第4話 少女の宿題
「えっと、それじゃあメンマ、私の代わりにこの写経をやって。」
金髪の少女が本を水槽に押し付けている。
とても重たいのだろう、全体重を使って本を押している。
だから、メンマは死の危険を感じていた。
このままでは水槽が倒れ、そして呼吸のできない空間へ放り出されてしまうのだ。
……あれ、めちゃくちゃ苦しいからな。鰓呼吸は水中の酸素を取り込めるけど、空気中はダメなんだよなぁ。
『おいおい、お友達になって最初にすることが、代わりに宿題をやってくれって注文かよ。アリア、友達ってのはそういう関係じゃないぜ。そもそも聞いてなかったか?手伝おうにもさ、俺、手がないんだけど。』
「えー、手がないなんて、聞いてない。それに友達ではないんだけどぉ。ペットなら、飼い主の言うことはなんでも聞いてくれるんじゃないの?」
『いや、その。ペットにもよるかもだけど、ペットも立派な家族だからね?そもそも宿題を誰かに頼むってのも、俺はどうかと思うぜ? まぁ、手伝えて夏休みの課題の絵日記くらいだな。それにアリアは勉強っての?それをするために写経をしているんじゃないのかよ。』
少女の言葉を突き放す人面魚。
だが、ど正論過ぎて少女の目からキラキラが消えた。
そしてがっくりと肩を落とし、しぶしぶ机に戻ってゴトッと音を立てて分厚い本を置いた。
流石に借り物と分かっているので、乱暴には扱えない。
こういうところに少女の真面目な性格が出ている。
そもそもメンマは彼女がどれだけ真面目かも知っている。
ずっと水槽の中で彼女を見て来たのだから。
「それはそうなんだけど……。一週間でこれを書き写す自信がないの。書き写すまでは、この臭い部屋に監禁状態だし……」
そう言って、彼女は汗ばんだシャツの胸元をパタパタと前後に動かした。——が、そこで手をぴたりと止めた。
ちょうど育ち始めた少女の胸の上辺りが見えたところで止めた。
「見、見てたの?わ、私の今までを……」
『そりゃ、俺はこの水槽の中から出られないからな。見るものつったらアリアか外の景色かくらいしかないだろ。それともこの水槽にテレビとかスマホとか入れてくれんのか?でも、いくら防水とはいえスマホ操作————」
『ガンッ!!』
その時、水槽が叩かれ、メンマの体にも衝撃波が走った。
「メンマぁぁぁ、私はこの部屋で生活して来たのよ?メンマのその声、どう見ても男の声よね?——つまり、あんな時もそんな時も、全部全部、見られてたってことじゃない!!」
その後、何度も何度も水槽に衝撃が走る。
勿論、その程度で割れはしないが、彼女が叩くたびに水槽に縦の波が起きる。
そしてそれが奥で跳ね返って、打ち消したり増幅したり——これは堪らない。
『待て、待てって!そもそも俺は人間じゃないぞ!』
「待ちません。だってその顔、よく見たら男の人っぽいし、何より声が男の人の声だもん!!」
ため息代わりにぽこっと水疱を吐くメンマだが、その水疱も前後左右からの衝撃を受けて、逃げるように水面へと消えていった。
『そもそも、俺は自分が男か女かも分からないの。人面魚の図鑑か何かで調べてみろっての。……っていうか、俺は男じゃないって仲間に言われたんだよ!』
そして漸く衝撃波が収まった。
まだ水面が波打っているが、水中なら関係ない。
少女の複雑な顔がちゃんと見える。
複雑な理由は納得がいかない、人面魚の図鑑なんて持っているか、——いくつも浮かんだが、少女の動きが止まったのは『仲間』という言葉を聞いたからだった。
「ご、ごめんなさい。そんなこと……考えたこともなかったの。メンマが一人で生まれて来た筈ないものね。——私がお爺さまに買ってって言ったばかりに、メンマは仲間や家族と離れ離れに」
『いやいや、あの時点で俺は一人だったろ。寧ろ、あの時買ってくれなかったら、俺はどうなっていたことか。だから恩があるっていってるだろ。その辺は気にすんなよ。ま、誰だって、秘密にしておきたい過去ってあるよな。だから俺の過去については気にするなよ。アリアのペットになってからが俺の人生?人面魚生の始まりだよ。』
波はようやく落ち着いてきたらしい。
人面魚は気持ちよさそうにアクアリウムの中をぐるーっと泳ぎ始めた。
……いや、酸素な?酸素欲しいから泳いでんの!楽しいとかじゃないから!
少女はソレが言った言葉に衝撃を受けていた。
……私、とんでもないことをしてしまった。メンマの言う通り、買った時既に彼は水槽に入れられていた。でも、今までそんなこと考えたこともなかったのは私の罪。彼?彼女?かは分からないけど、ずっとここに閉じ込めて……
『ドン!』
今度は水槽の中から音がした。
『そういうのなしだっての。結構うまい飯も食わせてもらってるし、俺は感謝してるっつたろ? もしかしたら俺、あのまま雑に鍋に放り込まれて食われてたかもしれないしな。だから、過去は良いって。で、お前はこの臭いが気になって集中できないんだろ?だったら、まずはそれを解決すればいい。ひとまず俺に出来る手伝いはそれくらいだな。』
「え……?」
少女は目を剥いて、人面魚の人の顔の眉間あたりを見た。
——よく見たらすごく気持ちが悪い、なんでこんなのを欲しがったのか、昔の自分のセンス、いや、子供のセンスとはそういうものかもしれない。
……って、そこじゃなくて!今、メンマはなんて?
『ずっと臭い臭い言ってたろ。窓閉めてもまだ臭いしな。ってか、アリア。お前、一回水槽のヒーター消そうって考えたよな?動物虐待だぞ、それ。』
「か……考えてないし……」
『本当に?俺、結構昔のこと引きずるタイプだからな。後々、実は考えてましたってバレたら怒るぞ。』
そしてまた人面魚は水槽を楽しそうに泳ぎ始めた。
……だから、楽しいじゃなくて会話したら、酸欠になるって分かったんだって!分かるか?泳がないとエラに酸素が行かないんだぞ!!
ただ、そんな人面魚の気持ちなど少女には分からないわけで、少女は不思議そうにその泳ぎを眺めていた。
そして……
「えと……、窓を閉める以外に方法があるってこと?」
——少女は人面魚に質問をした。
そして、それが彼女が呪われた領地に一石を投じることになることは、今の彼女には当然、知り得ない。
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