第32話 人面魚という個体

 アミエルは非常に勘の鋭い女性だ。

 八年半も前のことでぴたりとあれはメンマだったと言い当てた。

 あれは無意識の訴えだったに違いない、——そして。


「貴方はもう大人の魚として通用する大きさだわ。これを利用しない手はないって思わない?」

「なんか、嫌な予感しかしないんだが……」


 リリルが来る数日前、アミエルは大金をアリアに持たせて買い物に出かけた。

 そして待ってましたとプールダイブを決めたのだ。


 これがその時の会話。


「違う違う!別に貴方にひどいことをしたいんじゃないの!分かる?貴方という個体が存在していることにするのよ。マーマンの幼魚は人面魚じゃないと印象付けさせるの。人面魚の大人もやっぱり人面魚。そうすることで、もしかしたらいつか子供達が捕まった時に、『人面魚が混ざってる。しかもまだ子供だから海に帰そう』ってなるかもしれないでしょ?」


 何言ってんだ、こいつ——の表情のメンマ。

 だが。


「例えばそうね……。人面魚は浮かばれない魂が鯉に憑依した呪われた魚ってことにするのよ。」


 ……マジかこいつ!合ってる……だと!?大正解じゃねぇか!!俺という存在をぴたりと当てやがった


「そ、そ、そ、そんな設定にしたらどうなるんだよ。」


 するとアミエルはしたり顔で答える。


「貴方はとにかく話しかけなさい。知っている知識を余すことなく使いなさい。ま、地下水道を使ったとか、色々想像はできるけどね。でも、話題作りが大切なのよ。ここはこの国の中心よ?そして子供達から大人達へと噂が伝わっていく。そして、貴方という個体は『人面魚』というマーマンとは別種として扱うことにするの。」


 このアミエルの女の勘こそが、歴史を変えることになるとは、当のメンマさえも考えていなかった。


 そして長らく停滞していた歴史が再び動き始める。


        □□□


 リリル・グラスホッパーは腰が抜けて動けなかった。


 だって、最初からこの洋館は呪われていると知っていたから。

 だって、何故か安く男爵が借りれたから。

 だって、それは事故物件だから。


 彼女が聞いた話の尾鰭はとんでもなく嘘八百だらけだったが、それも故デリンジャー伯爵のなせる技だろう。


 因みに、この不気味な演出は少なくとも、アリア、アミエル、メンマの考えていたこととは全然違う。

 無論、教師、しかも侯爵の娘が侍女役というプレッシャーはあるだろう。

 そもそも、庭に手を付ける時間も、部屋をおしゃれに装飾するお金もなかった。


 さらに、既に休みが明けていて、昼間は水槽内にメンマ一人きり、アリアもアミエルも学校にいる。

 ついでにフィッシャーマン家の人間はそれどころではない。

 だからって、あの発言はないだろう。


 だから、彼はさらにアクアリウム前面まで泳いでいく。


『おい。失礼なやつだな。俺のどこが化けてで出てるんだよ。見ろよ、この流線形のボディ。かっこいいだろ。』

「え?え?ええ?……私、私。私はただアリアちゃんとお話をしようって、思っただけで……」


 おかしいとメンマも思っている。

 女の勘はどこへ行った?


『お前、そのアリアの隣の席の生徒だろ。』

「ひ……」


 ……バレている。私という存在がなんなのか。どこに住んでいるのかまで。多分、実家も知られている。そして、きっと。ううん、間違いなく、私も伯爵のように呪いの化け物に食べられてしまう!


「た、助けてください!私、本当はアリアちゃんのこと、羨ましいって妬んでたんです。男爵のくせにって思ってたんです!それに私よりも魔法について知ってるし、運動もできるし、かわいいし……」


 そして何を思ったか、彼女は人面魚の前で懺悔を始めた。

 メンマからすると、まぁ、そうだろう。アリアは可愛いだろうとご満悦である。

 だが、その笑顔すらもリリルには不気味な笑顔に見える。


『だろぉ?アリアはかわいいよな。ちゃんと謝れるじゃねぇか。ちゃんと自分の罪を分かっているのはいいことだぞ。世の中、自分だけを棚に上げている奴だらけだからな。』


 その言葉がさらに突き刺さる。そして……


『そういえば、俺、知っているぞ。グラスホッパー家って昔はガラス製作で有名だったらしいな。グラスはグラスでもそっちのグラスだったよな?』


 ……やっぱり、私の実家を特定している。


「そ、そ、そうなんです。えと、昔はガラス作りが有名だったっておじいちゃんが言ってました。で、で、でも、た、た、大した家じゃない……ですよ。」


 歯の根が合わないのか、うまく喋ることができない。

 ただ、メンマは彼女が緊張をしているだけだと勘違いをしている。

 だから普通に会話を続けた。


『そっちのグラスなんだなっつーて、目を引いたんだよ。あの辺は草原地帯か。洒落が利いてていいじゃねぇか。あの辺の岩山からはケイ素が取れるっつーことか。技術は廃れさせない方がいいぞ。』

「は、はひ!そそそ、そうなんです。岩山で昔はみんな仕事をしてたって……。そ、それを献上すれば、よ、よろしいのでしょうか?」

『おいおい。俺がガラス細工欲しいっつー顔か?』


 ……間違えた!私は間違えてしまった!


 顔面蒼白のリリルを見て、流石に心配になってくるメンマ


『いや、あれだぞ、あれ。アクセサリー関係なら、アリアにって意味だからな。つーか、献上って。とにかくアリアは良い子だ。仲良くしてやってくれ。』

「そ、それは!絶対にお、お、お、お約束します!!」


 どうしても肩に力が入ってしまう彼女を見て、やはり心配な人面魚。

 だから仕方なく、彼女にアドバイスをする。


『はぁ。結局名乗ってもらえなかったけども、ま、いいか。リリルだったよな。お前、ちょっと肩の力を抜いた方がいいぞ。フィロルド伯爵家の手下とか、デリンジャーの縁戚とか、そんなこと考えなくていい。お前はお前だ。どうやら階級ごとに魔力が強いってわけでもなさそうだからな。それにその辺も大きく変わっていく。なんせ……』


 ……ミハエルがなんか企んでるみたいだしな。とにかく俺はアリアを有名にすることが仕事だ。そしてあいつから知っていることを全部教えてもらう。禁則事項だらけで、全然話が見えないからな。


 という、メンマの気持ちはさておき。


 ……え?私の悩みまで知ってるの?そっか。この化け魚は伯爵家に取り憑いた怨念から生まれたんだ。


「じゃあ、リリルは。私は私のやりたいことをやってても大丈夫ってこと……ですか?」


 やりたいこと。

 それはそうだろう。

 それが子供の特権だ。


『ある程度のものは努力でなんとかなるけどな。青春時代は二度と来ない。悲しいけど、これが現実なんだな。ま、そういうわけだ。やりたいことを好きにやれば良い。時には大人に逆らってもいいんだぜ。アリアみたいに自由にやればいい。』


 ……そっか。すぐにでも嫁げって言われているけど、フィロルド伯爵だって、このお化けはやっつけてくれる!


「はい。えっと……メンマ様。今日はありがとうございました。」


 お礼を言われることなど何もしていない、——というよりもメンマはハタと気が付いた。


『——え?なんで俺の名前を知っているんだ?』


 すると少女は首を傾げて、水槽を指さした。


「えと、す、すみません。ここに書いてあるから、そうだと思ってました。えっと……」


 流石貴族令嬢である。

 アリアもそうかは知らないが、手鏡を持参していた。

 そして、彼女の持つ鏡に写ったのは……


『個体名:人面魚もしくはジーメン

 愛称:『メンマ』

 年齢:約9歳、成魚。

 産地;呪われた海

 性格;エロガキな側面もあるが、基本的には喋りたがり。気軽に話しかけてみよう。寝てる時は水槽をコンコンと叩くと良いよ!

 特技:人生相談。時々偉そうな喋り方をするが、魚の言っていることなので、気にしないでね!』


 と、書かれた紹介文だった。

 外から張られているし、水槽側から照明が照らされているのもあり、メンマには読めなかったらしい。


『アミエル!!後で覚えとけよ!っていうか、いつまでお客さんを待たせてんだよ!』

 

 この言葉が決定打だった。

 リリルの中で、メンマのヒエラルキーは侯爵よりも上の存在になった。

 そして彼女は心で思ったのだ。


 ——メンマは呪われた魚かもしれないけれど、神の魚であると。



 結局、その後、リリルは神魚が見守る空間で、アリアと楽しくおしゃべりをした。


「アリアちゃん、本当に……。ごめん。私、隣のザネス君が怖くて……。でも、今度からは……、私、アリアちゃんと一緒に……勉強する!」


 謝り続け、泣き崩れる場面もあったりはしたが、メンマはエロガキの項目をどうやって消すか、そのことばかりを考え続けていた。



 ……認めるけれども!ガキではない!!っていうかジーメンってなんだよ!

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