第36話 秋休みの直前に

 アミエルの『人面魚は本当にいた!』大作戦は、毎週末に『お茶会』と称して行われていた。

 そして今日までに中学部一年のクラスでは合計八名。

 さらに追加で中学部三年一名が、アリアという存在と共に『しゃべる人面魚』を認知した。

 しかも思いの外、学生たちもいろんな考えを持っていることが分かった。

 これは大きな収穫である。

 つまりは順調な滑り出しだった。


 ——とはいえ、認知されたからと言って、アリアのいや、マーベル・フィッシャーマンの出世には繋がらない。


 だからアミエルとメンマが考えているのは、学生たちによる学校の占拠。

 つまりは学生運動を起こして、ゲデュー・サッチマン侯爵を動かすことにある。

 いつだって革命は若者が起こし、若者が世の中を変える。


 そも、アリアの夢は


 ————貴族制廃止である。


 公爵家と王家は政治に関与していない。

 関与していない所ではない、彼らは顔も出さない。

 だから今のこの国の王としての役割を担っているのは、実質的に四つの侯爵家である。


 この国は安定しているが、それは緩やかな堕落の道を転がっているだけだ。

 三百年前は科学が発展していたのに、今は中世の文明が蔓延っている。

 それは王家がいくつもの結界を張っているから、一番有名なのがキングスフィールドだろう。

 そしてこの結界によって、貴族間の争いは無くなった。

 だが、絶対に覆せない格差社会を産んでしまった。


 さらにもう一つ別の結界。

 これを何と言うのかをメンマは知らない。

 でも敢えて名をつけるなら、アイランドフィールドが相応しい。

 この結界のお陰で島にモンスターが湧かないだけでなく、異種族の軍隊を寄せ付けない。

 ただ、メンマはここにいるし、アミエルもここにいる。


 敵意があるか、それとも魔力量によるのか。もしくは誰かが監視しているのか、メンマには知る術はない。

 とにかく、三百年前に張った結界のお陰で、異種族の害意から島が守られていたのは事実だ。

 その力については以前にも触れたが、各地を守っていた右腕左腕の敏腕兵士が意味を為さない程に強力だった。


 よって、エルセイラム王国は、人魚の肉を食べた王家——おそらく公爵家も——が築いた結界の下、緩やかに堕落の道を進んでいる。


 外敵の存在を排除した鎖国国家が、今のエルセイラムである。

 このままで良いと考えている者もいるだろうが、そうではないこと者もいる。

 

 ——未来永劫に続く格差社会は、ほとんどの人間にとっては地獄であろう。


 因みにだが、メンマの目的は、この国の平穏でも破壊でもない。

 そもそも彼はこの国に興味がないのだ。

 そしてアリアに出会い、彼女の目的と自身の目的が重なっただけ。


 アリアが王子と結婚したいと言ったのは、貴族制を廃止したいが為。

 そしてメンマの目的は人間の王に真意を問う為。

 

 だから、二人の目的が重なった。

 そしてフィッシャーマンの爵位をあげるよりも手っ取り早い方法がある。

 現在、王家と直接会えるのは侯爵家の人間のみ。


 そして、サッチマン侯爵の首を縦に振らせれば、四大侯爵家の内、二つの侯爵を味方につけられる。

 多少強引かもしれないが、子爵、伯爵をすっ飛ばして、侯爵の権限を行使できる。


 それがメンマとアミエルが描く、アリアお姫様計画だった。


 ——ただ、この貴族の子供たちを取り込むという計画も、王家の結界の上で行われている。


 だから順調に思えた計画だって、王家の気分次第であっという間に瓦解する。


 ——そしてそれがちょうど起きてしまったという話



        □□□


 季節はちょうど秋を迎え、人々は収穫に脱穀にと大忙し。

 だから、例えば戦争はこの季節を避ける。

 それは戦争を起こす人たちも食べ物が必要であり、戦争に駆り出される人たちも収穫で忙しいから。


「私の実家でも収穫が始まるみたい。早く育つ野菜をメンマが教えてくれたからだよ!えっとだから……」


 少女は少しだけ躊躇いがちに人面魚に話しかける。


『ここ最近は週末とか関係なしに忙しかったからな。アリアは平日学校に行っていた訳だし。俺はその間はのんびり出来たから気にするな。実家でゆっくりしてこい。スターにも休息は必要だろ。』


 人面魚も彼女の言わんとしていることは察している。

 少女は一週間で一人のペースで友人を作っている。

 そんな生活、隆平だった頃から想像すらできない。

 彼女の持ち前の真っ直ぐさと優しさがあってのこと、けれど疲れない筈がない。


「……メンマの嘘つき。のんびりしていないでしょ。下水道からの盗聴インターネットで情報をアップデートしてるってあたし知ってるもん!」


 こんなことに気付ける彼女だから、誰からも好かれる。

 実際、学生寮の頃とは比べ物にならないほどの情報を、人面魚は盗み聞きしている。

 ここは貴族街の一等地である。

 地下水路もブロードバンド化している。

 人面魚は水魔法の網で音波を掬っている。

 空気中の音の伝わる速さは秒速約340m、そして水中は秒速約1500m。

 このゆったりとした世界の中、その速度で盗聴できる情報量は、光回線並みと言っても過言ではない。

 その情報あっての会話なのだ、これを怠ることなど出来ない。

 ただ……


『盗聴って人聞きが……、人面魚聞きが悪いな。偶々、聞こえてくる話し声が頭に入っているだけだよ。俺自身が動くことはほとんどねぇからな。流石に過去の遺物の水路だぞ。衛生的にあんまり入りたくないんだよ。』

「あ、そっか。あの時からもう三ヶ月かぁ。でも、たった三ヶ月で色々変わったね。結局メンマはあのキモい姿にはならなかったけど!」


 『チリンチリン』


 一人と一匹で話していると、ドアのベルが鳴った。


「アリアちゃん、今日帰るって?」


 アミエルもすっかり常連である。

 なんなら、家に帰るよりこっちにいることの方が多い。

 彼女の目的は、ミハエルの遊びに付き合うこと、——そして、マーメイドを王家の庇護下に置いてもらえる環境を整えること。


 つまり彼女はミハエルの遊びに付き合っているだけ……、の筈がちゃっかり協力者になっている。


 言ってみれば、彼女自身はやることがない。

 王家の動きはあまりに緩慢であり、彼女自身がいくら努力しても意味がない。

 だからアリアを使って少しでも王家の気を引きたい。


「うん。今から帰るよ。」

「そう。それじゃ、お小遣いあげるからお土産を買って帰りなさい。」

「ええ!いいの!?」

「うん。アリアちゃん頑張ってるからね!」


 そんな二人の会話を聞きながら、人面魚はアミエルが早く人魚の姿で泳ぎたいと言外に言っていると、気付いたりする。


 ——これら全ての行動も、この生活がこれからも続くことが前提である。


 だから……


 キィン


 という音がしても、最初は何のことか分からない。

 だから彼女も特に意識をせずに……


 ボチャン!!


 紫紺の髪を靡かせて飛び込む元人魚。

 秘密の力で可逆性の変化をしている彼女。


『おい……。お前、ふざけてんのか?』


 いつものスーツ、けれどボディスーツではない。

 勿論、彼女の人魚姿もほとんど人間に見えるので、どのみち違和感はない。


 ——けれど、彼女は人面魚の前で、ふざけているように手をバタバタと動かしている。そして人面魚は彼女の目が、薄い金色のままということに漸く気付く。


 さらにある変化が起きていることにも。


 ……あれ?この感覚、知っている。


 人面魚は彼女が白目を剥く、一歩手前でそれに気が付いた。


『おい!ふざけんな!早く水槽から出ろ!!』


 怪魚の巨体は、『人間のまま』だった彼女の体を押し出すには十分だった。

 そして床に叩きつけられる侯爵家の娘。

 

 【水流誘導魔法ウォロサイコキネシス


 まさか、いつもやっている水路のネット工事を、人間の体でやるとは思っていない。

 全神経を集中させて、少しずつ動かしていく。

 彼女の肺に入った水を喉へ、咽頭へ、口腔へと動かしていく。

 毎日、続けていて良かったと言える。

 ピンポイントで細い水流を動かして、盗聴行為を繰り返して本当に良かった。


 ケホッ


 人魚が危うく溺れ死ぬところだった。

 河童の川流れよりも間抜けな行為だ。


「おい!さっきの感覚。あれはアイランドフィールドに何か起きた感覚だ。……いや、何かどころじゃない。この感じは……、結界自体が消えている?」


 ゲホゲホと咳き込む女性に畳み掛けるように叫ぶ怪魚。

 でも、咳が治まるごとにガタガタと震え始める彼女、——みるみる顔が青ざめていく美女、いつもの血色の良い唇が青紫に染まっていく彼女。


『ミハエル様の……加護が消えた?どう……いう……こ……と……?』


 激しく動揺をしているのだろう。

 禁則事項を簡単に口にしてしまった。


 ……いや、口に出来たと見るべきか。これはミハエルが何かをした?——いや、あいつはキングスフィールドをなんとかしようとしただけだ。そして。


 人面魚は目を剥いた。


「アミエル!ミハエルのところに戻れ!非常事態ってもんじゃないぞ!!キングスフィールドを残したまま、外の結界が消えるなんて……」


 ————最悪の展開だ。

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