第22話 人面魚の正体

 マーマンの里は『里』という名でしか呼ばれない。

 理由はマーマンがあの地にしか生息していないからだ。

 無論、はぐれマーマンがどこかで集落を作っている可能性はあるが、マーマンはマーメイドとセットでなければ子をせない。

 ただマーメイドは悲惨な歴史の末に、単独行動を極端に嫌う性格になってしまったから集落が一つしかない。


 そんな中、隆平はゼペに連れられて、里の奥深くにある海底洞窟へとヒレを踏み入れた。そしてある事実を知ることになった。


「うわ、ここなんだ? すげぇカオスな空間だな。」

「お前もこれからはここで訓練を受けるんだぞ。カオスとか言うなよな。」


 海底洞窟は海水で満たされてはいなかった。

 巨大な球状の空間があり、その半分を海水が満たしている。

 それに塩分濃度が低いことから海水の中に地下水が混ざっていることも分かる。

 そして何より、空気が満たされている岩場の中央に祭壇のようなものが設置されている。


 だが、それは事態はカオスではない。

 理由はさまざまな形態のマーマンが一つの空間にいることだ。

 だから、そこでは人面魚がどのようにマーマンの成熟体になっていくのか、一目瞭然である。

 ゼペのように人面魚にしか見えない者。

 そこからさらに足が生えた者——さらに腕も生えている者、魚人と呼べる者まで、総勢50体前後のマーマンが同じ空間に存在していた。


 そこで彼はこう言った。


「マーマン族が一番多かった時期から比べると千分の一にも満たないらしいぜ。」


 里の総人口は100体らしいので、かつては十万、マーメイドも合わせれば二十万もの魚人がこの海にはいた。

 300年前の大厄災……いや、壮絶なるマーメイド狩りのせいで、彼らは絶滅に瀕している。

 ただ、その時は『そんなもんなのか』程度だった。

 だから気軽に魔法訓練を受けようと思った。


「じゃあ、さっそく魔法の使い方を教えてくれよ。こういう世界じゃ魔法が全てだろ?」

「はぁぁぁ、分かってないねぇ。それはまだ早いっての。すぐに若者ってのは楽な方に逃げたがるんだよなぁ。」


 ——こいつ、いちいち主語がでかい。っていうかお前、幼魚だろ!いちいち偉そうなんだよなぁ!


「俺たち稚魚に課せられているのは戦うことよりも、逃げ延びることなんだよ。」


 そう言って、彼は雄々しい触角オレノチン・ポーンを一体の魚人に向けた。

 その魚人は先程見たカオスな風景の一員である。

 手足が生え、二足歩行をしているのに、ボディは魚のまま。

 お魚の着ぐるみを着たとしか思えない、中間体のマーマンである。

 着ぐるみマーマンが、水のない岩場に立って、海面から顔を出している人面魚に指導をしていた。

 シルエットだけ見ると魚に餌をやっている人かな?と思ってしまう光景である。


「やっぱ、シュールだわ……」

「分かってねぇな。俺たちマーマンの青春はまさにあの時期だっての。」

「いや。絶対に分かりたくもないんだが……」


        □□□


「あれ?俺……、地面に立ってない?」

「この魚の化け物……。そうか、分かったぞ。お前、マーマンだな!」


 目の前に人間が立っていた。

 目の高さが同じなので身長は変わらないのだろう。

 そういえば、声は聞いていたが、こいつを見るのは初めてだった。


「……確かデリンジャー伯爵だったっけ。お前、調子乗るなよ。大体のことは読めてんだからな。」


 ……あれ、空気が吸える。肺呼吸?ちょっと待て、それって!


「え、えとメンマであってる……よね?」


 背後から少女の声が聞こえる。

 振り向くと、体ごと振り向いた。

 そして目が合った瞬間、目を逸らされた。


 ……おい。まさか。俺、あの中間体になってない!?あの一番ふざけた姿になってない?嘘だろ? このタイミングで手足生える?確かに俺って全然成長しなかったから、不思議には思ってたんだ。もしかして水槽の大きさ?


「メンマ、後ろ!」


 その瞬間、背後で爆発音がした。


「……ん?お前、今何かしたか?」


 そこにはワンドを構えた伯爵の姿があった。

 爆発系の中級魔法が使われたと思われる。


 ……なるほど、俺を背中から攻撃したわけか。でも、その程度じゃあ俺の鱗は、マーマンの鱗は貫けない。俺がどれだけ死ぬ思いをしてきたと思っている。


「でも、なるほど。これはちょうど良かった。とりあえず記憶が飛ぶくらいぶん殴ってみるか!」


 繰り返す。

 マーマンは捕食する側の生物だ。

 軟弱な人間、しかも身分を傘に好き勝手するような男は、どちらかと言うと狩られる側だろう。


「ひぃぃぃぃぃぃ」


 腹部に拳を突き立てるだけで、軽く吹き飛ぶ。

 歴史も何も知らないこいつはメンマが、リューへーが探している人間ではない。

 だから何の躊躇もなく……


「メンマ、ダメだよ!こいつ、何から何まで用意周到なの。絶対に仕返しされる!あと、メンマがキモい!」

「ひぃぃぃぃぃぃ、キモいとか言うなよ!この姿が一番青春、つまりアリアと同じかちょっと上くらいの年齢なんだぞ!」


 躊躇した。キモいと言われて躊躇した。

 結局、ゼペと同じことを言っていることに気付くメンマ。

 でも、この姿になってもゼペの言っている意味は理解できない、筈だったのだが、別の意味で理解してしまったこともある。

 

「メンマ!不味い!あいつが逃げようとしてる!ど、ど、どうしよう?」


 マーメイドはこんな進化はしない。

 この進化形態はマーマンである証拠——つまり、メンマが男と確定した瞬間だった。

 その事実に驚き戸惑って、肝心の伯爵を取り逃してしまった。


「マジか。なんで逃げるんだよ。仕方ない。今の力で——」


 【土壁小魔法アースガード・改】


 お魚着ぐるみ人間が小魔法を唱えると、伯爵の足元から土壁が生えた。

 しかも人面魚の時よりも大きな壁が出来上がった。


 ……やっぱり魔力が上がっている。それはそうか、今までは幼魚だ。制約に魔力の大小の文言はない。つまり小魔法でも十分に戦える。


「アリア、俺が気持ち悪いことは今は置いておこう。こいつを蔦か何かでぐるぐる巻きにする————」


 その瞬間、メンマに悪寒が走った。

 アリアも走り出そうとしない。

 つまり同じ感覚を味わっているのだろう。

 そしてその悪寒の正体は簡単に見つけられた。


 ——土の壁の上に立っている誰か


 シルエットは少年から青年くらい。

 そして、その正体をアリアが教えてくれた。


「あれ……。ミハエル・デリンジャー様?」


 その言葉で、メンマもあれが誰なのか気が付いた——確かに一度会っているが、あの時は隠れていたから顔は見えていなかった。

 そして雰囲気がまるで違う。

 だから寒気が止まらない。

 

 なるほど、とメンマは思った。


「やぁ、久しぶりだね。アリアちゃん。そして漸く現れたね、マーマン族の誰か。……あれ?マーマンってそんな外見だったっけ。あまりにも昔……300年前のことだから忘れちゃった。」


 最初から疑ってかかるべきだった。

 明らかに怪しい青年、しかもあの後音沙汰がない。


「……つまりお前か。お前がそうなのか?」


 逆光だったから、最初は朧げにしか見えなかった。

 でも、だんだん目が慣れてきて、青年が今、どんな姿をしているのか見えてくる。

 パーカー姿、銀の髪、左手はポケットに仕舞われているが、右手に穏やかではない長物を手にしている。


 その時、転倒していたデリンジャー伯爵の方が、彼に反応した。


「こここここ、これはミハエル殿下!!おおおおお日柄もよろしく!!」


 伯爵は酷く狼狽して、早口で青年に話しかけた。

 あの時のことを思い出せば、怪しい点がいくつかある。

 

 銀髪青年は伯父様と言ったが、あの時デリンジャー伯は名前しか言っていない。

 それに青年がドアを開けて、伯爵に話しかけた時、相手が甥にも関わらず、伯爵は狼狽していた。


「お日柄ねぇ。僕には全然良くは見えないんだけど?」

「いえいえ。この度は神聖な山を貸して頂き————ぎぁぁぁ!!」


 意味が分からない。

 今、伯爵の足が何故か逆方向に曲がった。


「 君たち、本当に余計なことをしてくれるよね。ま、永遠に平穏をって言ってたガブリエルのせいだとは思うけど。折角楽しくなりそうだったのに……さ!」


 もう片方の足も膝がおかしな方に曲がった。


「すみません!すみません!私は悪くないんです。全部、あのサッチマン侯爵が悪いんです!」

「ふーん。やっぱこのキングスフィールドは面白味に欠けると僕は思うんだ。でも、今すぐこの結界をどうにかは出来ないんだよね。だーかーらー。君の理屈は正しい!つまり僕、ミハエル・エルセイは王家の人間、君はただの伯爵だよ。君がアリアちゃんを殺しても問題ないって理屈が成立するよね?僕が君を殺す行為も、君は肯定してくれるんだろう?」


 先ほど、バケモノと言われたが、あいつの方がずっとバケモノだ。


「え、どゆこと?」


 ここまで異様な存在とは思っていなかった。

 王国は300年、内乱が起きていない。

 それは単にあいつらがそうなったからだと思っていた。

 でも、それだけじゃなかった。


「ミハエルは伯爵の甥のフリをしていただけだ。あの時は猫を被ってやがった。」


 いや、違う。


「そうか、一時的に伯爵家に入ったんだ。キングスフィールドの制約を逆利用して能力を制限していた。——おい、ミハエル!」


 300年前、何が起きたか。

 こいつは間違いなくソレだが、折角だから彼の口から聞き出したい。


「ごめんごめん、マーマン君。ちょっと煩いハエがいるから先に潰しちゃうね!」

「お、お待ち下さい、殿下!わ、私は関係な————」


 視認できない速度で投擲された槍。

 中間体になったメンマでも、目で追えなかった。

 投げたと分かったのは、デリンジャー伯爵の頭が弾け飛んだからだった。



 そして彼はメンマが聞くまでもなく、自ら自分の存在を明かした。



「ご想像の通りだよ。僕は300年前に人魚姫の肉を食べた一人さ。」

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