身の上の少年だった。

 少しのおせっかいと憐憫は、幼い少年の心を少しは救ったのだろうか。

 主人と従者の立場ではありながら、聖国に渡ってからドナテッロとしての生を終えるまでを祖父と孫のように過ごし、赤子に戻ってからの十年以上は、頼れる親のように、兄のように、守護者としてグラーノを守り続けてくれていた。

 だからこそ、グラーノはフォーリアをここには連れて来られなかった。

 自らその時を終えると告げることができないでいた。

 一度は人生の終わりを覚悟したからこそ、フォーリアと屈託なく過ごせた月日は光り輝いて、延長線のような時間は、ずっと溺れていたかったほどに甘美だった。

 けれど、それも終わりにする。

 生き汚かった自分には過ぎた幸福だったのだ。

 それを、曾孫のために終えるというなら、そのための人生だったのだと最期は満ち足りた気持ちにさえなれよう。

 そう自分に言い聞かせ、グラーノはルクレツィアを救う覚悟をした……けれど。


「その話が本当だとして、なぜ、グラーノ殿は直接公爵家においでにならなかったのでしょうか」


 ようやくグラーノの話した内容に整理がついたエンディミオンは、話の信憑性よりもまず先にその疑問が浮かんだ。

 わざわざオリオンを使ってまで、秘密裏に王太子たるエンディミオンに直接その話をしたのはなぜだろうか?


「もし本当に貴公がかつてのヴィジネー侯爵であっても、今のお立場はこの国では聖国の代表ですから、ガラッシア家との関係上それが難しいことだったとしましょう。

 であれば、ご生家のヴィジネー家で秘密を明かせば、私を通してよりは早くルクレツィアの元へ辿り着けるのでは?」


 真っ直ぐに核心をついてくる第一王子に、グラーノは苦笑した。

 もちろん、彼に時間がないことは承知しているが、あまりに率直過ぎる物言いは、一国の王子というより一人の若者そのもので、青臭く、そして眩く思われる。


「仰るとおり、ヴィジネー家に行き、息子と孫に会い、そうして曽孫のためにスピカの力を使いたいのだと、そう告げればよかったのやもしれません。

 ……王太子殿下は、もしスピカが見つからなかった場合、どのようにルクレツィアを助けるおつもりでしたかな?」


 グラーノは、エンディミオンの夕焼けの瞳を申し訳なさそうに見返した。

 このように駆け引きのような問答をしたいわけではない。

 これほどに思い詰めている王子のためにも、ヴィジネーやガラッシアの家族のためにも、すぐにでも曾孫のもとへ駆けつけて、その病を治してやりたかった。

 ────できるものならば。


「どのように、とは……」


 エンディミオンはスピカを探していた。

 すぐにでも病を治せる方法がこの世に存在しない以上、星の力に縋るしかルクレツィアを救うことはできない。

 探してもいないのならば、次のヴィジネーの星に賭けるしかなかった。

 ヴィジネーの星に願う力は、「治癒の力の体系化」ということになっている。

 ヴィジネー一族しか使えない治癒の魔法を、血筋に捉われず広く一般的に使えるようにできはしないか、そのために使うはずだった。

 これは国の決定であり、ルクレツィアのためだけに使うことになれば、国王の命に背くということになる。

 それでも、エンディミオンはそうするつもりだった。

 誰の手を借りることなく、自分の独断でそれを遂げる決意でいたが、自分はスピカだというグラーノが現れた。

 真偽はともかくその力が本物ならば、エンディミオンは禁忌を犯す必要がなくなり、ヴィジネーの星は本来の予定どおりの力、知識となって侯爵家の後継のものとなるはずだ。

 

「グラーノ殿が真にスピカだというなら、そのような問いは無意味では?」


 エンディミオンは、グラーノの問いの真意を探るように、そのルクレツィアと同じ真っ青な瞳を見つめた。


「まさに、無意味でしょうな。

 …………儂が真にスピカの力を使えたのなら」

「それでは、貴公はスピカの力を使えないと言っているように聞こえるが」


 兆した光をすぐに取り上げるような物言いになったせいか、エンディミオンの瞳が揺れた。

 目の前にいる少年がスピカなのかどうか、語る話はすべて本当なのかどうかを見極めようとしながら、信じたい、縋ってしまいたいという己れの心をエンディミオンは必死で律していたのだ。

 ルクレツィアを救うという一点に心を決めながら、未練を感じないわけがない。

 ルクレツィアの命以外はすべて諦めてもいい。

 そう思っても、この恋心がすぐになくなるわけでもない。

 けれど、今自分が判断を誤れば、ルクレツィアを救うこともできなくなるかもしれない。

 心の針は揺れ続け、何が正解かを必死に考えながら、結局はルクレツィアを救いたいという気持ちだけが先走る。


「……殿下、儂のこの姿は、星の呪いと申し上げました」


 エンディミオンの焦る気持ちを認めてもなお、回りくどくなるのは年寄りの悪い癖だと恥じ、グラーノはもう一度ため息を落とした。


「お話したとおり、この力は自らの生を無闇に永らえるばかりで…………スピカの力を正しく使えるのかどうか、儂自身にもわからぬのです」


 この話を信じるも信じないも、聞いた後にその処遇のすべてをエンディミオンに委ねると言った真意は、ここにあった。

 単純に、ルクレツィアを救うだけならまずヴィジネーの家に赴いただろう。

 息子に、孫に、昔話とスピカの秘密を打ち明けて、自分がドナテッロ・ヴィジネーであることを信じさせる。

 そうしてルクレツィアのいるガラッシア家を尋ねる手筈を整えてもらえれば、そこで命尽きようとルクレツィアの病を治しただろう。

 だが、それができる保証がない。

 己れの生命力を代償に行使される癒しの力は自らに向かい、その力の秤がどうなっているのか検討がつかない。

 八十年以上封じてきた力は、ドナテッロが死を覚悟した日にその管理下から離れてしまった。確かに力はあるのだろうが、ドナテッロの意思とは無関係の箱に入っているように、いたずらにその時を戻すだけになった。

 自分に向かっているものの矛先の変え方も、そうしてルクレツィアを癒すほどの力が残っているのかも、ドナテッロにはわからないのだ。


「そうして、殿下もご存知でしょうが、一族のは、同じ世に生を受けません」


 ラガロもスピカも、それぞれ同じ時代に二人と存在しなかったのは、山のように積んだ資料からも明らかだった。

 同じ星は、地上で同時に輝かない。

 今ここにいるグラーノが本当にスピカだと言うなら、どこを探しても二人目のスピカは現れない。

 そのグラーノの力に、不安要素がある、ということは……。


「儂が今すぐに死んだとして、新たなスピカが生まれるまでルクレツィアは待てないでしょう。

 そうしてまた、儂がスピカで居続けるかぎり、次の星で二人目のスピカを獲られるのかもわかりませぬ」


 エンディミオンの考えついた懸念を、グラーノははっきりと言葉にした。

 エンディミオンが無為にスピカを探すのを辞めさせ、かつ確実にルクレツィアの命を助ける手段を得られるように、グラーノは名乗りでなくてはならなかった。

 この不良品をどうにかしなければ、次の星にすらルクレツィアは救えないかもしれない。


「ですから、確実に次の星をスピカとするために、殿下が今この場で儂を殺すと仰られても、儂は受け入れましょう」

「それはだめです!」


 固唾を飲んで兄とグラーノののやり取りを見守っていたオリオンだったが、グラーノの言葉に思わず声をあげてしまった。

 グラーノがスピカだと聞いて、本当は九十を過ぎた老人なのだと聞いて、スピカがどうやって病を治すのかも聞いていた。

 そんな話を聞いて、グラーノは悩んだ。

 兄にこの話を聞かせてもいいのかどうか。

 グラーノの命を代償にルクレツィアを救うことが正しいのかどうか、オリオンには考えてもわからない。

 けれどグラーノにどうしてもと頭を下げられ、その覚悟を見せられて、オリオンは答えを出せないままグラーノをエンディミオンに引き合わせることしかできなかった。

 けれどそれは、兄にグラーノを殺させるためではない。


「そんなのは、ダメです……」


 グラーノから、そんな話は聞いていなかった。

 そんな覚悟までしていたのなら、オリオンはグラーノを全力で止めていた。

 ルクレツィアを助けるために、グラーノがスピカの力を使えばどちらにしろ命はなくなるのかもしれない。

 けれど新しい星を得るためだけに命を捨てるのは、それだけは絶対にダメだと、強く思った。

 何が良くて、何が悪いのかもわからないのに、オリオンは感情のままに声をあげてしまったことを恥じながら、それでもグラーノが兄に殺されるのを黙って見ていられるわけがない。


「…………っ」


 その思いをうまく言葉にできず、ただ嫌々をするようにオリオンはグラーノの上衣の裾をきつく握りしめた。

 その、自身を必死で引き留めようという仕草に、グラーノは少しだけ眉尻を下げた。

 幼くて真っ直ぐな気持ちは、どんな理屈より心を揺さぶる。

 親しい者たちの命を見捨て、こんなに浅ましく生きた命でも、最後に惜しんでくれる友ができたことが、何よりの餞ではないだろうか。


「……オリオン殿、どうもありがとう。

 もちろん儂も、ただ殺されるよりは、曾孫を救って逝けるのならばそれが良いのです。

 エンディミオン王太子殿下にお願い申し上げる。

 次の星の力を、ヴィジネーの星を、どうか儂に授けていただきたい」


 出来損ないのスピカに、もう一度星の力を。

 そうして力の制御を取り戻し、ルクレツィアの命を救う。

 正しくスピカの使命を果たせたなら、この呪われた身も解放されて、スピカも次の世代に受け継がれることだろう。

 グラーノは、エンディミオンに深々と頭を下げた。


「オリオンは、そこまでグラーノ殿に話してしまったんだね」


 頭を下げたグラーノの横で、エンディミオンは溜息を落とした。

 聖国の代表としてのグラーノが知っていていい内容ではなかった。

 十二の星を集めていることも、その星の力が、ステラフィッサ国で有益な「力」となって継承されることも、すべてはステラフィッサ国の機密と言っていい。

 例えグラーノがヴィジネー侯爵として過ごした時間があったとしても、この話は、星の神託があり、本当に巫女が現れてはじめて明らかにされた千年前の伝説の仔細なのだ。

 ドナテッロには知る余地がないはず。

 けれど頭を下げたグラーノは、そのすべてを知っている上でエンディミオンに頼みに来ていた。


「申し訳、ありません」


 消え入るように謝罪したオリオンだったが、覚悟を決めたようにグラーノと同じように頭を下げた。


「けれどぼくは、グラーノ殿がこんな嘘を考えつくような方とは思えません。

 時おりびっくりするくらい、ぼくよりステラフィッサのことを知っています。

 ルクレツィア嬢のことを治したいと思う気持ちもきっと本当です。

 だから、兄上、グラーノ殿に、星の力をあげてください!」


 あまりに拙い根拠と説得。

 小さな頭が、自分に向かって並んで頭を下げているのを見ながら、エンディミオンは考えていた。


「グラーノ殿が直接私を訪ねてきたのは、ヴィジネー家に咎が及ばないため?」


 ルクレツィアの事情がなければ、ルクレツィアの従兄にあたるヴィジネー家の後継が次の旅に同行し、星の力を得ることになっていた。

 エンディミオンがそれをルクレツィアのために掠めとるには、最低限その彼に協力を仰がなければならないが、自分の独断で強要するカタチでなければ、ヴィジネー家が身内可愛さにその力を横取りしたことになってしまうのは目に見えていた。

 ファウストの時より明確な背信行為として取り沙汰されることは間違いがない。

 そうならないために、エンディミオンは覚悟だったのだ。

 グラーノが、直接ヴィジネー家に赴いてこの話を進めてしまえば、それは間違いなくヴィジネー家の咎となる。

 スピカの力の秘密を一生自分一人で抱え、死んだことになっているドナテッロにとって、そのためにヴィジネー家の門扉を叩くことはどうしてもできなかった。


「あまりに厚かましい願いであることは、重々承知しております」


 頭を下げたままのグラーノは、重い責務をエンディミオンにだけ背負わせる罪をわかっていながら、それでもこうすることしかできない苦渋をその声に滲ませた。


「──────お話は、承知した」


 長い沈黙を経て、エンディミオンは一言だけ答えた。


「殿下、」


 顔を上げ、何かを言い差したグラーノに、エンディミオンは首を振った。


「まず、貴公が本当にドナテッロ・ヴィジネー殿であることの証明はされなければなりません。

 それだけは、ご理解いただきたい」


 それは、ヴィジネー家にしかできないことだろう。

 いくらグラーノがヴィジネー家を巻き込みたくないと思っても、ヴィジネー家にはグラーノの正体に責任を負ってもらわなければならない。

 けれど、それが証明されたなら。

 エンディミオンは、もう一度覚悟を決めた。

 一人の公爵令嬢と、星の力に囚われた元侯爵を救うために、十二の星の力のひとつを使うことを国に認めさせるだけの時間はない。

 国王も王妃も、並み居る十二貴族も大臣も、心情的には許したくても、政治がそれを許さないことを王太子であるエンディミオンはよく知っている。

 当代のヴィジネー侯爵本人すら、ルクレツィアのためだけにそれを認めるかどうかは危うかった。

 だからこそ、星を得る土壇場で事を起こすことも覚悟していた。

 ドナテッロ・ヴィジネーの存在があれば、もう少しだけヴィジネー家の協力が得られるかもしれない。

 そういう腹づもりも自身の中に収めつつ、エンディミオンは、グラーノの手を取ることを決めた。

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